2016年08月08日

悪魔を払って

モンゴル出身、相撲の逸ノ城関の嫌いなものが「歌」らしい。勝てるわけない。ただでさえ身長193cm、体重211kgと体格だけでも十分なのに、心までモンスターなのか、と恐れおののきまくって自分が力士だったら立ち合いで迷わず拳銃を取り出す。もちろんちゃんと相撲協会と猟友会に許可は取りますよ。行司にも土俵入りの時にチェックしてもらいますし。「これから確実に殺される場合に限り銃可(じゅうか)」ってどこかに書いてるだろ。それでも負けると思う。手羽先をもがれて捻りつぶされてグチャグチャ。つくねにされる。ただいまの決まり手「つくね」。平成に入ってから未だに出てない大変珍しい決まり手です。俺の死がいに卵黄を塗る木村庄之助。


だからちょっとでも、ほんの少しでも歌が嫌いな逸ノ城関の気持ちがわかりたい。融和政策を取らないと末路はあら挽きからのハナマサコースだから。贅沢は申しませんが、せめて、せめて原型をとどめた状態で死なせて頂きたく存じますので、自分にも「歌、嫌いだな」と感じたかつての出来事を掘り出し、相手の感情を欠片でもいいのでわかろうと振り絞って思い出してみたら、けっこうあった。



■中学3年、秋の合唱コンクールで張り切ってしまった。ちょっと男子まじめにやってよ、みたいな伝統芸あるじゃないですか。ああいう行事って。運動が全然できない上に見た目および中身がきしょかったので無論バカほどモテなかった。でも歌ぐらいだったらちょっと本気だしたら何とかなるかもしれない、みんなが適当にやってる中であえてまじめに、バカまじめにやってみたら気を惹くんじゃないだろうか、と同じくクラスのヘドロ枠で友人のS君と組んだ。しかもS君は指揮者に立候補した。気概が違う。


中2から一緒だったわりに男子と女子が妙によそよそしいクラスで、担任も最後のいい機会と踏んだんでしょう、そんなことやってるとこなんかどこにもなかったのに、うちだけが自然の家を借りて1泊2日の合宿をくんで猛練習させられた。平生だったらこんなものだいぶだるいので1泊2日間白目を剥いてピースしながら時間が経つのを待つだけなんだけれども今回は事情が違う。ちゃんと黒目を保ったままでバカまじめに歌った。たしか「時の旅人」でした。


我々はいざ本番もとちらずやり遂げ、周りの出来栄えと比べても遜色なく「いったか?」というムードに包まれていた。しかし5クラスある中、上位3位にも入っていなかった。かすりもしなかった。結果発表の瞬間、俺とS君はあろうことかコサキンばりにメチャクチャ手を叩いてウケてしまった。こういう場面で裏切られると、絶対ウケてしまう。性分なのでどうしようもない。入りの下心のままで合宿から本番まで来てしまったので歌声に感情の移入もへったくれもない。指揮やってるやつといちばん声出してるやつがそうなんだから丸ごと腐る。クラスの皆さん、あのとき丸ごと壇上を臭〜くしてしまい、申し訳ありませんでした。とどこかのタイミングで是非、公に謝罪したいけれども同窓会に招待して頂けないのでインターネットですみません。


ひとしきりウケたあと、道端ででかめのカラスがゴミを漁っているのを横目で見るまなざしが俺とS君に降り注がれていた。中学校生活はそこで幕を下ろした。




■高校のころ、音楽の授業で「何でもいいので得意な演目を発表する」という課題があった。教師側からすれば「ピアノでもギターでも、フルートでも、生徒ひとりひとりの個性を発揮できる場所」を用意したつもりらしく、なんだったらちょっとサービスというか、お待たせ!ぐらいの、お楽しみ会でっせ!ぐらいのノリでその地獄フェスの開催を宣言した。音楽教師の笑い方って頬から下の表情筋しか使ってなくて不気味じゃないですか。ジムキャリーみたいな。


無え〜(ねえ〜)んですよ個性が。楽天でギターは買ったけど2週間で「あ、これ聴かせる人がどこにもいない」と気づいて放り投げるようなぼんくらに人様の前で披露できる個性なんか無え〜んですって先生。そういう何にもできない、垢をこねて出来上がった塊のような人間はこのレイヴをいかにやり過ごすか。校歌を歌うしかありません。朗々と。しかもアカペラで。


うちの高校はルーツが藩校でかなり古いので、校歌も相応に時代を感じる。イントロがティンパニの「…ドコドコドコドコ!」という壮大で大仰な盛り上がりから始まり、軍歌か川内康範先生原作の特撮か、非常にとっつきづらくて長いけどわりに好きだった。5番まである。しかも「まぼろしの6番、7番」がかつて存在し、内容がかなりナシオナルだったので戦後にカットされたらしい。


リリックも「万里の波濤」「仁義の兜」とかなりハーコーなバースが乱打される。俺が一番お気に入りなのが「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進みゆけ」です。歌詞に「悪魔」ってワードが出てくる校歌、ほかにあります?ホグワーツのにも出てこないんじゃないですか。ここまで威風堂々と、対外の運動部の試合とかで歌えたらけっこう誇らしい気分になるだろうけれども、俺が歌うのは不覚にもレイヴ。校内の。


軽音のO君はアコギを弾いた。彼はのちに京大に入る。A君は俺と同じような陰気なたちで、こんびからうまれたこんび太郎だと思っていたのに、「セプテンバー」を流しながらドラムを叩いた。裏切りやがった…と一方的に逆恨みしながら「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進み行け」と全くの無音の中、しっとりと歌い上げた。自分の番がようやく終わっても、第2、第3の俺が次々壇上にあがって磔刑に処せられている。それを見ているのも辛かった。いくら煩悩と悪魔を振り払ったとて、この時の恥という焼印はまだお尻でプスプスと燻っている。




■同じく高校時代、俺は「地理部(ちりぶ)」に所属していて、金沢や富山あたりまで足を伸ばして古い町並みを回り所感をレポートにしたためるとか、「架空の新幹線」の路線を模造紙(関係ないですが、新潟だけの方言で模造紙のことを大洋紙-たいようしという。理由は知りません)に敷き、何人かで空想しながら楽しむとか、見るも無残な青春の逆をやっていた。今となってはもう人に説明するのもめんどうなので帰宅部だったと経歴を詐称している。


最後の文化祭の年、部活ごとに露店をやったり、文科系だったら作品を展示したりしなければならなかった。我々地理部(ちりぶ)はその「うその北陸新幹線」がどういうルートで走ったら「便利」かというのをまとめた模造紙をパーティションに貼り付けて、終わり。誰が来るんだ。ただただ時間だけがすぎる。時の最果て。庵。案の定誰も来ないが、一応学芸員として誰かが座っておかなければならないので、貴重な高校生活をただ「座る」に費やした。窓から中庭を覗けばダンス部が「座る」以外をやっている。バランス取れてますね。


我々の庵を出て左に曲がった突き当りの音楽室で軽音部がライブをやっていた。庵の番をしていたのは自分一人、電動の黒板消しクリーナーを小脇に抱えて音楽室のドアの前までふらふら向かい、コンセントに電源を差し込みスイッチを入れた。防音の扉の向こうから微かにリンダリンダが聴こえてくる。畜生、俺のほうが絶対ブルーハーツ詳しいからな。リンダリンダなんかやってんじゃねえよ生齧りが。俺なら「すてごま」やるね。と、クリーナーの爆音でただただザコすぎるだけの抵抗をした。そんなアルバム収録曲やっても盛り上がらないよ。そういうところが根本的にセンスが足りてないんだよお前は。はい。大変申し訳ありません。


クリーナーのスイッチをOFFにしてまた庵に戻りました。何がしたかったのだろう。尾崎豊は嫌いだった。盗んだバイクで走りだすのも夜の校舎の窓ガラスを壊すのも「人様の迷惑」だから。とかなんとか正論を吐きながら無性に気に食わない物の前で黒板消しクリーナーのスイッチを入れるささやかな反撃ぐらいをやりたがる。生粋の田舎根性。未だにそうだ。




■1年と少し前、カントリーガールズの島村嬉唄(しまむら うた)ちゃんというアイドルの女の子がきっかけでハロープロジェクトにのめりこむようになったのに、その2ヶ月後に事務所と島村家がコンプライアンスでいざこざを起こし、脱退、引退してしまった。まだ腑に落ちてない。




と、歌にまつわる、痰の絡まるような経験を羅列してみた。どこかで逸ノ城関の涙を呼び起こして敵意を鎮められるかもしれない。嬉唄ちゃんのところだったら一緒にライブ行けるな。終わった後、金の蔵で逸ノ城関と反省会するのメチャクチャ楽しいだろうな。「いや絶対目線、合いましたよ」みたいなこと言うのかな。そりゃ合うだろ。でかいので。



posted by バスケ女 at 23:23| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする