2016年02月29日

梶井基次郎『檸檬』




1924年 日本


この作品が名作として読まれているのは、モテそう感も然ることながら、「こんなこと考えてその辺うろついている男がいたんですよ」というたんなるいち個人の思考の推移を、そいつの鼻呼吸の音が聞こえるくらいの距離までクローズアップして書いてることが単純におもしろいからだと思う。病弱で金のない男がレモンを買って本屋において帰ってくる、それだけの筋なのに、「病弱で/金のない男が/レモンを買って/本屋において/帰ってくる」という最小単位の文節、文節へ意味をもたせていて、そうであるなら無限に小説書けちゃうよおい、この世の人間全員小説なのかよ。ちょろいだろ。


なんかうまくいかねえな馬鹿野郎、という気分で好きなものが売っているお店に行っても、間隙が満たされるのではなくなんかしっくりこねえな、って帰ってきてしまうことがある。二日酔いででかめの本屋に行く、主人公は丸善に通うのが平生の趣味ですが、なんか「情報、こんなにもあるのかよ」ってオーバーフローしてしまう。心がアーっとなるというか。"書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取の亡霊のように私には見えるのだった。"


道中でふと目に止まって八百屋で買ったレモン爆弾を丸善の本棚に置いて、大量の情報が木っ端微塵に吹き飛んだらかなり笑ける。この話は、実はギャグの小説だと思ってます。ここからはなんとなく今日考えたことで、二日酔いで出社して、路上でウエってなったんですけど、その時ノドが酸ですっぱかったんですよ。で、レモンのフレーバーが、最初のゲボはレモンのフレーバーがしたっていう、で、『檸檬』も、梶井基次郎が体調悪くなって丸善で吐いちゃったから思いついたんじゃないですかね。違います。


posted by JET at 22:18| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする