2016年10月03日

尾崎翠『第七官界彷徨』



「点描ということは吾々散文作家が、今までの自然主義時代の一から十までくどくど説明するというような手法ですが、ああいうものに吾々は飽き飽きしたのです。…(中略)…とにかく自然主義的な、ものの考え方とか手法、あれで日本の文学というものが非常に腐ったと思います。平板です。もうすこし新鮮な立体的な文章を欲しいのです。」
「心境文学、触覚文学というものを書きたい」


昔、一度目に読んだときはなんだかもやめいて筋があるようでないようで、何が書かれているのだかむず痒い感覚しかわかず、さてどうしようかと、評判だけで入ってしまい尾崎翠の「第七官」を理解しようとする端緒を引っ張り寄せられる感受性もはなから持ち合わせていなかった。というか、未だにわからないのだけれども、群ようこの『尾崎翠』で引用されている座談会での上記の発言を読んだら、ようやく「第七官界彷徨」の糸口を手繰り寄せられるのかもしれない気がどことなく沸いてきた。


「夢はつまり、思い出の後先」とサングラスをかけて大麻をやっていたおじさんが歌っていたが、鋭敏に、鮮烈に心のひだにトゲが刺さった出来事を膨らませて形にする。「第七官」「恋愛」「慕情」の中に潜まった「もやもや」は万人がそれを受け止めきれる感性を持ち合わせているわけではない。もやもや病で徳永英明は苦しんだ。もう「もやもや病で一時期お休みをもらっていた」、って一生ネタの十字架を背負っていくのは気の毒だ。あと、お金を持っているのだから歯を直した方がいい。


俺みたいな者が死ぬるまでわからない核、コアの部分があって、それを主軸に扱われたら如何ともし難いと諦めていたのだけれども、「心境文学、触覚文学を書きたい」にハッとした。この人は、「指紋で触れて心の中で感ずられた」出来事を理屈を超越して成形しようとしていたんじゃないか。尾崎翠が主人公=小野町子の分身として、精神科医の長男、苔の研究をしている次男とそれぞれの兄弟および、音大浪人中の従兄弟と4人暮らしで進むんだけれども、「心境」を表す上で、@精神科医の常にサイエンティフィックに理詰め理詰めで、あまり感情を表沙汰にしない長男、A「苔」、「蘚」のうずうずというかもぞもぞというか、肥やしを鍋で煮やしてバイオ、ナマモノ的に有機的に女の心情を解きほぐす次男、B音大志望でとにかく理屈はのけといて肉体的にアプローチをかけてくる、エネルゲンを活力源にする従兄弟、という三者三様との生活。というか、三人共血縁関係なのに「肉薄」が薄紙一枚なので、恋愛感情を近親に抱いてしまうインモラルは一旦外に捨て置くべきと思う。なんだかそういったものさえくだらなく感じる。


おもしろいのが、尾崎翠は「まるで設計図を引くかのように」この話を書いたとのことで、絵コンテを別に用意し、登場人物の配置や舞台設定とかインテリアを前もって緻密に設定していたらしい。「心境文学」を標榜するうえにおいてさえ、心のうちを書きなぐるのではなく、あくまで、自分の中では説得力を持たせたうえで言い訳しない。あまり世間を喜ばせようというサービス精神があったわけでなく(同時代の林芙美子が意気揚々と「放浪記」を発表するのを傍目に眺めながら、かえって内々へと向かっていった)、あくまで己が納得することが最前提の文章を書いた。つまり、尾崎翠の体内に流れる「第七官」に輪郭を与えたゼラチン質、じゅん菜。


蘚苔の研究をしている次男の部屋に茹でたかち栗を運ぶ場面の文章

"うで栗の中身がすこしばかり二助の歯からこぼれ、そしてノートの上に散ったのである。私は思わず頸(くび)をのばしてノートの上をみつめた。そして私は知った。蘚の花粉とうで栗の粉とは、これはまったく同じ色をしている!そして形さえもおんなじだ!そして私は、一つの漠然とした。偉(おお)きい知識をえたような気もちであった。ー私のさがしている私の詩の境地は、このような、こまかい粉の世界でなかったのか。"


フォーカスの絞り値を上げて限りまで寄って寄った「栗の破片」と「蘚のなごり」に共通点を見出す。「こまかい粉の世界」、吹けば跳ぶような、とは、「村田だ。ガムくれ。」でおなじみの村田英雄も歌っていた。ページをめくった風圧でいなくなってしまうようなトンボの羽の網目をなぞるような書き方だ。結局尾崎翠は「わからない」ままであって欲しいし、誰かが「わかる!」と言い出したのなら、特に野郎であるならば懐疑的、舐めんなよ、と頬を平手打ちしてしまうと思う。尾崎翠は有声映画=トーキーが気に召さず、「こっちのの想像で補うから邪魔するな」と張り倒す。どこまでも心境が張り詰めすぎて、頭痛薬中毒になり文壇から姿を消してしまった。もったいないけれども、ここまでの繊細をやり続けることもそうそう出来ないと思う。押し入れには衝動買いしたフルーツバスケット全巻が3年近く眠っている。いい加減に読まないと、Lカゼイシロタ株を体に入れ続けないとすぐ腸に毒が貯まるので、「第七官」の要素もどんどん取り入れ、ゼッタイキレイになってやると思いました。
posted by バスケ女 at 21:57| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする