2017年07月05日

引っ越して落ち着いた

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お母さんか?
posted by バスケ女 at 18:22| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

M&F

先日デビルと遊んだ際に、「俺はここから捲り上げて、ロシア人のブロンドと結婚する。そうでもしないとここから人生逆転できない」と漏らしていた。その数か月後に再開したところ、見事に上半身の筋肉がパンプアップされており、お初天神のタイ料理屋でシンハービールの瓶を煽りながらカーキ色のタンクトップ一丁で仕上がりについて満悦に語っていた。デビルがとみに主張しているのが、「これからはM&F」だ、と。M&F、Muscle&Financeである。筋肉と経済の時代が訪れた、という。そうだったのか。



マッスルとファイナンス、つまり目に見えてわかりやすく物理と経済で優位に立てば物事はスムーズに回る。強ければ生き、弱ければ死ぬと志々雄真さんもスローガンにしていた。筋トレこそが最強のソリューションだ、とひつこく提案し続けインターネットの人気者になった人もあるし、大いなる優越、さえあればにへらにへらと拳の関節を鳴らしつつ笑ってやり過ごせる。



かくいう僕もデビルのM&F宣言に賛同し、彼女に「痩せて、格好良くなってください」と要求をされたのもあり、ここ数ヶ月ほど食事制限と腹筋ローラーを続けている。デビルと女に耳元で囁かれてその通り行動するなんて僕かアクセル・ローズかどっちかだろう。アクセル・ローズがそんな事を話したかどうかは知らないが、シャナナナナナナ・ニーズ、ニーズと僕もかなり思っている。腹筋もうっすら割れてきた。ケンシロウがジャギにとどめを刺した時、ユリアとシンとジャギに殺された子どもと己の怒りを拳に込めヘルメットをかち割っていたが、怒り・反骨が則ちエネルギーに還元されるというのは身体を鍛えている時に最も実感する。踊り場で挨拶を返さなかった経理部長の顔を思い浮かべるとローラーが自然にもう5往復する。ホラーゲーム『学校であった怖い話』に「殺人クラブ」という、日常で些細なストレスを与えた人間を抹殺するというよしてほしい部活動の連中に追い回されるエピソードがあったけれども、そのストレスがまんま己に返ってくる版だ。版(ばん)だ。と言い切ってしまった。



実際やればやるだけ目に見える成果が出るので、見えない相手と闘うよりよっぽど心も体も爽やかだ。Mがある程度の水準に達したら次はFを詰める番である。お金は難しい。凄いやつがお金を持っている場合はいいが、変なやつがお金を持っている場合もある。納得がいかない。芸NO人なんか特にそうで、芸NO人なんかお金を持つべきじゃないだろう。だって芸”NO”人だから。昔の先生や名人と呼ばれるような方々が本物の芸能人と言うのだ。三波春夫先生の俵星玄蕃を御覧なさい。日本人の心が詰まっている。いまのAKB、ジャニーズ、EXILEなんか箸にも棒にもかからないじゃないかあんなものは。だのにお金だけは腐るほど持っている。金満球団ゴミ売虚塵軍も日本をダメにしているよ。



などと、もしお金があるならば「日本人の心」だの「金満球団ゴミ売虚塵軍」だの喚かなくて済む。僕はかっこいいスーツを着た男性が「金満球団ゴミ売虚塵軍」という言葉を発しているのは見たことがない。心の余裕と肉体とお金は順繰りに巡っている。「ニセ科学」という言葉も、相手を腐してやろうという意図が含まれているので良くない。モーツァルトを聴かせて育てたチューリップに毎日ありがとうと呟いてから会社に出かけたほうが健やかだ。フリースタイルラップも悪口のないように。肩を組んでスイカの名産地を輪唱するほうがいい。木村祐一監督作品・ワラライフを借りてくる。

posted by バスケ女 at 01:46| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

2017/5/7 文学フリマ

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本日の文学フリマでは、僕のふるさと:カナダのハリファックス名物である"ハリバット"を振る舞います。時には4mを超すこともある巨大なカレイで、とても淡白な味わいなので、日本人の皆さんの口にも合うと思います。ぜひご賞味あれ。
posted by バスケ女 at 10:54| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月30日

セルフ一周忌

漫画や私小説を出版してえらく評判になる、仲が良かったり悪かったりした人がめでたく結婚をし家庭を築く、長く非正規雇用者、"るろうに"をやっていた人が定職に就くなど、近頃友人・知人の間で生活環境が変わるようなイベントが相次いでいる。ところで僕はというと今日会社に遅刻した。


前日新婚夫婦の家庭に呼ばれ鍋を振る舞ってもらった。僕の家は会社の独身寮なのだけれどもガス・火NGで食材の調理ができない。夕食となるとすき家、天一、立ち食いそばなど専ら偏差値の低いものばかり摂っているので、「やっぱり鍋だと野菜がたくさん食べられるからありがたいでヤンスね」と前歯を突き出しながら与太郎のようにくたくたのキャベツをもりもりと食べた。人の暮らしや幸せに慣れておらずついつい気分も高揚し痛飲、よせばいいのに帰り道に9度のトリスハイボールまで買ってしまった。劇薬をあおり、ビーズクッションに顔を埋めてムーン・ライダースの『涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない』を聴きながらオカマの如く涙を流していると意識が途切れ、目が覚めデジタル時計に視線をやると朝の8時、アラームは平日毎朝鳴るように設定しているのだが聴こえず。会社には「昨晩食べた海老に当たった。点滴をうって午後から出社する」と電話した。寝小便をしてしまった後のような不思議な高揚感は地下鉄に映った自分の顔のむくみを見て罪悪感に変わった。赤ら顔で上司に言い訳する。


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身の回りで「面白い」という評判がたって世に出ていく人、というのは大きく分けて2種類に別れる。本人もさることながら身の回りで何かしらの異常、アブノーマル、椿事、とにかくスラップスティックな日常を送っているタイプ、これを「有機的」に面白さを提供する人とするならば、かたや素性やパーソナリティを隠し、私情を挟まずストイックに創作に打ち込む人もある。これを「無機的」とする。有機であれ無機であれ、どちらかに身を賭していたり振り切っている人は魅力的である。僕の場合はバイオにもメタルにも走れず中途半端だ。「自虐じゃ君は周りに勝たれないから、他の方法を考えたほうが良いだろう」という助言も賜ったことがある。自虐に勝ちも負けもあったものじゃないだろう、と思うが、「女に振られた」「会社に遅刻した」程度の谷に転げ落ちても目を引かない。昔の私小説作家は結核や肺炎を患うと「待ちに待った不幸だ」と喜んだという。苛烈な日常を送っている人の声が殆ど直接的に届くようになった今の世の中、「身の切り売り」もサイクルが早くなり、尚更消費されてエスカレートしていくだろう。

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"清貧と豪奢とは両立せず
いゝ芸術と恋の勝利は一諸に来ない
労働運動の首領にもなりたし
あのお嬢さんとも
行末永くつき合ひたい
そいつはとてもできないぜ"

宮沢賢治『まあこのそらの雲の量と』より


"坂口安吾「文士という職業があっちゃいけないんじゃないかな」
小林秀雄「うん、パラドックスとしてはね。―だから、俺も明日からでも陶器(せともの)商売ができる。そこまで行かなければ、何があんた、陶器が判るものかね。」
坂口「それはそうだね。やっぱり生活を賭けるということがなくちゃダメなんだろうね。」
小林「ダメらしいですよ。僕は陶器で夢中になってた二年間ぐらい、一枚だって原稿を書いたことがない。」"


小林秀雄対談集収録『伝統と反逆』より


"なぜといって結局――芸術で腕を試そうとする人生の姿ほど、あわれむべき姿があるでしょうか。ディレッタントであり、溌剌たる人間であって、しかもその上、折に触れてちょいちょい芸術家になれる、なんと思っている人たちほど、われわれ芸術家が根本的に軽蔑する者はありません。"


トマス・マン『トニオ・クレエゲル』(實吉捷郎訳)より


"君が一人の漁夫として一生をすごすのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、僕は知らない。それを軽々しく言うのはあまりに恐ろしい事だ。それは神から直接君に示されなければならない。僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。
そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。このせつなる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中にことに激しく強まった。"


有島武郎『生まれ出づる悩み』より

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かくいう偉大な先人たちの言葉に「何か」を思う、或いは思い込むということを本当は辞めにしたいのである。いい加減にしたいのである。彼は「文学と酒」にヒントが有るんじゃないか、芽を感じたつもりになっているのじゃないか、なんて揶揄をされたこともあり、凡々と生きていくのであればそんなものはせせら笑っておしまいになるが、なんだか無性に腹が立った。が、正確に言えば腹を立てている自分になお腹が立っている。なんでこんなことに苛ついているのか、それはきっと手に入れたいものが手に入らない、着地が決まらず足首をぐねる自分の格好悪さから湧くフラストレーションの矛先が見当たらないこと、ぐるぐると熱ばかりが循環してどこにも吐き出されないもどかしさにほとほと嫌気がさす。妬みや嫉みや恨みばかりが堆積し、バクテリアがうごめき、スモッグがもくもくと空にのぼるところから望まれぬ命が誕生し、映画『ザ・フライ』のラストでハエと人間が9:1ぐらいになった生き物が背広を着て人間の言葉を喋り、会社に出て、頭をボリボリかくとごっそり頭皮が剥がれ、右脳も左脳もなく滴り落ちる。


気に入らぬ人や物を腐す時に、「ひょっとしたらこの人は既に死んでいるのではないか」と吐き捨てることがあったが、自慰の材料に一年前に振られた前の彼女との性行為をプレイバックしている自分がいて、実際とっくに屍(かばね)と化しているのは己の方なんじゃなかろうかと不安になりギョッとした。まったく前に進んでいない。『BLEACH』で言うところの「虚(ホロウ)」になってしまっているかもしれない。セルフ・ネクロマンサーかセルフ・アンダーテイカーかわからないけれど、僕が死んでいるとしたら、死んだ人の更新しているブログとしてやや波も立つかもわからない。
posted by バスケ女 at 23:25| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月23日

せっせっせのよいよいよい

真っピンクの自我がぶるぶるとお皿の上で揺れている。





「せせさせせ」と「ささせさせ」で迷っている。「せせせさせ」で行ったろか「ささせさせ」で行ったろか、今仕上げている恋愛の小説のタイトルを果たしてどちらで決めるべきだろうか。今朝布団から起きて朝風呂でも入るか、って素っ裸になって、その時にうっかり出たおならがゴムみたいな、タイヤを燃やしているようなにおいがした。わたしはそんなに悪いものばかり食べていたのだろうか。おなかも出てきたし不摂生を重々承知とはいえてめぇの体から漏れた空気がゴム燃しとんかい、と外に出る気も失せる。洗濯物がカゴから爆発している。なんでこんなことになってしまっているのだろう、と誰かに責任をなすりつけようとしたら一瞬でわたしに跳ねっ返りがきた。というのもわたしの億劫がカゴに沈んだ、いつ最後に着たんだか今更洗ったとこで変わらんのじゃないかという茶ばんだ肌着類を直視せざるをえない。だけどなるべく直視をしたくないのでこのせまっ苦しい部屋で窓際を向かないようにしている。こうして「せせせさせ」と「ささせさせ」でどっちにしたもんやろか、とキーボードを人差し指でうんとこと叩きながらうんうん唸っているから創作に集中をしたく、ケガれに目を向けている場合ではない。そんな暇なんかないんだ。わたしはいよいよ真剣になろうとしていた。


なるべく休みのうちにこの恋愛の小説を進めてしまいたい。怒りや嫉みをエネルギーにして、そのぶん早死にしてもいいからなんとか形にしたい。何が怒りかというとまずは昨日の夜中にコンビニで売ってたプライベートブランドの、チューハイじみた単なる化学薬品にうっかり手を付けてしまい、敗北の味や、これは。とはまあ手っ取り早く酔っ払ってドーピングかましたら文章も進むかもわからない、とつい数飲んでしまったらいつの間にぶっ潰れてた。何も進んでいない。頭が熱持ってる間に「せせせさせ」「ささせさせ」に決着付けられたらよかったんだけれどもそんなわけなくて、冷静になっても高揚したっても決着付かないんかいと朝ぼらけでこめかみのあたりを小突きながら、もうちょっと天啓とか、ぱっと閃いてそこからなんもかも片付くような、バカ大勢で並べたドミノが倒れてうわーっと桜が咲くみたいなあんなたぐいの気持ちよさはないもんかね、あっちにふらりしてもこっちにふらりしてもどっちもドブかよ、と楽しくもない、後悔するばっかりの酒は流石によす。


歩きスマホはやめたほうがいい。というのも、
@危ないから。死ぬかもしれないから
A死ぬかもしれない可能性を視界に入れるのが嫌だから
B歩いてる時ぐらい考えたほうがいいから


@、 普段音楽を聞きながら道を歩くのも怖い自分にとって、よりにもよって一番情報が先に入る視覚を殺してその辺りフラフラできるなんて、命の要らない人 か?255機あるのか?0機しかストックがなく、このプレイで死んだらお墓に入らなくてはならない自分との世間様との違いはやっぱり持っている余裕の差だ。イヤホンで聴覚ともどもダブルで奪っている人らに至ってはこっちから急に刺してやろうか。

A、 そんな余裕に満ち溢れとる連中を行き帰りの一歩一歩沈みながら歩く地下鉄で見たいもんじゃない。死んでも次がある君たちと死んだら終わりのわたしが交差するたんびにこめかみのあたりの大事な血管が反応する。もしかしたらわたしのように歩きながらスマホいじってる奴らが視界に入ると具合が悪くなるからあえて 私も周りへ意識を割かないように歩きスマホをするようになったのかもわからない。ゾンビの恐怖に怯えるぐらいならゾンビウィルスに感染したほうが幸せだ、 というのと同じ理屈だ。こう考えると@の項に説得力があるんじゃないか。あいつらは殺したって殺したことにならないんだから。この部屋にある武器になりそ うなアイテムといったら包丁ぐらいだ。包丁一本で地下鉄から脱出してやる。

B、 歩いている時が一番思いつく。どういうことを思いつくのかというとなんだろう。アイデアだ。アイデア?わたしは貧困か?歩いていると思いつくのは「歩行」 と「思索」のリズムがどうも噛み合っているからというのを高校1年4月、現代文の教科書で読んだ。今に至るまでぼんやり中身を覚えていられたのはその時少しは高校生活うまくやろう、と意気込みがあったからなのだろう。一瞬で失せてしまったので以降の出来事はほとんど蘇らない。その時瞬間ごとの燃えるような心模様をいつでも呼び戻せる人間になりたい。

アイデア。練気。かめはめ波。「かめはめ」がほどよく膨らむ、のが歩いている時。だからよそから情報をなるべく入れたくない。がん検診を受けましょう、とか、就活サイトのリクルートスーツの青年が青空に向かって思い切りジャンプしているポスター。世の中は雑音、靴音、軍靴の地響きまみれだ。必然性もなくそれっぽく意味だけこじらせて焦らされるオブジェクトばかりが散見される。あんたに言われんでもわかっとるわ。おのれの体にガタが来とったら、自覚症状あったんだったらワシのほうから医者にかかるわ。いちいちポスターでガミガミ言うな邪魔くさい。

邪魔くさいのなら自分の手のひら、スマートフォンの画面に集中できたほうが余計な情報をシャットアウトできるのでひょっとすると皆色々と逡巡した末にイヤホン、ツイッターをお供に道を歩いているのか。そんなことあるかな。喧嘩したら連中には負けるだろう。情報遮断してふんぞり返ってほっつき回れる肝っ玉の奴らに勝てるわけがない。リミッターが振り切れているから。悔しい。もっと、鍛えなくては。

いっその事寝タバコで全部焼き払ってしまったら案外愉快かもわからない。のり塩、ゆず山椒味、旨辛チキン味、ポテトチップスの空き袋。結局のり塩が一番うまいことをもう小学生の頃から、慣れ親しんだあの塩気に勝るものはないのだが、ちょっと色気を出して失敗してはまた帰ってくる。やっぱりビートルズに帰ってきちゃうんだよね、と同じかな。違うか。気合い入れよ。500のペットボトルで頬を殴った。


いっぺん試しに買ってみたがチャンピオンのパーカー。これが似合わねえの。パーカーが似合わないってもう「服」がわたしに不向きだろ。ラフな格好とそこそこの年齢が釣り合わなくなってきているわりにフォーマルな場所に出席するのもおこがましく、メガ・ドンキホーテしか行く場所がなくなってしまった。あそこなら「不相応」という考え方自体が欠如しているので今のTシャツにリラコ姿でも誰にもぶっ飛ばされないで済む。


メガ・ドンキホーテで思い出した。ドンキで自転車を買って、職場までの通勤でちょっとでも運動になるようにというので春先意気込んでいたのにまったく乗っていない。なんか、社会人ともなると自転車通勤組が乗っているチャリってロードバイクとか若干カスタムしてあったりとかホイールの口径が小さくておもちゃみたいな、おめえロンドンやパリでも走るつもりかよ、白人様が乗るタイプじゃないのけ、という優雅な、だから「チャリ」なんて表現にふさわしくない、「バイク」しかもイントネーションが尻上がりの「バイク」だ。10何万とかするんだろう。わたしの購入した「チャリ」は確か1万円しなかった。「チャリ」ごときに本気になるのも恥ずかしく、だからといって本気になっている人を揶揄するわけでもない。ただ「チャリ」「ごとき」「恥ずかしい」と己の中でぐるぐる回り、決着の付かないまま息をしていないチャリが眠っている。休みの日ぐらいは何処かに行ってやろうか。何処に?それわからない。


本棚。本屋でわたしは何を血迷ったんだよ、というバリ島旅行ガイド。思いを馳せるだけで終わる。第一わたしは基本的に絶対に死にたくない。日本人とすらコミュニケーション取るのに難儀しているんだから、いつのまにやら海外の屈強な野郎どもの怒りを買ってヘッドロックで連れ回されてバーカウンターに叩きつけられて死ぬ。バーには行くんですね。


本一冊、買ったら南国の風が吹き込んでくれるかな、とわくわくしていたんだろう。わくわくって。しゃらくさい。もう私は絶対に南には行かない。感性も死んでいる。本一冊で、なにか小さなきっかけで人生がらっと転がるような出来事なんかない。ナシゴレンもミーゴレンも食べない。なにがゴレンだ。ロコモコだ。もうネーミングの響きからして間抜けで南の島の人らとは話が合わないだろう。ハンバーグに目玉焼きとご飯?そんな美味しいに決まっているのにいまさら威張られても。わたしは4歳の時にもう気がついていたよ。ハンバーグの上に目玉焼きを乗せて丼にしたらかなり美味しい、という事実に。特許をとっておけばよかった。昔テレビで見た、特許で儲けている安全サンダル閃いたおばさんは幸せにしているんだろうか。


YouTubeでアイドルのPVを漁る。基本的に明るい未来のビジョンを歌っている。勇気や行動力をもらえるかもしれない、と一縷のやつを望みつつ肩肘をついて見る。可愛いなあ〜〜〜、と薄ぼんやりしながらとっくに眠らないとそろそろ翌日の業務に支障が出そうな時刻になっていた。夢だ希望だとヘラヘラしながら受けるだけ受けてなんてわたしは矮小な存在だっただろう。と、そんなに卑下しないでもいいはずなのに、どこかで割り切れずに、ただ苦しい。アイドル自体になりたいのか、アイドルの活動内容を事細かに噛み砕きたいのか。いや、ただ彼ら、彼女らにわたし自身の生活を立て直すエネルギー、それが建前であって構わないから、前に突き飛ばして欲しいんだ。「失った」のではなく、はじめから分けてもらえなかった青春が遅れてわたしの背中を突き飛ばしてくる。


しゃんとしたい。凛としたい。ちゃんりんしゃん。誰かにお尻を叩いてほしい。お尻を蹴られたい。お尻をつんざいてほしい。わたしのお尻は面白い。人間のからだの中で一番無防備でもろい部分がお尻だ。「心」というものが存在するのであれば、わたしのそれはお尻にある。おならと共に心を放出している。だから、たいしたことはないのだ。わたしの自意識は、一発の屁のごとし。屁如(へにょ)かよ。崖の上の屁如。うるさいうるさい、しゃんとしよう。


それにしたって、わたしの感情に説明がついたとして、理屈をいくらこねたって、「だからどうした」という声が怖かった。ついこの間までは。そんな懊悩はわきまえて生きているんだぜ、ぐちぐち考えてないで手を動かさんかい。汗流さんかい。という正論のハリセンで後頭部をどつかれる。でもわたしにダメージはそんなにない。なぜならば、わたしの心はお尻にあるからだ。考えている脳みそがいくら痛めつけられたとしても、かさぶたが出来て、なおって、元に戻る。考え直せばいいだけだから。だけど心が痛めつけられるのが、辛い。心を炙られる。心に塩を塗られる。心に頭突きをされる。焼ける痛み、飛び上がる痛み、単純で鈍い痛み。など、ありとあらゆる種類の痛みが、一見無防備でまぬけなお尻に与えられる毎日。お尻の肉の厚みは心を守るためだ。納得。だから痩せたくない。痩せてたまるか。


うん、もう一杯だけ飲むか。ボトルを買ったときにノベルティでくっついてきたグラスに茶黒いウイスキーを指二本注ぎ、割ろうとしたらペットボトルにミネラルウォーターを切らしている。もうこうなったら水道水で割ったろか。いや部屋から一歩たりとも出たくない。重たいんだ、わたしの心を防御する肉のついた尻が。


野武士の如くストレートで茶褐色の毒水を飲み干した。のどちんこが真っ赤に燃える。紅蓮のどちんこ。あごの先っちょからこぼしてしまったヘドロを垂らしている。わたしはこれから合戦に行くのか?誰の首を、タマを獲るんだ?いやそんなはずはなかった。眠りたい。さっきからかなり眠りたい。闘うのは明日かもしくはそれ以降。いい加減今何時だ。裸眼で暗闇、明かりはモニタのブルーライトのみ。まったく時の進み方がわからない。そろそろ止まったかな?終わったのかな?時。
くっそ。けっ。どうとでもなれ、というくらいにはどうやら酔いが回っている。「せせせさせ」「ささせさせ」。どっちにしよう。


二択に強くなりたい。わたしは常に「こっち!」とY字路で根拠なくハンドルを切って崖から猛スピードで落ちている。あえてこっちいってみようかな?の逆。自分を信じよう、の逆。あらゆるパターンの逆。きっと自分に懐疑的でありかつ過保護であり、どんな結果にも満足できなくなっているんだろう。「もっと出来るはずだ」「やれんのか?やれんだろ?」とお皿の上のピンク色の自我がキーキー主張してくる。窓の外に投げてやろうか。お前のせいでどれだけわたしが苦しめられてるんだふざけやがって。YESかNOか、○か×かの2択。もうむしろどちらでもなく、ちょうど真ん中をストレートに駆け抜け、どちらのパネルに飛び込むのでもなくただただ支柱に激突して昏倒するという選択肢を選びたい。どうせ間違うなら、自分の意思で間違いたい。そんなものは言ってしまえば「成功」か「失敗」かから逃げているわけだけれど。ああ、くだらない。


どこぞのロックの人が、「ステージに立ってギター抱えて何か一発音を鳴らしたら、それはロックだ」と言ったらしい。じゃあ、じゃあですよ、あほぼんでぼんくらであんぽんでへんぽんですてれんきょうで、なんだらの素養もないわたしがギター抱えて人前で顔を真っ赤にしながら弦をバチでべんべらべんべんやってみたとして、そんなものは果たしてロックなのだろうか。恥じーだけだ恥じーだけ。ていうかロックって何だ?面の皮が厚かったらそれがロックなのだとしたら、先ほどの指二本が血管に回っている今のうちに人前に出てがなり立てたてたら成立するんじゃないんか。ニトロが肝臓を痛めつけている間だけ人はロックでいられますか。お薬が血液にまわっておりながらの場合のみ格好をつけられるのがロックでしょうか。


手探りで、眼鏡をかけた。どうやら午前の2時半。わたしはお腹がすいたので回転寿司を食いにでかけた。もうどうとでもなれ。打破には寿司しかねえだろう。24時間体制で寿司を提供している近所の偏差値の低いチェーン店に入った。明日のことなんか死にさらせ。あ・うん。
早速電子メニューを御覧じろしている。あまりじっくりタッチパネルの画面を睨みつけていたら、回転寿司屋の小僧が「A~、ドゥーユーノウハウトゥオーダー?」と尋ねてきたので、習いたての日本語で「あ、さいっす」と答えた。そういやまともな日本人は寿司をつまみにくる時間じゃないんだよな。恥ずかしい。小僧は、腑に落ちぬ、という表情でカーテン裏のコンベア上流へと引っ込んでいった。


タッチバネルを操作したら己の意思どおり、意のままにお寿司が届く。わたしの知らないうちにガラっと様相がひっくり返った。お寿司、ごちそうじゃなかったでしたか。ごちそうがこんな軽佻に浮薄に扱われて良いんだろうか?誰がこしらえたのだかわからない、米粒の直方体に魚類の一部分がペーストされた食物が2ヶセットで特急レーンの上をつついー、とすべってくる。

いっちょう、わたしはバナメイえびとアボカドの軍艦巻きから始めた。フィリッピーンの潮にもまれた良質のバナメイとアボカドの脂が織りなす重奏をくちゃくちゃ咀嚼しつつ、夜中に食う寿司うめー。味蕾から体が蝕まれていく感覚癖になるでやんすね、とまず一皿を片付けた。続けざまに炙りとろサーモン。こいつもカナダあたりからアジア人の舌べろに悪い脂の膜を張りにそぞろ遡上してきたろくでなしサーモンで、このうえないてろてろがバーナーの火炎でいい具合に香ばしくなっていてお下品でお上品で美味しゅうございますという具合。


炙りとろサーモン、からのマヨコーン軍艦。ひょっとしてチェーンの社長のお孫さんあたりが発案者なのか?という野趣あふるる、とうもろこしとマヨネーズをちゃっちゃか和えたどろどろを酢飯に積載して海苔で帯をいなせに締めた高貴で誉れ高き馬鹿げた一品。ワンプッシュで適量の雫が落ちてくる、トリクル醤油さしをニ、三滴ぽたぽたさせてから口に放り込む。マヨネーズととうもろこしと、酢飯と海苔と醤油。単純明快な味の足し算。わたしの人生もこうであればいいのに。「お金に困っておらず痩せていて、おしゃべりが上手で家庭環境が良好で大きな病気をしたことがない」のに等しく明快な和算。「願いましては、おいしいなりおいしいなりおいしいなりおいしいなりおいしい。では?」「すごくおいしい。」


などと完全なる阿呆の経営しているそろばん塾に通っているがごとく、豚のカツを無理くりシャリに縛り付けた寿司もどきを注文したり、サイドメニューのフライドポテトを頼むやんちゃをやってみたり。とっくに世の中が寝静まった頃、気力もなく、心頭滅却して働いているアジア系パートタイマーを横目に、虚無の心意気で提供されるカロリーをひたすら胃に入れる。需要と供給の歯車と歯車が容赦なく背骨をバキバキに巻き込んで砕く。ついつい、杏仁豆腐まで食べてしまった。本来はケーキに行きたいところだったが手加減しての杏仁豆腐。理性の杏仁豆腐。

からの、茶碗蒸しまでたいらげ、しめて12皿1300円強を支払い店を後にした。夜風かあるいは朝風か、生ぬるい半端な空気の中を歩いている。本日と明日(みょうにち)のはざまで、わたしは娑婆で以降もやってけるものだろうかと、薄ぼんやりとしたねずみ色の目頭を擦りながら国道沿いで考えていた。どうにもならない。も少し違う。どうにもしてくれない。は甘えている。凪いでいる。ジャパニーズ・レゲエの重低音を轟かせるビッグスクーターとすれ違う。お前さんたちはバカだよ。本当に世の中にけつを向けて犯行をしたいのなら、ジャパニーズ・レゲエなんかじゃなくて、「日本の瀑布」のオムニバスCDをかけろ。名だたる滝の水しぶき、スプラッシュとともに単車を乗り回せ。どうも反抗の様式が凝り固まっていて、くだらないよ。わたしのように、夜中に寿司をつまみなさい。


と、若者のわんぱくを許容できるふところの深さも携えず、こめかみに老害ならではの緊張を走らせながら、アパートの階段を上がった。後ろ手に錠をロックし、ゴミ溜めの明かりに目をやる。点けっぱなしのモニター、進んでいない「せせさせせ」「ささせさせ」の文字羅列。羅刹。ひとまずの一件を落着させたふりをしてビーズクッションに頭をずしんとゆだねた。わたしは恋愛小説を書いているんだ。こんなところで棒きれになってたまるか。こんな自暴自棄と雑穀根性の燃えたぎる胃袋で、寿司がどろどろに消化されてゆく。よく言えば理由なき反抗。悪く言えばズボラのなまけ。よく言ってくれる人なんか、いるのかな。どこかに物好きは居るだろう。そんな見てみぬ変人。が現れることを夢見つつ、へたりきった抹茶色のビーズクッションに縋り付きながら、わたしはフローリングの染みとなるがごとく眠ろうとしている。いくらデッキブラシでこすっても消えない、ニンゲンの死んだ痕。マーキング。事故物件となった我が部屋が、格安に家賃が下がることによって、金銭的には恵まれないが才能に満ち溢れた若者が住んで欲しいな。わたしは染みになって若者の活躍を見送る。それがいい。そうしよう。せせさせせ。ささせさせ。せっせっせのよいよいよい。
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2017年01月13日

桑田佳祐と「落ち込む」

2014年の暮れ、紅白を家族で見ていた。
サザンオールスターズが何年ぶりかで出ていた。どこかの会場からの中継でいきなりハイビジョン映像に切り替わり、あの「一線を置いている」タイプの大御所が満を持しての出演となると決まって別会場から高画質で現れるのがあまり好きではなくて、いつだったか中島みゆきが黒部ダムから地上の星を歌った時も「会場に来なさいよ、あなたも大人なのだから」と思った記憶があるけれどもともかくそれはそれとして、桑田佳祐さんがその時一番の新曲だった『ピースとハイライト』をがなっていた。


昭和30年代後半生まれの父親が、歌詞に文句をつけている。いまさら楽観的に「音楽の力で平和を」だなんて、そんなふうには笑ってられんのだと。もはや戦後ではないのだと。家の中で唯一喫煙を許されているスペースである2Fのトイレの床に『マンガ嫌韓流』が投げられていた。インターネットで右翼をやっているかどうかは聞いたことが無いがサザンの結成当時から平行線で人生をやってきた男がテレビに石を投げている。WOWOWで中継された同ライブにおいての、紫綬褒章を顔の横に掲げるパフォーマンスが槍玉に上げられて、後日謝罪の文章を打っていたことを知る。何だかひどく落ち込む。


ニッポンで芸能とポリティカルな行動って心底相性悪いので止めておくのが懸命でしたね、とか、謝るのなんてダサい、"ロッカー"なら反骨精神を一貫して持ちなさい、とか、2年も経って散々言われ尽くしている部分は蒸し返さない。落ち込むのは、これを契機に「桑田佳祐って何?」と一回息をついて見つめ直した時に、この人に対して「情緒」以外で好きな部分が自分の中に無かったのではないかということだった。紫綬褒章にしろ、チョビ髭にしろ、サザンオールスターズ | SUPER SUMMER LIVE 2013 「灼熱のマンピー!! G☆スポット解禁!!」にしろ、どうも「調子に乗っていますよ、弁えていますよ、おじさんだというのにね、笑ってくださいね」と自分で見えている範疇を尚飛び越えてやらかしているんじゃないかこの人は、という気がしてしまう。「ヱビス。ちょっとぜいたくなビールです」というキャッチから漂うロマンスグレーにも似たユーモアである。サザンの醸す「情緒」は素直に格好いいと感ずるのに、ライブで両脇に女のくびれを抱えた桑田佳祐を見て、「おじさんのC調」をやられると、怒る、とか、嫌だなぁ、とも少し違う、「落ち込む」のである。


僕が好きな、「父親のカーステレオ」で流れていたあのサザンがどうしてもある。エロからノスタルジーから、「なんでも出来ますよ」の十把一絡げ、ごった煮感がファンを引きつける所以なのだろうけれども、その「エロ」および「笑い」という要素は、これはどうしたって、どうあがいたって世代ズレが生じる。しょうもないことをあえてやっているんですよ、の自戒以上に下品さが先立ってしまう。受け手であるこちらとしても、「おじさんのポンコツさ加減」をストレートに腹を抱えて笑う心構えはあるのに、それでも尚。だ。僕は鎌倉から湘南に向かう江ノ電で、当時付き合っていた彼女とイヤホン片耳ずつで希望の轍を聴く、という大地を揺るがすが如くのベタをかましたことがある。BGMとしての、舞台効果としてのサザンに絶大なる信頼を置いていたわけである。その憧憬にあるサザンが好きなのに。浜田省吾も佐野元春も、イズムがいききっているおかしさもあるけれど、最後にはカッコよさが勝るから僕はこちらのほうに魅力を感ずる。


2016年のソロ新曲『ヨシ子さん』を聴いた。曲調や音楽的な斬新さは僕にはわからないけれども、「EDMたあ何だよ、親友(Dear Friend)?"イザ"いう時に勃たないやつかい?」という部分に、遠い目をしてしまう。自分が若い時に思い描いていたおじさん、老い、をあえて演じているんですよ、というエレジーで勝負されるのがこの憂い・落ち込みの原因なのか。"あえて"という精神の運び方は日常において自らを苛烈に至らしめる上で大事な態度とは思うけれど、それを伏せずに作品として世に出してしまうのは受け手のがっかりに繋がってくると思う。この辺りで桑田佳祐と長渕剛を2人同時に相手取るような爆弾魔のような人が出てきて、風穴を空けるのか吹っ飛んで死ぬかするところが見たい。
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2016年11月03日

「PPAP」と生活と闘い

忘年会で「PPAP」をやらされそうになっている。2016/11/2(水)の午後3時頃、「しきぬ君に話がある」と内線をかけてきた1個上の先輩に呼び出され、普段俺がその場所で昼ご飯を食べ続けていることにより「しきぬくんが普段、昼ご飯を食べている場所」と呼ばれるようになったロッカールーム兼雑紙等を放り投げておくスペースで会合があった。


先輩は経理部なのだが、経理部長がどうやら若手同士(俺を含む4人)で組んで今流行の「PPAP」をやったら面白いんじゃないか?という思いつきによるお達しがあったらしく、伝令として渋々の申し送りをしに来たとのこと。先輩の立場上、こちらが一方的に不満を押し付けたところで板挟みにしてしまうから、表情筋で圧倒的に抗議しつつ、言葉のうえではできるだけやんわりと、なんとか収める方向に持っていけないかということ、最悪何らかの一芸を披露したとて「PPAP」だけはご勘弁願いたい、4人でピコ太郎を演る意味があるのか、1分足らずの寸芸のためにわざわざ自費で衣装をあつらえ、一応のリハーサルをやり、時間を裂き、なおかつ酒の入った場で誰もろくすっぽ注目していない舞台で駆り出される必要があるのか、冷静に考えて欲しい、とお伝えください、ほな、また、と切り上げた。


先輩の立場が一番面倒くさい。部署も違うし、越権のハラスメントを伝える飛脚をやらされるなんて、心が朽ち果ててしまう。だけれどもここは闘わなくてはならない。人間の尊厳に関わる問題だから。本当に「PPAP」をやらされる可能性が万に一つでもあるならば、徹底的に抗う覚悟である。直(じか)に経理部長とデュエルをかます構えがある。


「PPAP」そのものに嫌悪を抱いているわけではなくて、ピコ太郎も古坂大魔王も花開いて頑張っていてくれたらいいのであって、そこに一切のポジもネガもない。ただ、今流行をしているモノ、コトを「とりあえずやっといたらおもろいんちゃうのん」だけで上からグリグリ押し付けられることへ、若者として、ペーペーとして従い、これも社会で生きていく上の通過儀礼であると割り切って無表情で業務命令をこなすことが果たして是であるかという問題だ。


会社の飲み会で経理部長と話したことがあるのだが、かつては役者を目指し俳優養成の専門学校に通っており、健康不良が理由で夢を頓挫し、まっとうのサラリーマンとして生きていく道を歩んで今に至ると、若手を集めて気持ちのよい表情で喋っていた。まともに働くことを良しとせず、表現で食っていこうという時代があった人間が、社会に巻き込まれて立身出世し、階級が目下の人間に忘年会で「PPAP」をやれ、と覆いかぶされるようになってしまうのだ。


社会人、としての位が上がっていく上で、どこかで"センス"は死んでしまうのだ。あるいは、センスを殺さないとやっていけない社会なのかもわからない。夢を放擲せざるを得ないほどの病気のあとで、痛みを共有できずむしろ「押し付ける」側に回る。死ぬか生きるかなんかわからないんだから、己の思うように生きたれ、地獄に道連れじゃい、からの開き直りかもしれないけれども。とにもかくにも「PPAP」を目下の人間に無理やりやらせるという行為は精神が死んでいる。やめてくれ。ゾンビに肩を組まれたら振り払わないとこちらまでゾンビになってしまう。勘弁をしてほしい。


加えて、「PPAP」を、会社で気になっている関根麻里似の新人の前では絶対にやりたくない。クリスマスにご飯に誘おうかと逡巡しているんだよ。絶対「PPAPやらされた奴」と2016/12/24(土)という3連休の中日に飯食いたくないだろ。貴重な大卒1年目のクリスマスを。人間の尊厳と己のペニスの為に俺はジジイと闘わなくてはならない。という話。続報をします。
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2016年10月31日

フォルティシモ無意味論

おまえの涙も
俺を止められない
いまさら失う
ものなど何もない

言葉にならない
胸の熱いたぎり
拳を固めろ
叩きのめされても

激しくたかぶる
夢を眠らせるな
あふれる思いを
あきらめはしない

愛がすべてさ
今こそ誓うよ
愛をこめて
強く強く




大友康平さん率いるHOUND DOG(ハウンド・ドッグ)が1985年に発表した楽曲「ff(フォルティシモ)」。
1番の歌詞を抜粋し、吟味し、咀嚼してみたい。
1985年度年間56位(ザ・ベストテン調べ)である当楽曲が当時、日本で56番目に国民の琴線を震わせた根拠・いわれは果たしてどこにあるのだろうか。


おまえの涙も
俺を止められない
いまさら失う
ものなど何もない



作中の俺・大友康平(以下、こうへい)は「おまえ」に涙を流させてしまった。原因はわからない。けれども、俺の夢、目標を最優先事項に据えているので、今さらどうこうと咎められようがこのまま突き進むという決意表明。「いまさら失うものなど何もない」とこうへいは言う。「おまえ」を失うことを厭わないようだ。おまえの涙以上に崇高で価値を感ずるsomethingをこうへいは追い求めているようだ。果たして一体なんなのだろう。はっきりしない。最後まで。


言葉にならない
胸の熱いたぎり
拳を固めろ
叩きのめされても


言葉として表現できないほどにパトスを感じている。その対象が不明瞭だけれども、リリースされた年、こうへいは29歳。今更言葉にならない怒りを表明するにはいささかおじさん過ぎはしないか。言葉にならないことと、「言葉に出来ない」のは別だ。「言葉にしようとしたか?」「サボってない?」ということだ。ここで飛び火させるのもどうかと思うが、怒髪天の「おじさん頑張ってるんだぞロック」も馴染めない。俺もおじさんに片足突っ込んでいるけれども、果たして四十を迎えて「おじさん頑張ってるんだぞロック」を聴きながら中ジョッキを煽って月曜もお仕事頑張るぞ!と活力にするものだろうか?苦手だ。目を逸らしてしまう。


1985年。ブルーハーツが『1985』で”全ての大人に感謝します"と宣戦布告した年。尾崎豊が卒業の答辞を読み、BOOWYが『BOOWY』を発表し、北アメリカ大陸でウケていたWe are the worldが敗戦国ジャパンにも鳴り響いた。うんざりするほどメッセージが世にあふれかえっていた。さなか、このff(フォルティシモ)が期せずして一石を投じたのだ。先に結論付けてしまうけれども、この曲は「マジで何も言っていない」。


「叩きのめされても」と一口にいうけれど、叩きのめされたにしては、映像で見ている限りマイクスタンドをショルダーに担いでマッチョイズムをむき出ししている。のめされているか?のめされた男性に果たしてここまで勝ち誇った表情でとっぽいパフォーマンスが出来るものなのか。

激しくたかぶる
夢を眠らせるな
あふれる思いを
あきらめはしない

愛がすべてさ
今こそ誓うよ
愛をこめて
強く強く


叩きのめされたはずの、世の中への不平を抱いている、抑圧された人間が「強く"come on"強く」と歌詞に載っていない"come on"をはずみで口ずさむなんてありえない。そして具体的に教えてほしい。夢とは。思いとは。


言ったもの勝ち、言えばそれで完了して責任が手から離れた、となしてしまう勘違いは流石に2016年も終わりに差し掛かっているのだからそろそろ咎めたい。残るんだぞ。言葉は。「激しくたかぶる夢」「あふれる思い」と、口に出すだけならば誰にだってモンキーにだって出来る。間寛平も「誰がモンキーやねん」「ワシは止まると死ぬんじゃ」と杖を振り回した。寛平が振り回す杖のほうがこうへいのマイクスタンドよりも「近寄った際のヤバさ」にあふれてよっぽど様になっている。"声の出る人"ことファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤さんは公衆に向けて声を発したり、CDに焼いたりするとなぜかお金をくれる人たちがいるらしく、そのおかげで生活しているが、彼も決して意味を伝えているわけではない。亀田大穀がリング上で熱唱したのもさもありなん、だ。意味がない。


急に「愛がすべてさ」「今こそ誓うよ」と表明されたところで、「と申しますと?」となってしまう。この詞には意味および脈絡がない。言うだけならば誰にでもできることを歌うのをやめてほしい。歌ってもいいけど、家でやってほしい。


と、30年以上前のこうへいに言いがかりをつけている奴の方が頭どうかしている気もするが、こうへい→加藤の系譜として、ffのような「何も言っていない歌」の流れが出来ていることも確かで、「誰かが強く言う」をしなければ。どこかで食い止めないといけない。何だこのこみあげる使命感は。


ナンセンスと「意味がない」はどうやら違う。たとえばイマクニ?さんの「ポケモン言えるかな?」の詞は当時151匹しか発見されていなかったポケモンの名前を羅列しただけだけれども、小学生だったころは歌えない奴はクラスのつまはじきだったし、CDを買ってもらうまでは歌詞カードを友達にコピーしてもらって授業中机の下で読んでいた。ナンセンスかもしれないが、子どもたちには"意味"をもたらしていた。意味を付随させるのは受け手たる我々の仕事だ。「意味がない」とは、聞かされたところで得られる情報、知識、感慨、情、などが欠落しているもののことだ。「毒にもクスリにもならない」という言い回しがあるけれど、毒でもクスリでもないものは毒より毒だ。


現在、自身以外の全メンバーが脱退し、1人で「ハウンド・ドッグ」をやっているこうへい。「いまさら失うものは何もない」じゃない。まだ、ある。「ハウンド・ドッグ」だ。売りましょう。断捨離。削ぎ落していきましょう。意味のない歌を唄うのであれば、限りなく自己を無くし、「空(くう)」の域にまで達したこうへいの歌が聴きたい。


※こんな「意味のない」歌がありますよというご報告をTwitter「n-jomooo」までお待ちしております。
posted by バスケ女 at 21:57| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

宗教と自動車と人気もの

某人気ベータツイッタラーの日常用アカウント("ネタツイ用"ではつぶやけないこぼれ話のための)において、去る8月4日に以下のような発言があった。


"車を運転する人が歩きスマホをバチバチに叩いているのを見ると「この人の中では歩きスマホはNGで自分の移動時間を短縮するためだけに歩行者を轢き殺すことのできる道具を使うことはOKなのか……」と頭がクラクラするんですけど、この話はもう宗教に近いのかもしれませんね。”


日常用のアカウントといえどフォロワー数は流石の2800人、当投稿のリツイート数は200回を超えている。俺のタイムラインにもこのつぶやきが回ってきた。なるほど少し過激な内容でウケているのだろうな、と流しかけたのだけれども、引っかかった。これは一体どこが「宗教」なんだろうと。


「歩きながらスマートフォンを操作することはNG」であることと、「自分の移動時間を短縮するために自動車=歩行者を轢き殺せる乗り物を運転することがOKになる」が結びつき、しかもそれが「宗教に近い」という。申し訳ないけれども一見にはさっぱりわけがわからなかった。某ベータツイッタラーさんに意を問うリプライを送ってみたけれども当人からの返事が無かった(どうせ無視されるんならと悪のりをして「BROTHER時代のたけしが一番格好よくないか」、と問うてみたけれどもなかったことになった。これだけに返事来たら面白かったのに)。なので、某ベータツイッタラーさんの中で発言がリツイートされて意図せず膨らんでいくのが許容されるのであるならば、ブログで引用するのも大して変わらないだろう、と誠に勝手ながら当発言の脈絡について考える。


まず、この場合の「宗教」の意味合いはなんだろうか。おそらくは宗教、という言葉に対してのマイナスイメージ(カルト、洗脳、妄執、水中クンバカなど)に端を発しているんじゃないか。つまり某ベータツイッタラーさんの中に軸としてある『自動車運転絶対最悪教』の戒律に「自動車の運転は人間を殺す可能性がある→人間を殺しうる存在は悪だ→すなわち自動車は悪である」とあって、とすると、{「頭がクラクラする」=自動車という兵器を操っている人間が、「歩きスマホ」という不注意甚だしい行為にケチをつけていることに混乱している。} すなわち、いつでも人を殺せることにある状況にある(命を手玉に取れる)のにも関わらず、"「死」に意を向けていない連中に怒りを覚えている奴ら"という存在の矛盾、に疑問を感じずには居られないのである、と解釈した。


そのような"極論"で物事を捉えてしまう自分は『自動車運転絶対最悪教』の信徒で、"極論"といえ宗教、なるほど「宗教」なのかもしれませんねと。というように、極論と宗教がイコールなのではないだろうか。


(「物流」は誰が支えてるんだ、人を殺せるトラックの運ちゃんじゃないのか。という反論をしている方も居たが黙殺されていた。今は「"宗教"かもしれませんね」とのことなので、残念だが的外れとしてふいにされたのかもしれない。プレイステーションの「交通整理シミュレーションゲーム・ナビット」を極めてプレイをVHSで収録して着払いで送れば反応があるかもしれない)


俺も一応免許は持っているけれども、自動車の運転はなるべくやりたくない。が、労働で「運転自信ないんで…エヘヘ…」を無理やりこじ開けられてハンドルを握らされることもある。


基本的にはなるべくして「人を殺す」「己が死ぬ」リスクを少しでも回避したい。メチャクチャ生きたいし殺したくないから。嫌で嫌で仕方なくやっているのに、ちょっと地下駐車場で駐車にミスりリアバンパーを擦って始末書を書かされた。俺は失敗しまっせ、と散々フリをして案の定やらかしたのに真面目に怒られていることに理不尽を覚えて『自動車運転悪教』に入信はしている。しかしここで某ベータツイッタラーさんと違うのは、『自動車運転絶対最悪教』と宗派が微妙に別れているということだ。俺は自動車の運転が上手い人、なりわいとしている方々を尊敬している。


例えば自分の父親の車に乗って家族で旅行に連れて行ってもらったことも沢山有るけれど、父親が「移動時間を短縮するためならば歩行者を轢き殺してもよい」とというドグマに則りホンダ・ステップワゴンを運転していたとは思えない。というか、いざ出発の間際に「父さんはな、人を轢き殺すリスクよりも移動時間の短縮を選んだ。さあ車に乗れ。」と宣言されたら怖すぎて振り切り、家でスーパーファミコンをするほうを選ぶと思う。


『自動車運転絶対最悪教』は完全なる「極論」です。でも俺は"あえての極論"というものが面白くて、きちんとわかりきって右に左に針が振れている人にはそのままやっちまえ、と背中を押したくなるが、やっぱりご意見として(ネタ用と日常用でわざわざアカウントを使い分けしているのもあるし)世に発しているのであれば、ある程度は事情を説明できる地盤が固まっていてほしい。「ギャグ」なら、「ギャグでした〜っと!」と片足を上げてダブルピースしてもらえれば「な〜んだ〜〜」で(あくまで俺の中では。世間様は黙っておかないかもしれない)収まるのだけれども、じゃないのなら宗教、なんてデリケートでありながら壮大で、人類が生まれてからずっとあるのに、ずっとあるのにも関わらず未だかつて明確に定義づけられていない言葉を、ぞんざいに取り扱うのはよしたほうがいいと思う。ましてや「轢き殺す」なんて扇情的、アジ的な言葉が乗っかるのであればなおさら。


「反応の取捨選択」が怖い。何かの拍子に自分の声が届く範囲が広くなったとして、90%賛成、10%反対という結果が出た時に「10%」の声を無いことにしてしまえる。人間なんて己に都合がよければいいのでそりゃ90の波に乗ってしまえればあとはGOGOになる。10の反対というさざなみを「うるせえな」で抑えつけられる。「タバコを吸っている人は、早死にすると覚悟しているのだから今すぐさま殺しても構わない」と叫んだって、90賛成していればその人の中では正義になってしまう。ツイッターのフォロワー、なんて「フォローをしてくれる人」なんだから基本味方で応援してくれて、好き放題言えがちだけど、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)でアーカイブとして残るんだぞおい、と殊勝に、弁えなくてはならないと思っている。とはいいつつ、俺がブログを書いても、2000人弱の「フォロワー」の支えをかいくぐって「計5いいね」だったりする。俺がアフィリエイトで覚せい剤売っててもバレないと思う。
posted by バスケ女 at 23:45| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月20日

関係ない話

■ゴミのような話でいささか恐縮ですが、酔っ払って人様の肉声、レスポンスを受けたくなり、連絡先の割れているガバガバの女性にLINEやSkypeを介して文言を送ることがある。送られた方はいい迷惑で、断るも断らないもなにもくそも、前提として俺に声をかけられたところで意味がない。LANの管を這いつくばる息の酒臭いジジイに運悪く絡まれただけ、振り払えば、あしらえばそれでお終い。


■だれからも反応がなくさくっと諦めた日も、あるいは跳ね返りがあるまで粘るようなパターンも、そのぶんの持久力に費やしたアルコールが進んでしまっている。翌朝こめかみを中指の第2関節でえぐる。お前には意味が無いぞ。下らないぞ。気づけよと。意味をほじくり出そうとしても意味が、味噌が出てこない。


■こういった振る舞いを、ほかの誰か、ジジイ諸君も同様にしているのであれば多少気が休まるが、ただただ俺ばかりが単独で縦横無尽にオンラインを駆け回っているのではないか。逆がない。逆のパターンがない。しきぬさん、喋りましょうよ。話聞いてくださいよ。が一切ない。「そういうものなのはそういうもの」で諦めるしかないのか。四畳半の中央に座布団を敷いて1人鎮座している。襦袢の裾からマジックアームを伸ばし往来の人間の首根っこをひっつかんで無理やり敷居の内側へ引きずり込む。もしもしと。ご機嫌はと。今日も今日とて。


■こんなもん、「構ってくれ!」「かまちょ!!」と捉えかねられない。決してそうだ。決してそうなんだよな結局。何も起こらないことへの倦み。前蹴り。


■「一体俺だけが、世の中と関係ないのであるか?」果たしてそうか?飛躍がうるさい。


■坂口安吾は「学問とは、限界の発見だ」と言った。、ウィトゲンシュタインは「世界は、私の手前でぼやける」と言った。カントの純理を読もうとしたら、ゴリゴリの筋肉翻訳で歯ごたえがありすぎて上巻で頓挫をしてしまったけれども、「思考の限界」、人間の考え得るボーダーラインを探ろうとしているらしい。ウィトゲンシュタインの「操ることば」の境界線と似ているようで、違う。勉強します。


■「私の手前で世界がぼやける」、どうしても、己とお前は関係ないのではないか?がつきまとう。吉野源三郎先生の『君たちはどう生きるか』では、あなたとあなたは社会的に関係、連環があり、そのまた別のあなたとあなたが干渉していて、ひとは1人で生きているわけではないのだ、窓に伝わるバラバラの水滴が重さで垂れるとともにくっついていって、体積を増すのと同じように。と至極まっとうを説いた。気付いていない人間が案外いる。


■気付いていない人間。そういうやつはバカだから声だけでかい。勘違いをしたまま死ぬのか?幸せかもわからないが、気の毒に。スコアは2点。ちょうど2点。


■久生十蘭『内地へよろしく』、カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』は、戦争で人が爆裂に、続々に死んでいく最中、達観なのか、"俺"と"死んでいくお前"はつまるところ、関係ないのではないか?という、第3者視点の極北から書かれていておもしろい。久生十蘭が書いた「私」の終盤唐突の突囲表演であるとか、『スローターハウス5』で人間が消えるたびに反復される「そういうものだ。」はやっぱり、どうしたって自分、おのずは「関係がない」という目線。書いている人間のエゴかもわからないが。えご。えごといえば佐渡ヶ島の郷土料理、海藻を立方体に押して固めたゼラチン、酢味噌に合う。九州の北では「おきゅうと」と言うらしい。


■ある程度かわいい女、ちょろくないか?


■ブスの女、辛くないか?応援をするべきでないか?


■戦争、結構嫌だな


■明日、働きたくない。区切りをつけて、出社する。上記、以上は関係ない。なにやらかんやら、貴方とは関係ない。
posted by バスケ女 at 01:01| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月11日

スパワールド世界の大温泉周辺の話

このところ「スパワールド世界の大温泉」にはまっている。スパワールド世界の大温泉というのは、成金の夢が具現化されたスーパー銭湯の上位互換で、月によりけりで値段は変わるのだけれども千円ちょいで大浴場に入られて、体力あればプールもあるし、タオル貸してくれるし、追加で払えばプールサイドでも風呂あがりでも飯食えて酒飲めてゲーセンで遊べて、行ってはいないけど岩盤浴もあるし、泊まれるし、ジムもあるし髪の毛切れるし、24時間やってる。そのまま「生活」が収まっている。早く教えてくれよ。とここしばらく足繁く通っている。

サウナも何パターンかある。塩サウナは体がヒリヒリして痛い。鮭じみてくるので嫌だ。スチームサウナは「生ぬるい湿気がむんむんしてる中ですき好んでジジイと相席する奴があるかバカ」と滅入るので5分と落ち着いてられず、結局明快なただ暑いだけのサウナに入る。弱・強とある。強でなるべく粘る。備え付けのテレビで地球で唯一のスポーツジャーナリストでおなじみ二宮清純がカープ優勝の原因を分析していた。皆とっくに知っていた。カープといえば、高校時代の友人が今年の頭に病気をして死んでしまったのだけどそいつがカープファンで、随分タイミング悪いな可哀想に、と思い出した。シュールストロムっていう助っ人外人が居て、選手名鑑で顔写真の輪郭が完全に正方形だったのでそいつの家でウケてた記憶が蘇った。シュールストロム、駐米スカウトかなんかやってたけど今どうしてるんだろうか。

炭酸風呂という細かい泡が沸いている風呂があって、36度そこそこなのでそうそうのぼせない。しばらく浸かっていると微炭酸が陰毛に付着してみるみるシュワシュワになり、「俺は水草。俺はアクアリウム」とただただ何も考えず揺らめいていられる。禅宗の坊さんなんかは坐禅組むより炭酸風呂に使ってたほうがよっぽど効率よく雑念が飛んで行くので来たほうがいい。酸素風呂、水素風呂もあるんだけれども、酸素は密閉空間の洗濯槽でジジイが固まっているので割って入るのも気が引け、水素のほうは3つしかスペースがないので空きが中々回ってこない。ジジイのローテに交じりたくないのでいまだ未体験。というか、そんなにジジイが嫌ならスーパー銭湯なんかに来るんじゃないよ。


20時頃施設から出て、動物園前商店街に、目星をつけていた美味しそうなモツ鍋の店があったので行ってみたらもう終了していた。案外新世界といい西成の商店街といい、日曜だからかも知れないけど終わるのが早い。しょうがないので新世界の居酒屋に入って、ホッピーを注文したら外身の小瓶だけ渡された。

ホッピーというのは、焼酎を割る前提の、ビールの風味がついた炭酸水のようなもので、それだけ単体を渡されてもどうしようもない。大阪ってそうなの?と、「すいません、中身もください」とホールのおじさんに頼んでもピンときてなさそうな様子で、のれんをくぐってきた新規の客に「いらっしゃい!!」と声を張り上げ無理やり場面を切り替えられた。えっ?俺がおかしいのか?生まれが東の方面だから?「すいません、焼酎で割りたいので、焼酎ください」とお願いしてようやく運ばれてきた。文化圏のすれ違いか、ホールの親父がもしかすると高校生だったのか。

マカロニサラダとどて焼きとホッピー2杯で1,780円、高い。下町風情を醸し出しつつも、観光客向けの商売だから案外ふっかけてくるので気をつけてください。別にもう酒もよかったので、「女性のおっぱい、知りた〜い」と飛田の方に足が伸びた。
蒼井そらさんや、俺がかつてパワープレイをしていた桜井あゆさんなども飛田の出身らしい。「女性のおっぱい、かなりあるな〜」と区画を蛇行しながら、敷居の奥でアヒル座りしている女性のおっぱいを見るだけ。で歩く。2万円払えば20分相手をしていただける。バリバリ綺麗な女性と死ぬまでに添い遂げられもしないだろうけれども2万か〜、2万か、と踏ん切りつかず大阪で3年目のシーズンに入ったが、どこかにまた飛ばされるような発令があれば、思い出代打でお世話になるだろう。

新世界の交番でジプシーのおじいさんが土下座をして何ごとか若手の警官に立ち膝で懇願していた。おまわりさんもおじいさんも、いろいろあって大変と思う。笹野高史とかあのへんと同い年ぐらいだろうな、偏屈なジジイの役やらせるんなら笹野高史なんかより今おまわりさんに頭下げてるジプシーのおじいさんにやらせてあげてほしい。真に迫っているのは果たしてどちらかと言えば、答えは明快、なので間違ってはないと思う。
posted by バスケ女 at 23:39| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月10日

八神庵さん行方不明

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山頂まで辿りついたら、リュックに入ったカルビーポテトチップスうすしお味 BIG BAGの袋がパンパンに膨らむ。絶対面白い。思う存分ハーッハッハッハ!と笑ってやろう。意気揚々、JR富士中央線河口湖駅で下車。富士山麓に臨んだのは昨日の早朝。しかしどこだここは。

八神庵(やがみ いおり)は群れるのがとにかく嫌だった。終わりの近い爺や婆どもがたむろしている列に紛れて売店で購入した杖を突いてえっちらおっちら登っていくなんぞ八神の血が許さない。五合目までは路線バスも出ていたが目もくれず、単身で草むらを掻き分けていった。

9月中旬の富士、日中、気温もおだやかで草木も青々と生い茂っている。腰の高さほどもある緑を泳ぐように進む。ときおり百式・鬼払い(↓\→A or C)を使った。紫色の炎を纏いながらジャンプする。普段は対空技として使用するこの技。山火事の危険もあったので、普段の2割。斜面のきつい方に向かっていけば山頂につくだろうという目算で最短ルートを一直線に登っていた。つもりだった。

八神庵は普段特に何もしていなかった。年に一度、「キング・オブ・ファイターズ 略称・KOF」という、世界で一番ケンカの強い3人組を決める大会の本部から招待状が家に届くスケジュールは盆と正月の親戚が集まる時期以外は空いていたので大して仲は良くないが暇そうでそこそこ腕の立つ連中を誘って出場した。八神家の血を引いているので、幼少の頃より手から紫色の炎を出せる、という特技があり、そういったルール無用の殴り合いぐらいでしか役に立つシチュエーションも思い当たらなかった。

境遇の似た「草薙京(くさなぎ きょう)」という男と大会でよく当たった。彼が操るのは自分とは対照的にオレンジの炎、皆が思い描くようなイメージの炎を放つ。草薙京の炎に対して俺が出す炎の気味悪いこと。別にこの色にしようって自分の意志で選んだわけじゃないのに、なんで紫なんだよ。マルカワのフーセンガムだって、オレンジが代表を背負っていてグレープは2番手以下だ。

草薙京は必ず同じチームで出場していた。長髪を静電気で逆立てる一芸で知られた「二階堂紅丸(にかいどう べにまる)」、地面をぶん殴って遠距離の相手に衝撃を与える柔道家「大門五郎(だいもん ごろう)」だ。それに比べて。エントリーシートの記名欄を2つ空けたままでポストに投函することもあった。草薙京が「お前いつもコロコロ変わってんな。チーム。頑張れよ」という目で見てきやがる。「ふざけやがって…」が出場の度に積もり積もる。何なんだこの紫色の炎は。指先で燻らせ、もみ消した。しかし、どこなんだここは。

八神庵の活動源は「行き場のない怒り」だった。世間への反骨。シンプルな逆恨み。四方八方を草木で塞がれて為す術なし。
二十歳を過ぎた頃、携帯電話を解約した。父親から、「成人もしたんだから、このままお前の携帯代まで俺の口座から引き落とされるようなら、解約するかてめえの稼ぎで払うかどちらかにしろ」と訓告があった。もちろんのこと同じ八神の血筋を引いており、八神庵の炎がマルカワフーセンガムグレープ味ならば、より紫が濃く、眼に良い成分が豊富なブルーベリーのサプリほど凝縮した炎を放つ父親。純粋な強さでも逆らえなかったのだが、「指図をするな。そこまで言うのなら解約してやる」とやけっぱちに言い放ち、最寄りのソフトバンクショップに連れ添ってハンコを捺した。その日から携帯を持っていない。「このほうが一匹狼の性分に合っている」と行動を正当化していた。もしこの時真面目に職を探す選択をしており、八神庵は気づいてはいなかったが、仮に携帯を持っていたのであれば、今途方に暮れている鬱蒼の中であってもまだ若干電波も入る場所だった。そろそろあたりも仄暗く、冷えてきた。

リュックの中のカルビーポテトチップスうすしお味 BIG BAGを空けるかどうか。気圧で限界まで膨張させたBIG BAGにひとしきりハーッハッハッハ!と笑ったあと、まち針で刺して爆発させもうひとハーッハッハッハ。そのために来たのに。オーザックと迷った。最近のオーザックは内容量が減り過ぎだ。袋の4分の3はガスなんじゃないだろうか。物心ついた時は絶対にもう少しチップスが入っていただろう。これはオーザックのみならずチップス全般に言える話だがな。オーザックならほとんど気体だから、膨張率もすごかろうという予想。近所のまいばすけっとで2つを手に取り、やはりサイズと内容量、とBIG BAGを選んだ。意図しない形での正解。少しずつつまめば大分持つだろう。腹が減る。ひもじい。

「裏千弐百七式・闇削ぎ(↓\→↓\→A or C)」で暖をとろうとも考えたが、体力を消耗したくない。格闘技の試合中なら殴られたり蹴られたりして貯まる怒りのエネルギーも、ぽつねんと山の中で放っておかれたって一滴も湧いてこない。

両足を結ぶ縄。高校時代から未だにつけている。当時周りではミサンガが流行っていた。体育祭、おそろいのミサンガを足首に巻いて一致団結というムーブメントがどこからか、その辺の女子からか。馬鹿な。構っていられるか。八神庵は学生服の革ベルトで左と右の足を縛り付け、格の違いを見せつけた。お前らが足首に巻いている藁が千切れたぐらいで叶うような願いと俺の野望を一緒にするな。高3の体育祭、移動の自由が利かない八神庵の頭上を、大玉が遥か高く通り過ぎていった。クラスメイトの配慮から、八神庵のエントリー種目は1人欠けてもなんとか成立する大玉ころがしのみ。

大玉ころがしにしかエントリーしてもらえていなかった周囲の配慮、が茂みを掻き分けて虎のように襲いかかってきた。ついでに今さら携帯持ってない疎外や大会に誘うメンツの幅が狭いという龍や蛇までも。頭の中のひだが真っ赤に燃えている。草薙!こっちを見ないでくれ!!
頭をかきむしる。内省。八神庵は内省をしていた。今からでも遅くはない。ちゃんとやれる。間違っているところを直していこう。落ち着け。そこまで取り返しの付かないところまでは来ていないだろう。人生しかり。登山しかり。

今、 明らかにおかしいところは?そうだ。両足の縄をほどいてみた。なんてスムーズに動けるんだ。すべて自分が無理やり枷を作ってただけのこと。吸って吐いてが楽で楽で。馬鹿馬鹿し。ハーッハッハッハ!おもしろ。ポテチうま。「誰か居ませんか〜!?」と叫んだら、「はいは〜い?」と返事が聞こえた。下山途中のツアーのガイドさんだった。案外ずっと正規ルート沿いで来れていたらしい。恥ずかし。「いやー、焦ったんですよ!ちょっと迷っちゃったかな?なんつって!」八神庵、生涯初の「なんつって!」が飛び出した。↓\→↓\→A or Cで出そ。次から。
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2016年08月31日

ベジータに勝ててしまう

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しかし一生懸命で立派だな。たくさん汗をかいてるし。新陳代謝がいいんだろうきっと。ご幼少のころから過酷なトレーニングを重ねて、普通の人間にはとうていできない技術を身につけて、見習わないといけない部分が多い。でも悲しい。どういうわけか。パンチやキックや、エネルギーを遠くへ飛ばす技など、一挙手、一投足わかってしまう。砂ぼこりがおさまってきたら、おそらく彼、というか彼に声を当てておられる堀川りょうさんのC.Vで叫びながらこっちに向かっておなじみのかっ飛びをやってくるんだろう。


いったい私は何をやっているんだ?なんでこんなにゆっくりはっきり見えるんだ?パンチやキックが。実家が酒屋でこんな小っちゃいころから手伝いして小銭をもらっていた。けっこうな力仕事だったのでたぶん足腰というか、下地というか、ベースというか、ファウンデーションというか、そういったものは多少鍛えられたかもしれないが、酒屋でビールケース運んでただけで、わざわざ宇宙から来たケンカの強い成人男性に勝ててしまってよいのだろうか?


私大を出て、今では電機メーカーの営業をしている。暖房器具を中心に扱っている。夏のこの季節は閑散期、伸び悩む期間だから会社的には苦戦を強いられる。が、実際問題おのれが食えればどうってことはなく、業績なぞてんで興味もねえので、最近外回りの時はもっぱら甘いものを食べている。しらたまぜんざいを食べている。涼(りょう)を感ずるのが好きなんですね。おっ、堀川りょう。つって。うまいですね。南部鉄器のちりんちりんの下で、寝っころがって夏が過ぎる。晩夏?挽歌?


この人の一生懸命は私の人生に何も関係がねえ。鳥山明先生風に言えば何の関係も「ぬわい」。ぬわい、って。明日会社で使ってみたろうか。OLさんがワッハッハしてくれたら幸せ。倖せ。くぅ。ぐわんげ。


いったい何が不満なんだ?おい。ベジータさん。あなたには器量のよい奥さんがいるだろう。十分じゃないかそれで。交換しないか?立場を。あれだよあれ。ギニューっていただろう。あいつうらやましいよな。便利で。チェーンジ!ってあれ。ポーズがね。格好良くて。


退屈でしょうがない。ベジータさんに勝ててしまう。意味もないのに。仕事など止めて、セルゲームに参加をしようかな?たしか今公募をしていたはず。条件も特に厳しくなかった。都内在住会社員独身。証明写真を用意しなければ。去年の春に免許更新した時の余りがなかったっけ。これはでも、もし私がセルに勝ててしまったとしたら、次の日からどうすればいいのだろう?おそらく有名になって仕事も辞められる。とりあえず、そうしよう。外回りをしたくないんだよな。商材が重たいので最近腰をやっていて。車の運転もだるい。首都高の合流が怖い。ベジータさん合流したことある?あいつらまったく入れる気ねえんですよ。もし事故ったら弁償しなきゃなんないじゃないですか。始末書も書くし。私自体はかなり頑丈にできているので平気なんですがね。


ファイナル・フラッシュとかビッグバン・アタックとか、どうやって考えたんですか?名前。自分で思いついたんですか?そういうの考えてるとき楽しくないですか?「最後の輝き」「大爆発攻撃」って。威勢がいいですね。サイヤ語ってのはないんですね。日本語と英語。使いこなしてらっしゃる。そっちの才能を活かされてみてはどうでしょうか。真面目にやってみては。


お互いに向いている分野とおかれている状況がかみ合わなくて、嫌ですね。これ、何とかならないものですかね。嗚呼、ベジータさん。一回そのエネルギーを私にうらうらと飛ばすの、一回やめましょう。一回やめて、はい。ありがとうございます。それでもって今後のこと考えましょう。なんか趣味とかあります?あ、ベンチありましたね。コーヒー買ってきます。微糖?あ、無糖で。ゲホ。すみません。砂吸いこんじゃって。むずむずしちゃって。鼻が。ベジータさん平気なんですか?やっぱそうですよね。慣れてますもんね(笑)
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2016年08月22日

みんなの青春、受け止めます!しきぬ ふみょへのお悩み相談室

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こんにちは。しきぬ ふみょへです。
高校のころは勉強をして、大学に入ることが出来ました。就職をしています。自信あります。よろしく。


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高校に入ってから吹奏楽部に入部しました。学期中は週7日で練習があり、塾は土曜日だけ通っていますが、夏休みの講習はほぼ毎日あるので1日の練習時間が減ってしまいます。

もともとやっていた年数が少ないからというのもあるのですが、楽器が上手にならず、パートリーダーなのに下手くそなままなのが悩みです。

これからもっと勉強と部活の両立は難しくなってくると思うし、音楽はあくまでも部活動としてやっていることで、将来の職業にはなりません。

そんな自分が「今、音楽に打ち込んでいる理由ってなんなのかな?」って時々冷静になって考えてしまいます。私はどうすればいいのでしょうか。
(高校2年、女子)
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最近俺は純粋に高校2年生の女子高生にお金をあげる方法ばかり考えている。決して買春目的とかじゃなくてね。俺みたいな人間が吹けば飛ぶような小金をさも後生のように抱えていてもしょうがないし、かといって募金もなんか使い道や金の流れが不透明な気がして癪なので、街角の女子高生にいきなり声をかけて茶封筒に入れた5万円を渡したいんだ。
出来ればどういう名目で使ったかを茶封筒の裏側に書いてある電話番号にかけて報告してほしい。でも親にあげたとか、貯金したとか、そういうのじゃつまらないから、何か必ず物品を買うか、あるいは旅行に出かけるなどアクションを起こしてほしいんだ。その話を電話で5分だけしよう。もちろんそれでおしまいだ。でもまたお金が欲しくなったらいつでも相談に乗るからね。


高校2年生の女子、とこうして法の目をかいくぐって公的にやり取り出来ている時点でマイナビさんには感謝をしています。マイナビさん最高!めちゃくちゃいいんだよな〜マイナビ。いろんな業界の会社を紹介してくれるし。あんな会社やこんな職業も!?マイナビ!マイナビ!!!やった〜〜!!!!これは04年アジアカップ決勝のセルジオ越後さんのまねです。


楽器なんかやっていたら楽器やってる奴としか仲良くなれませんからね。このコーナーのノベルティは5万3千円の入った茶封筒にします。さんま御殿に送るよりこっちのほうがよっぽど倍率低いですよ。5万3千円であったけぇ煮込みでも食べてください。


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僕はクソみてーにサラリーマンをしながらTwitterの面白ツイートでファンを獲得していないしきぬ ふみょへさんのようではなく、自分の好きなことを発信できる人になりたいと思っています。
僕自身もTwitterをやっていますが、親や先生にバレないように鍵アカウントでもっぱら見るだけになってしまっています。自分からも能動的に発信できるようになりたいのですが、特定されたり、晒されたりするのが怖いです。

そういったリスクを超えて、自分の好きなことを人におすすめする時のコツや、その情報発信力を自分の生活や進路選択に活かす方法はありますか?

(高校1年、男子)
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インターネット大喜利をやるのがいいね。インターネット大喜利は匿名でできるから安全だし、おもしろギャグを言ってみんなを笑わせちゃえるんだ。でもこれだけは肝に銘じてほしい。お金を1円ももらえないこと。結果を残しても誰にも褒めてもらえないこと。女にもてないこと。意味ないこと。時間取られること。


自分から能動的に発信をしようなんておこがましい考えはよしたほうがいいよ。どうせウケないんだから。万が一へんにウケちゃって声だけででかくなると、自分が間違っているはずなんかないんだ、人の意見なんか耳を貸す必要なんかないんだ、と人間は増長してしまうから、山に登るなどをして新鮮な空気を吸って、己の小ささ、そして大自然のスケールの両方をバランスよく頭に入れておくようにしないとね。


未来に夢なんか見ないで現実を見よう。納税をしよう。あと、日商簿記や社労士など、若くて時間のあるうちに、きちんと社会に役立って、くいっぱぐれのない資格の勉強をするのもいいね。そう、就職に有利な。マイナビ最高!めちゃくちゃいいんだよな〜マイナビ。マイナビとお肉、同じぐらい大好き!!!マイナビ!!お肉、マイナビマイナビお肉!!白ごはん、マイナビ、お肉!!!
え〜、5万3千円差し上げます。


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僕は友達とバンドを組んでいます。友達と一緒に演奏をするうちに、このまま音楽に携わる仕事をしたいと思うようになりました。しかし、親は賛成してくれず、「勉強しろ」とうるさいです。

確かに音楽を仕事にするのは難しいとは感じています。僕には何かしらのコンテストで入賞した経験やWebにアップした音源が話題に、といったこともないため、自分の実力がどこまで通用するのかもわかりません。

ただ、とにかく音楽に関わる仕事をしたい、という熱意は誰にも負けないと思っています。そこで音楽に詳しくない、きしょカスあぶらゴキゴキ眼鏡に質問なのですが、音楽に関わる仕事の具体例、そして近づくための進路を聞きたいです。

(高校2年、男子)
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体を鍛えよう。体を鍛えるとメリットがたくさんある。女にもてるし、自信もつく。口うるさい親だってひねりつぶせるしね。健全な精神は健全な肉体に宿るし、夏を制するものだけが恋を制するんだからもう覚悟を決めよう。体幹が安定してくるにつれて、音楽なんてくだらない、軟派で野蛮で破廉恥なものに頼る必要がなくなるわけだね。
きみは截拳道(ジークンドー)を知っているかな?香港のアクションスター、ブルースリーが始祖の格闘流派なんだけど、彼は"拳"より"思想"に重きを置いていたんだ。東洋哲学なんかに傾倒したらしく、宮本武蔵の五輪書から引っ張ってきた「水の心」を己の考え方に染み込ませている。水はペットボトルに入ったらペットボトルの形に、コップに入ればコップ、せせらぐことも岩を打ち砕くことも自由自在だ。ブルースリーは「Be water my friends!」という言葉を遺してくれた。男なら極限まで頭脳と肉体を磨き上げたいよね。


ただしどうしても音楽をやりたいというのなら、君はMANOWAR(マノウォー)を目指しなさい。高校2年のうちからMANOWAR(マノウォー)をめざした日本人なんて未だかつていないだろうから、今からなら君も伝説、獅子王になれるかもしれないよ。え〜、5万3千円差し上げます。


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2016年08月20日

爆乳と私/爆乳と死について

■爆乳と私


おっぱい。乳。乳房(「にゅうぼう」とも「ちぶさ」とも読める)ボイン(R.I.P 巨泉)。しょう太くん。爆乳。アナグラムでパイオツ。松坂の嫁。ロケット。ロジャークレメンス。スイカップ。山形県。ビッグユニット。ランディジョンソン。
爆乳という言い回しが一番面白い。爆(は)ぜる乳。爆乳の前では常に少年でありたい。朴訥でありたい。丸刈りでありたい。
武天老師様のように、鼻血を吹きながらもんどりを打ちたい。ぱふぱふ、という表現は天才だと思う。
XVIDEOS(エックスビデオズ)でサーチをするときはboobs、あるいはtitsなど。頭に「Japanese」とつけないと大変なことになる。


生涯を振り返って爆乳にまつわる私の発露は『こちら葛飾区亀有公園前派出所(通称・こち亀)』113巻の表紙である。秋本・カトリーヌ・麗子さんと麻里 愛(あさと あい)さんが非常に下品で扇情的なたたずまいで写っている。前と後ろのビニル製三角形が金属の環で結びつけられている。素足に直(じか)でホルスター。肩には旭日章、および合衆国警察のシンボルと思わしき刺青。作者の秋本治先生は日本のギャグ漫画の一線を走り続けており、ここまで過剰にデフォルメされた暴力・性表現も、おそらくは彼ならではの「おゲレツ・ユーモア」であって、週刊少年ジャンプの購読者層の深層心理を巧みに捉えるその手腕・辣腕・敏腕には目を見張るものがあるといえよう。誰が公務員の二の腕にタトゥー彫りますか。


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秋本先生のこうしたおゲレツ・ユーモアに心を奪われてしまったのが小学生だった私で、バカで下品で特殊で、キッチュで俗悪で汗っかきの性表現に興奮を覚えるようになってしまった。いうなれば、から揚げにマヨネーズをかけて温泉卵を割った丼をとんこつしょうゆラーメンとセットで850円、くらいのカロリーおよびパフォーマンスがないと性に満足できなくなってしまったのである。加えて、松山せいじ先生の『エイケン』に深く下っ腹をえぐられた。10台前半でありながらバスト100オーバーの春町 小萌(はるまち こもえ)さんがうどんの生地を踏んで、万有引力を一切放棄した軌道で片乳ずつ交互に暴れていた。この乳が揺れる演出のためだけにうどんというギミックを用意する松山先生にもっと敬意を払うべきだし、生卵を投げつけるべきだ。すっかり私は心を奪われてしまった。ただ、ストーリーはこれっっっっっっぽっちも覚えていない。


物理法則を無視した揺れ、でいうと、ゲームメーカー、テクモの3D格闘『DEAD OR ALIVE』シリーズが出だしたころで、爆乳を3Dで揺らすためだけに開発された演算シミュレータが組み込まれているという名目のもとで鼻水の止まらない我々選手一同が続々とフィールドに集まった。PS2で発売された続編や、XBOXでのビーチバレーはつべこべ言わずに乳が弾んでいさえすれば向かうところ敵なしという旗印を掲げており、威勢がよかった。気っ風がよかった。てやんでえ、こちとら乳揺らしておまんま食ってるんでい!だった。他メーカーでいうと、『ソウルキャリバー2』のタキしかり、古くは『キング・オブ・ファイターズ』の不知火舞しかり、DOAで言えばかすみ、あかねなど、私の性欲のお仏壇は「オンナ忍者」という職業についていらっしゃる方々からのお供えに預かっていることが多いようだ。くノ一稼業も気苦労が耐えないとお察しします。エッチであり続けるのも大変かと存じますが無理をしない範囲で、細々とでも良いので、お体に気をつけてお過ごしください。


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私は過ごした2000年代初頭はイエローキャブ、サンズなどに所属している爆乳グラビアアイドル全盛で、佐藤江梨子さん、小池栄子さん、MEGUMIさんら通称さとこいめぐさんを筆頭に、酒井若菜さん、川村ひかるさん、川村亜紀さん、内田さやかさん、かでなれおんさん、和希沙也さん、夏目理緒さんら未だにその活躍は留まるところを知らない方々が目白押しの黄金世代と言える。爆乳が彩った、爆乳に彩られた時代だった。
今ではどうなのかわからないが、テレビ東京で平日のド深夜2:30くらいからお下劣番組枠があった。古くはギルガメッシュナイトから続いている伝統なのだと思う。『水着少女』で「CMのあと、"おパイン"登場?」という煽りの後、明けでパイナップルがプリントされた水着の女が出てきた時には悔しくてブラウン管を殴り割って感電して死んでしまった。ゲームに負けたら「苦い牛乳を舌の上に垂らす」という罰を考えたテレビの人は今頃シベリアに送られているだろう。ぷっすまで素人の美人奥さんに声をかけてアドリブで料理させるコーナーに、この『水着少女』でも出てきた女が登場した時に私ははじめてメディアは嘘をつくと知った。
タイトルは覚えていないが、ガダルカナルタカらオフィス北野所属のタレントがパチンコを打つ映像と、コスプレをしている爆乳グラビアアイドルが交互に映るだけという、悲しみの果てのような番組もあった。そんなものに関わっている人間たちが各々ギャランティを得ていた事実を我々は風化してはならない。『文化の頽廃』という番組タイトルだったかもしれない。



エッチビデオも、漕げば漕ぐほど女性が快感を覚える機構が組み込まれている自転車でサイクリングをしたりだとか、教室を模したセット のそこかしこの壁や机に空いている穴から出たり入ったりするだとか、エロからというよりギャグから入っている、クラフトマンシップが必要のないのに滲み出ている作品を好ましく選んでいる。たぶんこういう作品は中高とまっとうに異性との交際関係を経た人間はまず笑ってしまって手が伸びない、食指の動かない分野だし、まっとうに歩んできた自覚を抱えつつこちらの方面に反応する人はおそらくすこし気が触れている。


ずるずると大人になった。さすがに冷酒と野沢菜、香の物などで1時間半ぐらいは斬りあえる剣術を学びはじめた。難しい。骨が折れる。けれどもこれは多少お金に余裕ができて、食事への選択肢が広まったことが大きいっていうのもある。相変わらずそこに往けばどんな夢も叶うという、シンプルにピンク色のネオンがきらめく、ロマン輝くどスケベアイランドへ向かう船便が出ない。ガンダーラ。グアダラハラ。風も動かない。


初めて女性の爆乳を見て、触って、楽しんじゃった、爆乳レクリエーションをしたのは23歳の春ごろだった。高円寺に住んでいた。高円寺駅周辺には金銭と引き換えに女性の体をある程度自由に出来る性風俗店が林立していて、学生時代にまったくメスないしメスガキとの交流がなかった自分はこうなったら経済のパワーで、お金と血液の循環とともにおちんちんを触ってもらおうと近場だった今は亡き「ageha」というピンサロに目星をつけた。日中でメルマガ割りが効いて4000円ぐらいだったと思う。お金さえ支払えば女性の体を40分弱意のままに操れるマグニートーになれる。


勢いをつけようとして、決行の日の昼下がりに大好きな『グラン・トリノ』を観た。安酒を入れながら観た。わんわん泣いてしまった。トランクス一丁で、トランクス一筋であぐらをかきながら観た。イーストウッド、指でピストルを作って中華系のチンピラどもを黙らせる威風。そんな虎の威を背中にしょって、人畜無害の一童貞がピンクサロンのドアを蹴飛ばした。正確に言うと、しばらく店の前をうろうろしたのちに「ハッ!出来る!俺は出来る!ハッ!」と市原隼人さんのような檄を己に叩き込んでよわよわとノブを捻った。


初めて爆乳を触った時は「アラッ、意外とさらさらっとしているのね」と思った。もっとしっとりとした、吸い付くようなフィット感、グリップ感を想像していた。先から私は性風俗店の冷房は弱めに設定してくださいと歎願しています。
その相手は青山テルマさんのようないわゆるジャパニーズレゲエフェイスで実直に好みではなかった。しかしベンチシートの上から頭皮のにおいを嗅いだ。興奮した。
秋本先生からおゲレツの芽を植え付けられて以来花の咲かないままで随分と長い間思春期がストップしてしまっており、性的嗜好、性的味覚が育たなかった。ピーマンは苦いまま。塩辛は海臭いだけ、うなじなんかいつでも見られるじゃないか。汚いものや鼻をつんざくものに興奮する。ああ、嫌だ。おお、嫌だ。目頭を押さえながら私は頭皮を嗅ぐ。


自分に乳があったならどうだっただろうと考える。しかも爆乳だったなら。
あの娘僕が爆乳だったらどんな顔するだろう。爆乳かつ、ロングシュートを決めたらどんな顔するだろう。まず走り回る。自分の意志が介在しない物体Xを両肩からぶら下げて真夏の渚に突進する。爆乳丸進水式。帽振れ帽振れ。
爆乳には蓄光性がある。真っ暗闇の中でどうしたら良いのか判らない時だってとにかく爆乳の光が射す方向を目指していれば迷う心配はない。爆乳灯台。爆乳澪標。われても末にあわんとぞ。


■爆乳と死について


「海は死にますか、山は死にますか」、まさしは歌った。その詞の中には爆乳は登場しない。爆乳は海や山と比肩しうる尊いものであるのに、まさしは爆乳について歌わなかった。


最近親しくしている、爆乳のRさんという方がいる。元キャバ嬢で歌舞伎町でチャンピオンになったこともあるRさんは、爆乳であるのにもかかわらず、気さくで、人生経験豊富でとても魅力的なのでおそらく近々天下を獲るだろう。
私からすれば無敵、戦車、ドイツ、ブロッケンのように感ぜられるが、Rさんは死にかけたことがある。長年同棲していた彼氏に破局を申し渡され、マンションの窓からガンバ!Fly high(アニメ版タイトルはガンバリスト!駿)をしたらしい。
私が観ていたのはアニメ版のガンバリスト!駿のほうだったので原作に該当するエピソードが収録されているかは定かでないが、体操部に入ったばかりの駿が陰険な先輩に「体育館のギャラリー的な場所から跳びおりろ」と指示される場面があったように記憶している。頑健な駿でさえひるむ。だのにRさんはそれ以上の高さから飛翔した。

Rさんは背骨を折る重症だった。しかし命は無事だった。無論、爆乳のご加護があったとみて差し支えないだろう。神は日曜日に休息をせず、爆乳を創りたもうた。乳よあれ。するとエデンはたちまち栄えた。
爆乳に宿る神性は、1房に1つとして、計2回まで生命の危険から身を護る。だからRさんはもう1回ガンバ!Fly highをしてもセーフで、暴走トラックの前に立ちはだかっても船が沈んでも青酸カリを飲まされても生き延びる。

神のご加護のみならず、科学的観点でも爆乳は危機に強い。衝撃が迫ったその瞬間に、爆乳からうすい膜のようなものが張られてインパクトをやわらげる。おぼれてしまう心配もなく、仰向けになればその浮力でただようことができるので、海流に乗ってカタクチイワシとともにチリ沖あたりで水揚げされて助かる。青酸カリや毒物が体内に入っても、爆乳の中にあるふくろ(赤いドクロのマークが描いてある)に蓄積されるから、その許容量を超えない限り、体中に毒がまわってしまうことは無いのである。以上のように、宗教的にも科学的にも爆乳は死を遠ざけるのだ。

しかも爆乳はやさしいから、人を傷つけることもない。強いものは暴力を振るわない。心の余裕が爆乳を生む。

爆乳にも「死」や「老い」はやってくるのだろうか。わたしは爆乳が老いていくところを見たことがない。高橋留美子先生の感性は衰えることを知らないし、朝丘雪路さんも未だ「1000円札以下の貨幣にお金という認識がなかった」エピソードに代表されるチャーミングさを失っていない。
「爆乳、ここに眠る」という墓標も見たことがないし、「爆乳院大姉」のような戒名だってない。
爆乳の死ぬ時は私の死ぬ時なのだろう。私の生きている間、爆乳は決して死なないのだ。過去も現在もずっとあるじゃないか。爆乳は。だからずっとある。


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2016年08月15日

コミュニケーション・ジャンピングボレー

「ハンマー投げってどこで練習するんでしょうね?」
「どこでってお前、あるだろ。投擲競技用のブースみたいなやつがよ。フェンスで囲まれててサークルの中でやってるんだろうよ普段から」
「いや、そういう話じゃなくて普段ですよ。自主練ですよ自主練」
「なにが」
「迷惑じゃないですか。部屋でできますか?野球なら素振りぐらいできるしサッカーでも庭とか駐車場でリフティングならやれるじゃないですか。勉強部屋でハンマー振り回してたら壁とか家具とか危ないでしょう。僕なんかヨーヨー流行ってた時にふすまに穴空けて親に殴られたんですから。外でやるんだって回すところまでですよせいぜい。興が乗って放り投げたら無差別にどこかの誰かが死ぬかもしれないんですよ。どこで普段やればいいんですか?ハンマーって。」
「そらお前、室伏ってたしか外人とのハーフだろ。持ってるってきっと。日本じゃ到底個人じゃ持てないような広い広い土地を持ってんのよ。アルプスかどこかに。ハイジ見たことあるかハイジ?世代じゃないから伝わらんかもしれんけど、金持ってると思えないしょぼくれた爺さんだってあれだけ広い牧場を管理してるわけだから。ハンマーなんかブン投げ放題だろ」
「ハンマーやってるやつ全員外人前提で話を進めるのをやめてもらっていいですか。日本でだって大会開かれてるでしょうが」
「だから弱いんだよ日本人は。室伏は環境に恵まれただけなんじゃないか?どうだ、解決しただろ。外人は自主練やってるんだよ。野っぱらのど真ん中で」


すいません、生2つ…


「いや僕はまだ納得いってないですね」
「もういいだろ。普通に最近休みの日何してんのかとか近況報告でいいだろ、そろそろ」
「休みの日にこんなことばっか考えてるから今言うしかないんじゃないですか。あなた以外に聞いてくれそうな人間がいないんですよ。助けてください」
「そこまで見初められる筋合いないよお前から」
「百歩譲って外人は草原でハンマーを振り回してるとしますよね。どうやって持ち運ぶんですか?ハンマーを」
「ナップサックみたいなものに背負っていくんだろうよ」
「ハンマー回すまで背筋発達しきってる人間がナップサック背負ってるの、見たことあるんですか?あれは小学生かなで肩の大学生しか身につけちゃいけないアイテムなんですよ」
「確かにないよ。俺もなんでナップサックなんて提示したかわからないよ。それぐらい当の疑問に対して真剣に向き合えそうにないんだよ」
「おもむろに首にひっかけて行くんですかね?チェーンを。すいません銃刀法って鉄球もアウトなんですか?」
「刃渡り何センチうんぬん以上がアウトっていうからな。"銃"でもないし。ことによるとセーフかもしれない。セーフだセーフ。首に鉄球結んである鎖を巻き付けてる人間を電車で見てもお咎めないんだろうな。それだそれ、はい解決!料理頼もうぜ料理。まだ何も提供されてない状態でこれだけ何も生まない議論で消費してる卓なんかないだろ。見渡してくれよ周りを」


「あ、槍が解決してない」
「は?」


生2つお持ちしました…


「槍ですよ槍。投擲用の。スピアーですよ。ジャベリンですよ」
「どれ頼もうかある程度品定め終わってたんだよ俺は。おしながきの朱色の筆ペンで線引いてるハゼの天ぷらと大好きなチャンジャを、生が出てきたタイミングで注文しようとしている。何故わからないんだ」
「持ち運びの問題です。ポータビリティの面で解決していない。槍、そこそこ長いですよ。あれで電車乗れないでしょ。さっき出てた銃刀法にも引っかかりますよねたぶん。どうしますか?」
「シャコン、シャコン、シャコン、ってなるんだろきっと」
「どういうことですか?ちょっと意味が」
「だからシャコン、シャコン、シャコンだよ。高枝切りバサミあるだろ。テレビでしょっちゅう通販してる。あの要領で3段階ぐらいで長さを調節できるんだよきっと」
「日本製の槍は8回シャコン出来たりするんでしょうね。おのおのしっくりくる長さは違いますから」
「槍のメーカーが日本に居を構えている前提だね」
「砲丸投げの砲丸は日本の町工場製がいちばん遠くまで投げれるそうですよ」
「報ステか何かで見たことあるな」
「遠くまで鉄の球体を投げ飛ばして、それで競って世界一になりたいって思ったことありますか?僕はないです。もし自分にそのパワーがあればアマレス、柔道とか別の五輪種目でも上位を狙えるはずです。技術問題を加味しても、備わっている膂力をもってすれば本気で4年間メダルに向けた鍛錬を積んでそこで世界の頂点に立てますよきっと。あるいはプロレスだってマッスルミュージカルだって、ショービジネスとして確立されているジャンルに集中すればもっと金銭的には潤うチャンスは増える。それなのにただただ重たいだけの鉄球を遠くまで放り投げた距離で競う意味なんかありますか?だからどうしたと思いません?まあ、砲丸だけじゃなくてハンマーも槍も円盤も全般的に言えることなんですけどね。ちょっと理解しかねますね。僕には。練習場所、ポータビリティ、何もかも非効率的なんですよ。日本の技術がそんなくだらない分野に応用されていちいち浮かれてるからこの国はダメなんだ。そうは感じませんか?」
「唾を飛ばすな。頭に入ってこない」


料理のご注文良ければお伺いしますが…


「ポテトフライと鶏のから揚げ、出し巻き。とりあえず以上で」


かしこまりました…


「お前は死ね」
「えっ、何でですか?」
「俺が筆ペンで朱色の線を引いているおしながきにある程度目星をつけているくだりがあったよな?俺は楽しみたいんだよ。大衆居酒屋だろうがその時に応じて一番店側が自信をもって提供してくれている品もんを食べたい。お前の些細な疑問と妄想に付き合っているだけでも度量が有り余っているよ。なおかつその上に無礼を重ねるか。ハゼの天ぷらと大好きなチャンジャを食いたかったんだよ俺は」
「次追加すればいいじゃないですか」
「ポテトフライと鶏のから揚げ食っちゃったらある程度満足しちゃうだろうが。油に対しての許容量が体育会系のお前とはだいぶ差があるんだよ。年齢だって5つも離れてれば案外壁があるからな。ポテトフライとハゼの天ぷらは共存しないんだよ。揚げもん、一品もの、プラスアルファさっぱりした料理で完結したいんだよ。労わってくれよ。無理強いしているわけじゃないから」


えーポテトフライと鶏のから揚げ、お待たせ致しました…


「じゃあ俺が片付けますから。腹減ってるんでこのくらいは軽いです。先輩は先輩の食べたいものを食べてください」
「いや食うよ。腹減ってるから。同じタイミングで仕事上がってるんだから判れよそのくらいは」
「それは止めはしないですけど。案外ポリシーないんですね」
「寛容なんだよ俺は。本来は怒りたくない。余計なエネルギーを怒りに回したくないんだよな。……あー、美味い!から揚げ美味い!ポテトの安定感も落ち着く!ありがたい!」
「ほら、悪い脂って美味しいでしょ。どんなに強がっても。先輩は結局ケチつけたがりなだけなんじゃないですか?ハンマーだって槍だって、シンプルに力があった上で技術が備わっている人間が勝つんですよ。効率性とか将来性とか加味したがるところがいけすかないですね。だから理屈っぽくて女性に理解されないんですよ。もっとおおらかに生きたほうがいいんじゃないですか?独身でいるよりそっちのほうが楽しいですって人生」
「お前絶対殺すからな」


気持ちが悪い、居心地が悪いと感じるか、あるいはホールの店員の気まずい佇まいに肩を持つか。もしくはここまで不器用なやり取りはあり得ないと断定するコミュニケーション極右の皆様へ。相手は案外ふざけてます。思っているよりあなたのことを馬鹿にしています。お互い。ですので、もっと思いやりのない、適当なセンタリングを上げてください。無理やりな体制でボレーシュートを撃ちますので。信頼をしてください。案外際どいことを言ったとて、目上だろうが目下だろうが、受け止めようとするハッスルは見せてくれるはず。どうかよろしくお願いします。もっとキラーパスを放っていこう。周りを見くびるのをやめましょう。から揚げもお刺身も美味しい。公共広告機構です。



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2016年08月08日

悪魔を払って

モンゴル出身、相撲の逸ノ城関の嫌いなものが「歌」らしい。勝てるわけない。ただでさえ身長193cm、体重211kgと体格だけでも十分なのに、心までモンスターなのか、と恐れおののきまくって自分が力士だったら立ち合いで迷わず拳銃を取り出す。もちろんちゃんと相撲協会と猟友会に許可は取りますよ。行司にも土俵入りの時にチェックしてもらいますし。「これから確実に殺される場合に限り銃可(じゅうか)」ってどこかに書いてるだろ。それでも負けると思う。手羽先をもがれて捻りつぶされてグチャグチャ。つくねにされる。ただいまの決まり手「つくね」。平成に入ってから未だに出てない大変珍しい決まり手です。俺の死がいに卵黄を塗る木村庄之助。


だからちょっとでも、ほんの少しでも歌が嫌いな逸ノ城関の気持ちがわかりたい。融和政策を取らないと末路はあら挽きからのハナマサコースだから。贅沢は申しませんが、せめて、せめて原型をとどめた状態で死なせて頂きたく存じますので、自分にも「歌、嫌いだな」と感じたかつての出来事を掘り出し、相手の感情を欠片でもいいのでわかろうと振り絞って思い出してみたら、けっこうあった。



■中学3年、秋の合唱コンクールで張り切ってしまった。ちょっと男子まじめにやってよ、みたいな伝統芸あるじゃないですか。ああいう行事って。運動が全然できない上に見た目および中身がきしょかったので無論バカほどモテなかった。でも歌ぐらいだったらちょっと本気だしたら何とかなるかもしれない、みんなが適当にやってる中であえてまじめに、バカまじめにやってみたら気を惹くんじゃないだろうか、と同じくクラスのヘドロ枠で友人のS君と組んだ。しかもS君は指揮者に立候補した。気概が違う。


中2から一緒だったわりに男子と女子が妙によそよそしいクラスで、担任も最後のいい機会と踏んだんでしょう、そんなことやってるとこなんかどこにもなかったのに、うちだけが自然の家を借りて1泊2日の合宿をくんで猛練習させられた。平生だったらこんなものだいぶだるいので1泊2日間白目を剥いてピースしながら時間が経つのを待つだけなんだけれども今回は事情が違う。ちゃんと黒目を保ったままでバカまじめに歌った。たしか「時の旅人」でした。


我々はいざ本番もとちらずやり遂げ、周りの出来栄えと比べても遜色なく「いったか?」というムードに包まれていた。しかし5クラスある中、上位3位にも入っていなかった。かすりもしなかった。結果発表の瞬間、俺とS君はあろうことかコサキンばりにメチャクチャ手を叩いてウケてしまった。こういう場面で裏切られると、絶対ウケてしまう。性分なのでどうしようもない。入りの下心のままで合宿から本番まで来てしまったので歌声に感情の移入もへったくれもない。指揮やってるやつといちばん声出してるやつがそうなんだから丸ごと腐る。クラスの皆さん、あのとき丸ごと壇上を臭〜くしてしまい、申し訳ありませんでした。とどこかのタイミングで是非、公に謝罪したいけれども同窓会に招待して頂けないのでインターネットですみません。


ひとしきりウケたあと、道端ででかめのカラスがゴミを漁っているのを横目で見るまなざしが俺とS君に降り注がれていた。中学校生活はそこで幕を下ろした。




■高校のころ、音楽の授業で「何でもいいので得意な演目を発表する」という課題があった。教師側からすれば「ピアノでもギターでも、フルートでも、生徒ひとりひとりの個性を発揮できる場所」を用意したつもりらしく、なんだったらちょっとサービスというか、お待たせ!ぐらいの、お楽しみ会でっせ!ぐらいのノリでその地獄フェスの開催を宣言した。音楽教師の笑い方って頬から下の表情筋しか使ってなくて不気味じゃないですか。ジムキャリーみたいな。


無え〜(ねえ〜)んですよ個性が。楽天でギターは買ったけど2週間で「あ、これ聴かせる人がどこにもいない」と気づいて放り投げるようなぼんくらに人様の前で披露できる個性なんか無え〜んですって先生。そういう何にもできない、垢をこねて出来上がった塊のような人間はこのレイヴをいかにやり過ごすか。校歌を歌うしかありません。朗々と。しかもアカペラで。


うちの高校はルーツが藩校でかなり古いので、校歌も相応に時代を感じる。イントロがティンパニの「…ドコドコドコドコ!」という壮大で大仰な盛り上がりから始まり、軍歌か川内康範先生原作の特撮か、非常にとっつきづらくて長いけどわりに好きだった。5番まである。しかも「まぼろしの6番、7番」がかつて存在し、内容がかなりナシオナルだったので戦後にカットされたらしい。


リリックも「万里の波濤」「仁義の兜」とかなりハーコーなバースが乱打される。俺が一番お気に入りなのが「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進みゆけ」です。歌詞に「悪魔」ってワードが出てくる校歌、ほかにあります?ホグワーツのにも出てこないんじゃないですか。ここまで威風堂々と、対外の運動部の試合とかで歌えたらけっこう誇らしい気分になるだろうけれども、俺が歌うのは不覚にもレイヴ。校内の。


軽音のO君はアコギを弾いた。彼はのちに京大に入る。A君は俺と同じような陰気なたちで、こんびからうまれたこんび太郎だと思っていたのに、「セプテンバー」を流しながらドラムを叩いた。裏切りやがった…と一方的に逆恨みしながら「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進み行け」と全くの無音の中、しっとりと歌い上げた。自分の番がようやく終わっても、第2、第3の俺が次々壇上にあがって磔刑に処せられている。それを見ているのも辛かった。いくら煩悩と悪魔を振り払ったとて、この時の恥という焼印はまだお尻でプスプスと燻っている。




■同じく高校時代、俺は「地理部(ちりぶ)」に所属していて、金沢や富山あたりまで足を伸ばして古い町並みを回り所感をレポートにしたためるとか、「架空の新幹線」の路線を模造紙(関係ないですが、新潟だけの方言で模造紙のことを大洋紙-たいようしという。理由は知りません)に敷き、何人かで空想しながら楽しむとか、見るも無残な青春の逆をやっていた。今となってはもう人に説明するのもめんどうなので帰宅部だったと経歴を詐称している。


最後の文化祭の年、部活ごとに露店をやったり、文科系だったら作品を展示したりしなければならなかった。我々地理部(ちりぶ)はその「うその北陸新幹線」がどういうルートで走ったら「便利」かというのをまとめた模造紙をパーティションに貼り付けて、終わり。誰が来るんだ。ただただ時間だけがすぎる。時の最果て。庵。案の定誰も来ないが、一応学芸員として誰かが座っておかなければならないので、貴重な高校生活をただ「座る」に費やした。窓から中庭を覗けばダンス部が「座る」以外をやっている。バランス取れてますね。


我々の庵を出て左に曲がった突き当りの音楽室で軽音部がライブをやっていた。庵の番をしていたのは自分一人、電動の黒板消しクリーナーを小脇に抱えて音楽室のドアの前までふらふら向かい、コンセントに電源を差し込みスイッチを入れた。防音の扉の向こうから微かにリンダリンダが聴こえてくる。畜生、俺のほうが絶対ブルーハーツ詳しいからな。リンダリンダなんかやってんじゃねえよ生齧りが。俺なら「すてごま」やるね。と、クリーナーの爆音でただただザコすぎるだけの抵抗をした。そんなアルバム収録曲やっても盛り上がらないよ。そういうところが根本的にセンスが足りてないんだよお前は。はい。大変申し訳ありません。


クリーナーのスイッチをOFFにしてまた庵に戻りました。何がしたかったのだろう。尾崎豊は嫌いだった。盗んだバイクで走りだすのも夜の校舎の窓ガラスを壊すのも「人様の迷惑」だから。とかなんとか正論を吐きながら無性に気に食わない物の前で黒板消しクリーナーのスイッチを入れるささやかな反撃ぐらいをやりたがる。生粋の田舎根性。未だにそうだ。




■1年と少し前、カントリーガールズの島村嬉唄(しまむら うた)ちゃんというアイドルの女の子がきっかけでハロープロジェクトにのめりこむようになったのに、その2ヶ月後に事務所と島村家がコンプライアンスでいざこざを起こし、脱退、引退してしまった。まだ腑に落ちてない。




と、歌にまつわる、痰の絡まるような経験を羅列してみた。どこかで逸ノ城関の涙を呼び起こして敵意を鎮められるかもしれない。嬉唄ちゃんのところだったら一緒にライブ行けるな。終わった後、金の蔵で逸ノ城関と反省会するのメチャクチャ楽しいだろうな。「いや絶対目線、合いましたよ」みたいなこと言うのかな。そりゃ合うだろ。でかいので。

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2016年07月31日

石川啄木と、人を殺してはいけない話




さて、本日はウケてないかな?とインターネットをパトロールしていたら、2chのニュー速vip板に『twitter民、松尾芭蕉を完全論破www』というスレが建っていて、俺の6/23にしたつぶやきへのリンクが貼られていた。ウケマネー(ウケを対価に得た収入)を1円たりとも受け取ったことがないのに「ニュー速VIP板」で人のことを叩くんじゃないよ。せめて何ごとか為すまではほっといてくれよ。あと芭蕉は俳句だろうよ。初めて知ったけど俺、「twitter民(みん)」だったのかよ。ちょっと前に2ちゃんねるで叩かれたときに匿名で反論したら、どうやら「sage」に失敗してしまって本人特定されてすげー恥ずかしくて早めの22時くらいに寝てしまった。2016年に「sage」ミスりますかね。この世の底か?だから今回は「sage」に失敗したくなくて黙ってました。


「こいつ何言ってるかわからない」と書かれていた。確かに何言ってるかわからない。「顔射」って、この人は汚い言葉を使いたいだけだったんじゃないか?短歌に射精したら面白いですが。短冊に射精するってことですからね。わかりますか言ってること。


友人のツヴァイデビル氏が「チンポビンビンにしながら浴衣を着るのが短歌」という俺の言わんとするところをバッサリと端的に要約してくれた。だから、「ステキさ」「平凡な日常のちょっといい発見」で自分をカモフラージュして「セックス臭」にファブリーズを振りまいているような、ヤリ目("ヤリ目"て)でお洒落げに見せかけるアイテムとしてお手軽で簡単になりがちだから。NHK短歌に入選した経験のある知人も「短歌は楽」と言っていた(もちろんほぼ謙遜と思うけれど)。だけど実際のところ、「短歌でなければならない短歌」を仕上げるのはすごく難しいことだと思う。かみ砕き不足で申し訳ないけれども、ちゃんと書くと「斯様な調子で短歌やってる奴」が気に食わないんであって、「短歌」という形式や、しきたりが嫌いなわけではないんですよ。すみませんが。本来はすごく丁寧で根気が要って難しいはずだから。こんなメチャクチャなことを喚いてるんだから短歌をきちんと真面目にやってる人は怒ってよ。巨大掲示板・2ちゃんねるのニュー速vip板にスレッドを建ててないで。頼むよ。「自己表現をお手軽にすまそうとしている奴」って見られているんだから。そんなはず無いだろ。


短歌やってた奴といえばかろうじて寺山修司と石川啄木ぐらいしか読んでなくて、牧水は微妙で、ましてや現代の人がわからない、せめて与謝野晶子☆鉄幹夫妻ぐらいからちくちく勉強しないといけないしさらに突き詰めれば和歌・平安時代まで遡る必要がある。この辺りは嗜んでおかないといけない、というのはぜひ教えて下さい。で、石川啄木の記事はいつか書きたかったので、ニュー速vipにスレも建ったことなので一応のきっかけに石川啄木を考えると、短歌についに辿り着いた人、短歌にようやく馴染めた人のどうしようもない必然が伝わってくる。夏目漱石の虞美人草に「この程度、俺なら一ヶ月で書ける」と喧嘩を売っていざ発表した小説がボコボコに叩かれてくじけている。どういう方法であれ、才でなんとか世に出たかった。


はたらけどはたらけど
猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る


啄木は、「労働、ウケね〜〜〜」と嘆いた。それが未だに読まれている。労働はいかに自己を世に組み込むか、適応させるか、なおかつ不自然と感じないか、感じないようにするか、気づかないフリをするか、で成り立つ側面があり、人から借りた金で風俗嬢にフィストファックするような奴がおさまる台座なんかないです。"ついに 手は手くびまで入った。ウーウ、といって 女はそのとき目をさました。そして いきなり予に抱きついた。アーアーア、うれしい!もっと、もっと―もっと、アーアーア!18にして すでに普通のシゲキでは なんの面白みも感じなくなっている女! 予はその手を 女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を 裂いてやりたく思った。裂いて、女の死がいの 血だらけになって やみの中に よこだわっているところを まぼろしになりと 見たいと思った!"

「いったい私は何処へ行くのだろう」が啄木の根底に流れている不安の源流になっていると思う。「何者」であるかと問われれば、石川啄木だ、ときっと答えている。自分が何者であるかどうか、なんてケリがとっくについている。そんな有り余っている私は一体何処に行くのか、もしかしたら何処にも行かれないパターンもあるのか?という空漠の中で蛇行して、うねうねと日々だけが過ぎる。自分だけが世の中と関係のない膜に包まれている気がしてならない。そんなはずはないけれども、気がしてならない。


人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横より見ている心。


何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり


家を出て五町ばかりは
用のある人のごとくに
歩いてみたれど―


つい先般、相模原市で26歳の男が重度障害者の施設に闖入して次々と入居者を刃物で殺した。
啄木の歌にはこういうものがある。


どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな


一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと


「こんな奴殺してやりたい」の憤怒、あるいは「私にも、ひょっとしたら人を殺してしまう日が来るではないだろうか」という恐れがない人は平穏に生活を送っていて、それは素晴らしいことだ。けれども小心者にはそういう最悪の未来が頭をよぎることがあるんです。だから、その怒りや熱をなんとか冷ますか、あるいは少しベクトルを曲げてあげてどこかに逃がすか。手首の部分を軽くひねるだけでデカい男がひょいひょい投げ飛ばされている塩田剛三の動画を見た。あれは絶対本当です。

今回の件みたく、「人を殺す」エネルギーをそのままひねりもなく「人を殺す」に一直線に向けてしまう奴はクソでカスでゴミで救いようがない。くだらないしつまらない。見るべきところは何もない。本来は、ひょっとしたら俺も人を殺す日が来るかも?という標識が見えて来たらブレーキを踏むし、ハンドル切るんですよ。それが正しい人間のあり方だと思う。このような怒りを我々は「消火」、もしくは「昇華」するべき。今うまいこと言いましたよ。殺すなら今ですよ俺のことを。



むやむやと
口の中にてたふとげの事を呟く
乞食もありき


もし人を殺したい、という気持ちで短歌をやっている人がいたらぜひ友達になりたい。もしくは始めてみるのもありかもしれない。こんなにまとまらない文章を書いている人間がつとまる様式じゃないかもしれないですが。口の中で正論を吐くだけの乞食になりたくないので、いきなりマイク向けられたときにスッと綺麗なコメントの言える人間を目指します。声帯整えないとな、使ってないから…。
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posted by バスケ女 at 19:09| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月12日

メイド喫茶と蛾

昨日は会社をさぼった。何もやることがなかったのでメイド喫茶に行きました。結局何もやることがない人間が行くところだ。メイド喫茶なんて。平日というのもあり先客は1人しかいなかった。髪の毛を後ろで束ねているおじさんが頬杖をついて寝ていた。後ろで束ねるほどに毛量を持て余している人間がまっとうな職業についているとは思えないが、平日にメイド喫茶で堂々と眠れる神経は一体どこから来るんだろう。どこからも来ないのかもしれない。なんかもう嫌だったのと目の前の光景から距離を置きたくて瓶ビールを頼みました。すぐそこにいるんだから「すいませ〜ん」と声をかけるのが自然なのに手元のベルをわざわざチリンチリンしました。全然ウケないですね。手酌で瓶ビールを注ぐ。何がご主人様お帰りなさい!だよ。ご主人様に手酌でビールを注がすなよ。いや、こんなことで怒りたくないよ。メイド喫茶のメイドさんを本当に「メイドさん」と勘違いしだしたら人間として息の根が止まっている。


40後半ぐらいのタータンチェックのネルシャツを羽織ったおっさんが入店してきた。おみやげを持ってきていた。チーズケーキ的なお菓子らしい。「ゴルゴンゾーラがどうこう、チーズがきつめでどうこう」と講釈をたれ、チーズケーキ的なお菓子をメイドさんに渡しアイスティーを注文した後、ずっとソファを見ていた。話はずれますが虫の中で一番怖いと思っているのが蛾です。虫全般そうといえばそうなってしまうが、とりわけ蛾が一番「何考えてるか」分からなくて怖い。3歳の頃、朝玄関を出たところのアパートの壁にスズメガが止まっていた。夕方、幼稚園から帰ってくると、微動だにせずにまだじっとしていた。一体何が楽しくて生きてるんだ、と一生理解できない、分かり合えないんだろうなこいつらとは、と得体のしれない戦慄が未だに拭いきれずに蛾がどうしても怖い。


その「得体のしれなさ」が蘇った。なんでこのおっさんは「ソファ」を「見ている」んだろう。ずっとこうしているつもりなのか?このおっさん本当は移動するでかいサナギなんじゃないか?そのうち羽化するのか?なんばの空に無数の巨大な蛾が舞う日が来るのか?どうしても言葉を介してこの人とやり取りできる気がしない。オスの蛾はメスの尻から出るフェロモンに集まる習性がある(コナンで、窓に亡霊が映ったと思いきや実はフェロモンに反応したオスの蛾の群れだった、というくだりがあったので知った。そんなことありますか?)。だから、こうしてメイド喫茶に訪れる、辿りつけているのもフェロモンを触角で探り当ててるからなのかもわからない。


若干ホストの入った、このへんのそれこそメイド喫茶だのおそ松さんカフェだのたくさん並んでいるが、その裏方側、"絞りとる側"っぽい若干いかつい30前後のあんちゃんが入ってきて、自己啓発本『7つの習慣』を足を組み替えながら読んでいる。家に帰って仮眠をとったほうが夜からの仕事をがんばれるでしょうし、7つの習慣なんか読む必要がない。自己なんか啓発する意味なんかない。絞りとるだけのことに集中して欲しい。

しばらくするとイケダハヤトみたいなやつが来店し、「ミントジンジャーティー」を頼んだ。ミントジンジャーティ????なにそれ????ミントジンジャーティはホットしか無いらしい。「えっ、ホットしか無いんだ!ホットしかない、と言えばね」からの、大阪文化である「あめゆ」、「ひやしあめ」に話題をつなげ、北海道出身、というメイドさんの「そんなの初めて聞きました!」を引き出している。サンガリアの自動販売機に入っている「あめゆ」はショウガの入った水飴を希釈して温めた飲み物で、それを単純に冷やしたら「ひやしあめ」になる。といううんちくを垂れていた。いいね。ミントジンジャーティを選んでいる時点でトークを用意していたんでしょうね。と、悪態しか出てこなくなったところで瓶ビール980円を支払い店を出た。高け〜な。髪を束ねたおじさんはまだ寝ている。「髪を束ねる」ということは髪の毛が邪魔くさい、という感情は一応残っているのか。しかし、メイド喫茶の楽しみ方は今後ともわからないままでしょうか。蛾にならねばいけませんか。
posted by バスケ女 at 23:55| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

父親の歌う浜田省吾の『J.BOY』

去年の冬、父親、母親、妹と、長男の俺でカラオケに行った。血が濃い部屋。かなり気持ちが悪い。持ち込みOKな地方特有の爆安カラオケチェーン『コート・ダジュール』だった。ちょっとでも削れるとこ削ろうと、カウンターで初めて会員登録勧められて素直に応じ、老眼でメガネのつるを持ち上げながら空メールを送っている父親をよそに長男は誰が金落とすんだよというUFOキャッチャーでジャッキーカルパスお徳用が、このタイミングでしか入手できない気がして妙に欲しくなったので遊んでいた。母親は家で揚げてきたコロッケを抱えていた。

一族を案内するにはおそらく不適切だろうというミラーボールの色味や回転が調節できるつまみの用意された部屋に連れてこられた。母親がコロッケの包みを開き、カバンから中濃ソースを取り出した。うちの家族は妹を除いて酒をかなり飲む。店員、のっけに生やらサワーやら運んできたテーブルにタッパーみちみちになっているコロッケを見てどう感じたんだ。たぶん俺だけがその辺をお察しし多少恥ずかしく肩身を狭めていたのですが気にせず連中はコロッケを食いながらデンモクをいじっていた。やおらなんか適当に歌おうっていうんで、妹のYELLOW YELLOW HAPPYを聴いた後、もしも私に生まれてもまた私に生まれたかったんかいお前は処女だろ、の次に父親が予約したのが浜田省吾、ハマショ〜の『J.BOY』だった。




上司に腹が立って仕方がなかったら机で歌うんだよこれ、と『時に理由もなく叫びたくなる 怒りに』といきなりAメロでかました。どこまで気持ちを移入してたのか、時に理由もなく叫びたくなるやつを圧し殺しながら、いや実際に歌ってしまっている以上圧し殺せてはいないんだけれどもこうして自分が養ってきた一家の前で酔いながらマイク握ってる父親がいた。働くようになってから、うるせえやつのうるせえ結婚観より、こういうことだろ、となんだかしみじみなりながらモニター見つつコロッケを食っていた。

ハマショ〜のすごさは、これは先にハマショ〜のすごさに気づいた友人の受け売りなんですが、一瞬たりとも正規雇用労働者としてお賃金を得る生活を送ったことがないにもかかわらず、創作力だけでその層の心情や愚痴や吐露をわしづかみにしているところで、ウチの父親もそこそこにお笑いも音楽も映画も好んでいるけれどもハナからサラリーマンで生きていこう、としていただろうにハマショ〜、俺のこと歌ってくれてるじゃん、という意識の移入をしている。『風を感じて』も『Money』も、バンダナとでかめのサングラスの奴が作れるはずが本来ない内容だ。ビジュアルからの印象が強すぎて、よけてしまっていたことに後悔している。でも、多少なり真面目に、正規雇用の身分になってようやっと理解できるようになれたという。

『午前4時 眠れずに
彼女をベッドに残し
バイクにkey差し込み
闇の中 滑り込む』

父親がある朝忽然と布団から消えていたら闇の中に滑り込んでいったんだろう、と納得する。母親の歌う菊池桃子や引き続き妹の歌うポケビを聴きつつ、なんだこれ、とまあまあ酒入ってるのに嫌でした。
posted by バスケ女 at 22:31| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする