2017年11月15日

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2017年11月10日

中上健次『日輪の翼』


おばあさん7人を、パクって違法改造した冷凍トレーラーの荷台に載せて、津々浦々の神社仏閣を巡る話。即して生きていれば、おばあさん7人は紀伊・新宮の路地で朽ちる運命のはずだった。着いた先の駐車場では”オカイサン”を炊く。塩を入れる派と、入れない派のおばあさんで揉めたりする。


生まれ育った場所ごと吹っ飛ぶ。血という血が交差して、根っこが張り巡らされて解けなくなっているその路地を無理やり引っこ抜く。冷凍トレーラーで毛布にくるまり、高速で移動している間おばあさんは身を委ねることしか能わず、翼の生えた鋼鉄の子宮に揺られているかのようである。あれよという間に、観音開きの鉄扉から世間に放り出される。



サービスエリアのイートインに、長距離トラックのドライバーに混じっておばあさんの群れが固まっている。異様な光景である。否が応でも目を引く。この物語の主軸は無論おばあさんだから、「何処から来て」「何処へ向かうのか」を読み手は把握しているわけであるが、断片断片を切り取る、文脈を把捉せずに場に立ち会う、路傍の人々、言ってしまえば「我々」は、その光景を点として扱う。実際の対象物は点描であって、ワイヤーフレームでもある。「浮いているもの」には「浮くまでの流れ」がある。言わば目に見えない気流で浮遊している。



中上健次はどす黒い路地の血脈から逃れたくても逃れられない、鬱屈や閉塞を書く人だけれども、この話は故郷を人工的にえぐり取り、根っこの植え替えを行いうるか試みたのか。おばあさん達を載せた冷凍トレーラーを運転する若い衆は土地土地の女を抱くことと、おばあさん達への少しの孝行心ぐらいしか目的がなく、鈍角だが頑強だ。信心のみに縋り死にながら生きているおばあさん達とはネガとポジとの対立軸にある。



”鬱血した道であろうと、太い流れのような動脈だろうと、道である事に変りはない。道の果てはどうなっているのだろうかと考えた。女らの一人は道の果てまで来て、冷凍トレーラーが本当に空に翔け上がるのを想像したし、或る者は四方を海で囲まれた日本だから果てまで来て海の中へ乗っている人間もろとも沈み込む姿を想い描いた。”  おろちに丸呑みにされてゆっくりと溶けていく心地はどうだろう?


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次回は「日清 チキンラーメン」について書きます。

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