2016年12月13日

朝井リョウ『何者』

何者 (新潮文庫) -
何者 (新潮文庫) -


朝井リョウの『何者』を読んだ。

大学生がたくさん出てくるのに、セックスのシーンがなかった。確かに俺にも大学生活でセックスのシーンはなかったが、他の大学生にはセックスのシーンの1つや2つあると思っていた。演劇サークルで脚本を書いている主人公、バンドをやっている主人公の友人。とその元彼女、元彼女の留学仲間、同棲相手がアパートの一室で就活対策をする。真面目にやるわけ無いと思う。セックスがないと嘘だ。小説なのだから嘘なのだけれども。

作者=朝井リョウの実経験に視座した目線で描いているのであるならば
「セックスはあって当たり前」
「当たり前なのだからいちいち描写するまでもない。読者でおのおの補うべき」

と、あぶれつちまってるろくでもない学生連中の声なんか耳を貸すまでもないのか。

作者は(インターネットで流布されている情報によると)「サラリーマンをやってみたかったから」という理由で東宝に就職せられたのだから、「就職活動」という壁にぶつかっている人間の剥がしやすい表層を問題意識として切り取り、成し得た者目線で「就活あるある早く言いたい」をやっているだけなんじゃないか。ともあれ、この『何者』を書く材料として、就職活動を一通りこなした上で「勝者」の立場から物が言えるのだから、その競争で敗者となってしまった側からの異論・反論・嘆きを全て腕(かいな)で塞ぎ込んでしまえる。


一歩引いた目線から物事を観てしまう主人公が、「馬鹿になれている」人間にどこか羨ましさを覚えつつもやはり入り込めないもどかしさ、踏み切れない煮え切れない。就活という"通過儀礼"になんらかの意味を見出そうとしても能わず、達観したような素振りだけは一丁前になった。
SNSでの「皮」と目の前に居る実際の友人連中とのギャップを鼻で笑い、「弁えている俺だけは特別なんだ」と自分に言い聞かせる。


そんな腹のうちが、カンボジアまで海外ボランティアに行き難民支援、学部やゼミを刷った名刺を配ってインターンやOB訪問に愚直に励んでいる女にバレてしまう。「ツイッターの裏アカウント」が見つかったからだ。途中途中、「この主人公のことはどうしても好きになれんな」と思いながら読んでいた。「そこで人の言葉借りちゃダメだろ」とか、「案外先輩も大したこと言ってないのに感銘を受けるなよ」など。@NANIMONO で周りを馬鹿にしまくっていたつぶやきが10ページに渡りひたすら暴露されるシーンは最初「ダサすぎる、恰好が悪すぎる」と引き笑いをしながらページをめくっていたが、「こんなにボコボコにしたるなよ」となんだか引くのが笑いに勝って切なくなってしまった。大層な問題では、ない。「鍵のかかっていない裏アカウント」で好き放題発言している事実が露呈されるというのは「夜中に外でちんちん出して楽しんでたら、まさか本当にちんちん見られて大変なことになった」というのと同じで、露出趣味でスリルを味わっていた人間がおまわりさんに見つかったというのと大差ない。


"「そうやってずっと逃げてれば?カッコ悪い自分と距離を置いた場所で、いつまでも観察者でいれば?いつまでもその痛々しいアカウント名通り【何者】かになった振りでもして、誰かのことを笑ってなよ。就活三年目になっても、四年目になっても、ずっと"


自尊心に粗塩を、しかも番手の大きいサンドペーパーで擦り付けられた主人公は、まるで憑き物でも取れたかのようになり朗らかに集団面接に挑む。いまは「自分の言葉で」しゃべられている。己が【何者】なのか、なんて思い煩わされていたのが遠い昔のようだ。受かるか落ちるか。それよりもきっと僕は「大丈夫」だろう。とのことだった。エピローグでの自己PRでも、考えがまとまっていない主人公を「ダサい」と捉えられうる書き方をしているようで、面白かった。


”プロフ欄”でスラッシュでぶつ切りに区切られた単語単語、要素要素で自分を取り繕って着飾って【何者】かになったつもりでいる連中はダサい、痛い、愚にもつかないという視点においての「下に見る」という行為。定義付けしたがりの、名前をつけたがりの、人間を何らかの枠に当てはめがちのこのご時世がくだらないのは同意なんだけれども、この小説が扱っているテーマたる「紋切り型で定義付けを強いられる現代社会」という主軸自体がせせこましく、しかしこういった時代に生まれてきてしまっていることすらの嘆きだったとしたら、平成世代の旗手たる朝井リョウ先生には更なる大上段で時代に斬りかかっていって欲しい。問題のスケールをもっともっと拡充できないものだろうか。
posted by バスケ女 at 00:39| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする