2016年09月20日

関係ない話

■ゴミのような話でいささか恐縮ですが、酔っ払って人様の肉声、レスポンスを受けたくなり、連絡先の割れているガバガバの女性にLINEやSkypeを介して文言を送ることがある。送られた方はいい迷惑で、断るも断らないもなにもくそも、前提として俺に声をかけられたところで意味がない。LANの管を這いつくばる息の酒臭いジジイに運悪く絡まれただけ、振り払えば、あしらえばそれでお終い。


■だれからも反応がなくさくっと諦めた日も、あるいは跳ね返りがあるまで粘るようなパターンも、そのぶんの持久力に費やしたアルコールが進んでしまっている。翌朝こめかみを中指の第2関節でえぐる。お前には意味が無いぞ。下らないぞ。気づけよと。意味をほじくり出そうとしても意味が、味噌が出てこない。


■こういった振る舞いを、ほかの誰か、ジジイ諸君も同様にしているのであれば多少気が休まるが、ただただ俺ばかりが単独で縦横無尽にオンラインを駆け回っているのではないか。逆がない。逆のパターンがない。しきぬさん、喋りましょうよ。話聞いてくださいよ。が一切ない。「そういうものなのはそういうもの」で諦めるしかないのか。四畳半の中央に座布団を敷いて1人鎮座している。襦袢の裾からマジックアームを伸ばし往来の人間の首根っこをひっつかんで無理やり敷居の内側へ引きずり込む。もしもしと。ご機嫌はと。今日も今日とて。


■こんなもん、「構ってくれ!」「かまちょ!!」と捉えかねられない。決してそうだ。決してそうなんだよな結局。何も起こらないことへの倦み。前蹴り。


■「一体俺だけが、世の中と関係ないのであるか?」果たしてそうか?飛躍がうるさい。


■坂口安吾は「学問とは、限界の発見だ」と言った。、ウィトゲンシュタインは「世界は、私の手前でぼやける」と言った。カントの純理を読もうとしたら、ゴリゴリの筋肉翻訳で歯ごたえがありすぎて上巻で頓挫をしてしまったけれども、「思考の限界」、人間の考え得るボーダーラインを探ろうとしているらしい。ウィトゲンシュタインの「操ることば」の境界線と似ているようで、違う。勉強します。


■「私の手前で世界がぼやける」、どうしても、己とお前は関係ないのではないか?がつきまとう。吉野源三郎先生の『君たちはどう生きるか』では、あなたとあなたは社会的に関係、連環があり、そのまた別のあなたとあなたが干渉していて、ひとは1人で生きているわけではないのだ、窓に伝わるバラバラの水滴が重さで垂れるとともにくっついていって、体積を増すのと同じように。と至極まっとうを説いた。気付いていない人間が案外いる。


■気付いていない人間。そういうやつはバカだから声だけでかい。勘違いをしたまま死ぬのか?幸せかもわからないが、気の毒に。スコアは2点。ちょうど2点。


■久生十蘭『内地へよろしく』、カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』は、戦争で人が爆裂に、続々に死んでいく最中、達観なのか、"俺"と"死んでいくお前"はつまるところ、関係ないのではないか?という、第3者視点の極北から書かれていておもしろい。久生十蘭が書いた「私」の終盤唐突の突囲表演であるとか、『スローターハウス5』で人間が消えるたびに反復される「そういうものだ。」はやっぱり、どうしたって自分、おのずは「関係がない」という目線。書いている人間のエゴかもわからないが。えご。えごといえば佐渡ヶ島の郷土料理、海藻を立方体に押して固めたゼラチン、酢味噌に合う。九州の北では「おきゅうと」と言うらしい。


■ある程度かわいい女、ちょろくないか?


■ブスの女、辛くないか?応援をするべきでないか?


■戦争、結構嫌だな


■明日、働きたくない。区切りをつけて、出社する。上記、以上は関係ない。なにやらかんやら、貴方とは関係ない。
posted by しきぬ ふみょへ at 01:01| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする