2017年08月16日

言い訳・地獄

去年の冬に失恋した時に、何かかじりついてないとやっていられない/生きていられない/塩気を感じない/ので、依代を求めるべくして本を読んだ。ただ只管にというほどのことではなく、それまでもそこそこに/ある程度/自ら進んで/好きこのんで/読書をしていたほう、なのではあるけれども、女性に割り当てていた分の熱量の逃し道として、頭脳冷却の術として、時間の堆積をスコップですくって投げ捨てる穴ぐらとして自分は本を読んだ。ここから道が拓けるとは露とも考えなかった。非常にふざけるな、と遺憾の意だけが身体の中でうるさかった。


とりわけどういった文章を書くにも、或いは読むにも言い訳ばかりがちらついた。貧乏なのだからしょうがないだろう/戦争中で大目に見てくれよ/ふられて格好悪い私を笑うがいいよ/と、それはつまり立場に置かれる人生の弱目の立場であり、それは自分の書く文章にもしつこすぎるぐらいに滲み出ている。尚のことタチが悪いのは、人の弱みへの同情、もしくは反発いずれにも入れ込むことが出来なくなってしまったのである。馬鹿は馬鹿のまんまで死んでいってくれ、という殺意と、馬鹿は馬鹿のままでは良くない、立ち直ってくれないか、という希望がハタリハタリと裏返ったのだった。金八が生徒たちにエールを送りながら小便をぶちかけていた。


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この世はクソで地獄である。スケールの小さい範囲/島/身内/無医村の話で恐縮であるが、僕がTwitterのアカウントを消してから、僕の名言botと題して過去の発言を無断引用・挙句の果てに人種差別発言の捏造・他者への罵詈を繰り返すアカウントが出現した。単なる地獄である。著名人にまつわるゴシップやでっち上げをすることで悪銭を巻き上げるキュレーションサイトも終わっているが、アクセス数に応じて幾ばくのマージンが懐に入るのだろうとも思う。やくざでも己の利益に成らないような悪事は行わない。しかしながらこのアカウントは単なる/純粋なる/コロンとした/悪意によってのみ生まれている。学校裏サイトならいざ知らず、キレる十代ならいざ知らず、だ。おそらくそこそこの大人が、1人の人間を貶めるためだけに行動している。唯一の救いは、「tokunagaradio」という名前の、「徳永英明の 壊れかけのRadio」 をもじった、2003年のオンバトの笑いが芯棒のおじいさんということぐらいである。


星野源はこの世は地獄だが、楽しい地獄であると歌った。半分は賛成だが、この世は別に楽しくない地獄だ、と信じる。楽しい地獄なんてあるか。しかし、地獄で生きる術/心構えを身につけなくてはならない。地獄は地獄としてやらなきゃならないんだろう。希望を持ってはならないが、負けてもならない。


ブログをまた更新頻度を上げていくので、次のテーマについてちゃんと書いて予告をすることにします。


「映画の『風立ちぬ』は良い」


宜しくお願いします

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posted by しきぬ ふみょへ at 23:28| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

引っ越して落ち着いた

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お母さんか?
posted by しきぬ ふみょへ at 18:22| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

M&F

先日デビルと遊んだ際に、「俺はここから捲り上げて、ロシア人のブロンドと結婚する。そうでもしないとここから人生逆転できない」と漏らしていた。その数か月後に再開したところ、見事に上半身の筋肉がパンプアップされており、お初天神のタイ料理屋でシンハービールの瓶を煽りながらカーキ色のタンクトップ一丁で仕上がりについて満悦に語っていた。デビルがとみに主張しているのが、「これからはM&F」だ、と。M&F、Muscle&Financeである。筋肉と経済の時代が訪れた、という。そうだったのか。



マッスルとファイナンス、つまり目に見えてわかりやすく物理と経済で優位に立てば物事はスムーズに回る。強ければ生き、弱ければ死ぬと志々雄真さんもスローガンにしていた。筋トレこそが最強のソリューションだ、とひつこく提案し続けインターネットの人気者になった人もあるし、大いなる優越、さえあればにへらにへらと拳の関節を鳴らしつつ笑ってやり過ごせる。



かくいう僕もデビルのM&F宣言に賛同し、彼女に「痩せて、格好良くなってください」と要求をされたのもあり、ここ数ヶ月ほど食事制限と腹筋ローラーを続けている。デビルと女に耳元で囁かれてその通り行動するなんて僕かアクセル・ローズかどっちかだろう。アクセル・ローズがそんな事を話したかどうかは知らないが、シャナナナナナナ・ニーズ、ニーズと僕もかなり思っている。腹筋もうっすら割れてきた。ケンシロウがジャギにとどめを刺した時、ユリアとシンとジャギに殺された子どもと己の怒りを拳に込めヘルメットをかち割っていたが、怒り・反骨が則ちエネルギーに還元されるというのは身体を鍛えている時に最も実感する。踊り場で挨拶を返さなかった経理部長の顔を思い浮かべるとローラーが自然にもう5往復する。ホラーゲーム『学校であった怖い話』に「殺人クラブ」という、日常で些細なストレスを与えた人間を抹殺するというよしてほしい部活動の連中に追い回されるエピソードがあったけれども、そのストレスがまんま己に返ってくる版だ。版(ばん)だ。と言い切ってしまった。



実際やればやるだけ目に見える成果が出るので、見えない相手と闘うよりよっぽど心も体も爽やかだ。Mがある程度の水準に達したら次はFを詰める番である。お金は難しい。凄いやつがお金を持っている場合はいいが、変なやつがお金を持っている場合もある。納得がいかない。芸NO人なんか特にそうで、芸NO人なんかお金を持つべきじゃないだろう。だって芸”NO”人だから。昔の先生や名人と呼ばれるような方々が本物の芸能人と言うのだ。三波春夫先生の俵星玄蕃を御覧なさい。日本人の心が詰まっている。いまのAKB、ジャニーズ、EXILEなんか箸にも棒にもかからないじゃないかあんなものは。だのにお金だけは腐るほど持っている。金満球団ゴミ売虚塵軍も日本をダメにしているよ。



などと、もしお金があるならば「日本人の心」だの「金満球団ゴミ売虚塵軍」だの喚かなくて済む。僕はかっこいいスーツを着た男性が「金満球団ゴミ売虚塵軍」という言葉を発しているのは見たことがない。心の余裕と肉体とお金は順繰りに巡っている。「ニセ科学」という言葉も、相手を腐してやろうという意図が含まれているので良くない。モーツァルトを聴かせて育てたチューリップに毎日ありがとうと呟いてから会社に出かけたほうが健やかだ。フリースタイルラップも悪口のないように。肩を組んでスイカの名産地を輪唱するほうがいい。木村祐一監督作品・ワラライフを借りてくる。

posted by しきぬ ふみょへ at 01:46| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

2017/5/7 文学フリマ

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本日の文学フリマでは、僕のふるさと:カナダのハリファックス名物である"ハリバット"を振る舞います。時には4mを超すこともある巨大なカレイで、とても淡白な味わいなので、日本人の皆さんの口にも合うと思います。ぜひご賞味あれ。
posted by しきぬ ふみょへ at 10:54| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

お金持ちになりたい

先日入った居酒屋でテレビを観ていると、『ジョブチューン』の大物司会者特集で小倉智昭、草野仁、徳光和夫、ヒロミ、恵俊彰など動物性脂肪の塊のような面子がひな壇に集められ"暴露トーク"に花を咲かせており、1本あたりのギャラがいくらいくら云々、スタジオ感嘆、茶々を入れるネプチューンやバナナマンといったお笑いの人たちも思う存分にお金持ち、と、楽しみ方の一切わからない映像を見せられテレビの置いてある側の左目だけを固く閉じてしまった。「テレビは"オワコン"」などと喚いている連中然り茂木健一郎然り、ひとつの媒体をまるごと括って断定的評価を下す人間はろくでもないしどうせ毎日頭を洗っていないような者共とも思うが、お金持ちが制作に携わっておりお金持ちがカメラの前で騒いでいる様を貴重な土曜日の夜に割いているのか、一体自分は何を観させられているのか、と途方に暮れてしまい、テレビが何も面白くなくなってしまった。もはやNHKのBSで明け方にやっている「マチュピチュの空撮」や「オトシブミのかしこい子育て」といったような、なるべく人為の関わっていないハイビジョン映像を好むようになった。高校を出るまでは毎日死ぬまでテレビしか観ていなかったのでトントンなのかもしれないが、実際に稼いだお金で生活をしなければならない立場になってから「お金持ちがお金たくさんもらっているね」と苦虫を噛み潰すようになるというのは辛い。よくJUNKやオールナイトといった深夜ラジオを聴いていたけれど、よくよく考えればCM差し引いても1時間40分もの間お金持ちが喋っているのだし、ハガキ職人のTwitterはつまらないのにフォロワー数だけ多いしチヤホヤされて羨ましいし増長するしでこれもまた苦虫案件だ。



本屋に行けばもちろんのこと目に留まる本の作者はお金持ちで、インターネットでフォロワー数何十万人超え、を謳う、ハードカバーの1ページ1ページにちんちんの先をなすりつけているかのような書籍が平積みにされている。インターネットで幅広にウケてお金が入ってくれば嬉しいぜ、というよこしまな怠け者根性もあったが、インターネットで幅広にウケてお金をもらっている人は金玉の腐ったような者しかおらず、流石にそこまで精神が落ちぶれたくないしそもそもウケないしでうっちゃってしまったが、お金はやはり欲しい。あればあるほどいいものと思う。



ブルーハーツもお金持ちだし、格好がいいので女の子にもモテただろう。そんな些細な理由で、大人になってからブルーハーツが聴けぬようになってしまうとは、「年下がうるさいよ」と感ずるようになってしまうとは。



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彼女が、職場の60手前、「己はまだ通用するだろう」とギンガムチェックのシャツを着、べっ甲で縁の太いメガネを掛けた薄髭の、嫁も子どももある爺から誘われ、仕事終わりの晩食事に行く途中の帰り道に偶然出くわした。2人はよく会話を交わす仲で、業務中、給湯室で洗い物をする彼女と10分ばかり何やら話し込んでいる姿を見て働かんか爺と些か腹が立ってはいたのだけれども流石に飯はお前、おい、60で自分のこといけると勘違いしていいのは高田純次だけだぞ、ましてや私が交際している女性なのだ、と頭にきてしまい、晩の夜に彼女に問いただしてしまった。相手が60手前とはいえ、武田弘光のエロ漫画などの読み過ぎで地下鉄の窓に映っている己の佇まいが、私立高校の理事長に寝取られた彼女の、ハートの形の穴が空いた下着を履かせられてダブルピースをしている映像を見せられ呆然としながら勃起せざるを得ない冴えない眼鏡に思えられて居ても立ってもいられなくなった。


彼女には「いや、60やで???」と窘められ、翌日「かっとなり、すみません」と2時間電話で謝ったが、もし己に金銭的余裕があったならこのような失態も犯す恐れはないだろう。南海トラフも北朝鮮のミサイルもだいぶ怖いが、お金があれば頑丈な壁を築けるのでかなり大丈夫だ。一生懸命働いてお金を稼がなければ。何も後ろめたいところはない。「やるしかないから、やるしかない」と、駅のマイナビの広告でお金持ちの有吉弘行が腕を組んでいたのを思い出した。
posted by しきぬ ふみょへ at 22:09| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

やらせていただきました。

じゃないんだよ
一生懸命働け

脇目も振らずに一生懸命働け
posted by しきぬ ふみょへ at 23:47| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

バーチャルリアリティの略

DMM.comでVR動画を観た。新しい性デバイスに対して基本的に守りに入っていたのであるが、Amazonポイントを有効活用しタダ同然でかしこく専用ゴーグルを手に入れられたのと、大槻ひびきや蓮実クレアの最新作がどうしても気になってしまった。社会人だからクレジットカードを持っているので、なんの障害やためらいもなしに動画を購入できてしまう。



届いたゴーグルは眼鏡を着用したままでも上から装着できるかなりごつめのもので、ビジュアルは任天堂のファミコンロボットに近い。首振りに合わせて視界を動かし、手探りでしこるその様はあたかもファミコンロボットがコマを運んでいるが如くだ。それに加えて手元が見えないので、OB(Out of Bounds)があってはならないといつもよりも念を入れてティッシュペーパーを使いクッションを整える必要があり地球にも優しくない。然しながら、限りある資源や人生を犠牲にしても尚、「奥行きのある女性」はいかほどに素晴らしいか痛感した。「ケツ!」と思うて、あぐらをかきながら己の膝をピシっと打ってしまった。未来はここまで来たか。僕にとっては今この目の前のケツの流線型こそがリニアだ。



その感動のぶん、仕事を済ませた後の虚無も半端ではなく、ゴーグルを装着して下半身を露出している様はかなり終わりに近い。21世紀なんか来なければよかったのに。いったん冷静になった後でもう一度動画を観てみた。ソープで思い切り女の人に体を舐められている最中に、上を向いたらただの天井が目に映るのにウケてしまった。こんなに下品な言葉を耳元で囁かれながら全然お前のこと無視して天井観てるけどね、頑張ってね、と思いひとしきり笑い、ゴーグルを外し、布団にくるまった。SNSを一切やめているのにもう通信制限の通知が来た。4月の頭なのに。iPhoneが真っ赤に焼けただれていた。



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大阪に来て4年目の春を迎えた。会社では相変わらず東からやってきた無能の若白髪としてやっている。いつまでも西に染まるまいと抗っている。無能なわりに順応しまいと意味もなく確固たる、捻じ曲げざる、ローキックの効かざる虚栄心のせいでイントネーションを上方に寄せまいとしている。だけれども、大阪はご飯も美味しく安くてお腹がいっぱいになるお店が多いのでそれ以上に考えるのも億劫になり、死ぬまでここでしこってうんちして鼻ほじって過ごそうかな、と順応に向けて脳・体が順応に向けてシフトしてきている。



3月の末にJA大阪が主催のリレーマラソン大会があった。うちの会社も例年参加している。大阪城公園周囲をぐるぐる、42.195kmを21人で分担して走る。1人あたり約2kmを受け持つことになる。一応若手たる区分でエントリーせざるを得ない僕は生来走るのが苦手で苦痛でしかなく、タバコをやり手マンをやり、テカテカに肥えた役員連中にも劣るタイムを叩き出す始末で、「仕事もできなければちょこっと2kmばかし走らせてもボンクラなんかい、ヘラヘラしくさってブスメガネ背むし直毛オタリーマン」というあからさまに鼻くそを見るような視線で眺められる仕打ちにここ数年耐えてきた。ヘラヘラしくさって、歯を食いしばっていたら終いなので去年までは袖を噛んでいればよかったのだけれども、部署に彼女ができ、持ち前の「嫉妬」が乗っかってきたのでなおのこと苦痛になった。



彼女の同期のロシア人のクオーター、元陸上部の183cm、地毛がそもそも明るめの茶髪の男が応援ブースの前を白虎のようなストライドで走り抜ける。彼女は「はやーい!!」と感嘆しながら沿道に駆け寄った。俺も足が速ければよかったのにな、と小学生以来に思った。大人になってから尚、肉体的アドバンテージをむざむざ見せつけられて落ち込むような機会は全然あるのだ。同じ給与体系である以上、カネで説得力を植え付ける事もできず、筋力の負けがイコール雄としての敗北と切実に結びついてしまう。



「嫉妬」でいうと、彼女はおじさんの扱いに如才なく、という事はつまりお気に召されてしまうわけで、髪を切って来ようものなら翌朝「自分…AKBみたいやな!!」とおじさんにちょっかいをかけられている。”今”の喩えとしてのAKBはとっくに古いんだよジジイ、と腐す気持ちもあれど、彼女が給湯室前にておじさんの心の中で尻を撫ぜられていることに焦燥し、ひょっとしてなびかれでもしようものならどうしようか、と本気で心配してしまう。客観的に見れば「心配すんなって」「滅入るな」「口笛を吹け」で済む話なのかもしれないが、いざ当事者となると気が気でない。ともあれ堂々と・我関せず・泰然自若で居なければいけない。理性で解っていても、脳幹が熱くなる。



フィジカル面・フィナンシャル面で勝るところなく、品行方正で浮気の心配なく実直で、日々の会話の充実(への努力)でしか自分を彼氏という立場に置かせられる説得力を持たせられないのに、欲に抗えずごついゴーグルを装着し天井を観ながら笑っている。最近は毎朝ヤクルトを飲んでいる。まず腸から美しくなろうとしている。
posted by しきぬ ふみょへ at 22:25| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

A

2017/2/25(土)彼女が出来た。性懲りもなく、何度滑落に巻き込まれようが熊にぶん殴られようが、女性との平穏無事を望む自分の学ばなさに呆れる。また半袖短パンスニーカーで富士に挑んでいる。「前回は熊に襲われて死んでしまったから」という理由でポケットに鈴を忍ばせている。根本的な性根の是正が喫緊の課題である。



職場の同じ島で仕事をしている新人の女性、このブログでは「麻里」という仮称でしばしば書いた。昨年のクリスマスに中之島・中央公会堂のイルミネーションの下で振られたが、その後何度か遊びに出かけ、先週漸く了承を頂くこととなった。やってることは堀北真希に対する山本耕史のアプローチとさほど変わらないのだが、気持ちが悪い僕がやると不思議と気持ち悪くなってしまう。



その日の夜一緒に飲んだ。そろそろお互いに終電を気にする時間だ、と頭の片隅で気にしつつも、「そろそろ(時間)大丈夫?」などと気を遣うという腕力への自信のなさから発する気遣いを酒の力で押さえ込み、いつの間にやら帰る時間が無くなっちゃったねに持ち込もうとしていた。ろくでもなく「性」に理由を与えて正当化させようとするアンフェアな行動である。



実家ぐらしの麻里がお泊りの許可を得た報告を受ける。残り電池残量10%を切っているiPhone6を駆使し、それを悟られぬように近場のラブホテルを探した。手を握り、位置情報アプリの指し示す方角めがけて前のめりに突き進んだ。辿りついたホテル「NEXT」のエントランスで婆に「後15分ほど待ってもらえれば部屋が空く」旨告げられる。僕と麻里は丸テーブルを挟み向かい合わせに腰かけて待った。婆からお呼びがかかり、前払い6,500円也を支払おうとする。昼食のハーブカフェでランチプレート(お手製シフォンケーキ付)、晩に「女性でも気兼ねなく」利用しやすい内装に凝った焼き鳥屋でセセリ・ソリ・れんこんつくね各2本、セロリの浅漬け、スモークサーモンのサラダ、ウーロン茶・ゆず酒ソーダ割り・日本酒(春鹿)1合・ビール(キリンラガー)・ハイボール(角)ジョッキ1杯ずつ。2件目のショットバーでナッツ盛り合わせ、カシスオレンジ(カシス多目)・ウイスキー水割り2杯(ラフロイグ・シーバス)を現金で支払っており財布に2,000円しか残っていなかった。クレジットカードを出すと、婆は「すんませんウチカード取り扱ってないんですよ。いまどきめずらしいでしょ。すんませんねえ、すんませんねえ、斜向かいの”ラヴィアン・ローズ”さんならいけるかもわからないんですけど。ほんますんません」とのたまった。15分待って今さらラヴィアン・ローズさんへ向かうにも、間もバツも悪い、空室があるかどうかもわからない。僕は麻里に無心をし、残り4,500円を出してもらった。『せめて少しは格好つけさせてくれ』とジュリーは歌っていたが、日常に潜む「ダサ」の罠にことごとく引っかかっており、ほんの少しでも気取った真似をしようとすれば神からイカヅチを落とされる。


結論から書くと「A」までしか出来なかった。僕は意中の女性とホテルに入り、「A」までしか達せない者である。体調が悪いわけでもなく(勃起の不全でもなく)、羞恥に面食らって立ち尽くしたわけでもなく、女性側の周期的な生理現象に寄るものでもない、只々只管に「拒否」をされた、NOの札を出されて身動きが取れなくなってしまったのである。然しながら、ベッドの中で(性交渉に失敗した身分の者でありながら)「こちらとしても好意を抱き続けたままでこのように会社帰りや休日にアポイントメントを取り付け食事をしたりレジャースポットに足を運んだりを続けるのはむしろ苦痛である、中途半端な関係は具合が悪いので正式に、今日を持って交際関係を始めたい」と伝えた。戸惑っている様子だったが、首を縦に振ってくれた。


容姿も内面も美しく、よく笑い気の利く女性と同じベッドで朝まで共に過ごせただけで何をお前は不満なことがあるのかと中学生時代の自分がこの光景を見守っていたのであれば苦言を呈していたであろう、「A」で十分だろう、いわんや「B」以上をやだ。僕は結局チノパンの下の男性器に血流が集まるのが嫌で嫌でしょうがなかった。性欲というものに振り回されたくない。男性器とオートバイのハンドルをタコ糸で縛り付けてサーキットを思い切り走って欲しいとすら思う。こいつの所為で僕はどれだけの金銭と時間を無駄にし、女性と接する上で間違いを犯しただろうか。犯したくないのだ。本日これをもって終了とす、と毎度のごとく戒めては破戒の繰り返しである。



日が昇るまでも「A」までは許されたが結局それまでで、麻里はシャワーも浴びず朝まで白いニットのワンピースから着替えることはなかった。チェックアウト指定時刻は正午だったが、朝9時頃、午後から美容院の予約が入っていた麻里と店を出、ドトールでモーニングセットを食べ、各々家路についた。



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2017/3/1(水)、会社の総合朝礼で人事発令があり、来年度の昇格・異動者の発表がなされた。うちの会社では昇格試験があり、僕は今年から試験を受けられる勤続年数に達していた。初年からいきなり受かる者は極稀である、という声もあり、昇格できたら儲けである、と不合格してしまった場合に保険もかけつつ臨んだ。内容は時事問題や一般常識や小論文「リーダー(主任)に昇格した際の心構え」など、取り立て特筆すべきところもないものだった。それなりに手応えもあった。



昇格者は朝礼前日に人事部から通達がある、という情報も流れており、前日定時までにお呼ばれのなかった自分は恐らくは不合格だろう、と前もって覚悟は出来ていたのであったが、試験(1月)から発表までに上記のように事情が変わり、パブリックの場で無能の烙印を捺されるのが居た堪れない。それだけに及ばず、同じ社屋で働く自分以外の同期並びに、昨年中途採用されたジャルジャル福徳似の男まで「リーダー(主任)」に春から昇進の旨が発令された。僕は頭蓋骨の裏べりに一味唐辛子でも塗りつけられているような、夏目漱石の『それから』で親兄弟から勘当された主人公が電車に乗って職探しに出かけた場面・心情のような、「目の前が真っ赤になる」錯覚に襲われた。よく考えてみると、あれだけ拒否をした「忘年会でのPPAP」をきっちりこなした面々だった。格好が、悪い。列の後ろに並んでいる麻里の目線が背中を燃やすように熱い。



「中学の卒業式前日に、全校生徒の観ている前でヤンキーに胸ぐらを掴まれ振り回される」「高校のマラソン大会で、サボってキックボードに乗っている奴にすら抜かれてビリになる」「初めて行った合コン・ダーツバーで、誰とも喋れず1人で”ダーツの面白い投げ方”をやるも見向きもされない」「インターネットの大喜利大会で、優勝だけでも寒いのに連覇してしまう」など、大方の「ダサ」実績は解除してきたつもりだったのだが、まだ「彼女の目の前で、自分のみ昇進できず」が残っていた。彼女と普段話す中身においても「昔からの知り合いが小説を出し、10万部も売れているらしい」「友だちが芸人をやっており、今度飲みに行く」など、浮世離れした知人・友人を自慢げにあげつらってしまう。本当にダサいと思う。


加えて愚かだから気づかなかったが、同じフロアに交際中の女性が働いている、という状況には逃げ場がない。ミスや叱責など全て筒抜けである。重く責任がのしかかっているじゃあないか。これは一体、どうしよう。



麻里には当日の終業後に慰めの言葉を掛けてもらったが、僕はその日の午前死んだような目をしていたらしい。「”リーダー(主任)に昇格した際の心構え”について書いたけれど、昇格してないから心構えいらないわ」、と己の無能をあえて曝け出す道化をやったが、生活に結びつく以上そのようなおふざけをするべきではない。と解っていながら選択肢が1つしか表示されないのだ。”いつも、なぜおれはこれなんだ、犬よ、青白いふしあわせの犬よ。”。交際関係に至ろうが至るまいが苦悩は終わらず、一先ずは足を今まで向けなかったビジネス本の棚に向かわなくてはならない。
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2017年02月03日

特別放談



全身黒川涼秋氏と喋りました
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2017年01月30日

セルフ一周忌

漫画や私小説を出版してえらく評判になる、仲が良かったり悪かったりした人がめでたく結婚をし家庭を築く、長く非正規雇用者、"るろうに"をやっていた人が定職に就くなど、近頃友人・知人の間で生活環境が変わるようなイベントが相次いでいる。ところで僕はというと今日会社に遅刻した。


前日新婚夫婦の家庭に呼ばれ鍋を振る舞ってもらった。僕の家は会社の独身寮なのだけれどもガス・火NGで食材の調理ができない。夕食となるとすき家、天一、立ち食いそばなど専ら偏差値の低いものばかり摂っているので、「やっぱり鍋だと野菜がたくさん食べられるからありがたいでヤンスね」と前歯を突き出しながら与太郎のようにくたくたのキャベツをもりもりと食べた。人の暮らしや幸せに慣れておらずついつい気分も高揚し痛飲、よせばいいのに帰り道に9度のトリスハイボールまで買ってしまった。劇薬をあおり、ビーズクッションに顔を埋めてムーン・ライダースの『涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない』を聴きながらオカマの如く涙を流していると意識が途切れ、目が覚めデジタル時計に視線をやると朝の8時、アラームは平日毎朝鳴るように設定しているのだが聴こえず。会社には「昨晩食べた海老に当たった。点滴をうって午後から出社する」と電話した。寝小便をしてしまった後のような不思議な高揚感は地下鉄に映った自分の顔のむくみを見て罪悪感に変わった。赤ら顔で上司に言い訳する。


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身の回りで「面白い」という評判がたって世に出ていく人、というのは大きく分けて2種類に別れる。本人もさることながら身の回りで何かしらの異常、アブノーマル、椿事、とにかくスラップスティックな日常を送っているタイプ、これを「有機的」に面白さを提供する人とするならば、かたや素性やパーソナリティを隠し、私情を挟まずストイックに創作に打ち込む人もある。これを「無機的」とする。有機であれ無機であれ、どちらかに身を賭していたり振り切っている人は魅力的である。僕の場合はバイオにもメタルにも走れず中途半端だ。「自虐じゃ君は周りに勝たれないから、他の方法を考えたほうが良いだろう」という助言も賜ったことがある。自虐に勝ちも負けもあったものじゃないだろう、と思うが、「女に振られた」「会社に遅刻した」程度の谷に転げ落ちても目を引かない。昔の私小説作家は結核や肺炎を患うと「待ちに待った不幸だ」と喜んだという。苛烈な日常を送っている人の声が殆ど直接的に届くようになった今の世の中、「身の切り売り」もサイクルが早くなり、尚更消費されてエスカレートしていくだろう。

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"清貧と豪奢とは両立せず
いゝ芸術と恋の勝利は一諸に来ない
労働運動の首領にもなりたし
あのお嬢さんとも
行末永くつき合ひたい
そいつはとてもできないぜ"

宮沢賢治『まあこのそらの雲の量と』より


"坂口安吾「文士という職業があっちゃいけないんじゃないかな」
小林秀雄「うん、パラドックスとしてはね。―だから、俺も明日からでも陶器(せともの)商売ができる。そこまで行かなければ、何があんた、陶器が判るものかね。」
坂口「それはそうだね。やっぱり生活を賭けるということがなくちゃダメなんだろうね。」
小林「ダメらしいですよ。僕は陶器で夢中になってた二年間ぐらい、一枚だって原稿を書いたことがない。」"


小林秀雄対談集収録『伝統と反逆』より


"なぜといって結局――芸術で腕を試そうとする人生の姿ほど、あわれむべき姿があるでしょうか。ディレッタントであり、溌剌たる人間であって、しかもその上、折に触れてちょいちょい芸術家になれる、なんと思っている人たちほど、われわれ芸術家が根本的に軽蔑する者はありません。"


トマス・マン『トニオ・クレエゲル』(實吉捷郎訳)より


"君が一人の漁夫として一生をすごすのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、僕は知らない。それを軽々しく言うのはあまりに恐ろしい事だ。それは神から直接君に示されなければならない。僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。
そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。このせつなる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中にことに激しく強まった。"


有島武郎『生まれ出づる悩み』より

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かくいう偉大な先人たちの言葉に「何か」を思う、或いは思い込むということを本当は辞めにしたいのである。いい加減にしたいのである。彼は「文学と酒」にヒントが有るんじゃないか、芽を感じたつもりになっているのじゃないか、なんて揶揄をされたこともあり、凡々と生きていくのであればそんなものはせせら笑っておしまいになるが、なんだか無性に腹が立った。が、正確に言えば腹を立てている自分になお腹が立っている。なんでこんなことに苛ついているのか、それはきっと手に入れたいものが手に入らない、着地が決まらず足首をぐねる自分の格好悪さから湧くフラストレーションの矛先が見当たらないこと、ぐるぐると熱ばかりが循環してどこにも吐き出されないもどかしさにほとほと嫌気がさす。妬みや嫉みや恨みばかりが堆積し、バクテリアがうごめき、スモッグがもくもくと空にのぼるところから望まれぬ命が誕生し、映画『ザ・フライ』のラストでハエと人間が9:1ぐらいになった生き物が背広を着て人間の言葉を喋り、会社に出て、頭をボリボリかくとごっそり頭皮が剥がれ、右脳も左脳もなく滴り落ちる。


気に入らぬ人や物を腐す時に、「ひょっとしたらこの人は既に死んでいるのではないか」と吐き捨てることがあったが、自慰の材料に一年前に振られた前の彼女との性行為をプレイバックしている自分がいて、実際とっくに屍(かばね)と化しているのは己の方なんじゃなかろうかと不安になりギョッとした。まったく前に進んでいない。『BLEACH』で言うところの「虚(ホロウ)」になってしまっているかもしれない。セルフ・ネクロマンサーかセルフ・アンダーテイカーかわからないけれど、僕が死んでいるとしたら、死んだ人の更新しているブログとしてやや波も立つかもわからない。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:25| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする