2016年02月03日

鈴木大拙『日本的霊性』



「霊性」という言葉がなんであるか、wikipediaを引くと、スピリチュアル、スーパーナチュラル、御霊信仰、などいかつかったり怪しかったり、多少なりともイッてしまっている人間が好んで使うような表現が目につく。明確に定義づけられているわけでなく、その場その場で恣意的に使われているもののようである。『日本的霊性』からの引用によっても、"「相い罵ることは你(なんじ)に饒(ゆる)すに觜(くちばし)を接(つ)げ、相い唾(つばき)することは你に饒す水を撥(そそ)げ」で、これより外に仕方あるまい"とのことで、「仕方あるまい」じゃないよ、と頭叩きたくなってしまう。


ただともかく、想像するスピリチュアル的なものと隣り合わせになっているのが「死」であり、このことは、いくら脳が死ぬだの、あるいは心停止だの、ともかく理屈でどれだけ定義しようが怖いものは怖い。解決しようのない得も言われぬ不安に対して与えられた名前が「霊性」と呼べる、という話が岩波文庫版の解説ですごくわかりやすかった。


この『日本的霊性』では、そうした霊性のおこりが、いつどのように誰の手によってこの日本に芽が生まれたか、ということを考察している。言ったように、「死」への恐怖が霊性だとするならば、この本では、鎌倉時代、法然〜親鸞の時代におこり、世に広まっていった「南無阿弥陀仏」という果てしなく流行りまくったフレーズがあって、それを唱えることで、浄土というこの世の苦しみ、不安から解き放たれた場所に辿り着き、現世はクリアーだという思想すなわち浄土真宗が日本に根付いたところから始まったのではないか、と提唱しています。


鎌倉時代が始まるまで、400年もの間貴族がワイワイしていました。短歌がメッチャ流行るとか、枕草子、源氏物語、今の世の中まで残ってるものはたくさんあるんですけど、フラれて悲しい、川はせせらぐ、花は散る、と言ったような、表現技法は洗練されていくけれども、上流階級同士で、これええやんけ自分やるやんけ、と共感できる媒体に過ぎなかった。すなわち、具体的生活に即していないと感じることのない「死ぬ、ということへの恐怖」なぞは生まれるわけはないと。


"平安時代の多くの「物語」または「歌集」中に見られる如き憂愁・無常・物のあわれなどというものは、いずれも淡いものである。人間の魂の奥から出るような叫びは、どこにも聞えぬ。"

日本的霊性は、

@国に初めて「死」への不安が蔓延する原因となった、元寇という外国からデカい奴らがやってきた、という時期
A流刑にあった親鸞の(念仏さえ唱えれば全員救われます、という考え方が糾弾されたことによる、諸説あり)、越後のど田舎で、畑作=労働を通じて醸成された価値観の普及

それらが重なったうえに芽生えていった。
そもそも、どうして「他力本願(自分の力ではなく、阿弥陀様の大悲により浄土へ行ける)」という考えが生まれたのかといえば、先述の通り人間は生死に対する不安から逃れることはどうしたって難しい、道徳を積めば積むほど「俺のほうが正しいんじゃ、お前は悪なんじゃ」という沼にはまりやすい、どうしようもないんだから南無阿弥陀仏を唱えて阿弥陀様に助けていただきましょう、という発想ありきであり、それを深く理解し、世に説くためにはどうしても爪を黒くして働く必要があった。己のスケールの小ささ=自力の限界を把握している者でなければダメでした。

"一人は米を食べる人、いま一人は米を作る人、食べる人は抽象的になり易く、作る人はいつも具体の事実に即して生きる。霊性は具体の事実にその糧を求めるのである。"


この本ではけっこう他宗教…神道やカトリックであったり、平安文化なんかを批判的に書いており、筆致が断定断定のぶん鵜呑みにしてしまうとこわい部分もあると思いますが、ここだけ忘れないようにしたいので引っ張っておきます。


"自省してみずから苦しむ型の人は、この苦しみから逃れんため、自分の意志を最小限度に弱めんとする。その一方法として、自分よりも非常に強いものを求めて、それへすべてを投げかける。それで自分の行為に対する責任は一切そのものに帰するのである。自分の行為は自分の意志から出るのではなくて、他力の"はたらき"であるとすれば、どんなことがあろうとそれは自分の責任にはならぬ。死んでも生きても、人を殺しても自分を殺しても、善悪ともに他力である。いかにもさっぱりして、気は誠に楽になる。"


カトリックの教団的な考えを批判するものですが、他力本願が絶対的随順になってしまっては、根本の人間としての軸さえ失ってしまう。倫理的な責任感まで委ねてしまったら豚なので、豚にならないためには、自分で背負える範囲のものは自分で背負っていく覚悟が必要なのではないか。終わりです!!!


追伸.この記事はorui君のこの記事を読んだまま反応してなかったので、同じ題材で感想を書こうと思って読んでる途中で違う本だと気づきました。死ぬまでに"確認"が出来るようになりたいですね



posted by しきぬ ふみょへ at 22:23| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする