2017年09月20日

クセノポン『アナバシス 敵中横断6000キロ』

アナバシス 敵中横断6000キロ (岩波文庫) [ クセノフォン ] - 楽天ブックス
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”眼覚めると第一に頭に浮かんだのは、こうであった。「俺としたことが、こうして寝ているとは何事か。夜はどんどん過ぎてゆく。夜が明ければ恐らく敵がここへ来るであろう。もしわれわれが大王の手中に陥るならば、あらゆる過酷な責苦に逢い、数々の恐るべき仕打ちを加えられて、汚辱の内に死ぬ外はあるまい。それなのに、いかにしてわれわれの身を守るべきか、一人としてその準備や配慮をしている者はなく、われわれは今まるで呑気に構えていられる情況であるかの如く、横になって寝ているのだ。それで、そもそも俺はこういう措置をとってくれる指揮官がどこの町から出て来れると当にしているのだろう。俺は自分の年齢が幾つになるまで待つというのだ。万一今日、自分の身柄を敵の手に委ねることになれば、俺はこれ以上年をとるわけにはゆかぬのだものな。」



考えるとクセノポンは起き上がって、プロクセノス麾下の隊長を召集した。”



このように奮い立つ文章を読むと焦る。焦燥をする。解説によればこの時クセノポンは恐らく30代に達していないとのことだった。著者のクセノポンは三人称で己の功績を書き連ねている。いかに活躍したか、皆を鼓舞したか、という内容を書くにあたってはなるべく自慢げに映らぬように工夫した側面もあるだろうけれども、「三人称」つまり、英雄的行動を取る人物、というのはどこか自分の行動を鳥瞰で捉えるもので、「己の目的は」「価値の有る無しに関わらず」「成され”なければならない”」とつまり、最善と決めた結果に取り憑かれてしまうようだ。内省や要らぬ思弁をするよりも、まず成すために目標に向かって動く。いや、動いている。自身の内部に存在するパワーを大いなるタスクに一点集中するから瞬間最大速へ即時到達するのだ。「キャシャーンがやらねば誰がやる」であって、「その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ」であり、「お前が舵を取れぃ!お前が舵を取れぃ!」なのでもある。


『アナバシス』とはギリシャ語で”上り”という意味で、兄の王位を奪うべくして挙兵したキュロス王子に仕えるクセノポン含めたギリシア人傭兵軍団の出征記、リュディア(現在のトルコのあたり)から敵の待つバビロニア(イラクの南部)までを目指す”行き”を指す。しかし大将キュロスは敵地で、あまりにあっけなく不意打ちの投げ槍が命中して死ぬ。しかしお涙頂戴的価値観は存在しない。さあ、誰がこいつら600人を率いるんだという話になる。指揮官クラスの人間は大多数が敵の俘虜となってしまった。そこで業を煮やし、「目覚めた」クセノポンが冒頭の決意をする。その先はいわば”下り”、黒海までの大返しが始まる。(ちなみに”下り”はギリシャ語だと『カタバシス』になるらしい)。ざっくり言うとこれは「行って帰ってきた話」だ。古代ギリシャ人も我々と同じで、かなり帰りたかったのである。



クセノポンが集団を率いるようになってからは内ゲバや食糧問題、暑さ寒さを類まれなる統率力で解決し……という顛末が描かれるのだけれども、例えば士気高揚にレスリング大会を開こう、となり、じゃあお前がと幹事を任された”子供の頃、心にもなく友人の少年を短刀で斬り殺し、国許を離れた男”が設定した会場が草の茂った岩場のようなところ。このような場所でレスリングが出来るのか?と訊ねられると「投げられた奴がそれだけ痛いわけですよ」と返したというほほえましいシーンもありなかなか楽しい。



部隊内対立が起きた際も権威のある者が力づくで、や大声を張り上げる、というようなことはなく、一兵卒に至るまでの意見を重んじきちんと理を立て、弁論によって解決にあたる。実に古代ギリシャ人の清明な部分が出ていると思う。然しながらプラトンやアリストテレスみたくこむつかしいロジカルな問題はなくて、クセノポンという人はあまり名文家と扱われていないようなのだけれども却ってそれが平易にわかりやすく、話として或いは筋として読んでいて面白いです。


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次回は中上健次『日輪の翼』について書きます。



posted by JET at 00:46| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする