2016年09月22日

『アメリカン・ビューティー』の感想

アメリカン・ビューティー (字幕版) -
アメリカン・ビューティー (字幕版) -



どうしてもケビン・スペイシーの立場で見てしまう。ケビン・スペイシー、それ判るな〜、と鑑にしてしまうと日常を幸せに送れるわけがない。生活をかなぐり捨てて、子供の頃に憧れてた古い型のクルマ買って、ヒステリーの嫁論破して、己の娘の友だちに惚れて抱こうとしてだらしない肉体を鍛え直す。話が進んでいくにつれて「俺は俺の為に生きていくことにしました。文句は言わせません。宜しくお願いします」という割り切り、開き直り、 諦念が表情や振る舞いに徐々に滲み出ていく。どうせお前ら=周りの連中だって、影でこそこそ好き放題鬱憤を発散してるくせに、それだったら俺だって今まで抑圧されてた分吐き出してやるからな。つべこべ構うんじゃねえわ。と。


「映画」として超越して向こう岸から第3者視点で観ると、「こいつ気持ち悪いな」「いやいやいや流石に?流石にそれは?」と常識人目線で、そんなん無いって、と終わらせることも出来る。けれどもいざ、態度として誰かに移入するとなると、どの登場人物にも「思い当たる節」がある。


ケビン・スペイシーの隣の家に住んでいる元海軍の親父。手塩に育てた息子がお薬の売人になり、ケビン・スペイシーの娘と出来る。
角刈りで妙に目がつぶらでおっかないから「敵」のおじさんか?意味わかんないジジイか?と思いがちだけれども、男まみれの社会で"育成"されてしまったことによる不可避な性的矯正と、軍の戒律や誇りを重んじてきた自己矛盾の摩擦が発火してああなったんじゃないか、とすると、「家庭」という枠組みが具合が悪くて仕方がなかったのかもしれない。あの人は。奥さんガナガナしてて、ガナガナしてるというのは地元の方言で筋張って痩せちゃって大変だねという意味なんですが、絵に描くような家庭的のふくよかな幸せから程遠い。


どこかで「折れる」ことがどうしてもできない連中が、沸々と「こうなればいいのに、こうなるべきなのに」という環境こもごもの理想を腹の中で溜めて、溜めて溜めて爆発して終わる。アメリカの現代社会を鋭くえぐり取っている、のだろうか。


ケビン・スペイシーが、セックスしたくてしたくて、したいがあまり、本番用に肉体を仕上げていた、自分の娘の友人のバカエロい女の子を脱がせにかかった。 が、本番の刹那に「実は、初めてなの」と告白された瞬間の、「えっ???処女なの???」と、単なるいちペニスおじさんから、守るべき所帯を持つ凡な初老、に戻る時の表情。巧すぎる。一瞬で「朗らかな中年男性」に変わって、毛布をかける。


所々カットの挟まる、薔薇の花というモチーフになぞらえて、これが「アメリカン・ビューティー」ですね、すなわちアメリカ合衆国暗黒、の上っ面の「美」「理想」「象徴」を皮肉ってございますねという町山智浩的な側面もあるらしい。という考察はとりあえずうるさいので、面白いので是非と思います。角刈りで顔が濃い奴はヤバいという偏見は正しいのかもわからない。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:54| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

『あの頃ペニー・レインと』の感想




この映画でいちばんださい奴は、ロックンロールバンドのボーカルが「I am a golden god!」と叫んでプールに飛び込んだあとからついついはしゃいじゃって追っかけてきた取り巻きだと思っている。


でも音楽やってる人の周りってそういう連中ばかりなんだろう。いろんなグラデーションのだささ=青さの人間を「それもアリ」と肯定してくれている。レッドツェッペリンの追っかけをやっている男子高校生は自分が弾くギターを聴いてくれるような友だちがいなさそうだし、顔がブスなんでバンドTシャツにピンボケでプリントされてしまったやつはボーカルに「てめぇは顔がいいじゃねえか」と解散宣言してて、ださい。そのボーカルだって、エッチな女の子とエッチがしてーという気持ちが半分、バンド売れてーがもう半分ぐらいでやっている。ちょっと心をひけらかせば、本音で語っている「ふう」をよそおえば、あと顔が良ければ、「私だけに心を開いてくれている!」とエッチな女の子はすぐに騙されてお薬をやってエッチをできてしまう。


主人公のウィリアム君は最初何も知らなかった。ださいお母さんに飛び級をさせられて、11才まで自分の年齢を知らされないほどに徹底的に母親の管理下で育てられた。姉ちゃんがズーイー・デシャネルでまじで可愛いんですが、その姉ちゃんが先に母親のもとから離れてスチュワーデスになった。こっそりベッドの下に隠していた姉ちゃんのレコードを聴いて、ウィリアム君は俺の生活、ださかったのかよ。と気づいた。


16歳で音楽誌の記者になる。これだって、ウィリアム君は気付いていないかもしれないけども、いやラストには気づいていたかもしれないが、母親に詰め込まれた教育のおかげで語彙や知識がついたから若い割にこなれた文章書けるようになった。大人も褒めそやす。母親の影響という網からは、どこまで行っても、ロックンロールのバンドに帯同してワゴンやバスに乗っけてもらってアメリカの反対側まで離れても逃げられない。


お母さんも良くて、旦那は事故で早くに亡くしているので女手ひとつで姉ちゃんと息子を育ててきたわけで、姉ちゃんに家出されたのも息子がロックにかぶれてバンドにくっついてるのも不安で寂しくてしょうがない。息子がお薬をやっていないかどうかモーテルに電話する。そういう行動を、「うるせえなババア」と敵意で描くのではなくて、このお母さんの行動も良い、あるいは善いだささとして扱っているんですね。家族3人仲直りして食卓を囲むシーンが好きです。


で、ケイト・ハドソン=ペニー・レインは、端的に言うとメチャクチャ可愛い。童顔の童貞と並べた時のバランスを取るために産まれてきたのかよ、というぐらいにみずみずしくて爆発的にえろくてゴイスーなんですね。
このウィリアム君はペニー・レインという本名も年齢もわからない女の子に当然の流れとして惚れます。でもペニー・レインはグルーピー、ロックンロールのバンドにくっついていってエッチな行為をしたり、お薬をしたり、次の日はエッチな行為をしてお薬をするような娘で、バンドのボーカルの彼女を気取っているのでウィリアム君をたぶらかすんですよ。
そのボーカルも、カードに負けたらあの女とビール交換な、と調子に乗ってやったら案の定負けて、ペニー・レインもそれを知ってしまって傷心する。しかもウィリアム君の口から。その気まずさ。泣きながら笑いながら「ビールの銘柄なんだった?」って聞くんですよ。ハイネケン、大衆ビールなんですけど。それはウィリアム君は言わない。心の推し量りが美しいし、午後三時くらい?の日差しの下で強がるペニー・レインがメチャクチャ可愛い。


この娘は拠り所を失った衝撃で自殺を図る。酒と睡眠薬のちゃんぽんで。ふらっふらになってるホテルの一室にウィリアム君が駆けつけて抱きしめて告白する。ほんとうに良い。ほんとうにマジで良いんですよ。
男は精神的にぐらついている女を目の当たりにしたら「守ってやらないと」が働くようにできているので、これは下心とかおちんちんとか、父性本能とかいろんな言葉で説明がつく。とはいえ映画の中だからこそ、そういう汚い打算を外せられるので、単純に美しいものとして捉えてもいい。俺はメンタルの健康が芳しくない女の人を好いたことがあって、いろいろ経てその人に命の脅迫をされるようになってしまった事件もあったんですが、そのうち時が来れば書きます。畜生が。


面倒くさい女の人には近寄ってはならないという標識が心に屹立してしまったのだけれども、そんな、まぬけで鼻水を垂らした自分の、「理想の着地」を決めてくれているこの映画は素晴らしくて、こうでなくては、ありがとう、という。悪いやつが出てこないのでいい。


ここからは少しばかし悪口になります。地下室 TIMESというホームページで、まあバンドに寄り添う女どもにケチをつけたり、提言めいたことを腕を振りながら述べている。これお金をもらっているのかな。この記事とか、この記事とか、下品を糾弾するつもりで書いているのだろうけども、俯瞰で物を見る目線がエラくて高尚だと決めつけないほうがよい。「飛び込める人」「ダイブをしている人」への尊敬の念、は何処かにあるべきなんじゃないか。どうも自分の「引け目」を見ないようにして人様をやっつけようとしている。どえらくひん曲がった志(こころざし)だ。だささを受け容れる土壌がない。それだけ真っ直ぐなんですか君たちは。嘘つくなよ。笑っちゃうぞ。エッチな女の子とエッチをしたいくせに。


いいだろうが。第三者目線って、実はださいよ。俺もださいんだよな。嫌だけど。どんくさい自分を受け入れる。必死。必至。ましてや邦楽のロックンロール・バンドが好もしいのだろうから。「自分だけは特別」じゃないよ。あなたはただのたまたまだから。お母さんの顔を思い出してください。お金ください。ジョーイ・ラモーンは「女の子にもてたいので、ラモーンズを作りました」と言った。その程度なんす。
.
posted by しきぬ ふみょへ at 22:40| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月10日

『マン・オン・ザ・ムーン』



1175.jpg

観ました。


アンディ・カウフマン(1949-1984)という、若くしてこの世を去った怪芸人の伝記映画。演じているのはジム・キャリー。

客を笑わせるというよりも、「いかに世の中をバカにするか」に一点集中してるような男。「金で釣った風俗嬢を生放送で暴れさせたらウケる」「客の女をステージに上げて、マジでレスリングやったらウケる」みたいな無茶苦茶なことばかりやったせいで、一部からはやたら評価をされたにもかかわらず、残りから叩かれまくってカラッカラに干されてしまった。



「違和感」こそが面白い、と考えていた人だと思う、「こんなぶっ飛んだことやってるオレ、状況、現象が超ウケるだろ」と、常に一個上の次元から物事を捉えているような。意図的に生まれないものをあえて作り出そうとしている。さらに言うと、「自分」=「違和感の正体」でいる状況って実はかなり気持ちよくて、その快感に取り憑かれた人だったんじゃないだろうか。平日、ビシッと高級なスーツを着てゲーセンで太鼓叩いてたら自分で自分にかなりウケる。だけど、そんな非日常ばかり味わってると消耗するし感覚も麻痺する。アンディ・カウフマンはヨガにハマっていて、出番前は楽屋で1時間半必ず瞑想していたらしい。都度都度リセットする必要があったんじゃないか。


そうとうにストイックな人だったらしく、コントのキャラに扮するとき以外、酒やドラッグは全くやらなかったらしい。好きなのが、生放送のコントでマリファナ中毒の男をやってくれ、と頼まれるんだけど、放送中に「こんなの出来るかこの野郎」とブチ切れて共演者と本気のケンカを始めてしまう。急遽CMに入って、舞台袖で観ていたプロデューサーがニヤニヤしながら「いや、アイツはああいう尖った奴なんですよ。ドッキリですドッキリ。CM明けネタばらしね」と"俺はそういうの分かってますよ"感バリバリで指示出すんだけど、いざCM明けたら、一拍置いてまたブチ切れ始めたのを見て、みるみる焦った表情に変わって「おい!!!CM行け!!!」て叫ぶシーンです。ここはすごくよかった。生半可に近寄ってきてる奴をバサバサ切り刻んでるのがいかす。そうやって突き放して突き放して、味方が身内しか居なくなって破滅してしまうのは切ないですが。でも、ラストのラストまでとことん裏切りに徹してるのが格好いいです。


ジム・キャリーの表情筋を移植してくれ
posted by しきぬ ふみょへ at 21:28| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

となりのトトロ 感想文

観ました。


515J5X1DJ7L._SL500_AA300_.jpg




幼少期に何度か観ていて、幼稚園で親を待つ間だったり、家族と金曜ロードショーでだったりと、基本的に”誰かと一緒に”こそで楽しんできた作品でしたが、今回よもや休日の昼間から半裸に発泡酒で観賞することになろうとは。終わってる状況でのトトロはどんな具合に刺さるのか。


成人男性として、今、この話の登場人物で目線が一番近いのは、さつきとめいの父親である重里です。

「夏休みの前、大学の研究も兼ね、東京からそう遠くない田舎に、可愛い我が娘たちと家族で引っ越してくる」

重里!重里の「人生、お散歩」感というか、「子どもたちと遊んでいる間は、僕も子どもです」感、何か今こうひしひしとイラついてきたな。いや、もちろんパパは重里であって重里ではないですよ、ないですけども、この男からは「幸(さち)」しか伝わってこずにちょっと違和感があるわけです。30前半で余生みたいな生活に入り、しかも上の娘あんなによく出来て家のことも手がかからない。自分と人生のレバーを全て逆に倒してきたような男。kill...


もし人の親という立場だったとしても、たぶん重里に感情移入するのは難しい気がする。あくまで重里は、「ステキな森」の舞台装置のひとつでしかないというか。老若男女誰彼問わず、さつきとめいを応援、トトロ可愛い!!ネコバス乗りたい!!と純粋にワクワクしながら観るべきで、しかもそれをさせてしまう駿の手腕が流石だと思う。ネコバスのドアの「ゆあーん」って開き方がメチャクチャ好きなんだよ。


今回見返して新しく印象に残ったのが、小学校からの下校途中、突然の夕立で雨宿りするさつきとめいにカンタが「ん」と傘を渡して去っていった後、さつきがカンタの家に傘を返しに来るシーン。奥でさつきがお礼を言って帰るのをそっと確認だけして、模型の飛行機で遊びなおすカンタの「ぶーん」がちょっと上ずってて、非常にいいです。思春期!と思った。田舎。選択肢も限られている、この後よっぽどカンタがやらかさない限り、20代前半で結婚、車高の低いクルマを乗り回すでしょう。おめでとう。


見返すなら、夏も近づいてる今この時期がベストかもしれないです。
では、「さつきとめいは既に死んでいて……」といった類の都市伝説を流した人間を、こん棒で殴りに行こうと思います。

posted by しきぬ ふみょへ at 22:51| ラスベガス ☁| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月15日

どですかでん 感想文

観ました。

img_0.jpg



こじきや日雇い、頭がばかになってしまった人たち、の吹き溜まりの中で、1人1人にスポットを当てながらストーリーが同時進行していくオムニバス形式で進んでいきます。
登場人物に共通して言えるのは、「"取り返しがつかなくなってしまった"後の生活について考える力、対処する力がない」ということで、落ちきったら落ちきったで生きていけさえすれば問題ない。そして、本人は「落ちきった」と思っていてもさらにその下まで落ちていく。観ててまあ悲惨で、オムニバスでころころ場面が変わるのに、誰が映っても気が休まらない。


実質の主人公は、菅井きんの息子の中学生(頭師佳孝)。毎朝毎朝、学校に通わず、電車の運転手になりきり、エア電車に乗って街中の決まったルートを往復し、エア整備士に文句言う、エア線路に人がいれば急ブレーキをかけて怒鳴る、というルーチンワークを続けている。きちんと学校に通っている子どもたちからは「電車馬鹿」となじられ石を投げられる。
みなさんの地元にも、誰かが目をつけとかなくてはヤバいのでは?みたいなナチュラル系の人たちが1人や2人いたと思うし、今でも、それこそ電車の中で見かけるケースもあるでしょうけど、そういった方々って、自分の世界での決まり事は絶対で、何らかの干渉をされるのが何よりも不快らしいんですね。もちろん、自分がおかしいなんて微塵も感じていない。
母親の菅井きんは、息子がマトモに戻りますように、と毎朝毎晩死んだ夫に南無妙法蓮華経を唱えていて、その様子を息子は「お母さんは頭がばかになってしまった。でも俺が守るからダイジョウブ」と捉えてしまう。残酷なすれ違いです。というかずっとすれ違いですこの映画。クズの父親に扱き使われてる女の子に惚れていて、俺が救い出さなきゃ!と悶々としている酒屋の小僧が、女の子に刺されます。


こじき(三谷昇)の父親は、息子に「家を建てようと思うんだけど、どういう家がいい?」と、家屋や建築に関するウンチクを垂れながら、ちょっとずつ妄想を膨らませていく。その話しぶりは知的で、「マトモだったんだろうけど、どこかでパーになってそのままなんだろうな」という裏まで想像させて「家建てるって、いやいやこじきだろうがい!」というツッコミを野暮にさせるパワーがパない。
でも、食べ物の調達は息子を飲み横丁までお使いに出させるだけで自分は何もしない。終わってる、終わってるんですけど、取り返しの付かないことになったらどうしよう?という頭だけがない。


で、「あー、やっぱり…」と頭を抱えるような結果が待っているという。
観ているこっちとしては、"破滅"の瞬間の、何も一回考えられなくなる感じというのが疑似体験できてしまうというのがこの映画のキモの1つだと思う。もちろん、色々な登場人物がありドラマがあるので、様々なタイプのクズがどのクズに感情移入するのか?という見方ができる作品。


「電車馬鹿」は、今日も「どですかでん、どですかでん」と電車を走らせ、変わらない(ゆっくりと変わってはいるが、目には見えない)日々を送り、その周囲の人間も、"一般"の人たちよりゆっくりではあるけれども確実に生活に変化はある。どんな人間にも確実にドラマはあって、今となっては映画という形で掘り下げるのが難しいような方々の生活を描いている。人に薦めたら「終わる」か「けんかする」の2択だと思います。

アル中のドカタ役の田中邦衛が、アル中のドカタの人をスカウトしたのかな?みたいにしか見えないのが圧倒的でした。芥川比呂志の「感情のなさ」もすごかった。前にも書いたけど、昔の映画はヤバい人をマジで出してるんじゃないか??と思えて楽しいです。
posted by しきぬ ふみょへ at 11:49| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月04日

クローズZERO 感想文


5148ZbiZKtL.jpg

観ました。


中学時代、ヤンキーが嫌いで、いっさい制服を着崩すということを知らず、文集で「服装がきちんとしていたで賞」という「白痴」にのみ与えられる栄誉ある賞を賜った俺が果たして正気で最後までいられるのか。ちなみに原作は読んでいないので、おい!!という点あれば謝ります。ヤンキーは怖いから。


小栗旬扮するヤンキー、彼が3年次に「ヤンキーしかいない高校の、その生徒の中で1番ケンカの強いヤンキーになることで、高校を制覇する」という目標を持って転校、学校には山田孝之扮するバケモンみたいにケンカが強くて人望もあるヤンキーがいるから、最終的にそのヤンキーをボコボコにしなくては、目標を達成できないぜ!と奮闘するという話です。


この映画のターゲットとして、「拳と拳で語り合う、ヤンキー文化に理解ある、または憧れのある男たち」「小栗旬くんを筆頭に、多くの小奇麗な男の子が出演しているじゃない!観に行かなきゃ!となる女たち」のくっきり2層になると俺は思うのですが、その上手いこと中間の支持を得よう得ようとして、違和感が生まれてしまってる気がしました。


例えば、前者の「男層」からの"引き"を意識して、なんでしょうが、黒木メイサ扮する、実家の八百屋でバイトしながら夜な夜なクラブに入り浸ってステージでR&B唄ってる、という、対角線結びつけてギャップの良さ!はいドン!みたいな女の子が出てきます。


メイサはこの映画のヒロイン的ポジションではありますが、主人公である小栗旬とは、いいムードで終わるぐらいでくっつきません。くっつけば女支持が、離れれば男支持が獲得できない、しかも距離感が心地いいわけでもないという。俺なんかは「あーもうバカ!ケンカとかいいからセックスしろよ!タバコも酒もやってるのにセックスはしないのかよ!!!」と奥歯を砕きながら観ていたのですが、その辺のバランスというか、マーケティングの上澄みすくってまっせというか、観ていて不自然な印象がどうしてもありました。


で、不自然、違和感がちょっと許容範囲超えてて笑うポイントみたいになってたのが、桐谷健太扮する、山田孝之の中学時代からの同級生で、山田軍団の右腕、的なヤンキーがいるんです。彼が、「よし、そのキャラでいっちゃおう!」感バリバリの「脳みそに腫瘍」があるという設定なんですね。映画のラスト、小栗旬軍団vs山田孝之軍団の最終決戦のさなか、いよいよ病状が深刻になった桐谷健太が脳みその手術を受けているんです。ウワー!と双方入り乱れるその合間合間、急にポンプで酸素を入れられる桐谷健太がカットインして、ケンカ、オペ、ケンカ、オペ、と温度差で心臓が変になりました。


要所要所でそうした不自然な点、っていうのが散見されて、何か「お金が動いてて苦労したんだろうな」がひしひし伝わってくる一本でした。波岡一喜さん扮する2年生のヤンキーが、唐突に山田孝之軍団に単身挑むも全く歯が立たずに、2年で頭に立ってからまた挑戦しろ!と言われ引っ込んでからそのまま2度と出てこなくて笑った。Uでは出てくるんだろうか。波岡一喜の動向をチェックするためだけにU観るか。


人望があるけど全く女縁のないヤンキー役の高橋努さん、の演技がとても良かったです。大失敗した合コンの後にソープに誘われた時の「マジっすか?」が非常に切実味溢れてました。Uにも出ているらしい。Uを観よう。
posted by しきぬ ふみょへ at 00:32| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月07日

かぐや姫の物語 感想文

poster2.jpg




観ました。

「ジブリ」の通過儀礼を幼少の頃受けずに大人になったため、今、あえてしっかりと劇場で観賞したらどうなってしまうのか?という半ば人体実験的なコンセプトのもと、前作「風立ちぬ」に引き続き新宿バルト9に足を運びました。



月の住人であるかぐや姫が、そこから眺める地球に憧れてしまうのですが、完璧な秩序のもとで成り立っている月世界では「感情」を抱くことは罪であると。かぐや姫は罰として、記憶を消され、月から「下界」である地球に流されてしまいます。



地球で改めて生を受けたいきさつが「気持ちの昂ぶり」に原因するもののためか、劇中でかぐや姫はけっこうめんどくさい、いわばヒステリー気味の女です。みんなと一緒に桜を見に行きたい、と宮中を抜けだしたのに、卑しい身分の親子にぶつかられ「すいません!!」と謝られると疎外感に気分を害したのかなんなのか「帰る!!」と喚き散らすし、求婚してきた男連中への態度なんかもめんどくさい。自分がふっかけた無理難題は棚に上げて「私のせいでみんなが不幸に……」なんて落ち込んで庭で暴れます。現代ならTwitterで間違いなくアカウントに鍵かけてます。



物語の後半、捨丸という幼少期に面倒を見てくれてた男の子と再会。駆け落ちしようと、もうその頃にはとっくに妻子をもうけている捨丸が「お前とならどこまでも逃げてやる」と即決するシーンなんかもモヤモヤしました。絵面のキレイさで持って行こうとしてるけどおい!!!!君たち!!!!という。



結局「かわいい女の子が不満のない生活を送るのは、難しいね!!」ということが言いたかったのか?でも、面白いはすごく面白かったんですよね。ほんとに結論がそこなら「うんこかよ」って思ってもおかしくないのに。メッセージ性が曖昧なぶん、ある程度自分の力で着地点まで辿り着く必要があるから、そこに労力を要させるぶんだけは間違いなく面白いと思う(もっとも"正解"ではないだろうけど)。上では姫を悪いように書いてますが、姫を扱いきれてない周りの責任ももちろんあるという。



画は「キレイなー」ってなりました。畳の上で跳ねるカエルと、水面に映った月が特にすごかった。
あと、赤ちゃん時代の姫が歩けるようになるシーンで泣きそうになってしまった。なぜなら子どもが欲しいから。子ども最高!ジブリ最高!!!!!
posted by しきぬ ふみょへ at 07:31| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月30日

マインド・ゲーム 感想文

ちょっと時間は経ってしまいましたが、観ました。


20040712_0.jpg



面白かったです。四畳半神話大系と同じ監督だったんだ、と今ウィキペディアーを見て知りました。あれも面白かった。
漫画家志望の青年・西。乳房の幼なじみ・みょん。その姉・ヤン。物語道中で出会う、クジラの体内に暮らす爺さん。 あたりが主なキャスト。



話をざっくり区切ると、


@ 西がヤクザに殺されるまで
A 神から人生のコンティニューを与えられた西が、みょん、ヤンを連れヤクザから逃亡する以降



の2つに分けることが出来ます。
@→Aの転換シーンで、ありがちな「人生もう1度やり直せるなら?」のIfものかな、と思ったら、「何故、生き返ることが出来たのか」という疑問は最後までうっちゃってしまい、とにかく、新しく始まった「ヤクザからの逃亡」から始まる生活を怒涛の勢いで最後まで描ききります。ツッコんでしまうとこっちが負け、すなわち「野暮」であると思わせるパワーがパない。でも、「メッセージ」はある(何が正解か、はさておき)。折々実写を挟んだり、パースを意図的に狂わせたり、そういった視覚的なインパクトが余計じゃなくて、きちんと映画の大事な要素として組み込まれていた。「マインド・ゲーム」という題も、心象風景を好き放題描いて遊んでみました、みたいな意味が込められてるのかなと。



ヤクザから逃げる途中クジラに飲み込まれ、出会った爺さんとしばらくサバイバル生活が始まって、割りと不自由しない日々にそこそこ満足してるんだけども、最終的にはそこから脱出を図ります。クジラが口を開けると巨大な波が襲ってきて、それをボートで、無理やり、ほぼ秘策無しで、パワーだけで乗り越えるシーンがこの映画の最大のキモ。キッカケとかじゃなくて、1回安定の生活を破壊して外に出るためにはもう、「勢い」しか無いんじゃないか?というようなことを感じましたが、各々これは観て受け止め方が違うと思う。



表現する、っていうのをやりたいようにやっていて、一発じゃ拾いきれていない部分も多々あるし、いずれ再視聴したいと思いました。山口智充さんも出演されていて、やりたいようにやっています。山口智充さんファンもぜひ、鑑賞されてはいかがでしょうか。
posted by しきぬ ふみょへ at 06:43| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

丹下左膳餘話 百萬兩の壺 感想文

丹下左膳餘話 百萬兩の壺 観ました。
タイトルに知らない字が多い。

丹下左膳餘話 百萬両の壺.jpg


1935年(昭和10)公開のハイパー古い映画です(でもなぜかTSUTAYAでは準新作扱いでした)
フイルムが消耗品とされた時代で、
監督の山中貞雄さんが撮った作品は3本しか現存してないとのこと。パネェ。その中の1本です。


どこかの藩に伝わる「こけ猿の壺」って小汚い壺、これを婿入り道具に持たされて江戸の道場に養子に入らされる源三郎が嫁に「お前この壺1個で追っ払われる俺なんなんだよ、なめんな。売ってこいよ嫁。国道のHARDOFFに」と文句言い言い注文して壺を売っぱらわせてしまうんですが(次回購入時50円引きのレシート、絶対無くしますよね)実はその壺に百万両のありかが塗りこまれていて・・・?的な話で、全編を通してほぼコメディ調で進んでいきます。


丹下左膳も話には絡んでくるけど、主人公は上の源三郎なのかもしれない。で、この丹下左膳を大河内傳次郎さんが演じているんですが、最初に映った瞬間もう見るからにヤベェ奴出てきたよ、ってゾクゾクしました。喋り方もドランカーちょっと入ってる感じでカッコいい!志村けんのコントでホームレスやってる柄本明の迫力をもっと増したような(余談ですが、コントの柄本明はカッコいいと思う)。この左膳と、左膳の居候先の女将との絡みが抜群でした。


例えば、左膳と女将が口喧嘩してるシーン、「あんたお客さん家まで送ってってやんなよ、危ないから」「イヤだよ面倒くせぇ」「送ってやんな」「イヤだ」「送って」「イヤだ」 → で次のカットで客に付き添って家まで送ってる左膳、というくだりがあって、そのパターンを踏襲したやりとりがその度に面白かったです。これ、もしかしたら今、この時代に見たほうが面白いかもしれない。モノホンの危ない人??って先入観からの落差で絶対笑ってしまう。


続きを読む
posted by しきぬ ふみょへ at 14:40| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月21日

テラビシアにかける橋 感想文

Twitterで皆様にオススメの映画を聞き、感想文を書くコーナーを設けました。
記念すべき1本目は結婚氏より『テラビシアにかける橋』(07)です。



df7bb5c7e5690f4ab44434c22b8f12c1.jpg



アメリカのド田舎が舞台。
主人公のジェスは上下女に囲まれて家では父親以外で唯一の男。菜園の土いじりやら力仕事・雑務は彼に回され、家庭内での力関係はおのずと弱く(お下がりで女モノのスニーカー履かされて学校に行くシーンの死んだ目)、学校でも悪ガキにドツかれても反抗しない。ジェスが自分の世界に浸れるのは、空想をスケッチブックに描いている時ぐらい。


そんなある日学校に都会から転校生が来ます。レスリー。引っ越してきたのはジェスの家の隣。シュッとしてます。半袖の下に長袖。当然のごとく目をつけられます。俺もイジめると思います。半袖の下に長袖を着ているから。でもこのレスリーは全く動じない。「カッペ共がいくら絡んでこようが関係ない、あなたたちはSATYで洋服を買っているから」というような鼻持ちならない印象ではなく、異様にアイデンティティのしっかりしてるが故。両親が小説家で本人も文章が達者なんですが、「私と親は関係なくて、そういうもの」と語るシーンが後々出てきます。周りと比べて精神的にだいぶ高次にいる。


ジェスとレスリーは芸術、センスの部分で通ずるものがあり、なんとなく互いに惹かれ合うように。スクールバスで2人降り、危ないから入ってはいけない、とジェスが親から止められている林の中にレスリーはお構いなしで彼を遊びに誘う。小学校高学年の頃の女子がリードする感じ!!!!この感じ!!!!木の枝にくくられていたロープで川を渡りしばらく行くと、大木の上に朽ち果てたツリーハウスが。Secret Base〜君がくれたもの〜です。レスリーはそこから「心の眼」で眺める辺り一帯の緑を「テラビシア」と名づけます。


普段日常で起きている出来事、空想とをシンクロさせ、そこに「心の眼」というフィルターを通すことで、テラビシアでは外界では考えられないモノが現れます。学校でジェスにちょっかいをかけてくる連中や、最上級の8年生で一番権力を握っているブス、でも将来的になんやかんや看護の資格とか取りそうなブス、そんなブスがモンスターになって襲いかかってくるわけですね。苔まみれ大巨人、ことブス。


最初はボロボロの基地も次第にキレイになり、王国の決まりも2人で考え、どんどんテラビシアでの生活が楽しくなっていく。ここでの経験を活かしながら、学校や家庭内での揉め事も解決していきます。


この先、結末まで
posted by しきぬ ふみょへ at 14:50| ラスベガス ☀| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする