2016年07月31日

石川啄木と、人を殺してはいけない話




さて、本日はウケてないかな?とインターネットをパトロールしていたら、2chのニュー速vip板に『twitter民、松尾芭蕉を完全論破www』というスレが建っていて、俺の6/23にしたつぶやきへのリンクが貼られていた。ウケマネー(ウケを対価に得た収入)を1円たりとも受け取ったことがないのに「ニュー速VIP板」で人のことを叩くんじゃないよ。せめて何ごとか為すまではほっといてくれよ。あと芭蕉は俳句だろうよ。初めて知ったけど俺、「twitter民(みん)」だったのかよ。ちょっと前に2ちゃんねるで叩かれたときに匿名で反論したら、どうやら「sage」に失敗してしまって本人特定されてすげー恥ずかしくて早めの22時くらいに寝てしまった。2016年に「sage」ミスりますかね。この世の底か?だから今回は「sage」に失敗したくなくて黙ってました。


「こいつ何言ってるかわからない」と書かれていた。確かに何言ってるかわからない。「顔射」って、この人は汚い言葉を使いたいだけだったんじゃないか?短歌に射精したら面白いですが。短冊に射精するってことですからね。わかりますか言ってること。


友人のツヴァイデビル氏が「チンポビンビンにしながら浴衣を着るのが短歌」という俺の言わんとするところをバッサリと端的に要約してくれた。だから、「ステキさ」「平凡な日常のちょっといい発見」で自分をカモフラージュして「セックス臭」にファブリーズを振りまいているような、ヤリ目("ヤリ目"て)でお洒落げに見せかけるアイテムとしてお手軽で簡単になりがちだから。NHK短歌に入選した経験のある知人も「短歌は楽」と言っていた(もちろんほぼ謙遜と思うけれど)。だけど実際のところ、「短歌でなければならない短歌」を仕上げるのはすごく難しいことだと思う。かみ砕き不足で申し訳ないけれども、ちゃんと書くと「斯様な調子で短歌やってる奴」が気に食わないんであって、「短歌」という形式や、しきたりが嫌いなわけではないんですよ。すみませんが。本来はすごく丁寧で根気が要って難しいはずだから。こんなメチャクチャなことを喚いてるんだから短歌をきちんと真面目にやってる人は怒ってよ。巨大掲示板・2ちゃんねるのニュー速vip板にスレッドを建ててないで。頼むよ。「自己表現をお手軽にすまそうとしている奴」って見られているんだから。そんなはず無いだろ。


短歌やってた奴といえばかろうじて寺山修司と石川啄木ぐらいしか読んでなくて、牧水は微妙で、ましてや現代の人がわからない、せめて与謝野晶子☆鉄幹夫妻ぐらいからちくちく勉強しないといけないしさらに突き詰めれば和歌・平安時代まで遡る必要がある。この辺りは嗜んでおかないといけない、というのはぜひ教えて下さい。で、石川啄木の記事はいつか書きたかったので、ニュー速vipにスレも建ったことなので一応のきっかけに石川啄木を考えると、短歌についに辿り着いた人、短歌にようやく馴染めた人のどうしようもない必然が伝わってくる。夏目漱石の虞美人草に「この程度、俺なら一ヶ月で書ける」と喧嘩を売っていざ発表した小説がボコボコに叩かれてくじけている。どういう方法であれ、才でなんとか世に出たかった。


はたらけどはたらけど
猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る


啄木は、「労働、ウケね〜〜〜」と嘆いた。それが未だに読まれている。労働はいかに自己を世に組み込むか、適応させるか、なおかつ不自然と感じないか、感じないようにするか、気づかないフリをするか、で成り立つ側面があり、人から借りた金で風俗嬢にフィストファックするような奴がおさまる台座なんかないです。"ついに 手は手くびまで入った。ウーウ、といって 女はそのとき目をさました。そして いきなり予に抱きついた。アーアーア、うれしい!もっと、もっと―もっと、アーアーア!18にして すでに普通のシゲキでは なんの面白みも感じなくなっている女! 予はその手を 女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を 裂いてやりたく思った。裂いて、女の死がいの 血だらけになって やみの中に よこだわっているところを まぼろしになりと 見たいと思った!"

「いったい私は何処へ行くのだろう」が啄木の根底に流れている不安の源流になっていると思う。「何者」であるかと問われれば、石川啄木だ、ときっと答えている。自分が何者であるかどうか、なんてケリがとっくについている。そんな有り余っている私は一体何処に行くのか、もしかしたら何処にも行かれないパターンもあるのか?という空漠の中で蛇行して、うねうねと日々だけが過ぎる。自分だけが世の中と関係のない膜に包まれている気がしてならない。そんなはずはないけれども、気がしてならない。


人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横より見ている心。


何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり


家を出て五町ばかりは
用のある人のごとくに
歩いてみたれど―


つい先般、相模原市で26歳の男が重度障害者の施設に闖入して次々と入居者を刃物で殺した。
啄木の歌にはこういうものがある。


どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな


一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと


「こんな奴殺してやりたい」の憤怒、あるいは「私にも、ひょっとしたら人を殺してしまう日が来るではないだろうか」という恐れがない人は平穏に生活を送っていて、それは素晴らしいことだ。けれども小心者にはそういう最悪の未来が頭をよぎることがあるんです。だから、その怒りや熱をなんとか冷ますか、あるいは少しベクトルを曲げてあげてどこかに逃がすか。手首の部分を軽くひねるだけでデカい男がひょいひょい投げ飛ばされている塩田剛三の動画を見た。あれは絶対本当です。

今回の件みたく、「人を殺す」エネルギーをそのままひねりもなく「人を殺す」に一直線に向けてしまう奴はクソでカスでゴミで救いようがない。くだらないしつまらない。見るべきところは何もない。本来は、ひょっとしたら俺も人を殺す日が来るかも?という標識が見えて来たらブレーキを踏むし、ハンドル切るんですよ。それが正しい人間のあり方だと思う。このような怒りを我々は「消火」、もしくは「昇華」するべき。今うまいこと言いましたよ。殺すなら今ですよ俺のことを。



むやむやと
口の中にてたふとげの事を呟く
乞食もありき


もし人を殺したい、という気持ちで短歌をやっている人がいたらぜひ友達になりたい。もしくは始めてみるのもありかもしれない。こんなにまとまらない文章を書いている人間がつとまる様式じゃないかもしれないですが。口の中で正論を吐くだけの乞食になりたくないので、いきなりマイク向けられたときにスッと綺麗なコメントの言える人間を目指します。声帯整えないとな、使ってないから…。
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posted by しきぬ ふみょへ at 19:09| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

萩本欽一『欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。』



5/27の記事で、「タレントの萩本欽一さんのことを、今後は"欽一"と呼んでいきませんか」と書いた。自分より目上の存在がこの世に残っていない、登り詰めてしまった、仕上がりきってしまった人間をあえて下の名前で呼び捨てにすることが面白いし本人のためにもなるだろう。なぜならば「老い」を食い止める手段は「刺激」しかないから。このまま欽ちゃんとして終わるのではなく、ここでぐるっと元に戻って「欽一」になればまたはじめからやり直せる。強くてニューゲーム、というシステムを現実生活に取り入れるようなものだ。大仁田厚も高校入り直したじゃないですか昔。あんなのも楽しくて仕方がないだろうな。だってまだまだバリバリ現役で体力有り余ってて経験積んでる状態で高校生活できるんだから。政治家になってからだってマンションにキャバ嬢とかAV女優呼んでガハハをしていたらしいから、この当時なんか絶対もっとヒドいことやってるって。絶対もっとヒドいことやってるって絶対。絶対もっとヒドいことやってますよ。


欽一は2015年春、73歳で駒沢大学仏教学部に合格した。事務所の後輩、お笑いコンビキャイ〜ンのひろゆきから筆箱を貰った。入学式の学長の話、ブラスバンドの演奏、校歌斉唱をじっと黙って聞く欽一。コメディアンとして舞台に立ち続けていた側だったのに客の立場で座っていることがどうも慣れず、小声でツッコミを入れたら周りがクスクス笑った。嬉しかった。いいぞ欽一。でもうるさいぞ欽一。


『女の子たちに誘われて、初めて学食に行ったよ』という章があった。誰にも会いたくなくて絶対に学食を利用せずにちょっと離れた流行ってなくてうまくないラーメン屋で学割ラーメン500円ばっかり食ってた俺とえらい違いだ。店長が携帯をかまっている中、手の甲に五芒星のタトゥーが入った中国人女性のバイトが湯切りしていた。大学時代なんか何も思い出すことなんかない。畜生、欽一がよ。


介護士になりたい、という女の子の話を聞いて"最高の仕事だね。センセーイって小さな子供たちが笑顔で寄ってくるような顔を君はしている。きっと誰かのお世話をする仕事はぴったりだよ"と返すと、介護士になりたいという夢を肯定してくれる大人は今まであったことがなかった、と女の子がポロポロ泣きはじめた。確かに今の御時世夢を語れば否定され是正され、もっとこうしろ、儲けろ、あるいは安定を、と捻じ曲げられてまっすぐ歩くのがやたらに難しくなっている。


いや、違う。そんないい話とか教訓を聞きたいんじゃないんだよ欽一。やっぱり"教え"とか"萩本欽一かく語りき"の方向に話が進んで、いちおじいちゃんが大学生活を送っているだけで面白いのに、やっぱり何かを伝えよう、世に残そうという姿勢でいるので、下積み時代やバラエティ黎明期のエピソードが「キャンパスライフをエンジョイする欽一の面白さ」を食ってしまっており、そこが残念だった。残念というか、欽一の哲学の中にはもちろん自分と結びつくものもあって、こうして刺激をあえて浴びに行って日常を飽きないようにするという姿勢は共感するし、逆に欽一よ、そこは違うんじゃないかというのもある。「負けると分かっている勝負はするな」と標榜しているけれど、そうは行っても凡人には負けに行かなきゃならない日だってある。どのように負けたか、というあたりなんとか落とし前をつけたい。勝ち続けることは不可能です。


「欽ちゃんファミリー」は、欽一視点で芸事への対応力が「0点」と評された人々を称する言葉らしい。勤は何やってるんだかお客さんに全然伝わってなかったし、一機は上がり症で震えていた。見栄張は(見栄張は見栄張としか呼べないのでつまらない)物事を知らなすぎた。だけれどもそれぞれに適切なアドバイスを与えて世にでるきっかけを作った。弱点を強みと思いなさい、目線をずらせと。言っていることは正しい。正しいけど、そんな話が聞きたいんじゃない。『帰りに転んで頭を打っちゃった』の章が一番笑った。あと、勝てる勝負しかしたくないので、自信のないドイツ語のテストは受けませんでした、っていうエピソードも、悠々自適に自分のペースで大学通える身分なんて、こちらからしたらうらやましいし本人もそれを自覚しているけれども、欽一言うところの目線をずらせば「ド老害」と称することも出来てしまう。


やっぱり「笑わせ」たい人で「笑われ」たくはないんだな、と思った。笑われるのを芸とはしていない。18歳からストリップ劇場の前座に上がり、根っからのショーマンシップがあって、自分の書いた節通りに運んでウケたいと。素人ならではのハプニングをテレビに取り入れたのは欽一とされているけれど、あくまで「ハプニングが起こること」も織り込み済みじゃないと気がすまない。だから自分が大学生である事実そのものをギャグと捉える俯瞰は難しい。そんなことまで裏切ってギャグとして駒大通ってたら超人も超人ですよ。超人であって欲しいけれども。金曜日にコマを入れているらしい。今年もそうなのかな?誰か玉川キャンパス行きません?マジで。
posted by しきぬ ふみょへ at 10:07| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月12日

メイド喫茶と蛾

昨日は会社をさぼった。何もやることがなかったのでメイド喫茶に行きました。結局何もやることがない人間が行くところだ。メイド喫茶なんて。平日というのもあり先客は1人しかいなかった。髪の毛を後ろで束ねているおじさんが頬杖をついて寝ていた。後ろで束ねるほどに毛量を持て余している人間がまっとうな職業についているとは思えないが、平日にメイド喫茶で堂々と眠れる神経は一体どこから来るんだろう。どこからも来ないのかもしれない。なんかもう嫌だったのと目の前の光景から距離を置きたくて瓶ビールを頼みました。すぐそこにいるんだから「すいませ〜ん」と声をかけるのが自然なのに手元のベルをわざわざチリンチリンしました。全然ウケないですね。手酌で瓶ビールを注ぐ。何がご主人様お帰りなさい!だよ。ご主人様に手酌でビールを注がすなよ。いや、こんなことで怒りたくないよ。メイド喫茶のメイドさんを本当に「メイドさん」と勘違いしだしたら人間として息の根が止まっている。


40後半ぐらいのタータンチェックのネルシャツを羽織ったおっさんが入店してきた。おみやげを持ってきていた。チーズケーキ的なお菓子らしい。「ゴルゴンゾーラがどうこう、チーズがきつめでどうこう」と講釈をたれ、チーズケーキ的なお菓子をメイドさんに渡しアイスティーを注文した後、ずっとソファを見ていた。話はずれますが虫の中で一番怖いと思っているのが蛾です。虫全般そうといえばそうなってしまうが、とりわけ蛾が一番「何考えてるか」分からなくて怖い。3歳の頃、朝玄関を出たところのアパートの壁にスズメガが止まっていた。夕方、幼稚園から帰ってくると、微動だにせずにまだじっとしていた。一体何が楽しくて生きてるんだ、と一生理解できない、分かり合えないんだろうなこいつらとは、と得体のしれない戦慄が未だに拭いきれずに蛾がどうしても怖い。


その「得体のしれなさ」が蘇った。なんでこのおっさんは「ソファ」を「見ている」んだろう。ずっとこうしているつもりなのか?このおっさん本当は移動するでかいサナギなんじゃないか?そのうち羽化するのか?なんばの空に無数の巨大な蛾が舞う日が来るのか?どうしても言葉を介してこの人とやり取りできる気がしない。オスの蛾はメスの尻から出るフェロモンに集まる習性がある(コナンで、窓に亡霊が映ったと思いきや実はフェロモンに反応したオスの蛾の群れだった、というくだりがあったので知った。そんなことありますか?)。だから、こうしてメイド喫茶に訪れる、辿りつけているのもフェロモンを触角で探り当ててるからなのかもわからない。


若干ホストの入った、このへんのそれこそメイド喫茶だのおそ松さんカフェだのたくさん並んでいるが、その裏方側、"絞りとる側"っぽい若干いかつい30前後のあんちゃんが入ってきて、自己啓発本『7つの習慣』を足を組み替えながら読んでいる。家に帰って仮眠をとったほうが夜からの仕事をがんばれるでしょうし、7つの習慣なんか読む必要がない。自己なんか啓発する意味なんかない。絞りとるだけのことに集中して欲しい。

しばらくするとイケダハヤトみたいなやつが来店し、「ミントジンジャーティー」を頼んだ。ミントジンジャーティ????なにそれ????ミントジンジャーティはホットしか無いらしい。「えっ、ホットしか無いんだ!ホットしかない、と言えばね」からの、大阪文化である「あめゆ」、「ひやしあめ」に話題をつなげ、北海道出身、というメイドさんの「そんなの初めて聞きました!」を引き出している。サンガリアの自動販売機に入っている「あめゆ」はショウガの入った水飴を希釈して温めた飲み物で、それを単純に冷やしたら「ひやしあめ」になる。といううんちくを垂れていた。いいね。ミントジンジャーティを選んでいる時点でトークを用意していたんでしょうね。と、悪態しか出てこなくなったところで瓶ビール980円を支払い店を出た。高け〜な。髪を束ねたおじさんはまだ寝ている。「髪を束ねる」ということは髪の毛が邪魔くさい、という感情は一応残っているのか。しかし、メイド喫茶の楽しみ方は今後ともわからないままでしょうか。蛾にならねばいけませんか。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:55| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月03日

坂口安吾『堕落論』




NHKの『100分de名著』で取り扱う7月度のテーマが坂口安吾の堕落論らしく観たいな、となったのに、独身寮のタコ部屋はなぜかNHK教育の電波が入らない。だから定時で終われてダッシュで家についても天才てれびくんが映らないから、最新のチャイドル情報を入手することが出来ない。チャイドルってとっくに言わなくなりましたね。誰が言ってたんでしょうか。吉野紗香さんのTwitterを見てみたら、ショートカットになっててうっかり出馬して落選してから姿一切見なくなったふうの外見になっておりショックでした。岡部まりさんは元気にしているでしょうか。岡部まりさん、探偵ナイトスクープの秘書やってた時の、けっこうな年を召されているのに若干下世話な依頼ハガキを少し照れながら読み上げるみたいなくだりが妙に嫌でした。しかもあれだけ芸人が揃った現場で誰も「いやまあまあのババアやないかい」と茶々入れてないのも不自然だった。ジャイアントスイングしろ石田靖。


お国のために死ぬのが美徳でブシドー、ヤマトダマシイだったはずなのに、いざ爆弾が落ちてきたら、いや生きたいわ!となり、結局残った人間も、帰ってきた兵隊も闇市で酒飲んでるし、夫が帰ってこなかった女ももう誰かとセックスをしている。六十、七十の将軍たちも責任とってハラキリなんかしていない。東条英機に至っては自決をミスっている。でも、「そういうもの」だから、お前らとっとと気づけ。という。武士道、マルクス主義、門閥、貞操、全部爆弾で焼き払われてしまう、あってないようなものにしがみつくな。自分の頭で考えて、自分の頭で武士道を思いつきなさい。しがみつくことを止める、崖から落ちろ、それが「堕落」だ。


だいたい坂口安吾はまず、キレる。ふすまをバーン!!と蹴って部屋にいきなり入ってきて包丁を畳に刺してから喋り始める。爆裂お父さんだ(もう2回ジャイアントスイングする人出てきた)。そして、俯いて真面目にギャグを言う。笑っていいのだか悪いのだかわからないすれすれの温度だから、今もう完全に死んでいて、残った文章を読んでいる立場だから安全なだけで、目の前で吹き出したらぶった斬られている。常時怒り状態、覇王丸、大斬り。ヨンチャンペ斬りです。


六十歳よりも二十歳の女がいい、と。なぜなら若くて可愛いから。だけれども、老いて死んでしまうから惹かれる。ハイロウズの『不死身の花』で、「愛されないのは枯れないから」とありましたが、絶対老けないババアは単なるホラーで、美しくもなんともないんです。堕落の例としてこういう下世話やあけっぴろげに女の話をするのも、笑かそうとしてるんじゃないか。


爆撃を食らったばかりの罹災者の行列の中で、十五、六、七、八の女だけが、ギャルだけが何が楽しいんだかゲラゲラ笑っていた。あの娘らは不安とか無いのか?"私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみだった"と。ここでまた、安吾の「女は意味がわからない」が出てくる。こういうところから『夜長姫と耳男』とか『桜の森の満開の下』に出てくる狂った血みどろの女に繋がってくると思う。そして、爆撃前に電灯が一切消えた街を歩いてる時、"私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。"非常事態にふらふらほっつき回っている最中は何も考えないでよかった。常に考え、うなされている状態からようやく開放された。その一瞬だけ。ギャルだった。


『続堕落論』に進むと、今度は農村社会と天皇に額づく連中をなで斬りに攻撃する。まずムラ社会は、せこい。なんやかんや上から制度を押し付けられても、どうせわかりゃしないだろう、って誤魔化すし、排他的だしそのくせ農民精神などというものを掲げ、田植機で往復すれば済むところを腰をひん曲げて一本一本稲を植えなきゃいけないと爺さんが言う。耐えてるばかり、ノスタルジーに縛られてるばかりでお前ら一歩も進んでないだろうがと。「しきぬ ふみょへさんは坂口安吾が好きなくせにムラ社会的な考え方にハマってますね」と批判された。もうずっとムカついてるのでまた言う。でも仰るとおりで、例えば労働中、全部とっととLEDに総取り換えしてしまえよ、とハシゴ担いで蛍光灯の交換してる度に心で毒づいているところもあるが、ちょっと頑張ってる姿見せれてお礼言われたりするから嬉しいしそれもそれという。せこいですね。つるセコです。


"たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!" 戦争辞めたくて仕方なかったくせに悔しそうにふるまいやがってふざけんなよと。それにしても「嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」はすごい。これは推測でしかないけれども、闇市のカストリ、三級酒、Z級の何かをかっくらった勢いで書いてるんじゃないか。いくら無頼と行ったって、時の日の本そのものに真っ向から正気でタックルできるか。アルコール無しで。


と、こう実理にかなっていないもの、ウソをついているもの、あるいはウソをついている己に気が付かないふりをしているせせこましい連中を片っ端から乱取りしていった。『堕落論』の4年前に書かれた『日本文化私観』という文章があります。ブルーノ・タウトというドイツの大学教授が日本文化、桂離宮、伊勢神宮について「外」から見た印象を眼識した『日本文化私観』という本にぶつけた、というか題目完コピでぶつけにいった文章です。冒頭で、"タウトによれば日本における最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生まれ"と安吾が書いている。4才まで新潟市内でそこから移って18まで新潟県上越市で過ごした自分としては、日本における最も俗悪な都市、と外国人に評され、思うところがある。時代は移ろったと言えど、反論は全く無い。あそこが最も俗悪であるならば日本中どこ行っても素敵で優雅だろ。ちょっと何か田んぼの間にでかい建物の工事が始まったら間違いなくパチンコ屋です。昔に日テレのスーパーテレビというドキュメント番組で、日本有数のパチンコ激戦区、と地元が特集されていた。悲しかった。ただマジで娯楽がないので、じいさんばあさんや地元に残った連中にとっては「必要」です。


タウトが日本を"発見"する前に俺は日本人なのだから、神社仏閣や枯山水が美しいかどうかはさておき今現状、不勉強ながら、日本の風景のどこにグッと来るかを考え始める。実理にかなっていないものは、安吾の基準から外されてしまう。着物だって日本人よりタッパのある外人が着たほうが似合うだろうがと。日本人はただ洋服に出会うのが遅かっただけ。京都に引っ越して、祇園の舞妓さんもうるせえばかりで何とも感じない、何とも感じなかったが、その格好の連中がダンスホールで踊っているのを見たら、洋服と比較されて場を圧倒していた。こっちのほうが良かった。


週末に通っていたなんば千日前のジュンク堂がこの3月につぶれた。その空きビルにドン・キホーテが入るらしい。店舗の周りがかなりめまいのする環境で、まずなんばグランド花月のど真ん前にある。茂造じいさん、すち子の着ぐるみと記念撮影をしている観光客、わなか、天竜ラーメン、似顔絵屋、ワッハ上方の若手ライブに出待ちしてる結構どころかメチャクチャ可愛い女の子たちの固まり、とか一切のうるさいガチャガチャしたところからシャットアウトされているので、なんでしょっちゅうあそこに通っていたかと言えば逃げ込まないと死んでしまうから。


よりによってドンキかい、ジュンク堂跡地にドンキかい。「ボリューム満点」で「激安」の「ジャングル」!?。もういいだろ。というか宗右衛門町にもあるだろうがよ。しかしながら必要性という面で言えば大陸からやってきた人らが電化製品だの薬だのガラガラ引きながら買っていくのだろうし、行ったら妙にハリボー買ってしまうので本読む代わりにハリボー食って帰りたくなるかもしれないが、一抹に寂しい。要るのはドン・キホーテで要らないのはジュンク堂ということになってしまった。ますます行くところがない。


小菅刑務所やドライアイス工場など、余計な飾りっけを一切省いた、「必要性」だけで構築されている建築物を安吾は美しいと言う。必要がなければ法隆寺も駐車場にしろと。ウソや瞞着を許せない、許せなさすぎた。小林秀雄にも「武器を取れ」と胸ぐらをつかみに行ったし、宮本武蔵にまで「死ぬまで戦場に立てよ」と噛み付いた。そして自身は酒とクスリのやり過ぎで死んでしまった。東京に降り注いだ爆弾はかいくぐったのに、よもや己が爆発して死んだ。


ごまかさないで生きろと。俺はこれを信じているので大丈夫だ、を見つけろ、それは「堕落」と言いながら厳しすぎる道だ。志村けんのだいじょうぶだぁ の志村けんは優香を失い、だいじょうぶでは無くなってしまった。100分de名著の堕落論の回、朗読は志村から優香を奪った青木崇高です。ひどい。今フジの深夜でやっているコント番組は「志村の時間」らしい。志村の時間。もうあまり長くない。そして我々の時間も。みんなでピンクフロイドのタイム聴きましょう。こんなことをしている場合じゃなくて生きねば……
posted by しきぬ ふみょへ at 09:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする