2016年04月23日

ルソー『人間不平等起源論』



1775年 仏


我々は不平等なんじゃないか?じゃなくて不平等なのは当たり前で、じゃあその不平等なのは何時から、何がどういうわけで今に至るんだよ、おかしいだろ、とルソーがフランス革命の24年前に発表した論文で、アカデミーの懸賞論文に投稿して、落選した。その時大賞になったのは『不平等は自然法によって是認される』という、時の審査員が求めていた結論をもったいぶって繰り上げた結論で、いわば今の絶対王政に疑問を持つな、おしまい!という着地をした文章が評価された。だから「人間不平等起源論」のような、お前たちそこからどけや、という権力者への明確な批判をしてしまった以上賞レースで勝てるわけがないんですけど、今、天牛堺書店の250円均一古本市を経て自分の手元に届いたのはこっちなので読んでみた。

一切まったくの自然状態、サルから猿人へと進化していく過程がある。言語も方法も世に根付く前の時代があって、そこから「いろいろありました、さて!」ヒトとの間にコミュニケーションが生まれましたよ、という。「さて!」のパンと手を打つ、柏手からの切り替えが、舞台の転換として思い切りがあって、この人はメチャクチャ頭がよくて読ませるなと思った。自分のしゃべりたいことをしゃべる上でいきなりキモの部分から切り出してしまっても、聞いている側に単なる声のでかいジジイと無視されるだけで終わる。ルソーの言葉に「注意を払おうとしない読者にわからせる方法を、わたしは知らないのだ」というのがあるけれど、撒き餌をバラ蒔いてからグッと引き寄せるやり方が怖いぐらいうまい。

「パン!」という柏手から、最小限の組織「家族」が成立し、血のつながりができたという場面転換がある。「家族」と「家族」同士で結びつき、一個のコミュニティという単位ができます。単位が膨れ上がるにつれて、あいつらなんか儲けてないか?あいつら働いてなくないか?どうも気に食わねえなあいつら、っていう"意見"が湧いてくる。社会の萌芽。だけれども、ルソーにとって一番「均衡が取れた状態」というのは、たとえばそういう不平不満が沸いて、攻撃を仕掛けられたとしても、「お前が殴ってきたら、俺もお前を殴るけどね」というお互いの力関係に均衡がとれていて、やられたらそのぶん攻撃できる、犯したら犯し返されるという因果の調律がピンと張っている様が人類にとっての青春時代、黄金時代だ、と言っている。

けれども、やっぱりパワーで抑えつけられるのは、ぶん殴られるのは、怖いですよ。種として均一なように、グッピーがわらわら同じ水槽にいたらおなじく青ーい、きれいーなグッピーと思うけれど、いざ自分がグッピーだったら、しなやかに泳ぐ奴と自分で比較してしまう。小1の自分でさえ足が速いやつに対して劣等感を抱いていた。政府や組織が存在していない原初状態だったとしても、どこかのあいつ、と自分を比較してしまう。だから、殴ってきたら殴るけどね、の関係性が成り立つのは、ありえたとしても本当にほんの一瞬のタームでしかない。それに、ぶん殴ってこいよ、という許容が、今だってそうなのに当時の王政サイド、貴族の連中にできるはずがなかった。

だけれども、ルソーが「ここがベスト」と指を差した一瞬に立ち返ろう、立ち返らねばという気概で動けたとすれば、バカのトップのペニスがいかに大きくても、そこにひれ伏す必要なんかない。打たれた分だけ打ち返せばいいのだから。"ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と宣言することを思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々を見つけた最初の者が、政治社会〔国家〕の真の創立者であった。"  騙して得取れ、声のでかいペテンに、手遅れになる前に杭を打っておかなくては。おめでたい奴に「よっ、おめでたいですね!」と指摘できたら、あるいは、お前らちょっと一瞬考えてみてほしい、と。風通しが、換気がよくなって声が通るようになればいいだろうなと思う。なかなかうまくいかない。ペニスの大きさでひれ伏すのだけは嫌だよ。そうなった終わりだから特に自分は。


posted by しきぬ ふみょへ at 15:03| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする