2016年05月27日

欽一





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萩本欽一のことを今後は「欽一」と呼んでいきませんか?という話をした。もう欽一も70半ばを過ぎて両親もいないだろうから欽一を「欽一」と呼べる人間はもうこの日本に残っていない、師匠の深見千三郎先生もとっくの昔に完全に亡くなっている。とすると、今、我々が彼を「欽一」と呼ばなければ、いずれ欽一も自分が「欽一」であると認識できなくなってしまうのではないか?由々しき事態だ。大御所芸能人、もう芸能界にパイセンが居ない、誰からも怒られない人間を下の名前で呼び捨てにしていきませんか。藤村俊二を「オヒョイ」あるいは「オヒョイさん」でもなく「俊二」と呼んだ瞬間に「ああ、次男なんだ」と発見があった。朝丘雪路に向かって「おい、雪路」と思うと自分も大橋巨泉の気がしてきて、ボインちゃんという表現は俺が思いついたんだよねトーク、を披露しに毎年夏にオーストラリアから出稼ぎに来てやろうか、タモリに嫌がらせしたろうか、しかしいいともが終わっていた。急速に老いていく巨泉。巨泉は巨泉より「大橋」と呼んだほうがおもしろいですね。


欽一の話に戻る。俺は上京するまでテレビしか娯楽が周りになかったので90年代にやってた大概のテレビは観ていたけれども、欽一といえば仮装大賞ぐらいしか定期的に見る機会がなく、その昔ファミリーを従えて数字を稼ぎまくっていた時代のエピソードを一機や勤づてに聞くぐらいしか情報がなかった。「欽ちゃんファミリー」という組織に対して結構違和感があって、たけし軍団なら集まって番組やってるのにファミリーはそういうのがない。なのに「欽ちゃんファミリー」という看板だけ空中浮遊している。あるんだかないんだかわからないのに関係者の証言だけがまことしやかに囁かれる。フリーメーソンに近い。


謎だらけの欽一と接近しよう、存在を確認しようと思ったらこれまでは仮装大賞本戦進出が一番の正規ルートだった。もし小学生のクラスを受け持っていたら「めだかの学校」とか「線香花火」とかで子供等を焚きつければかなり可能性は高い。「めだかの学校」なら青いビニルの梱包用テープでつくろった川で白いタイツ着させて泳がさせときゃいいし、「線香花火」だったら真っ黒い模造紙を貼ったパーティションの前に黒塗りで立たせて紙吹雪撒けばいいから。この手はずだったら簡単だったのに、おじさん一匹で出場するとなるとイロモノ枠を狙うしかない。「42歳 自営業 1人」みたいな腫れ物っぽさやギャンブルイズムあふれる作品は1大会に枠が1つ2つしかないのでかなり針の穴を通すコントロールがないと欽一と会えない。教員の皆さんはお仕事大変だけど欽一と簡単に会えるんだからそういうアドバンテージがあるだけまだうらやましい。


だが昨年、駒沢大学仏教学科に欽一が合格した。学歴厨だったのか?となるとつまり、平日日中に世田谷の駒沢キャンパスに行けば欽一に会えるかもしれない。黎明期のバラエティに次々と新しい風を吹き込んだ欽一が、次に着手したのが「講義受けるギャグ」「レジュメ配るギャグ」「代返頼むギャグ」なのではないだろうか。生活の中、大学の講堂に違和感として75歳のおじいちゃんである自分がただ在るだけで生まれるユーモア。マスメディアはもちろん、あるいはお客と舞台との距離感ですらもはや遠すぎる、純粋なリアルライフに根ざした面白さこそ追求しがいがある。素人を起用して、台本どおりじゃない、机上で終わらないお笑いを世に知らしめた欽一のネクストヴィジョン。絶対今のうちに観ておかないと。先があまりないんだから。と、平日の昼間に休みをとって欽一を見に行きませんか?といまのところ3人に声をかけたら、「正気ではない」と言われた。なんでそうなるの?!なんでそうなるの?!と叫びながら全力で高く跳ぶというギャグ、なにそれ。


posted by バスケ女 at 00:00| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする