2016年09月22日

『アメリカン・ビューティー』の感想

アメリカン・ビューティー (字幕版) -
アメリカン・ビューティー (字幕版) -



どうしてもケビン・スペイシーの立場で見てしまう。ケビン・スペイシー、それ判るな〜、と鑑にしてしまうと日常を幸せに送れるわけがない。生活をかなぐり捨てて、子供の頃に憧れてた古い型のクルマ買って、ヒステリーの嫁論破して、己の娘の友だちに惚れて抱こうとしてだらしない肉体を鍛え直す。話が進んでいくにつれて「俺は俺の為に生きていくことにしました。文句は言わせません。宜しくお願いします」という割り切り、開き直り、 諦念が表情や振る舞いに徐々に滲み出ていく。どうせお前ら=周りの連中だって、影でこそこそ好き放題鬱憤を発散してるくせに、それだったら俺だって今まで抑圧されてた分吐き出してやるからな。つべこべ構うんじゃねえわ。と。


「映画」として超越して向こう岸から第3者視点で観ると、「こいつ気持ち悪いな」「いやいやいや流石に?流石にそれは?」と常識人目線で、そんなん無いって、と終わらせることも出来る。けれどもいざ、態度として誰かに移入するとなると、どの登場人物にも「思い当たる節」がある。


ケビン・スペイシーの隣の家に住んでいる元海軍の親父。手塩に育てた息子がお薬の売人になり、ケビン・スペイシーの娘と出来る。
角刈りで妙に目がつぶらでおっかないから「敵」のおじさんか?意味わかんないジジイか?と思いがちだけれども、男まみれの社会で"育成"されてしまったことによる不可避な性的矯正と、軍の戒律や誇りを重んじてきた自己矛盾の摩擦が発火してああなったんじゃないか、とすると、「家庭」という枠組みが具合が悪くて仕方がなかったのかもしれない。あの人は。奥さんガナガナしてて、ガナガナしてるというのは地元の方言で筋張って痩せちゃって大変だねという意味なんですが、絵に描くような家庭的のふくよかな幸せから程遠い。


どこかで「折れる」ことがどうしてもできない連中が、沸々と「こうなればいいのに、こうなるべきなのに」という環境こもごもの理想を腹の中で溜めて、溜めて溜めて爆発して終わる。アメリカの現代社会を鋭くえぐり取っている、のだろうか。


ケビン・スペイシーが、セックスしたくてしたくて、したいがあまり、本番用に肉体を仕上げていた、自分の娘の友人のバカエロい女の子を脱がせにかかった。 が、本番の刹那に「実は、初めてなの」と告白された瞬間の、「えっ???処女なの???」と、単なるいちペニスおじさんから、守るべき所帯を持つ凡な初老、に戻る時の表情。巧すぎる。一瞬で「朗らかな中年男性」に変わって、毛布をかける。


所々カットの挟まる、薔薇の花というモチーフになぞらえて、これが「アメリカン・ビューティー」ですね、すなわちアメリカ合衆国暗黒、の上っ面の「美」「理想」「象徴」を皮肉ってございますねという町山智浩的な側面もあるらしい。という考察はとりあえずうるさいので、面白いので是非と思います。角刈りで顔が濃い奴はヤバいという偏見は正しいのかもわからない。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:54| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月20日

関係ない話

■ゴミのような話でいささか恐縮ですが、酔っ払って人様の肉声、レスポンスを受けたくなり、連絡先の割れているガバガバの女性にLINEやSkypeを介して文言を送ることがある。送られた方はいい迷惑で、断るも断らないもなにもくそも、前提として俺に声をかけられたところで意味がない。LANの管を這いつくばる息の酒臭いジジイに運悪く絡まれただけ、振り払えば、あしらえばそれでお終い。


■だれからも反応がなくさくっと諦めた日も、あるいは跳ね返りがあるまで粘るようなパターンも、そのぶんの持久力に費やしたアルコールが進んでしまっている。翌朝こめかみを中指の第2関節でえぐる。お前には意味が無いぞ。下らないぞ。気づけよと。意味をほじくり出そうとしても意味が、味噌が出てこない。


■こういった振る舞いを、ほかの誰か、ジジイ諸君も同様にしているのであれば多少気が休まるが、ただただ俺ばかりが単独で縦横無尽にオンラインを駆け回っているのではないか。逆がない。逆のパターンがない。しきぬさん、喋りましょうよ。話聞いてくださいよ。が一切ない。「そういうものなのはそういうもの」で諦めるしかないのか。四畳半の中央に座布団を敷いて1人鎮座している。襦袢の裾からマジックアームを伸ばし往来の人間の首根っこをひっつかんで無理やり敷居の内側へ引きずり込む。もしもしと。ご機嫌はと。今日も今日とて。


■こんなもん、「構ってくれ!」「かまちょ!!」と捉えかねられない。決してそうだ。決してそうなんだよな結局。何も起こらないことへの倦み。前蹴り。


■「一体俺だけが、世の中と関係ないのであるか?」果たしてそうか?飛躍がうるさい。


■坂口安吾は「学問とは、限界の発見だ」と言った。、ウィトゲンシュタインは「世界は、私の手前でぼやける」と言った。カントの純理を読もうとしたら、ゴリゴリの筋肉翻訳で歯ごたえがありすぎて上巻で頓挫をしてしまったけれども、「思考の限界」、人間の考え得るボーダーラインを探ろうとしているらしい。ウィトゲンシュタインの「操ることば」の境界線と似ているようで、違う。勉強します。


■「私の手前で世界がぼやける」、どうしても、己とお前は関係ないのではないか?がつきまとう。吉野源三郎先生の『君たちはどう生きるか』では、あなたとあなたは社会的に関係、連環があり、そのまた別のあなたとあなたが干渉していて、ひとは1人で生きているわけではないのだ、窓に伝わるバラバラの水滴が重さで垂れるとともにくっついていって、体積を増すのと同じように。と至極まっとうを説いた。気付いていない人間が案外いる。


■気付いていない人間。そういうやつはバカだから声だけでかい。勘違いをしたまま死ぬのか?幸せかもわからないが、気の毒に。スコアは2点。ちょうど2点。


■久生十蘭『内地へよろしく』、カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』は、戦争で人が爆裂に、続々に死んでいく最中、達観なのか、"俺"と"死んでいくお前"はつまるところ、関係ないのではないか?という、第3者視点の極北から書かれていておもしろい。久生十蘭が書いた「私」の終盤唐突の突囲表演であるとか、『スローターハウス5』で人間が消えるたびに反復される「そういうものだ。」はやっぱり、どうしたって自分、おのずは「関係がない」という目線。書いている人間のエゴかもわからないが。えご。えごといえば佐渡ヶ島の郷土料理、海藻を立方体に押して固めたゼラチン、酢味噌に合う。九州の北では「おきゅうと」と言うらしい。


■ある程度かわいい女、ちょろくないか?


■ブスの女、辛くないか?応援をするべきでないか?


■戦争、結構嫌だな


■明日、働きたくない。区切りをつけて、出社する。上記、以上は関係ない。なにやらかんやら、貴方とは関係ない。
posted by しきぬ ふみょへ at 01:01| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

2015年8月15日

2015年8月15日の午前11時ごろ信越線の長岡駅で待ち合わせた。駅中のへぎそば屋で冷やそばをすすった。当時のらへん、俺は「女性から可愛いと思われたい」とカエルにまつわるグッズを集めていたので、彼女が、就活先の近くにあったららぽーとか何かに入っている雑貨屋で買ったというカエルがプレスリーの恰好をして人差し指を天に突き立てているふざけたフィギュアをくれた。そば食ってる時に人にものを渡すんじゃないよ、いや会ってすぐ渡しておかないと忘れちゃうかもしれないから、ガハハ。っつって。ガハハ。っついました。

長岡駅発のバスに乗って、爺さんちの最寄りの停留所である出雲崎・良寛堂前まで1時間ぐらい。快晴。爺さんが「車で迎えに行ってやろうか」と気を遣ってくれたのだけれどもやもめの86才、家に招かれるだけでも無理を言っているのにこれ以上面倒を見てもらうわけにもいかないのでバスから降りて15分ぐらい歩く。日差しがかなりキツいだろうから帽子をかぶってきてくれ、と事前に頼んで正解だった。と当時は思っていた。15分も歩かすな女に。

着いた。孫が若い女を家に連れてきた、といきおいいさんでお茶と、良寛さまが焼印してある煎餅をずずいと出し、出雲崎の歴史、北前船、このへんは幕府直轄の天領だった、良寛さまが、日蓮上人がとやにわに講釈がはじまる。彼女はふんふん聞いていた。「出雲崎町船まつり 汐風ドリー夢カーニバル」のパンフレットをめくっている。花火があるから連れてきた。防波堤から打ち上がる。規模は大したことはないが、夜の海面に映る花火は風情があってかなりいいんです。そんなん見せたろけ、喜んでもらったろけ、と爺さんの話も半分に夜のことばかり考えていた。

夕まぐれのころに車でやってきた両親が合流した。爺さんと同じく、息子の連れてきた若い女なんかに会うなんてしゃちほこばった行事が初めてだったもので、そそくさと上がりこむと座布団もしかずに畳の上に正座した。居合わせている人間みながどうしていいものやらわからないシチュエーションで本来俺がまず仕切らねばならぬのに硬直し、彼女の紹介すら忘れていた。早い夕飯が始まり、爺さんが予約してくれていた、法事の席で食べるような仕出しのオードブル、海老のから揚げ、焼き鳥、きくらげの中華サラダなんかが入った円形の盆とおにぎりとビールを囲む。

彼女の友達が、地銀や信託関係を狙っているので何かアドバイスしてほしい、と銀行員の父親に話題を振った。父親も膝をさするばかりで当を得たアドバイスができない。彼女のコップが空いたそばからビールを注ぐ。そんなに飲ませなさんなやと母親が制す。ノンアル買ってくりゃよかった、ノンアル買ってくりゃよかった、ばかり言っていた。このあたりのテンパり方は血統だとしかいいようがない。「何か趣味はあるんですか?」に「趣味…?ラーメン屋巡り…?」と、ハッタリでもいいからもうちょっと上品な回答をしてくれ。

飯を食べ終え、2人で汐風ドリー夢カーニバルを覗きに行った。「毎年」演歌のジェロが来ている。「海雪」は歌い終わった後で、新曲「ぽろぽろ」の途中だった。ジェロのファンクラブ会員と思わしき妙齢の女性たちが多い。「jero」の「 j 」の上についている丸ポチがトレードマークのハットになっている。晩に泊まったホテルのロビーでも出くわして無意識にスッと身を隠してしまった。なんだか怖かったので。

コンサートが終わり、爺さんの家に戻りしばらく休憩する。今日のために SUPER SPORTS XEBIO でひっつかんできた投げ売りのビーサンと、阪急梅田のマザーズガーデンで買ったしろたんのレジャーシートを用意した。女が好んでいるという理由でそのキャラクターのレジャーシートを買うようなメス野郎です俺は。死んでいないだけましだ。彼女も100均で買ったビーサンを持ってきていた。

爺さんの家から海までほんの100mもなく、サンダルをつっかけた勢いで海に足首まで入った。足についた砂を流す水場が見当たらなかったので、自販機で500mlのいろはすを買って少しずつお互いの足にかけた。

「夕凪の橋」という出雲崎町観光課の方々が会議を重ねて命名したんだろう、日本海に向かって真っ直ぐ伸びるただロマンチックなだけで成立している橋があり、近くの道の駅で売っている錠前を欄干に施錠すると恋人同士一生うまいこと行き続けますよ、出雲崎町が保証致します。と具合の良いシステムになっている。そのシステムに倣った男女が結んでいった南京錠のジャラジャラを2人で眺めていたら、いよいよ花火がもうすぐ始まるんでガラの悪い連中も増えてきた。居づらくなったので防波堤まで移動し、シートを敷いて一発目が打ち上がるのを待つ。

「夜空を彩る大輪の花。豪華ヴェスビアス大スターマイン。準備はよろしいでしょうか?」遠くのテントからアナウンスが聞こえる。尺玉のスケールは、長岡花火とか有名どこと比べたら大したことはなくて、一尺玉=10号が一番でかい。真下で眺めるとそれでもだいぶ迫力がある。10号はやっぱり腹に響くね、などと愚にもつかないコメントを差し挟む。のっけから終わりまで飽きもせず、 花火大会を見届けるのは初めてだった。横でシートを広げていた家族の中の男の子が、われわれを指差して「あ、男と女じゃん!!」と言い得て妙の寸鉄を突き刺した。「未就学児ならではのあどけない目線でお惚気をくさされる」天使のユーモアのど真ん中。わたくし紆余と曲折ございましたが、このままようやっと軌道に乗って、人生ゲームで8,9,10をコンスタントに出し続け、ゴールして大団円、ぐらいの道筋を頭の中でなぞっていた。

クライマックスのナイアガラの花火は、子どもの頃と変わらず、あらかた煙幕に包まれて様子がわからない。ぽつぽつ、人が散る。爺さん家まで戻ると、タクシーを用意してくれていた。長岡駅最寄りのホテル「法華クラブ」に宿をとっている。彼女の見ていない隙を見計らい、「お前、絶対逃すなよ」のタクシー代一万円を母親から握らされた。当たり前だろ。そんなわけあるか。一族の威信を背に受け、40分ほど揺られて法華クラブにチェックインした。
俺がキャリーバッグに持参してきた、スーパーファミコン本体。彼女はいたスト2のソフトを持ってきていた。スーファミやろうぜ、と約束していた。こんなもの楽しいに決まっている。

ゲームの最中、証券取引所の妙にベースラインのはっきりしたBGMを聴きながら、酔っ払ってベッドの上でふざけてリズムに乗って体を揺らしていたら、コントローラーを持つ手から本体に衝撃が伝わってしまったのかバグって止まってしまった。謝罪。モニター横にとりあえず置いた、近くのコンビニで買った飲みさしのクリアアサヒを、空けなきゃ、と流し込んでいると、2015年8月15日の記憶が遠のいていった。
posted by しきぬ ふみょへ at 00:10| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月11日

スパワールド世界の大温泉周辺の話

このところ「スパワールド世界の大温泉」にはまっている。スパワールド世界の大温泉というのは、成金の夢が具現化されたスーパー銭湯の上位互換で、月によりけりで値段は変わるのだけれども千円ちょいで大浴場に入られて、体力あればプールもあるし、タオル貸してくれるし、追加で払えばプールサイドでも風呂あがりでも飯食えて酒飲めてゲーセンで遊べて、行ってはいないけど岩盤浴もあるし、泊まれるし、ジムもあるし髪の毛切れるし、24時間やってる。そのまま「生活」が収まっている。早く教えてくれよ。とここしばらく足繁く通っている。

サウナも何パターンかある。塩サウナは体がヒリヒリして痛い。鮭じみてくるので嫌だ。スチームサウナは「生ぬるい湿気がむんむんしてる中ですき好んでジジイと相席する奴があるかバカ」と滅入るので5分と落ち着いてられず、結局明快なただ暑いだけのサウナに入る。弱・強とある。強でなるべく粘る。備え付けのテレビで地球で唯一のスポーツジャーナリストでおなじみ二宮清純がカープ優勝の原因を分析していた。皆とっくに知っていた。カープといえば、高校時代の友人が今年の頭に病気をして死んでしまったのだけどそいつがカープファンで、随分タイミング悪いな可哀想に、と思い出した。シュールストロムっていう助っ人外人が居て、選手名鑑で顔写真の輪郭が完全に正方形だったのでそいつの家でウケてた記憶が蘇った。シュールストロム、駐米スカウトかなんかやってたけど今どうしてるんだろうか。

炭酸風呂という細かい泡が沸いている風呂があって、36度そこそこなのでそうそうのぼせない。しばらく浸かっていると微炭酸が陰毛に付着してみるみるシュワシュワになり、「俺は水草。俺はアクアリウム」とただただ何も考えず揺らめいていられる。禅宗の坊さんなんかは坐禅組むより炭酸風呂に使ってたほうがよっぽど効率よく雑念が飛んで行くので来たほうがいい。酸素風呂、水素風呂もあるんだけれども、酸素は密閉空間の洗濯槽でジジイが固まっているので割って入るのも気が引け、水素のほうは3つしかスペースがないので空きが中々回ってこない。ジジイのローテに交じりたくないのでいまだ未体験。というか、そんなにジジイが嫌ならスーパー銭湯なんかに来るんじゃないよ。


20時頃施設から出て、動物園前商店街に、目星をつけていた美味しそうなモツ鍋の店があったので行ってみたらもう終了していた。案外新世界といい西成の商店街といい、日曜だからかも知れないけど終わるのが早い。しょうがないので新世界の居酒屋に入って、ホッピーを注文したら外身の小瓶だけ渡された。

ホッピーというのは、焼酎を割る前提の、ビールの風味がついた炭酸水のようなもので、それだけ単体を渡されてもどうしようもない。大阪ってそうなの?と、「すいません、中身もください」とホールのおじさんに頼んでもピンときてなさそうな様子で、のれんをくぐってきた新規の客に「いらっしゃい!!」と声を張り上げ無理やり場面を切り替えられた。えっ?俺がおかしいのか?生まれが東の方面だから?「すいません、焼酎で割りたいので、焼酎ください」とお願いしてようやく運ばれてきた。文化圏のすれ違いか、ホールの親父がもしかすると高校生だったのか。

マカロニサラダとどて焼きとホッピー2杯で1,780円、高い。下町風情を醸し出しつつも、観光客向けの商売だから案外ふっかけてくるので気をつけてください。別にもう酒もよかったので、「女性のおっぱい、知りた〜い」と飛田の方に足が伸びた。
蒼井そらさんや、俺がかつてパワープレイをしていた桜井あゆさんなども飛田の出身らしい。「女性のおっぱい、かなりあるな〜」と区画を蛇行しながら、敷居の奥でアヒル座りしている女性のおっぱいを見るだけ。で歩く。2万円払えば20分相手をしていただける。バリバリ綺麗な女性と死ぬまでに添い遂げられもしないだろうけれども2万か〜、2万か、と踏ん切りつかず大阪で3年目のシーズンに入ったが、どこかにまた飛ばされるような発令があれば、思い出代打でお世話になるだろう。

新世界の交番でジプシーのおじいさんが土下座をして何ごとか若手の警官に立ち膝で懇願していた。おまわりさんもおじいさんも、いろいろあって大変と思う。笹野高史とかあのへんと同い年ぐらいだろうな、偏屈なジジイの役やらせるんなら笹野高史なんかより今おまわりさんに頭下げてるジプシーのおじいさんにやらせてあげてほしい。真に迫っているのは果たしてどちらかと言えば、答えは明快、なので間違ってはないと思う。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:39| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月10日

八神庵さん行方不明

que-12142342407.jpg


山頂まで辿りついたら、リュックに入ったカルビーポテトチップスうすしお味 BIG BAGの袋がパンパンに膨らむ。絶対面白い。思う存分ハーッハッハッハ!と笑ってやろう。意気揚々、JR富士中央線河口湖駅で下車。富士山麓に臨んだのは昨日の早朝。しかしどこだここは。

八神庵(やがみ いおり)は群れるのがとにかく嫌だった。終わりの近い爺や婆どもがたむろしている列に紛れて売店で購入した杖を突いてえっちらおっちら登っていくなんぞ八神の血が許さない。五合目までは路線バスも出ていたが目もくれず、単身で草むらを掻き分けていった。

9月中旬の富士、日中、気温もおだやかで草木も青々と生い茂っている。腰の高さほどもある緑を泳ぐように進む。ときおり百式・鬼払い(↓\→A or C)を使った。紫色の炎を纏いながらジャンプする。普段は対空技として使用するこの技。山火事の危険もあったので、普段の2割。斜面のきつい方に向かっていけば山頂につくだろうという目算で最短ルートを一直線に登っていた。つもりだった。

八神庵は普段特に何もしていなかった。年に一度、「キング・オブ・ファイターズ 略称・KOF」という、世界で一番ケンカの強い3人組を決める大会の本部から招待状が家に届くスケジュールは盆と正月の親戚が集まる時期以外は空いていたので大して仲は良くないが暇そうでそこそこ腕の立つ連中を誘って出場した。八神家の血を引いているので、幼少の頃より手から紫色の炎を出せる、という特技があり、そういったルール無用の殴り合いぐらいでしか役に立つシチュエーションも思い当たらなかった。

境遇の似た「草薙京(くさなぎ きょう)」という男と大会でよく当たった。彼が操るのは自分とは対照的にオレンジの炎、皆が思い描くようなイメージの炎を放つ。草薙京の炎に対して俺が出す炎の気味悪いこと。別にこの色にしようって自分の意志で選んだわけじゃないのに、なんで紫なんだよ。マルカワのフーセンガムだって、オレンジが代表を背負っていてグレープは2番手以下だ。

草薙京は必ず同じチームで出場していた。長髪を静電気で逆立てる一芸で知られた「二階堂紅丸(にかいどう べにまる)」、地面をぶん殴って遠距離の相手に衝撃を与える柔道家「大門五郎(だいもん ごろう)」だ。それに比べて。エントリーシートの記名欄を2つ空けたままでポストに投函することもあった。草薙京が「お前いつもコロコロ変わってんな。チーム。頑張れよ」という目で見てきやがる。「ふざけやがって…」が出場の度に積もり積もる。何なんだこの紫色の炎は。指先で燻らせ、もみ消した。しかし、どこなんだここは。

八神庵の活動源は「行き場のない怒り」だった。世間への反骨。シンプルな逆恨み。四方八方を草木で塞がれて為す術なし。
二十歳を過ぎた頃、携帯電話を解約した。父親から、「成人もしたんだから、このままお前の携帯代まで俺の口座から引き落とされるようなら、解約するかてめえの稼ぎで払うかどちらかにしろ」と訓告があった。もちろんのこと同じ八神の血筋を引いており、八神庵の炎がマルカワフーセンガムグレープ味ならば、より紫が濃く、眼に良い成分が豊富なブルーベリーのサプリほど凝縮した炎を放つ父親。純粋な強さでも逆らえなかったのだが、「指図をするな。そこまで言うのなら解約してやる」とやけっぱちに言い放ち、最寄りのソフトバンクショップに連れ添ってハンコを捺した。その日から携帯を持っていない。「このほうが一匹狼の性分に合っている」と行動を正当化していた。もしこの時真面目に職を探す選択をしており、八神庵は気づいてはいなかったが、仮に携帯を持っていたのであれば、今途方に暮れている鬱蒼の中であってもまだ若干電波も入る場所だった。そろそろあたりも仄暗く、冷えてきた。

リュックの中のカルビーポテトチップスうすしお味 BIG BAGを空けるかどうか。気圧で限界まで膨張させたBIG BAGにひとしきりハーッハッハッハ!と笑ったあと、まち針で刺して爆発させもうひとハーッハッハッハ。そのために来たのに。オーザックと迷った。最近のオーザックは内容量が減り過ぎだ。袋の4分の3はガスなんじゃないだろうか。物心ついた時は絶対にもう少しチップスが入っていただろう。これはオーザックのみならずチップス全般に言える話だがな。オーザックならほとんど気体だから、膨張率もすごかろうという予想。近所のまいばすけっとで2つを手に取り、やはりサイズと内容量、とBIG BAGを選んだ。意図しない形での正解。少しずつつまめば大分持つだろう。腹が減る。ひもじい。

「裏千弐百七式・闇削ぎ(↓\→↓\→A or C)」で暖をとろうとも考えたが、体力を消耗したくない。格闘技の試合中なら殴られたり蹴られたりして貯まる怒りのエネルギーも、ぽつねんと山の中で放っておかれたって一滴も湧いてこない。

両足を結ぶ縄。高校時代から未だにつけている。当時周りではミサンガが流行っていた。体育祭、おそろいのミサンガを足首に巻いて一致団結というムーブメントがどこからか、その辺の女子からか。馬鹿な。構っていられるか。八神庵は学生服の革ベルトで左と右の足を縛り付け、格の違いを見せつけた。お前らが足首に巻いている藁が千切れたぐらいで叶うような願いと俺の野望を一緒にするな。高3の体育祭、移動の自由が利かない八神庵の頭上を、大玉が遥か高く通り過ぎていった。クラスメイトの配慮から、八神庵のエントリー種目は1人欠けてもなんとか成立する大玉ころがしのみ。

大玉ころがしにしかエントリーしてもらえていなかった周囲の配慮、が茂みを掻き分けて虎のように襲いかかってきた。ついでに今さら携帯持ってない疎外や大会に誘うメンツの幅が狭いという龍や蛇までも。頭の中のひだが真っ赤に燃えている。草薙!こっちを見ないでくれ!!
頭をかきむしる。内省。八神庵は内省をしていた。今からでも遅くはない。ちゃんとやれる。間違っているところを直していこう。落ち着け。そこまで取り返しの付かないところまでは来ていないだろう。人生しかり。登山しかり。

今、 明らかにおかしいところは?そうだ。両足の縄をほどいてみた。なんてスムーズに動けるんだ。すべて自分が無理やり枷を作ってただけのこと。吸って吐いてが楽で楽で。馬鹿馬鹿し。ハーッハッハッハ!おもしろ。ポテチうま。「誰か居ませんか〜!?」と叫んだら、「はいは〜い?」と返事が聞こえた。下山途中のツアーのガイドさんだった。案外ずっと正規ルート沿いで来れていたらしい。恥ずかし。「いやー、焦ったんですよ!ちょっと迷っちゃったかな?なんつって!」八神庵、生涯初の「なんつって!」が飛び出した。↓\→↓\→A or Cで出そ。次から。
posted by しきぬ ふみょへ at 01:59| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

中島らも『今夜、すべてのバーで』



昔、インターネットの女の人に「なんかおすすめの本ありますか?」と訊かれた。コイツといえばこれぐらいしか話題も持ってねえだろうから社交辞令で餌をばら撒いておいたら勝手にパクパクやってるだろう、とうらぶれた観光地にいる群れたきったねー鯉のような扱いです。その女の人は恋愛をやっていて、「あなたには絶対行かない、あなただけには絶対行かないから勘違いだけはしないでほしい」と念入りにバリケードを張られたうえで日々のやり場のない思いを一方的にぶつけられていた。別に俺じゃなくても誰であってもよくて、いちサンドバッグとしていつでもぶん殴れる存在で都合がいいだけだったのは百も承知だったが、女の人の肉の声が聞ける機会もそうそうなかったのでしばしばお話に付き合っていた。

中島らもの『恋は底ぢから』が良いですよ、と返した。恋愛をやっている女の人に勧められうる本、という属性の作品をほぼ通っていなかったからぬか床に肩まで突っ込んでかき回してかき回して、やっとこさ手に触れた一冊だった。バシャバシャ水面をのたうち、この作品がいかにしてステキか、と胸びれをボロボロにしながら伝えんとしたと思う。甲斐がむなしい。一生読みもしないだろう。今その人は無事に恋愛をやりつづけそろそろ2年になる。応援しとりますよ。

中島らもを初めて認識したのは爆笑問題が日テレで夜中に眞鍋かをりとやっていた「爆笑問題のススメ」だったと思う。あんまり話もかみ合っていなかった。もごもごと口の中で、のどちんこが喉で詰まっているようで何言ってるかわからなかった。
「いいんだぜ」歌っていた。ああ、こういうんでもいいのか。ぐらいだった。「俺も許されていいんだ!」みたいな感慨はなく、☓☓☓でも☓☓☓でもないな。危ねー。ぐらいだった。

大学に入ってから、BOOKOFFぐらいしか行く場所がなかったのでよく105円のコーナーで赤茶けた中島らもの本を読むようになった。エッセイは読みやすかったけれども使い回しばかりだった。いいのか?いいのか。

小説『今夜、すべてのバーで』はアル中の闘病記で中島らも自身の体験に即して書かれている。「何かを埋めるために、酒を飲む」をするようになったら、危険信号だという。飲み会だ付き合いだと、酒がついてまわるような場所で入ってしまうアルコールと、「やることねーので酒でも飲みますか」の、ただ粘膜を蝕んで時間を吹っ飛ばすだけのアルコールは違う。主人公は仕事を辞めてから物書きとして独立して、タイムカードを切らなくなってから四六時中真っ昼間でも飲むようになり、書けもしないミステリーの原稿を頼まれ、焦燥にガソリンをぶっかけるが如く飲みまくりぶっ倒れて入院した。

眠られないから、とか、アイデアを捻出しなければならない、とか、手段としてのアルコールというのは危ない。気付けとして、万能薬として、エリクサーとして酒に手が出るようになる恐ろしさ。
俺もけっこう、飲む。というよりかは飲んでしまう。誰が読んでいるのだかわからないようなブログだけども、何か思いつかねーかな、と飲みながら書いてたら存外へべになってしまい、朝目覚めたら星野源がドラマで新垣結衣の相手役を務めることになったニュースに対するそねみ・そねみ・そねみが延々続いていて、 まったく記憶になくてゾッとしてしまい必死に火にくべた。「兇行」なんて、戦中の新聞か?というぐらい物騒で油っこくていかつい表現で塗り固めていたのでよく燃えた。

破滅していく自分をどうしても客観的に見てしまうのは中島らもの性分で、「知・プライド・ロマン」の壁に最後の最後のブラックアウトまで寄りかかっている。どこまでも第三者だから、真っ白いうんこがぷかぷか浮いていたとか、小便がコカコーラの色味だったとか、深刻な病状、肝臓が終わっていく過程もドライに書いている。

霊安室に隠れて消毒用アルコールを薄めて飲んでいる同類から「飲みたいんだろ?」と盃を向けられても、 あさましいな、こいつ。一緒にせんといてくれ。と、きっぱりとではないが有耶無耶にして拒否する。とかなんとかやりつつ、なんとはなしにふらっと病院を抜けて、商店街のそば屋でビールと日本酒を注文してしまう。しかも、「無意識に」「流れでふと、つい」とくだらない理由で。滑稽ではあるけれど、彼を笑ってやることは決して救いにはならない。でも、酒を飲んでしまうサイドの自分としては、心情がわかってしまう。飲まない人も各々の依存しがちなものに置き換えて読めばわかると思う。

個人事務所で雇っている、旧友の妹だけが容赦なく叱る。その女性のおかげで最終的には立ち直ったていで物語は終わるが、自分の意識、人生を矯正するために往復ビンタしてくれるような女性なんかそうそう都合よく存在しない。これはフィクションです。

この作品のラストは、退院した病院の正面にあるバーでミルクを飲みながら、その女性にステキな台詞を吐き、どつかれてイスから転げ落ちて終わる。その場だけに立ち会ったのであれば、つまり「フィクション」ではなく実際にその現場に立ち会ったとしたら「ちゃん、ちゃん」「トホホ」「お酒なんかもう、コリゴリでやんす〜!」だが、これは「お話」なのでスローモーションで頭を打つ直前、歯の抜けるぐらいに気取ってキザな独白が挿し挟まる。久々に読み返したが、ここは妙に鮮明に覚えていた。

らも、モテたんだろうな。カウンターに座ってた時の横顔格好良くて、博識だしウケるし。"今夜、紫煙にけむるすべてのバーで。"か。今からタバコ始めようかな。
posted by しきぬ ふみょへ at 20:40| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする