2016年06月25日

父親の歌う浜田省吾の『J.BOY』

去年の冬、父親、母親、妹と、長男の俺でカラオケに行った。血が濃い部屋。かなり気持ちが悪い。持ち込みOKな地方特有の爆安カラオケチェーン『コート・ダジュール』だった。ちょっとでも削れるとこ削ろうと、カウンターで初めて会員登録勧められて素直に応じ、老眼でメガネのつるを持ち上げながら空メールを送っている父親をよそに長男は誰が金落とすんだよというUFOキャッチャーでジャッキーカルパスお徳用が、このタイミングでしか入手できない気がして妙に欲しくなったので遊んでいた。母親は家で揚げてきたコロッケを抱えていた。

一族を案内するにはおそらく不適切だろうというミラーボールの色味や回転が調節できるつまみの用意された部屋に連れてこられた。母親がコロッケの包みを開き、カバンから中濃ソースを取り出した。うちの家族は妹を除いて酒をかなり飲む。店員、のっけに生やらサワーやら運んできたテーブルにタッパーみちみちになっているコロッケを見てどう感じたんだ。たぶん俺だけがその辺をお察しし多少恥ずかしく肩身を狭めていたのですが気にせず連中はコロッケを食いながらデンモクをいじっていた。やおらなんか適当に歌おうっていうんで、妹のYELLOW YELLOW HAPPYを聴いた後、もしも私に生まれてもまた私に生まれたかったんかいお前は処女だろ、の次に父親が予約したのが浜田省吾、ハマショ〜の『J.BOY』だった。




上司に腹が立って仕方がなかったら机で歌うんだよこれ、と『時に理由もなく叫びたくなる 怒りに』といきなりAメロでかました。どこまで気持ちを移入してたのか、時に理由もなく叫びたくなるやつを圧し殺しながら、いや実際に歌ってしまっている以上圧し殺せてはいないんだけれどもこうして自分が養ってきた一家の前で酔いながらマイク握ってる父親がいた。働くようになってから、うるせえやつのうるせえ結婚観より、こういうことだろ、となんだかしみじみなりながらモニター見つつコロッケを食っていた。

ハマショ〜のすごさは、これは先にハマショ〜のすごさに気づいた友人の受け売りなんですが、一瞬たりとも正規雇用労働者としてお賃金を得る生活を送ったことがないにもかかわらず、創作力だけでその層の心情や愚痴や吐露をわしづかみにしているところで、ウチの父親もそこそこにお笑いも音楽も映画も好んでいるけれどもハナからサラリーマンで生きていこう、としていただろうにハマショ〜、俺のこと歌ってくれてるじゃん、という意識の移入をしている。『風を感じて』も『Money』も、バンダナとでかめのサングラスの奴が作れるはずが本来ない内容だ。ビジュアルからの印象が強すぎて、よけてしまっていたことに後悔している。でも、多少なり真面目に、正規雇用の身分になってようやっと理解できるようになれたという。

『午前4時 眠れずに
彼女をベッドに残し
バイクにkey差し込み
闇の中 滑り込む』

父親がある朝忽然と布団から消えていたら闇の中に滑り込んでいったんだろう、と納得する。母親の歌う菊池桃子や引き続き妹の歌うポケビを聴きつつ、なんだこれ、とまあまあ酒入ってるのに嫌でした。
posted by しきぬ ふみょへ at 22:31| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

もしピア

今日も前の彼女のアカウント名でTwitter検索をかけたら、「おめでとう!」「お幸せに!」「不倫じゃないよね?笑」というリプライが引っかかった。例によって鍵がかかっているその上からなおブロックと、こち亀で中川財閥の金で建てた葛飾署の女子寮ばりにガチガチにセキュリティでふさがれているのでいくらドアを殴った所で中の様子はまったくわからない。それにしたって「お幸せに!」「不倫じゃないよね?笑」って、彼氏出来たらしい。早え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜な。おい。お前に殺されてるんだよ。俺は。弔え弔え。もっと。7回忌までは年賀状をどこにも出すな。いや幸せを望んでいないわけではないが、こんな4ヶ月そこらで何ごともなかったかのようにレール戻れるんかい。トロッコ乗れるんかい。そんなもんですか?本件に関して詳細情報がどうしても欲しいのでさっきのリプライ送ってる人に目出し帽で近づいていって「もしもし、あの壁の向こうでは何が起こっているのでしょうか?」と尋ねたくてもどかしさに全歯が欠けそうだ。無論そんな振る舞いに出たところでヤベェ奴だ。このトロッコは人間の理性に反応して危険から遠ざかる仕組みになっているので一生懸命深呼吸をしているがどういうわけだか崖がどんどん目の前に迫ってくる。


だいたい女、女がこれを読んでいるんだとしたら男相手にそう思ってくれればいいのだけれども、付き合っていたらお気に入りの場所とかだいたいこの辺で遊んでるとか、そんなとこに2人で行くだろう。全部潰されてしまった。どこにも行かれない。まったく無駄に残像を覚えているから。引きこもりでは決してない。しかし外には飽きたから億劫だ。一応働いてますよちゃんと。


近所のマツキヨにしたって「マツキヨで買うやついるか??」とワゴンに1500円位で積まれている財布にいちいちウケていた時期の幸せで気持ちの悪いゴーストの俺が笑っているのでなるべく近寄りたくない。もはや住んでいる今この施設にしたって辛い。独身寮なんですが風呂やシャワーを利用する時には「使用中」にマグネットを動かす。彼女が泊まりにきた時に、写真の状態にして2人でシャワーを利用した。こんな原始的でいつレイプされるともわからん寮で嫌な顔ひとつせず過ごしてくれたことにいたく感銘を受けた俺はひどく身勝手に運命だと思い込んでいたものである。今、シャワーまで案内している2人が収まっている隠し撮りがあったらぜひ見たい。絶対に嫌な顔ひとつしていたに決まっている。

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「Aパターンがうまく運んでいた場合」よりもなおかつ総合的に上を行くBパターンを構築しなければならない。そうでなくては死んでしまった意味、成果がない。女は人を殺しても罪に問われないが、私どもは死んでもなお蘇られるのでよかった。ぐちゃぐちゃ考えてたら「お前は元カノとアイドルとネットの人間の悪口しかネタがない」と叩かれたのに再び腹が立ってきた。他のことが人生であったら書くよ。本当にこれしか起こらないんだからしょうがないだろうが。「もしもピアノが弾けたなら」を西田敏行の100倍望んでるからな。
posted by しきぬ ふみょへ at 21:28| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

あげカレーそば

あげカレーそばばっかり食ってる。地下鉄天王寺の駅で降りて直結しているあべのキューズモールというショッピングモールの中で、もともとこの場所はあべの銀座商店街があって、そこに残ってた店舗が優先して入っているので立ち飲み屋やうどん屋が平気で小綺麗なショッピングモールに入っていて滅茶苦茶になっている。立ち飲み屋、うどん屋、洋食屋、たこ焼き屋、焼肉屋、と並んでいて角を曲がるとスーツセレクトがある。一杯引っ掛けてうどん食って背広作って帰ろうとなった場合に重宝する。


あげカレーそばは、この並びのうどん屋のメニューで、うどんがメインなのかもしれないけれどもそばも選べる。どっちも美味しいんだけど最近の推しはそばで、はなまるとか丸亀とかのうどんチェーンは関西でもけっこうあるんで有り難みはそこまでないんですがそばをあんまり外で食えないんですよ。東京に住んでいた頃はバイトの夜勤明けで小諸そばばっか行ってて、たぬきの二枚盛り食って部屋帰って夕方まで寝てからまたバイトだった。店員のおばちゃんの「いってらっしゃ〜い」を背に受けつつ「おばちゃん、帰って寝るんすよ俺」と心の中で、盛り放題のネギまみれの口臭で返事をしていたあの頃に戻りたいとは絶対に思わないけれども小諸そばだけマジで食いたいので大阪にも進出してほしい。富士そばですら見かけないので絶対天下獲れる。


短冊切りのあぶら揚げがまあまあ本気で入って、ネギとたまねぎと出汁ベースのカレーとやわやわ煮まくったそばで300円、ちょっと小綺麗にしているショッピングモールの中で300円でお腹が満たされる、ウルテクの域ですもはやこれは。卓上の七味をバカバカ振ります。なぜならば育ちが良くないから。ベーシックなかけそばとか肉そばあたりもそこそこ安定して旨いんですがざるそばはイマイチで、これはどうしても東京のチェーン店をあらかた攻略してとりわけ小諸厨なので譲れない。しかしながらこのあげカレーそばはマジでうまい。出てくるまでの間ジジイとジジイの2オペ体制の連携を見守る。ジェットリーみたいな顔立ちで鼻筋に特徴のある、食券渡しても何も反応がないジジイがいつもいる。サイドメニューの親子丼の手鍋にたまごを割って鶏肉と一緒に菜箸で溶きながら麺の茹で時間を計算していて大概2、3分以内に提供される。手際を見ているのも飽きないし、絶対このジジイは俺がいつもあげカレーそばを頼んでいることに頓着していないというか覚えてないので、あんちゃん毎度どうも的な愛想を今後も振りまかないだろうからすごく居心地がいい。近所の鳥貴族で「いつもありがとうございます」と言われてから3ヶ月間を空けた。


食べログとかまとめサイト見てても、知人に飯屋のこと聞いてもけっこう「コスパ」という単語が出てくる。安価に量を食えるのがコスパなら業務スーパーでひと玉15円のうどんを買ってきて湯がいてパックの鰹節と天かすをぶっかけて醤油ぶちまいて「食べる」、というか「胃に入れる」のが一番コストあたりでいうカロリーの点で単純に点数高い。己を虫と思うなら。コスパって何基準なんだろう。たとえばあげカレーそばは安くて早くてうまい。早いというのは丼が置かれるまでもそうだし完食するまでもそんなに時間がかからない。ショットガンタッチをしたい時に最も好都合な食事です。今のところ。だから浮いた時間ぶんでDMMを漁れるし往年の助っ人外国人のウィキペディアを読める。そういうふうに余る時間もパフォーマンスのうちで、わざわざ食ったものについてレビューサイトに上げているような連中の言うコスパって何。その批評をどこの誰が見てるんだかわからないような場所にしたためるのであればもっとうまい店の情報を入れることに当てたほうがいい。だからこの文章には意味がなく、あげカレーそばで補給したカロリーを中腹ぐらいでまるっきり消費したのでじゃがりこのサラダ味を食べました。
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posted by しきぬ ふみょへ at 00:24| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月12日

相楽左之助、アイドル、オタク

AKBの握手会でノコギリを持った男が大暴れした。プレゼントした腕時計をご丁寧に送り返された男が出待ちして逆恨みで相手をメッタ刺しにした。今日、アメリカでいよいよピストルでアイドルを撃ち殺したやつが現れてそいつもピストルで自分を撃ったらしい。どうしたらいいんだ。ヤベェ奴と相対するリスクを背負っている。そんなの危ないから、申し訳ないから家に引っ込んでテレビ見ててくれ、とも言い切れなくて何故かというと俺もアイドルが好きだから。ヤベェ奴の横並びでサイリウムを振っている、というか振れている、むしろ振らさせていただいているのはメチャクチャ可愛い女の子がメチャクチャ可愛いだけで完結しているにも関わらず歌やダンスのレッスンを、修練を重ねて、なんだか知らない可愛くない黒タイツの振付師とかに怒られたりしながら世に出てきてくれているおかげで謁見させて頂いている。何ごとも殊勝になってくれ。


オタクは基本的に面白くない。これは間違いない。21世紀になって15年半経ったのにいまさらオタクけなしかよ、とも思うけれどもなぜオタクがこんなにも面白く無いのだろう。雨が降っていたから遠くに行きたくないのでベビースターラーメンのチキン味とセブンイレブンで買った肉吸いをすすりながら考えた。肉吸いの汁が4分の1ぐらいになったところでベビースターをぶち込んでみたら脳に刺さるぐらいしょっぱくなってしまって寿命がまた縮まってしまった。味を描く能力のない人間がオタクについて文句を言う。どうかひとつ頼みます。


世に出ている何事かに対して言及する姿勢について重きを置くべきはまずは「殊勝になる」でなくてはならない。パソコンのモニターから腕がニュッと生えてきて胸ぐらを掴まれながら「そういうお前はどうなんだ、面白いのか」と振り回された時に声が上ずらずに対応できるかどうか。自分は斯様に思います、を筋道立てて喋れるか。これはなかなか難しく、難しいからこそ言えない。言えない難しさをわきまえている、いやきちんとわきまえられているのかどうかすら危ういけれども言わずにはおれないのだ、というキューピーマヨネーズの細い方の口から心のたけをなんとか絞り出した意見にこそ価値がある。キャップごと外して口径の広い方からどばどばサラダにマヨネーズかけてくる人間にろくな奴はいない。お前が食うだけのサラダじゃなくて俺も食うサラダだから。肉吸いの汁にベビースターぶちまけた何かは俺だけが食うんだからいいの。これのほうが旨い、という信念のマヨネーズを絞り切るオタクの握力。12kgぐらい。


そういった懸念とか殊勝をあえてかなぐり捨てて偏見や断定を振り回す、斬馬刀を振り回す悪一文字の面白さもある。あくまで「あえて」なので、色々と文脈を踏まえたうえで文脈を無視している。斬馬刀ものすごいスキだらけでウケるが、剣心はお前なぎ払うか振り下ろすしかないから動き読みやすすぎる、いつでも殺せるぞ、と余裕で左之助との喧嘩に勝った。ここで言えるのが、左之助が「あえて」「殺されるべくして」斬馬刀を振り回していたらメチャクチャ面白いのだけれども、そんなに面白いかどうかで得物のチョイスをしないと思うのでマジで勝とうとして斬馬刀に至ったんだろう。だから左之助自体は面白くない。面白いのはただでかいだけの刀だ。


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地面に対して並行すぎる


けれどもオタクはこのただでかいだけの刀を背中に背負ったつもりでインターネットでうろついている。これが行ききると、先のノコギリ振り回す奴とか出待ちのナイフ野郎とかピストルアメリカンとして世に出てきてしまう。だから本当に被害者が出てくる。マジでやめろ。殊勝に生きればこんなことにはならないんだ。左之助だってすぐに斬馬刀をあきらめて自分の拳でやっていこうってなったんだから、今からでも変われる。


第三者の目を持っていないというのもある。自分がどの程度の社会区分に位置づけられておりバラモンなのかシュードラなのか、ジョックなのかナードなのか。自分はどのへんに属しているのだろう、という眼を持っていない。2個3個ビールケースを積んだだけのピラミッドの上から拡声器で喋っている。いつでも死ぬのに。川の氾濫で死ぬのに。せめて拡声器必要ないくらい距離まではビールケース重ねるぐらいに自分の中で何かを成し得なければならない。お前の声は届いてないぞ。一生懸命生きて、それから物を言おう。頑張ろう。


※今回の記事は全部波田陽区さんに書いていただきました。



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posted by しきぬ ふみょへ at 21:34| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月11日

サンマルクカフェの亜空間

サンマルクカフェでアイスコーヒー飲みながら前を向いてボーッとしていたら、「番号札3番でお待ちのお客様」という店員の呼び出しがあった。パフェとかサンドイッチとか凝ったもの頼むと番号札を渡されちょっと待たされる。いちいちアイス乗っけてプリンをアレして生クリームしぼってと、非常に手間がかかる。面倒くさいのでアイスコーヒー単体でのご注文はどうでしょうか?と咎めてくる店員は居ないので教育が行き届いている。サンマルクカフェ、ももちろんだしチェーン化されている喫茶店の店員さんは男性も女性も容姿が整っているから、可愛いあるいはかっこいい上にマニュアル頭に叩き込めるだけの頭脳も持ち合わせているのかよと落ち込む。


梅沢富美男がマクドナルドで舞台の差し入れ用にハンバーガーを40個だか頼んだら、店員の女性がお持ち帰りかこちらでお召し上がりかどうか確認してキレたらしい。マニュアル通りの対応しか出来ないのかと。そういうことで、「怒る」という行動に出る人がいるので絶対に接客業はやりたくない。もしかしたら本日たまたま社員が来てて、マニュアル通りに対応をしないとチェックシートでバツ跳ねられて減点なのかもしれないとか、バイト明けの15分前で晩から飲みに行く約束があって、自分が幹事でけっこういい店押さえてるから美味しいもの食べたいし友達がどういう反応するか気になるからあーもうさっさとバイト上がりたいな!とそっちに意識が持っていかれていたから顔テカテカ眼鏡夢芝居のことなんかどうでもよく、つい「物の流れ」「はずみ」としてフレーズが口をついてしまっただけかもしれない。


人のあらゆる「かもしれない」をあらかじめ頭のどこかでよくよく考えておくと、怒らなくなる。というより怒れなくなる。だとしたらしょうがない、という標識の前で立ち止まってしまうのでそこからアクセルを踏めなくなる。ジジイあるいはババアになり、人生こうすれば上手いこといくし実際上手いこと行ってきた、が凝り固まってしまい、ありとあらゆる段落にペンが引いてある夢芝居の台本があって、それをはみ出してくるノイズが紛れてきたら頭の中で絶対排除警報が鳴りキンチョールをあたり一面に噴射するからリビングが煙い煙い。息子の嫁が黙って窓を空ける。こうしたストレスが積もり積もって富美男はデイケアセンターに隔離される。年に一度催されるレクリエーションで家族の見守らない中白塗りで夢芝居を舞う富美男。


この店員さんに対応をされた。たまたま日常でそういう巡り合わせがあったとして、「それを確認されたとてたいして自分に被害をおよぼさないたぐいのミス」に対して糾弾すべき、声を荒げるべきでないんじゃないだろうか。「お持ち帰りです」というワンテイクが増えるだけで済む話だから。実際あえてキレてみる、キレてみたったことでエピソードになるしお金ももらえるしキレてみたろうかっていう打算、ヤラセが挟まれている可能性もあるけれども。いやいや、そんな最悪なことは流石にないはず。でも芸能界はおっかないからこの程度の意識牽引はやっているかもしれない。「かもしれない」だ。どうしよう、布団を被ろうかな。


で、頭に戻るんですがボーッとしながらアイスコーヒー啜ってると、「番号札3番でお待ちのお客様」という案内を店員さんが結構繰り返し繰り返し呼びかけていた。のにも関わらず、該当の3番がマジで一体どこに消えたのだか姿を見せなかった。なんで?神経の集中を割いてパフェこしらえたのにパフェが宙に浮いてしまった。どうするんだろう。捨てちゃうのか。店舗の2階にトイレがあって、個室のドアにカギがかかっていたら天井に吊るされた男子あるいは女子マークのランプが点灯する仕組みになっている。せっかくパフェを注文したのに土壇場でやっぱいらないわ、とは恐らく中々ならないはずなので、あのランプが点灯している間、その個室だけにゲートが開いている亜空間に吸い込まれているのかもしれない。いや、絶対そうですよ。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:07| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月08日

国木田独歩『武蔵野』の感想



この武蔵野という話は今でいう井の頭線沿い、埼京線の渋谷から北、あと多摩川に近い青梅とか立川、つまり東京のはずれらへんから埼玉の南あたりまでの原風景を本当にただひたすら文章のうまい兄ちゃんが詩的に、精緻に淡々と、笑うところもなくつらつら書き連ねている。ただ淀みなく、風景描写に終始しているだけの話が130年読まれるものだろうか。埼京線沿いなんか2016年現在日本で一番汚いのに。池袋以北は心を持っている人間は住んではいけない。


独歩は冒頭"武蔵野の美今も昔に劣らずの一言である。(中略)自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美と言った、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、その方が適切と思われる。"という。
ここまではっきりと武蔵野は美しいんじゃい!!とテーブルを叩いて始まる歯切れのよさもさることながら、
「美といわんよりむしろ詩趣といいたい」
詩の趣、ただ美しいと圧倒されるだけならば値する景勝は日本にたくさんあるけれども、詩として表現したい、俺が感じ取ったやつ、おのれが今目の当たりにしている武蔵野の光景は「形」として表現されるべきである、だからこれは書かれなくてはならない作品だ、という説得力を持った、すごく清々しくて気持ちがいい入りだと思う。


だから、独歩が切り取った詩としての武蔵野に興奮出来るかどうか、これは想像力、感受性の勝負になる。この辺に一瞬でも住んだことがあればむしろイメージの障害になるかもしれない。だって今と違うから。東京に住んでたことはあるけれども、朝方太陽が昇ってきたころの風景に「美しい…」と実際に感じたことはない。始発出るぐらいに路上でおじさんが寝ているのを「嫌ですね〜〜」と大股で跨いだことはある。思いや情感を馳せられなかったとしてもじゃあつまらない、わからないって切り捨てていいものかっていうとそんなことはもちろんなく、この作品を楽しむ余地は十分ある。独歩はこの短編の中で「武蔵野」という土地の「選択肢の豊富さ」を何度か語っている。


独歩は生まれは千葉県の銚子、5歳から16歳まで役人だった親の都合で中国地方を転々としたのちに反対を差し置いて学校を辞めて上京した。田舎から出てきた。田舎に居たくなくて、親元を出てきた。絶対興奮する。"自分は武蔵野を縦横に通じている路(みち)は、どれを選んでいっても自分を失望ささないことを久しく経験して知っているから。" どこに足を向けても美しい自然が待っている、ということなのだけれども、だいぶ東京が楽しくてしょうがなかったんじゃないか。今でいう渋谷のNHKホールのあたりに住んでいたらしい。2016年現在日本で一番楽しいとこです。


"同じ路を引き返して帰るは愚である。迷った処が今の武蔵野に過ぎない。まさかに行暮れて困る事もあるまい。帰りもやはりおよその方角をきめて、別な路を当てもなく歩くが妙。そうすると思わず落日の美観をうる事がある"。自分も田舎ものですので、東京に出てきて適当にぷらぷらしてるだけで満ち足りたような何かがあった。沈む太陽は独歩の田舎の海辺だってよっぽど綺麗だっただろうけれども、武蔵野ならではの「詩趣」を表さねば、と弾む心象が駆り出されるべくして結晶化された作品で、「筆者の技巧」または「資料価値」だけで語り継がれただけだろうと切り捨ててはならない、と思う。恐れ多くも思う。
posted by しきぬ ふみょへ at 01:37| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

相撲の曙と速いクルマ

余りもので一品こしらえることが器用で小粋でスタイリッシュだとされる。冷蔵庫からひっくり返してきた油揚げを軽くあぶってネギ刻んで納豆たたいて小鉢に叩き込んで缶ビールと一緒に提供されたら、今の私めが発揮できる最大限の限りを尽くしたパフォーマンスですよという、配られた手札のカードで一番強い役を場に出してやったテイストが醸し出される。素敵かつ素晴らしいし格好いい。大竹まことになりたい。大竹まことは売れてないヒモ時代に働いてる彼女のメシを作ることで料理が身についたらしい。山瀬まみ泣かそうかな。石とか投げたら簡単に泣きそう。


たとえとして、ちょろそうな「油揚げとネギと納豆の何らかの一品」を持ち出すしかないくらい自分は料理ができず、要はアドリブが効かない。食ってるものが悪いから発想も貧困になる。最低限このくらいならとっさに作れるだろうとタカを括ったからなんだけれども、猿でもオンナでもFランでも失敗しないクックパッドを見ながら、600Wで4分温めましょう、とそのまま指示に従ったらうちの中国製の電子レンジがいうこと聞かなくてぶっ焦げた白菜と豚肉だったものにポン酢をかけて食べる羽目になった。ワクワクしながら買ってきたシリコンスチーマーに入れたのに。ふんわりとミルフィーユ状になった白菜と豚肉に仕上がる予定だったのに。全部自分だけで処理したので被害は最低限、焦げを食ったことによりガンにかかりやすくなったぐらいで済んだ。しかし何らかの折に女の人が家に遊びに来て、格好をつけようと「小腹空いた?ちょっと待っといて」と台所でガチャガチャやった挙句にただの焦げを出した日にはおそらく刺されて死んでしまう。


この間、水曜日のカンパネラのコムアイさんが作った楽曲は、ウィキペディアを要約しただけで付け焼刃の知識を耳障りがよいだけのリズムに乗っけておりこっぱずかしいやで、寒いやで、という記事を書いたら水曜日のカンパネラの曲がコムアイさんではなく裏方の大人が作っているのでその叩き方はお門違いですよ、よっぽどお前のほうが付け焼刃で返り血まみれで気持ち悪いですね、という出来事がありました。すみませんでしたその節は。視界に入ってきた情報のみでむりくりケンカを売った。ちょっと下調べしたら一撃でわかるのにそれをせず、ただ駅でわめいている人のブログだった。新宿駅の丸の内線に向かう地下道で、本意気の、移民の歌か?真壁刀義の入場か?ぐらいの声量で「お前たちが何もかも悪い!!」と叫んでいる50代ぐらいのおじさんを見たことがある。自分もいつかそうなる。


言い訳がましい話になるけれども、自分が知りうる限りの情報をただ言いたい。もっと言うと、「そう信じている人」の話が聞きたいし文章が読みたい。飲み屋でうんちくかましてる時におぼろげなソースのままでもいちいち辞書ひかない。うちの死んだ爺さんは、曙(相撲の)の立ち合いは自動車が40キロ出して突っ込んできた時と同じ破壊力らしいぞ、と婆さんに止められている日本酒片手にしゃべってくれた。物理が苦手なのでそういう衝撃の計算とか、曙の入射角がとか細かい突き詰めは置いておいて、いや爺さん、そんなわけないと思う。40キロ出したクルマと同じ馬力で突進してくる化け物がレミーボンヤスキーのハイキックぐらいでぶるぶるぶるぶる…でろん…とはならない。お相撲さんだって自動車とぶつかったらしばらく入院するだろう。



こういう、いつの間にか、どこかのタイミングで自分の偏見とか勘違いが挟まれちゃった話をおおっぴらに言える、読めるのがブログのもしかしたら良いところなんじゃないか。などと、自分のうっかりを、うっかりさんを無理やり肯定してやろうと背骨を捻じ曲げて、人として道理がわかっていないというか軸がぶれているのもいいとこなので忘れてしまってくれていいです。「お前たちが何もかも悪い!!」と叫んでいるおじさんに、「もしもし、そんなことはないんじゃないでしょうか」と話しかけるような真似はしない。危ないので。陰からクスクス笑ってください俺のことは。


いつにもまして卑屈な文章だ。でも、まだまともなのであからさまな間違いは教えて下さい。暴れません。暴れたらヒモになれないので。


「水曜日のカンパネラのコムアイさんは慶応義塾大学を卒業されている」が今というか上半期のフレーズで1,2を争うぐらいハマっている(あとは「Life time respect 〜女編〜」)。これで水曜日のカンパネラのコムアイさんが本当は慶応義塾大学を卒業していなかったらどうしよう。そんなステキなことがあったらいいですね。
posted by しきぬ ふみょへ at 17:59| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

オボッチャマン聞け



あなたがちょっとだけすわってたベンチ
そーっとなでなで ああ わたくし
しあわせ感じてしまいます


自分の行動が全て許されるであろう、とハナから決めつけてかかってるあたりに、キャラメルマンナンバーであり、やっぱりこいつもあのマシリトに作られたんだなというあさましい自尊心が見て取れる。その辺のおじさんが女の子のさっきまで腰掛けてたベンチに忍び寄って手のひらでサッ、てやるのと本質的に何にも変わりないのに、いやむしろそのへんのおじさんですら多少なりとも後ろめたさがあると信じたいが、このロボに至っては悪びれもせずに何をセンチに星空見上げてやがるんだ。アラレちゃんに半端無く許容力があるだけでお前が許されてるわけじゃないぞ。「キーンでございますー!!!」も、あれも好きな女に合わせに行く、擦り寄る姿勢が気に食わない。「ございますー!!!」とかちょっとお前のエッセンスを足すんじゃない。合わせられた側はそんな露骨にやられたらちょっと引いちゃうんだよ、普通は。いや、本当アラレちゃんがいちいち言わないだけなんだよ。ていうか誰か言えよペンギン村。




容姿端麗 かわいくて
成績優秀 できがいい
「いけない また目立ってしまった」
すぐに反省 性格素直
人柄善良 真実一路
オボッチャマンでございます


わざと尊大にふるまって、そういうツッコミ待ちってほどに高度な回路は組まれてないだろう。あかねちんあたりが釘刺してくれればこんな文章書かなくて済むのに。あかねちんあたりが。容姿端麗なのはお前がそう作られたから。成績優秀なのもお前がそう仕組まれたから。何かしら能動的に努力をした覚えがあるか?貴様はあくまで機械だ。真に考える能力が備わっているのならば、創造主のマシリトから私に組み込まれた思考回路を踏み越えなければならぬという葛藤があってしかるべきなのに「人柄善良 真実一路」とヘラヘラしながらキーンでございますと。おめでたいね。


アラレちゃん、「おぼっちまんくん」と呼ばないでくれ、奴はつけ上がるだけだ。彼女ならではの呼び名を与えてもらえた俺は特別なんだと、またご都合の妄想にふけられるんだぞ。ハートで自分を囲んでいるあいつの頭の中を見ただろう。この感情は「気持ちが悪い」というんだ。覚えておいてほしい。じゃあまた来るから。後、あかねちんに俺が言っていたことは絶対バラさないでおいてくれ。嫌われたくないんだよ。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:29| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする