2014年06月15日

どですかでん 感想文

観ました。

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こじきや日雇い、頭がばかになってしまった人たち、の吹き溜まりの中で、1人1人にスポットを当てながらストーリーが同時進行していくオムニバス形式で進んでいきます。
登場人物に共通して言えるのは、「"取り返しがつかなくなってしまった"後の生活について考える力、対処する力がない」ということで、落ちきったら落ちきったで生きていけさえすれば問題ない。そして、本人は「落ちきった」と思っていてもさらにその下まで落ちていく。観ててまあ悲惨で、オムニバスでころころ場面が変わるのに、誰が映っても気が休まらない。


実質の主人公は、菅井きんの息子の中学生(頭師佳孝)。毎朝毎朝、学校に通わず、電車の運転手になりきり、エア電車に乗って街中の決まったルートを往復し、エア整備士に文句言う、エア線路に人がいれば急ブレーキをかけて怒鳴る、というルーチンワークを続けている。きちんと学校に通っている子どもたちからは「電車馬鹿」となじられ石を投げられる。
みなさんの地元にも、誰かが目をつけとかなくてはヤバいのでは?みたいなナチュラル系の人たちが1人や2人いたと思うし、今でも、それこそ電車の中で見かけるケースもあるでしょうけど、そういった方々って、自分の世界での決まり事は絶対で、何らかの干渉をされるのが何よりも不快らしいんですね。もちろん、自分がおかしいなんて微塵も感じていない。
母親の菅井きんは、息子がマトモに戻りますように、と毎朝毎晩死んだ夫に南無妙法蓮華経を唱えていて、その様子を息子は「お母さんは頭がばかになってしまった。でも俺が守るからダイジョウブ」と捉えてしまう。残酷なすれ違いです。というかずっとすれ違いですこの映画。クズの父親に扱き使われてる女の子に惚れていて、俺が救い出さなきゃ!と悶々としている酒屋の小僧が、女の子に刺されます。


こじき(三谷昇)の父親は、息子に「家を建てようと思うんだけど、どういう家がいい?」と、家屋や建築に関するウンチクを垂れながら、ちょっとずつ妄想を膨らませていく。その話しぶりは知的で、「マトモだったんだろうけど、どこかでパーになってそのままなんだろうな」という裏まで想像させて「家建てるって、いやいやこじきだろうがい!」というツッコミを野暮にさせるパワーがパない。
でも、食べ物の調達は息子を飲み横丁までお使いに出させるだけで自分は何もしない。終わってる、終わってるんですけど、取り返しの付かないことになったらどうしよう?という頭だけがない。


で、「あー、やっぱり…」と頭を抱えるような結果が待っているという。
観ているこっちとしては、"破滅"の瞬間の、何も一回考えられなくなる感じというのが疑似体験できてしまうというのがこの映画のキモの1つだと思う。もちろん、色々な登場人物がありドラマがあるので、様々なタイプのクズがどのクズに感情移入するのか?という見方ができる作品。


「電車馬鹿」は、今日も「どですかでん、どですかでん」と電車を走らせ、変わらない(ゆっくりと変わってはいるが、目には見えない)日々を送り、その周囲の人間も、"一般"の人たちよりゆっくりではあるけれども確実に生活に変化はある。どんな人間にも確実にドラマはあって、今となっては映画という形で掘り下げるのが難しいような方々の生活を描いている。人に薦めたら「終わる」か「けんかする」の2択だと思います。

アル中のドカタ役の田中邦衛が、アル中のドカタの人をスカウトしたのかな?みたいにしか見えないのが圧倒的でした。芥川比呂志の「感情のなさ」もすごかった。前にも書いたけど、昔の映画はヤバい人をマジで出してるんじゃないか??と思えて楽しいです。
posted by バスケ女 at 11:49| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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