2016年09月10日

八神庵さん行方不明

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山頂まで辿りついたら、リュックに入ったカルビーポテトチップスうすしお味 BIG BAGの袋がパンパンに膨らむ。絶対面白い。思う存分ハーッハッハッハ!と笑ってやろう。意気揚々、JR富士中央線河口湖駅で下車。富士山麓に臨んだのは昨日の早朝。しかしどこだここは。

八神庵(やがみ いおり)は群れるのがとにかく嫌だった。終わりの近い爺や婆どもがたむろしている列に紛れて売店で購入した杖を突いてえっちらおっちら登っていくなんぞ八神の血が許さない。五合目までは路線バスも出ていたが目もくれず、単身で草むらを掻き分けていった。

9月中旬の富士、日中、気温もおだやかで草木も青々と生い茂っている。腰の高さほどもある緑を泳ぐように進む。ときおり百式・鬼払い(↓\→A or C)を使った。紫色の炎を纏いながらジャンプする。普段は対空技として使用するこの技。山火事の危険もあったので、普段の2割。斜面のきつい方に向かっていけば山頂につくだろうという目算で最短ルートを一直線に登っていた。つもりだった。

八神庵は普段特に何もしていなかった。年に一度、「キング・オブ・ファイターズ 略称・KOF」という、世界で一番ケンカの強い3人組を決める大会の本部から招待状が家に届くスケジュールは盆と正月の親戚が集まる時期以外は空いていたので大して仲は良くないが暇そうでそこそこ腕の立つ連中を誘って出場した。八神家の血を引いているので、幼少の頃より手から紫色の炎を出せる、という特技があり、そういったルール無用の殴り合いぐらいでしか役に立つシチュエーションも思い当たらなかった。

境遇の似た「草薙京(くさなぎ きょう)」という男と大会でよく当たった。彼が操るのは自分とは対照的にオレンジの炎、皆が思い描くようなイメージの炎を放つ。草薙京の炎に対して俺が出す炎の気味悪いこと。別にこの色にしようって自分の意志で選んだわけじゃないのに、なんで紫なんだよ。マルカワのフーセンガムだって、オレンジが代表を背負っていてグレープは2番手以下だ。

草薙京は必ず同じチームで出場していた。長髪を静電気で逆立てる一芸で知られた「二階堂紅丸(にかいどう べにまる)」、地面をぶん殴って遠距離の相手に衝撃を与える柔道家「大門五郎(だいもん ごろう)」だ。それに比べて。エントリーシートの記名欄を2つ空けたままでポストに投函することもあった。草薙京が「お前いつもコロコロ変わってんな。チーム。頑張れよ」という目で見てきやがる。「ふざけやがって…」が出場の度に積もり積もる。何なんだこの紫色の炎は。指先で燻らせ、もみ消した。しかし、どこなんだここは。

八神庵の活動源は「行き場のない怒り」だった。世間への反骨。シンプルな逆恨み。四方八方を草木で塞がれて為す術なし。
二十歳を過ぎた頃、携帯電話を解約した。父親から、「成人もしたんだから、このままお前の携帯代まで俺の口座から引き落とされるようなら、解約するかてめえの稼ぎで払うかどちらかにしろ」と訓告があった。もちろんのこと同じ八神の血筋を引いており、八神庵の炎がマルカワフーセンガムグレープ味ならば、より紫が濃く、眼に良い成分が豊富なブルーベリーのサプリほど凝縮した炎を放つ父親。純粋な強さでも逆らえなかったのだが、「指図をするな。そこまで言うのなら解約してやる」とやけっぱちに言い放ち、最寄りのソフトバンクショップに連れ添ってハンコを捺した。その日から携帯を持っていない。「このほうが一匹狼の性分に合っている」と行動を正当化していた。もしこの時真面目に職を探す選択をしており、八神庵は気づいてはいなかったが、仮に携帯を持っていたのであれば、今途方に暮れている鬱蒼の中であってもまだ若干電波も入る場所だった。そろそろあたりも仄暗く、冷えてきた。

リュックの中のカルビーポテトチップスうすしお味 BIG BAGを空けるかどうか。気圧で限界まで膨張させたBIG BAGにひとしきりハーッハッハッハ!と笑ったあと、まち針で刺して爆発させもうひとハーッハッハッハ。そのために来たのに。オーザックと迷った。最近のオーザックは内容量が減り過ぎだ。袋の4分の3はガスなんじゃないだろうか。物心ついた時は絶対にもう少しチップスが入っていただろう。これはオーザックのみならずチップス全般に言える話だがな。オーザックならほとんど気体だから、膨張率もすごかろうという予想。近所のまいばすけっとで2つを手に取り、やはりサイズと内容量、とBIG BAGを選んだ。意図しない形での正解。少しずつつまめば大分持つだろう。腹が減る。ひもじい。

「裏千弐百七式・闇削ぎ(↓\→↓\→A or C)」で暖をとろうとも考えたが、体力を消耗したくない。格闘技の試合中なら殴られたり蹴られたりして貯まる怒りのエネルギーも、ぽつねんと山の中で放っておかれたって一滴も湧いてこない。

両足を結ぶ縄。高校時代から未だにつけている。当時周りではミサンガが流行っていた。体育祭、おそろいのミサンガを足首に巻いて一致団結というムーブメントがどこからか、その辺の女子からか。馬鹿な。構っていられるか。八神庵は学生服の革ベルトで左と右の足を縛り付け、格の違いを見せつけた。お前らが足首に巻いている藁が千切れたぐらいで叶うような願いと俺の野望を一緒にするな。高3の体育祭、移動の自由が利かない八神庵の頭上を、大玉が遥か高く通り過ぎていった。クラスメイトの配慮から、八神庵のエントリー種目は1人欠けてもなんとか成立する大玉ころがしのみ。

大玉ころがしにしかエントリーしてもらえていなかった周囲の配慮、が茂みを掻き分けて虎のように襲いかかってきた。ついでに今さら携帯持ってない疎外や大会に誘うメンツの幅が狭いという龍や蛇までも。頭の中のひだが真っ赤に燃えている。草薙!こっちを見ないでくれ!!
頭をかきむしる。内省。八神庵は内省をしていた。今からでも遅くはない。ちゃんとやれる。間違っているところを直していこう。落ち着け。そこまで取り返しの付かないところまでは来ていないだろう。人生しかり。登山しかり。

今、 明らかにおかしいところは?そうだ。両足の縄をほどいてみた。なんてスムーズに動けるんだ。すべて自分が無理やり枷を作ってただけのこと。吸って吐いてが楽で楽で。馬鹿馬鹿し。ハーッハッハッハ!おもしろ。ポテチうま。「誰か居ませんか〜!?」と叫んだら、「はいは〜い?」と返事が聞こえた。下山途中のツアーのガイドさんだった。案外ずっと正規ルート沿いで来れていたらしい。恥ずかし。「いやー、焦ったんですよ!ちょっと迷っちゃったかな?なんつって!」八神庵、生涯初の「なんつって!」が飛び出した。↓\→↓\→A or Cで出そ。次から。
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2016年09月03日

中島らも『今夜、すべてのバーで』



昔、インターネットの女の人に「なんかおすすめの本ありますか?」と訊かれた。コイツといえばこれぐらいしか話題も持ってねえだろうから社交辞令で餌をばら撒いておいたら勝手にパクパクやってるだろう、とうらぶれた観光地にいる群れたきったねー鯉のような扱いです。その女の人は恋愛をやっていて、「あなたには絶対行かない、あなただけには絶対行かないから勘違いだけはしないでほしい」と念入りにバリケードを張られたうえで日々のやり場のない思いを一方的にぶつけられていた。別に俺じゃなくても誰であってもよくて、いちサンドバッグとしていつでもぶん殴れる存在で都合がいいだけだったのは百も承知だったが、女の人の肉の声が聞ける機会もそうそうなかったのでしばしばお話に付き合っていた。

中島らもの『恋は底ぢから』が良いですよ、と返した。恋愛をやっている女の人に勧められうる本、という属性の作品をほぼ通っていなかったからぬか床に肩まで突っ込んでかき回してかき回して、やっとこさ手に触れた一冊だった。バシャバシャ水面をのたうち、この作品がいかにしてステキか、と胸びれをボロボロにしながら伝えんとしたと思う。甲斐がむなしい。一生読みもしないだろう。今その人は無事に恋愛をやりつづけそろそろ2年になる。応援しとりますよ。

中島らもを初めて認識したのは爆笑問題が日テレで夜中に眞鍋かをりとやっていた「爆笑問題のススメ」だったと思う。あんまり話もかみ合っていなかった。もごもごと口の中で、のどちんこが喉で詰まっているようで何言ってるかわからなかった。
「いいんだぜ」歌っていた。ああ、こういうんでもいいのか。ぐらいだった。「俺も許されていいんだ!」みたいな感慨はなく、☓☓☓でも☓☓☓でもないな。危ねー。ぐらいだった。

大学に入ってから、BOOKOFFぐらいしか行く場所がなかったのでよく105円のコーナーで赤茶けた中島らもの本を読むようになった。エッセイは読みやすかったけれども使い回しばかりだった。いいのか?いいのか。

小説『今夜、すべてのバーで』はアル中の闘病記で中島らも自身の体験に即して書かれている。「何かを埋めるために、酒を飲む」をするようになったら、危険信号だという。飲み会だ付き合いだと、酒がついてまわるような場所で入ってしまうアルコールと、「やることねーので酒でも飲みますか」の、ただ粘膜を蝕んで時間を吹っ飛ばすだけのアルコールは違う。主人公は仕事を辞めてから物書きとして独立して、タイムカードを切らなくなってから四六時中真っ昼間でも飲むようになり、書けもしないミステリーの原稿を頼まれ、焦燥にガソリンをぶっかけるが如く飲みまくりぶっ倒れて入院した。

眠られないから、とか、アイデアを捻出しなければならない、とか、手段としてのアルコールというのは危ない。気付けとして、万能薬として、エリクサーとして酒に手が出るようになる恐ろしさ。
俺もけっこう、飲む。というよりかは飲んでしまう。誰が読んでいるのだかわからないようなブログだけども、何か思いつかねーかな、と飲みながら書いてたら存外へべになってしまい、朝目覚めたら星野源がドラマで新垣結衣の相手役を務めることになったニュースに対するそねみ・そねみ・そねみが延々続いていて、 まったく記憶になくてゾッとしてしまい必死に火にくべた。「兇行」なんて、戦中の新聞か?というぐらい物騒で油っこくていかつい表現で塗り固めていたのでよく燃えた。

破滅していく自分をどうしても客観的に見てしまうのは中島らもの性分で、「知・プライド・ロマン」の壁に最後の最後のブラックアウトまで寄りかかっている。どこまでも第三者だから、真っ白いうんこがぷかぷか浮いていたとか、小便がコカコーラの色味だったとか、深刻な病状、肝臓が終わっていく過程もドライに書いている。

霊安室に隠れて消毒用アルコールを薄めて飲んでいる同類から「飲みたいんだろ?」と盃を向けられても、 あさましいな、こいつ。一緒にせんといてくれ。と、きっぱりとではないが有耶無耶にして拒否する。とかなんとかやりつつ、なんとはなしにふらっと病院を抜けて、商店街のそば屋でビールと日本酒を注文してしまう。しかも、「無意識に」「流れでふと、つい」とくだらない理由で。滑稽ではあるけれど、彼を笑ってやることは決して救いにはならない。でも、酒を飲んでしまうサイドの自分としては、心情がわかってしまう。飲まない人も各々の依存しがちなものに置き換えて読めばわかると思う。

個人事務所で雇っている、旧友の妹だけが容赦なく叱る。その女性のおかげで最終的には立ち直ったていで物語は終わるが、自分の意識、人生を矯正するために往復ビンタしてくれるような女性なんかそうそう都合よく存在しない。これはフィクションです。

この作品のラストは、退院した病院の正面にあるバーでミルクを飲みながら、その女性にステキな台詞を吐き、どつかれてイスから転げ落ちて終わる。その場だけに立ち会ったのであれば、つまり「フィクション」ではなく実際にその現場に立ち会ったとしたら「ちゃん、ちゃん」「トホホ」「お酒なんかもう、コリゴリでやんす〜!」だが、これは「お話」なのでスローモーションで頭を打つ直前、歯の抜けるぐらいに気取ってキザな独白が挿し挟まる。久々に読み返したが、ここは妙に鮮明に覚えていた。

らも、モテたんだろうな。カウンターに座ってた時の横顔格好良くて、博識だしウケるし。"今夜、紫煙にけむるすべてのバーで。"か。今からタバコ始めようかな。
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2016年08月31日

ベジータに勝ててしまう

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しかし一生懸命で立派だな。たくさん汗をかいてるし。新陳代謝がいいんだろうきっと。ご幼少のころから過酷なトレーニングを重ねて、普通の人間にはとうていできない技術を身につけて、見習わないといけない部分が多い。でも悲しい。どういうわけか。パンチやキックや、エネルギーを遠くへ飛ばす技など、一挙手、一投足わかってしまう。砂ぼこりがおさまってきたら、おそらく彼、というか彼に声を当てておられる堀川りょうさんのC.Vで叫びながらこっちに向かっておなじみのかっ飛びをやってくるんだろう。


いったい私は何をやっているんだ?なんでこんなにゆっくりはっきり見えるんだ?パンチやキックが。実家が酒屋でこんな小っちゃいころから手伝いして小銭をもらっていた。けっこうな力仕事だったのでたぶん足腰というか、下地というか、ベースというか、ファウンデーションというか、そういったものは多少鍛えられたかもしれないが、酒屋でビールケース運んでただけで、わざわざ宇宙から来たケンカの強い成人男性に勝ててしまってよいのだろうか?


私大を出て、今では電機メーカーの営業をしている。暖房器具を中心に扱っている。夏のこの季節は閑散期、伸び悩む期間だから会社的には苦戦を強いられる。が、実際問題おのれが食えればどうってことはなく、業績なぞてんで興味もねえので、最近外回りの時はもっぱら甘いものを食べている。しらたまぜんざいを食べている。涼(りょう)を感ずるのが好きなんですね。おっ、堀川りょう。つって。うまいですね。南部鉄器のちりんちりんの下で、寝っころがって夏が過ぎる。晩夏?挽歌?


この人の一生懸命は私の人生に何も関係がねえ。鳥山明先生風に言えば何の関係も「ぬわい」。ぬわい、って。明日会社で使ってみたろうか。OLさんがワッハッハしてくれたら幸せ。倖せ。くぅ。ぐわんげ。


いったい何が不満なんだ?おい。ベジータさん。あなたには器量のよい奥さんがいるだろう。十分じゃないかそれで。交換しないか?立場を。あれだよあれ。ギニューっていただろう。あいつうらやましいよな。便利で。チェーンジ!ってあれ。ポーズがね。格好良くて。


退屈でしょうがない。ベジータさんに勝ててしまう。意味もないのに。仕事など止めて、セルゲームに参加をしようかな?たしか今公募をしていたはず。条件も特に厳しくなかった。都内在住会社員独身。証明写真を用意しなければ。去年の春に免許更新した時の余りがなかったっけ。これはでも、もし私がセルに勝ててしまったとしたら、次の日からどうすればいいのだろう?おそらく有名になって仕事も辞められる。とりあえず、そうしよう。外回りをしたくないんだよな。商材が重たいので最近腰をやっていて。車の運転もだるい。首都高の合流が怖い。ベジータさん合流したことある?あいつらまったく入れる気ねえんですよ。もし事故ったら弁償しなきゃなんないじゃないですか。始末書も書くし。私自体はかなり頑丈にできているので平気なんですがね。


ファイナル・フラッシュとかビッグバン・アタックとか、どうやって考えたんですか?名前。自分で思いついたんですか?そういうの考えてるとき楽しくないですか?「最後の輝き」「大爆発攻撃」って。威勢がいいですね。サイヤ語ってのはないんですね。日本語と英語。使いこなしてらっしゃる。そっちの才能を活かされてみてはどうでしょうか。真面目にやってみては。


お互いに向いている分野とおかれている状況がかみ合わなくて、嫌ですね。これ、何とかならないものですかね。嗚呼、ベジータさん。一回そのエネルギーを私にうらうらと飛ばすの、一回やめましょう。一回やめて、はい。ありがとうございます。それでもって今後のこと考えましょう。なんか趣味とかあります?あ、ベンチありましたね。コーヒー買ってきます。微糖?あ、無糖で。ゲホ。すみません。砂吸いこんじゃって。むずむずしちゃって。鼻が。ベジータさん平気なんですか?やっぱそうですよね。慣れてますもんね(笑)
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2016年08月22日

みんなの青春、受け止めます!しきぬ ふみょへのお悩み相談室

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こんにちは。しきぬ ふみょへです。
高校のころは勉強をして、大学に入ることが出来ました。就職をしています。自信あります。よろしく。


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高校に入ってから吹奏楽部に入部しました。学期中は週7日で練習があり、塾は土曜日だけ通っていますが、夏休みの講習はほぼ毎日あるので1日の練習時間が減ってしまいます。

もともとやっていた年数が少ないからというのもあるのですが、楽器が上手にならず、パートリーダーなのに下手くそなままなのが悩みです。

これからもっと勉強と部活の両立は難しくなってくると思うし、音楽はあくまでも部活動としてやっていることで、将来の職業にはなりません。

そんな自分が「今、音楽に打ち込んでいる理由ってなんなのかな?」って時々冷静になって考えてしまいます。私はどうすればいいのでしょうか。
(高校2年、女子)
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最近俺は純粋に高校2年生の女子高生にお金をあげる方法ばかり考えている。決して買春目的とかじゃなくてね。俺みたいな人間が吹けば飛ぶような小金をさも後生のように抱えていてもしょうがないし、かといって募金もなんか使い道や金の流れが不透明な気がして癪なので、街角の女子高生にいきなり声をかけて茶封筒に入れた5万円を渡したいんだ。
出来ればどういう名目で使ったかを茶封筒の裏側に書いてある電話番号にかけて報告してほしい。でも親にあげたとか、貯金したとか、そういうのじゃつまらないから、何か必ず物品を買うか、あるいは旅行に出かけるなどアクションを起こしてほしいんだ。その話を電話で5分だけしよう。もちろんそれでおしまいだ。でもまたお金が欲しくなったらいつでも相談に乗るからね。


高校2年生の女子、とこうして法の目をかいくぐって公的にやり取り出来ている時点でマイナビさんには感謝をしています。マイナビさん最高!めちゃくちゃいいんだよな〜マイナビ。いろんな業界の会社を紹介してくれるし。あんな会社やこんな職業も!?マイナビ!マイナビ!!!やった〜〜!!!!これは04年アジアカップ決勝のセルジオ越後さんのまねです。


楽器なんかやっていたら楽器やってる奴としか仲良くなれませんからね。このコーナーのノベルティは5万3千円の入った茶封筒にします。さんま御殿に送るよりこっちのほうがよっぽど倍率低いですよ。5万3千円であったけぇ煮込みでも食べてください。


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僕はクソみてーにサラリーマンをしながらTwitterの面白ツイートでファンを獲得していないしきぬ ふみょへさんのようではなく、自分の好きなことを発信できる人になりたいと思っています。
僕自身もTwitterをやっていますが、親や先生にバレないように鍵アカウントでもっぱら見るだけになってしまっています。自分からも能動的に発信できるようになりたいのですが、特定されたり、晒されたりするのが怖いです。

そういったリスクを超えて、自分の好きなことを人におすすめする時のコツや、その情報発信力を自分の生活や進路選択に活かす方法はありますか?

(高校1年、男子)
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インターネット大喜利をやるのがいいね。インターネット大喜利は匿名でできるから安全だし、おもしろギャグを言ってみんなを笑わせちゃえるんだ。でもこれだけは肝に銘じてほしい。お金を1円ももらえないこと。結果を残しても誰にも褒めてもらえないこと。女にもてないこと。意味ないこと。時間取られること。


自分から能動的に発信をしようなんておこがましい考えはよしたほうがいいよ。どうせウケないんだから。万が一へんにウケちゃって声だけででかくなると、自分が間違っているはずなんかないんだ、人の意見なんか耳を貸す必要なんかないんだ、と人間は増長してしまうから、山に登るなどをして新鮮な空気を吸って、己の小ささ、そして大自然のスケールの両方をバランスよく頭に入れておくようにしないとね。


未来に夢なんか見ないで現実を見よう。納税をしよう。あと、日商簿記や社労士など、若くて時間のあるうちに、きちんと社会に役立って、くいっぱぐれのない資格の勉強をするのもいいね。そう、就職に有利な。マイナビ最高!めちゃくちゃいいんだよな〜マイナビ。マイナビとお肉、同じぐらい大好き!!!マイナビ!!お肉、マイナビマイナビお肉!!白ごはん、マイナビ、お肉!!!
え〜、5万3千円差し上げます。


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僕は友達とバンドを組んでいます。友達と一緒に演奏をするうちに、このまま音楽に携わる仕事をしたいと思うようになりました。しかし、親は賛成してくれず、「勉強しろ」とうるさいです。

確かに音楽を仕事にするのは難しいとは感じています。僕には何かしらのコンテストで入賞した経験やWebにアップした音源が話題に、といったこともないため、自分の実力がどこまで通用するのかもわかりません。

ただ、とにかく音楽に関わる仕事をしたい、という熱意は誰にも負けないと思っています。そこで音楽に詳しくない、きしょカスあぶらゴキゴキ眼鏡に質問なのですが、音楽に関わる仕事の具体例、そして近づくための進路を聞きたいです。

(高校2年、男子)
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体を鍛えよう。体を鍛えるとメリットがたくさんある。女にもてるし、自信もつく。口うるさい親だってひねりつぶせるしね。健全な精神は健全な肉体に宿るし、夏を制するものだけが恋を制するんだからもう覚悟を決めよう。体幹が安定してくるにつれて、音楽なんてくだらない、軟派で野蛮で破廉恥なものに頼る必要がなくなるわけだね。
きみは截拳道(ジークンドー)を知っているかな?香港のアクションスター、ブルースリーが始祖の格闘流派なんだけど、彼は"拳"より"思想"に重きを置いていたんだ。東洋哲学なんかに傾倒したらしく、宮本武蔵の五輪書から引っ張ってきた「水の心」を己の考え方に染み込ませている。水はペットボトルに入ったらペットボトルの形に、コップに入ればコップ、せせらぐことも岩を打ち砕くことも自由自在だ。ブルースリーは「Be water my friends!」という言葉を遺してくれた。男なら極限まで頭脳と肉体を磨き上げたいよね。


ただしどうしても音楽をやりたいというのなら、君はMANOWAR(マノウォー)を目指しなさい。高校2年のうちからMANOWAR(マノウォー)をめざした日本人なんて未だかつていないだろうから、今からなら君も伝説、獅子王になれるかもしれないよ。え〜、5万3千円差し上げます。


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2016年08月21日

『あの頃ペニー・レインと』の感想




この映画でいちばんださい奴は、ロックンロールバンドのボーカルが「I am a golden god!」と叫んでプールに飛び込んだあとからついついはしゃいじゃって追っかけてきた取り巻きだと思っている。


でも音楽やってる人の周りってそういう連中ばかりなんだろう。いろんなグラデーションのだささ=青さの人間を「それもアリ」と肯定してくれている。レッドツェッペリンの追っかけをやっている男子高校生は自分が弾くギターを聴いてくれるような友だちがいなさそうだし、顔がブスなんでバンドTシャツにピンボケでプリントされてしまったやつはボーカルに「てめぇは顔がいいじゃねえか」と解散宣言してて、ださい。そのボーカルだって、エッチな女の子とエッチがしてーという気持ちが半分、バンド売れてーがもう半分ぐらいでやっている。ちょっと心をひけらかせば、本音で語っている「ふう」をよそおえば、あと顔が良ければ、「私だけに心を開いてくれている!」とエッチな女の子はすぐに騙されてお薬をやってエッチをできてしまう。


主人公のウィリアム君は最初何も知らなかった。ださいお母さんに飛び級をさせられて、11才まで自分の年齢を知らされないほどに徹底的に母親の管理下で育てられた。姉ちゃんがズーイー・デシャネルでまじで可愛いんですが、その姉ちゃんが先に母親のもとから離れてスチュワーデスになった。こっそりベッドの下に隠していた姉ちゃんのレコードを聴いて、ウィリアム君は俺の生活、ださかったのかよ。と気づいた。


16歳で音楽誌の記者になる。これだって、ウィリアム君は気付いていないかもしれないけども、いやラストには気づいていたかもしれないが、母親に詰め込まれた教育のおかげで語彙や知識がついたから若い割にこなれた文章書けるようになった。大人も褒めそやす。母親の影響という網からは、どこまで行っても、ロックンロールのバンドに帯同してワゴンやバスに乗っけてもらってアメリカの反対側まで離れても逃げられない。


お母さんも良くて、旦那は事故で早くに亡くしているので女手ひとつで姉ちゃんと息子を育ててきたわけで、姉ちゃんに家出されたのも息子がロックにかぶれてバンドにくっついてるのも不安で寂しくてしょうがない。息子がお薬をやっていないかどうかモーテルに電話する。そういう行動を、「うるせえなババア」と敵意で描くのではなくて、このお母さんの行動も良い、あるいは善いだささとして扱っているんですね。家族3人仲直りして食卓を囲むシーンが好きです。


で、ケイト・ハドソン=ペニー・レインは、端的に言うとメチャクチャ可愛い。童顔の童貞と並べた時のバランスを取るために産まれてきたのかよ、というぐらいにみずみずしくて爆発的にえろくてゴイスーなんですね。
このウィリアム君はペニー・レインという本名も年齢もわからない女の子に当然の流れとして惚れます。でもペニー・レインはグルーピー、ロックンロールのバンドにくっついていってエッチな行為をしたり、お薬をしたり、次の日はエッチな行為をしてお薬をするような娘で、バンドのボーカルの彼女を気取っているのでウィリアム君をたぶらかすんですよ。
そのボーカルも、カードに負けたらあの女とビール交換な、と調子に乗ってやったら案の定負けて、ペニー・レインもそれを知ってしまって傷心する。しかもウィリアム君の口から。その気まずさ。泣きながら笑いながら「ビールの銘柄なんだった?」って聞くんですよ。ハイネケン、大衆ビールなんですけど。それはウィリアム君は言わない。心の推し量りが美しいし、午後三時くらい?の日差しの下で強がるペニー・レインがメチャクチャ可愛い。


この娘は拠り所を失った衝撃で自殺を図る。酒と睡眠薬のちゃんぽんで。ふらっふらになってるホテルの一室にウィリアム君が駆けつけて抱きしめて告白する。ほんとうに良い。ほんとうにマジで良いんですよ。
男は精神的にぐらついている女を目の当たりにしたら「守ってやらないと」が働くようにできているので、これは下心とかおちんちんとか、父性本能とかいろんな言葉で説明がつく。とはいえ映画の中だからこそ、そういう汚い打算を外せられるので、単純に美しいものとして捉えてもいい。俺はメンタルの健康が芳しくない女の人を好いたことがあって、いろいろ経てその人に命の脅迫をされるようになってしまった事件もあったんですが、そのうち時が来れば書きます。畜生が。


面倒くさい女の人には近寄ってはならないという標識が心に屹立してしまったのだけれども、そんな、まぬけで鼻水を垂らした自分の、「理想の着地」を決めてくれているこの映画は素晴らしくて、こうでなくては、ありがとう、という。悪いやつが出てこないのでいい。


ここからは少しばかし悪口になります。地下室 TIMESというホームページで、まあバンドに寄り添う女どもにケチをつけたり、提言めいたことを腕を振りながら述べている。これお金をもらっているのかな。この記事とか、この記事とか、下品を糾弾するつもりで書いているのだろうけども、俯瞰で物を見る目線がエラくて高尚だと決めつけないほうがよい。「飛び込める人」「ダイブをしている人」への尊敬の念、は何処かにあるべきなんじゃないか。どうも自分の「引け目」を見ないようにして人様をやっつけようとしている。どえらくひん曲がった志(こころざし)だ。だささを受け容れる土壌がない。それだけ真っ直ぐなんですか君たちは。嘘つくなよ。笑っちゃうぞ。エッチな女の子とエッチをしたいくせに。


いいだろうが。第三者目線って、実はださいよ。俺もださいんだよな。嫌だけど。どんくさい自分を受け入れる。必死。必至。ましてや邦楽のロックンロール・バンドが好もしいのだろうから。「自分だけは特別」じゃないよ。あなたはただのたまたまだから。お母さんの顔を思い出してください。お金ください。ジョーイ・ラモーンは「女の子にもてたいので、ラモーンズを作りました」と言った。その程度なんす。
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2016年08月20日

爆乳と私/爆乳と死について

■爆乳と私


おっぱい。乳。乳房(「にゅうぼう」とも「ちぶさ」とも読める)ボイン(R.I.P 巨泉)。しょう太くん。爆乳。アナグラムでパイオツ。松坂の嫁。ロケット。ロジャークレメンス。スイカップ。山形県。ビッグユニット。ランディジョンソン。
爆乳という言い回しが一番面白い。爆(は)ぜる乳。爆乳の前では常に少年でありたい。朴訥でありたい。丸刈りでありたい。
武天老師様のように、鼻血を吹きながらもんどりを打ちたい。ぱふぱふ、という表現は天才だと思う。
XVIDEOS(エックスビデオズ)でサーチをするときはboobs、あるいはtitsなど。頭に「Japanese」とつけないと大変なことになる。


生涯を振り返って爆乳にまつわる私の発露は『こちら葛飾区亀有公園前派出所(通称・こち亀)』113巻の表紙である。秋本・カトリーヌ・麗子さんと麻里 愛(あさと あい)さんが非常に下品で扇情的なたたずまいで写っている。前と後ろのビニル製三角形が金属の環で結びつけられている。素足に直(じか)でホルスター。肩には旭日章、および合衆国警察のシンボルと思わしき刺青。作者の秋本治先生は日本のギャグ漫画の一線を走り続けており、ここまで過剰にデフォルメされた暴力・性表現も、おそらくは彼ならではの「おゲレツ・ユーモア」であって、週刊少年ジャンプの購読者層の深層心理を巧みに捉えるその手腕・辣腕・敏腕には目を見張るものがあるといえよう。誰が公務員の二の腕にタトゥー彫りますか。


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秋本先生のこうしたおゲレツ・ユーモアに心を奪われてしまったのが小学生だった私で、バカで下品で特殊で、キッチュで俗悪で汗っかきの性表現に興奮を覚えるようになってしまった。いうなれば、から揚げにマヨネーズをかけて温泉卵を割った丼をとんこつしょうゆラーメンとセットで850円、くらいのカロリーおよびパフォーマンスがないと性に満足できなくなってしまったのである。加えて、松山せいじ先生の『エイケン』に深く下っ腹をえぐられた。10台前半でありながらバスト100オーバーの春町 小萌(はるまち こもえ)さんがうどんの生地を踏んで、万有引力を一切放棄した軌道で片乳ずつ交互に暴れていた。この乳が揺れる演出のためだけにうどんというギミックを用意する松山先生にもっと敬意を払うべきだし、生卵を投げつけるべきだ。すっかり私は心を奪われてしまった。ただ、ストーリーはこれっっっっっっぽっちも覚えていない。


物理法則を無視した揺れ、でいうと、ゲームメーカー、テクモの3D格闘『DEAD OR ALIVE』シリーズが出だしたころで、爆乳を3Dで揺らすためだけに開発された演算シミュレータが組み込まれているという名目のもとで鼻水の止まらない我々選手一同が続々とフィールドに集まった。PS2で発売された続編や、XBOXでのビーチバレーはつべこべ言わずに乳が弾んでいさえすれば向かうところ敵なしという旗印を掲げており、威勢がよかった。気っ風がよかった。てやんでえ、こちとら乳揺らしておまんま食ってるんでい!だった。他メーカーでいうと、『ソウルキャリバー2』のタキしかり、古くは『キング・オブ・ファイターズ』の不知火舞しかり、DOAで言えばかすみ、あかねなど、私の性欲のお仏壇は「オンナ忍者」という職業についていらっしゃる方々からのお供えに預かっていることが多いようだ。くノ一稼業も気苦労が耐えないとお察しします。エッチであり続けるのも大変かと存じますが無理をしない範囲で、細々とでも良いので、お体に気をつけてお過ごしください。


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私は過ごした2000年代初頭はイエローキャブ、サンズなどに所属している爆乳グラビアアイドル全盛で、佐藤江梨子さん、小池栄子さん、MEGUMIさんら通称さとこいめぐさんを筆頭に、酒井若菜さん、川村ひかるさん、川村亜紀さん、内田さやかさん、かでなれおんさん、和希沙也さん、夏目理緒さんら未だにその活躍は留まるところを知らない方々が目白押しの黄金世代と言える。爆乳が彩った、爆乳に彩られた時代だった。
今ではどうなのかわからないが、テレビ東京で平日のド深夜2:30くらいからお下劣番組枠があった。古くはギルガメッシュナイトから続いている伝統なのだと思う。『水着少女』で「CMのあと、"おパイン"登場?」という煽りの後、明けでパイナップルがプリントされた水着の女が出てきた時には悔しくてブラウン管を殴り割って感電して死んでしまった。ゲームに負けたら「苦い牛乳を舌の上に垂らす」という罰を考えたテレビの人は今頃シベリアに送られているだろう。ぷっすまで素人の美人奥さんに声をかけてアドリブで料理させるコーナーに、この『水着少女』でも出てきた女が登場した時に私ははじめてメディアは嘘をつくと知った。
タイトルは覚えていないが、ガダルカナルタカらオフィス北野所属のタレントがパチンコを打つ映像と、コスプレをしている爆乳グラビアアイドルが交互に映るだけという、悲しみの果てのような番組もあった。そんなものに関わっている人間たちが各々ギャランティを得ていた事実を我々は風化してはならない。『文化の頽廃』という番組タイトルだったかもしれない。



エッチビデオも、漕げば漕ぐほど女性が快感を覚える機構が組み込まれている自転車でサイクリングをしたりだとか、教室を模したセット のそこかしこの壁や机に空いている穴から出たり入ったりするだとか、エロからというよりギャグから入っている、クラフトマンシップが必要のないのに滲み出ている作品を好ましく選んでいる。たぶんこういう作品は中高とまっとうに異性との交際関係を経た人間はまず笑ってしまって手が伸びない、食指の動かない分野だし、まっとうに歩んできた自覚を抱えつつこちらの方面に反応する人はおそらくすこし気が触れている。


ずるずると大人になった。さすがに冷酒と野沢菜、香の物などで1時間半ぐらいは斬りあえる剣術を学びはじめた。難しい。骨が折れる。けれどもこれは多少お金に余裕ができて、食事への選択肢が広まったことが大きいっていうのもある。相変わらずそこに往けばどんな夢も叶うという、シンプルにピンク色のネオンがきらめく、ロマン輝くどスケベアイランドへ向かう船便が出ない。ガンダーラ。グアダラハラ。風も動かない。


初めて女性の爆乳を見て、触って、楽しんじゃった、爆乳レクリエーションをしたのは23歳の春ごろだった。高円寺に住んでいた。高円寺駅周辺には金銭と引き換えに女性の体をある程度自由に出来る性風俗店が林立していて、学生時代にまったくメスないしメスガキとの交流がなかった自分はこうなったら経済のパワーで、お金と血液の循環とともにおちんちんを触ってもらおうと近場だった今は亡き「ageha」というピンサロに目星をつけた。日中でメルマガ割りが効いて4000円ぐらいだったと思う。お金さえ支払えば女性の体を40分弱意のままに操れるマグニートーになれる。


勢いをつけようとして、決行の日の昼下がりに大好きな『グラン・トリノ』を観た。安酒を入れながら観た。わんわん泣いてしまった。トランクス一丁で、トランクス一筋であぐらをかきながら観た。イーストウッド、指でピストルを作って中華系のチンピラどもを黙らせる威風。そんな虎の威を背中にしょって、人畜無害の一童貞がピンクサロンのドアを蹴飛ばした。正確に言うと、しばらく店の前をうろうろしたのちに「ハッ!出来る!俺は出来る!ハッ!」と市原隼人さんのような檄を己に叩き込んでよわよわとノブを捻った。


初めて爆乳を触った時は「アラッ、意外とさらさらっとしているのね」と思った。もっとしっとりとした、吸い付くようなフィット感、グリップ感を想像していた。先から私は性風俗店の冷房は弱めに設定してくださいと歎願しています。
その相手は青山テルマさんのようないわゆるジャパニーズレゲエフェイスで実直に好みではなかった。しかしベンチシートの上から頭皮のにおいを嗅いだ。興奮した。
秋本先生からおゲレツの芽を植え付けられて以来花の咲かないままで随分と長い間思春期がストップしてしまっており、性的嗜好、性的味覚が育たなかった。ピーマンは苦いまま。塩辛は海臭いだけ、うなじなんかいつでも見られるじゃないか。汚いものや鼻をつんざくものに興奮する。ああ、嫌だ。おお、嫌だ。目頭を押さえながら私は頭皮を嗅ぐ。


自分に乳があったならどうだっただろうと考える。しかも爆乳だったなら。
あの娘僕が爆乳だったらどんな顔するだろう。爆乳かつ、ロングシュートを決めたらどんな顔するだろう。まず走り回る。自分の意志が介在しない物体Xを両肩からぶら下げて真夏の渚に突進する。爆乳丸進水式。帽振れ帽振れ。
爆乳には蓄光性がある。真っ暗闇の中でどうしたら良いのか判らない時だってとにかく爆乳の光が射す方向を目指していれば迷う心配はない。爆乳灯台。爆乳澪標。われても末にあわんとぞ。


■爆乳と死について


「海は死にますか、山は死にますか」、まさしは歌った。その詞の中には爆乳は登場しない。爆乳は海や山と比肩しうる尊いものであるのに、まさしは爆乳について歌わなかった。


最近親しくしている、爆乳のRさんという方がいる。元キャバ嬢で歌舞伎町でチャンピオンになったこともあるRさんは、爆乳であるのにもかかわらず、気さくで、人生経験豊富でとても魅力的なのでおそらく近々天下を獲るだろう。
私からすれば無敵、戦車、ドイツ、ブロッケンのように感ぜられるが、Rさんは死にかけたことがある。長年同棲していた彼氏に破局を申し渡され、マンションの窓からガンバ!Fly high(アニメ版タイトルはガンバリスト!駿)をしたらしい。
私が観ていたのはアニメ版のガンバリスト!駿のほうだったので原作に該当するエピソードが収録されているかは定かでないが、体操部に入ったばかりの駿が陰険な先輩に「体育館のギャラリー的な場所から跳びおりろ」と指示される場面があったように記憶している。頑健な駿でさえひるむ。だのにRさんはそれ以上の高さから飛翔した。

Rさんは背骨を折る重症だった。しかし命は無事だった。無論、爆乳のご加護があったとみて差し支えないだろう。神は日曜日に休息をせず、爆乳を創りたもうた。乳よあれ。するとエデンはたちまち栄えた。
爆乳に宿る神性は、1房に1つとして、計2回まで生命の危険から身を護る。だからRさんはもう1回ガンバ!Fly highをしてもセーフで、暴走トラックの前に立ちはだかっても船が沈んでも青酸カリを飲まされても生き延びる。

神のご加護のみならず、科学的観点でも爆乳は危機に強い。衝撃が迫ったその瞬間に、爆乳からうすい膜のようなものが張られてインパクトをやわらげる。おぼれてしまう心配もなく、仰向けになればその浮力でただようことができるので、海流に乗ってカタクチイワシとともにチリ沖あたりで水揚げされて助かる。青酸カリや毒物が体内に入っても、爆乳の中にあるふくろ(赤いドクロのマークが描いてある)に蓄積されるから、その許容量を超えない限り、体中に毒がまわってしまうことは無いのである。以上のように、宗教的にも科学的にも爆乳は死を遠ざけるのだ。

しかも爆乳はやさしいから、人を傷つけることもない。強いものは暴力を振るわない。心の余裕が爆乳を生む。

爆乳にも「死」や「老い」はやってくるのだろうか。わたしは爆乳が老いていくところを見たことがない。高橋留美子先生の感性は衰えることを知らないし、朝丘雪路さんも未だ「1000円札以下の貨幣にお金という認識がなかった」エピソードに代表されるチャーミングさを失っていない。
「爆乳、ここに眠る」という墓標も見たことがないし、「爆乳院大姉」のような戒名だってない。
爆乳の死ぬ時は私の死ぬ時なのだろう。私の生きている間、爆乳は決して死なないのだ。過去も現在もずっとあるじゃないか。爆乳は。だからずっとある。


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2016年08月15日

コミュニケーション・ジャンピングボレー

「ハンマー投げってどこで練習するんでしょうね?」
「どこでってお前、あるだろ。投擲競技用のブースみたいなやつがよ。フェンスで囲まれててサークルの中でやってるんだろうよ普段から」
「いや、そういう話じゃなくて普段ですよ。自主練ですよ自主練」
「なにが」
「迷惑じゃないですか。部屋でできますか?野球なら素振りぐらいできるしサッカーでも庭とか駐車場でリフティングならやれるじゃないですか。勉強部屋でハンマー振り回してたら壁とか家具とか危ないでしょう。僕なんかヨーヨー流行ってた時にふすまに穴空けて親に殴られたんですから。外でやるんだって回すところまでですよせいぜい。興が乗って放り投げたら無差別にどこかの誰かが死ぬかもしれないんですよ。どこで普段やればいいんですか?ハンマーって。」
「そらお前、室伏ってたしか外人とのハーフだろ。持ってるってきっと。日本じゃ到底個人じゃ持てないような広い広い土地を持ってんのよ。アルプスかどこかに。ハイジ見たことあるかハイジ?世代じゃないから伝わらんかもしれんけど、金持ってると思えないしょぼくれた爺さんだってあれだけ広い牧場を管理してるわけだから。ハンマーなんかブン投げ放題だろ」
「ハンマーやってるやつ全員外人前提で話を進めるのをやめてもらっていいですか。日本でだって大会開かれてるでしょうが」
「だから弱いんだよ日本人は。室伏は環境に恵まれただけなんじゃないか?どうだ、解決しただろ。外人は自主練やってるんだよ。野っぱらのど真ん中で」


すいません、生2つ…


「いや僕はまだ納得いってないですね」
「もういいだろ。普通に最近休みの日何してんのかとか近況報告でいいだろ、そろそろ」
「休みの日にこんなことばっか考えてるから今言うしかないんじゃないですか。あなた以外に聞いてくれそうな人間がいないんですよ。助けてください」
「そこまで見初められる筋合いないよお前から」
「百歩譲って外人は草原でハンマーを振り回してるとしますよね。どうやって持ち運ぶんですか?ハンマーを」
「ナップサックみたいなものに背負っていくんだろうよ」
「ハンマー回すまで背筋発達しきってる人間がナップサック背負ってるの、見たことあるんですか?あれは小学生かなで肩の大学生しか身につけちゃいけないアイテムなんですよ」
「確かにないよ。俺もなんでナップサックなんて提示したかわからないよ。それぐらい当の疑問に対して真剣に向き合えそうにないんだよ」
「おもむろに首にひっかけて行くんですかね?チェーンを。すいません銃刀法って鉄球もアウトなんですか?」
「刃渡り何センチうんぬん以上がアウトっていうからな。"銃"でもないし。ことによるとセーフかもしれない。セーフだセーフ。首に鉄球結んである鎖を巻き付けてる人間を電車で見てもお咎めないんだろうな。それだそれ、はい解決!料理頼もうぜ料理。まだ何も提供されてない状態でこれだけ何も生まない議論で消費してる卓なんかないだろ。見渡してくれよ周りを」


「あ、槍が解決してない」
「は?」


生2つお持ちしました…


「槍ですよ槍。投擲用の。スピアーですよ。ジャベリンですよ」
「どれ頼もうかある程度品定め終わってたんだよ俺は。おしながきの朱色の筆ペンで線引いてるハゼの天ぷらと大好きなチャンジャを、生が出てきたタイミングで注文しようとしている。何故わからないんだ」
「持ち運びの問題です。ポータビリティの面で解決していない。槍、そこそこ長いですよ。あれで電車乗れないでしょ。さっき出てた銃刀法にも引っかかりますよねたぶん。どうしますか?」
「シャコン、シャコン、シャコン、ってなるんだろきっと」
「どういうことですか?ちょっと意味が」
「だからシャコン、シャコン、シャコンだよ。高枝切りバサミあるだろ。テレビでしょっちゅう通販してる。あの要領で3段階ぐらいで長さを調節できるんだよきっと」
「日本製の槍は8回シャコン出来たりするんでしょうね。おのおのしっくりくる長さは違いますから」
「槍のメーカーが日本に居を構えている前提だね」
「砲丸投げの砲丸は日本の町工場製がいちばん遠くまで投げれるそうですよ」
「報ステか何かで見たことあるな」
「遠くまで鉄の球体を投げ飛ばして、それで競って世界一になりたいって思ったことありますか?僕はないです。もし自分にそのパワーがあればアマレス、柔道とか別の五輪種目でも上位を狙えるはずです。技術問題を加味しても、備わっている膂力をもってすれば本気で4年間メダルに向けた鍛錬を積んでそこで世界の頂点に立てますよきっと。あるいはプロレスだってマッスルミュージカルだって、ショービジネスとして確立されているジャンルに集中すればもっと金銭的には潤うチャンスは増える。それなのにただただ重たいだけの鉄球を遠くまで放り投げた距離で競う意味なんかありますか?だからどうしたと思いません?まあ、砲丸だけじゃなくてハンマーも槍も円盤も全般的に言えることなんですけどね。ちょっと理解しかねますね。僕には。練習場所、ポータビリティ、何もかも非効率的なんですよ。日本の技術がそんなくだらない分野に応用されていちいち浮かれてるからこの国はダメなんだ。そうは感じませんか?」
「唾を飛ばすな。頭に入ってこない」


料理のご注文良ければお伺いしますが…


「ポテトフライと鶏のから揚げ、出し巻き。とりあえず以上で」


かしこまりました…


「お前は死ね」
「えっ、何でですか?」
「俺が筆ペンで朱色の線を引いているおしながきにある程度目星をつけているくだりがあったよな?俺は楽しみたいんだよ。大衆居酒屋だろうがその時に応じて一番店側が自信をもって提供してくれている品もんを食べたい。お前の些細な疑問と妄想に付き合っているだけでも度量が有り余っているよ。なおかつその上に無礼を重ねるか。ハゼの天ぷらと大好きなチャンジャを食いたかったんだよ俺は」
「次追加すればいいじゃないですか」
「ポテトフライと鶏のから揚げ食っちゃったらある程度満足しちゃうだろうが。油に対しての許容量が体育会系のお前とはだいぶ差があるんだよ。年齢だって5つも離れてれば案外壁があるからな。ポテトフライとハゼの天ぷらは共存しないんだよ。揚げもん、一品もの、プラスアルファさっぱりした料理で完結したいんだよ。労わってくれよ。無理強いしているわけじゃないから」


えーポテトフライと鶏のから揚げ、お待たせ致しました…


「じゃあ俺が片付けますから。腹減ってるんでこのくらいは軽いです。先輩は先輩の食べたいものを食べてください」
「いや食うよ。腹減ってるから。同じタイミングで仕事上がってるんだから判れよそのくらいは」
「それは止めはしないですけど。案外ポリシーないんですね」
「寛容なんだよ俺は。本来は怒りたくない。余計なエネルギーを怒りに回したくないんだよな。……あー、美味い!から揚げ美味い!ポテトの安定感も落ち着く!ありがたい!」
「ほら、悪い脂って美味しいでしょ。どんなに強がっても。先輩は結局ケチつけたがりなだけなんじゃないですか?ハンマーだって槍だって、シンプルに力があった上で技術が備わっている人間が勝つんですよ。効率性とか将来性とか加味したがるところがいけすかないですね。だから理屈っぽくて女性に理解されないんですよ。もっとおおらかに生きたほうがいいんじゃないですか?独身でいるよりそっちのほうが楽しいですって人生」
「お前絶対殺すからな」


気持ちが悪い、居心地が悪いと感じるか、あるいはホールの店員の気まずい佇まいに肩を持つか。もしくはここまで不器用なやり取りはあり得ないと断定するコミュニケーション極右の皆様へ。相手は案外ふざけてます。思っているよりあなたのことを馬鹿にしています。お互い。ですので、もっと思いやりのない、適当なセンタリングを上げてください。無理やりな体制でボレーシュートを撃ちますので。信頼をしてください。案外際どいことを言ったとて、目上だろうが目下だろうが、受け止めようとするハッスルは見せてくれるはず。どうかよろしくお願いします。もっとキラーパスを放っていこう。周りを見くびるのをやめましょう。から揚げもお刺身も美味しい。公共広告機構です。



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2016年08月08日

悪魔を払って

モンゴル出身、相撲の逸ノ城関の嫌いなものが「歌」らしい。勝てるわけない。ただでさえ身長193cm、体重211kgと体格だけでも十分なのに、心までモンスターなのか、と恐れおののきまくって自分が力士だったら立ち合いで迷わず拳銃を取り出す。もちろんちゃんと相撲協会と猟友会に許可は取りますよ。行司にも土俵入りの時にチェックしてもらいますし。「これから確実に殺される場合に限り銃可(じゅうか)」ってどこかに書いてるだろ。それでも負けると思う。手羽先をもがれて捻りつぶされてグチャグチャ。つくねにされる。ただいまの決まり手「つくね」。平成に入ってから未だに出てない大変珍しい決まり手です。俺の死がいに卵黄を塗る木村庄之助。


だからちょっとでも、ほんの少しでも歌が嫌いな逸ノ城関の気持ちがわかりたい。融和政策を取らないと末路はあら挽きからのハナマサコースだから。贅沢は申しませんが、せめて、せめて原型をとどめた状態で死なせて頂きたく存じますので、自分にも「歌、嫌いだな」と感じたかつての出来事を掘り出し、相手の感情を欠片でもいいのでわかろうと振り絞って思い出してみたら、けっこうあった。



■中学3年、秋の合唱コンクールで張り切ってしまった。ちょっと男子まじめにやってよ、みたいな伝統芸あるじゃないですか。ああいう行事って。運動が全然できない上に見た目および中身がきしょかったので無論バカほどモテなかった。でも歌ぐらいだったらちょっと本気だしたら何とかなるかもしれない、みんなが適当にやってる中であえてまじめに、バカまじめにやってみたら気を惹くんじゃないだろうか、と同じくクラスのヘドロ枠で友人のS君と組んだ。しかもS君は指揮者に立候補した。気概が違う。


中2から一緒だったわりに男子と女子が妙によそよそしいクラスで、担任も最後のいい機会と踏んだんでしょう、そんなことやってるとこなんかどこにもなかったのに、うちだけが自然の家を借りて1泊2日の合宿をくんで猛練習させられた。平生だったらこんなものだいぶだるいので1泊2日間白目を剥いてピースしながら時間が経つのを待つだけなんだけれども今回は事情が違う。ちゃんと黒目を保ったままでバカまじめに歌った。たしか「時の旅人」でした。


我々はいざ本番もとちらずやり遂げ、周りの出来栄えと比べても遜色なく「いったか?」というムードに包まれていた。しかし5クラスある中、上位3位にも入っていなかった。かすりもしなかった。結果発表の瞬間、俺とS君はあろうことかコサキンばりにメチャクチャ手を叩いてウケてしまった。こういう場面で裏切られると、絶対ウケてしまう。性分なのでどうしようもない。入りの下心のままで合宿から本番まで来てしまったので歌声に感情の移入もへったくれもない。指揮やってるやつといちばん声出してるやつがそうなんだから丸ごと腐る。クラスの皆さん、あのとき丸ごと壇上を臭〜くしてしまい、申し訳ありませんでした。とどこかのタイミングで是非、公に謝罪したいけれども同窓会に招待して頂けないのでインターネットですみません。


ひとしきりウケたあと、道端ででかめのカラスがゴミを漁っているのを横目で見るまなざしが俺とS君に降り注がれていた。中学校生活はそこで幕を下ろした。




■高校のころ、音楽の授業で「何でもいいので得意な演目を発表する」という課題があった。教師側からすれば「ピアノでもギターでも、フルートでも、生徒ひとりひとりの個性を発揮できる場所」を用意したつもりらしく、なんだったらちょっとサービスというか、お待たせ!ぐらいの、お楽しみ会でっせ!ぐらいのノリでその地獄フェスの開催を宣言した。音楽教師の笑い方って頬から下の表情筋しか使ってなくて不気味じゃないですか。ジムキャリーみたいな。


無え〜(ねえ〜)んですよ個性が。楽天でギターは買ったけど2週間で「あ、これ聴かせる人がどこにもいない」と気づいて放り投げるようなぼんくらに人様の前で披露できる個性なんか無え〜んですって先生。そういう何にもできない、垢をこねて出来上がった塊のような人間はこのレイヴをいかにやり過ごすか。校歌を歌うしかありません。朗々と。しかもアカペラで。


うちの高校はルーツが藩校でかなり古いので、校歌も相応に時代を感じる。イントロがティンパニの「…ドコドコドコドコ!」という壮大で大仰な盛り上がりから始まり、軍歌か川内康範先生原作の特撮か、非常にとっつきづらくて長いけどわりに好きだった。5番まである。しかも「まぼろしの6番、7番」がかつて存在し、内容がかなりナシオナルだったので戦後にカットされたらしい。


リリックも「万里の波濤」「仁義の兜」とかなりハーコーなバースが乱打される。俺が一番お気に入りなのが「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進みゆけ」です。歌詞に「悪魔」ってワードが出てくる校歌、ほかにあります?ホグワーツのにも出てこないんじゃないですか。ここまで威風堂々と、対外の運動部の試合とかで歌えたらけっこう誇らしい気分になるだろうけれども、俺が歌うのは不覚にもレイヴ。校内の。


軽音のO君はアコギを弾いた。彼はのちに京大に入る。A君は俺と同じような陰気なたちで、こんびからうまれたこんび太郎だと思っていたのに、「セプテンバー」を流しながらドラムを叩いた。裏切りやがった…と一方的に逆恨みしながら「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進み行け」と全くの無音の中、しっとりと歌い上げた。自分の番がようやく終わっても、第2、第3の俺が次々壇上にあがって磔刑に処せられている。それを見ているのも辛かった。いくら煩悩と悪魔を振り払ったとて、この時の恥という焼印はまだお尻でプスプスと燻っている。




■同じく高校時代、俺は「地理部(ちりぶ)」に所属していて、金沢や富山あたりまで足を伸ばして古い町並みを回り所感をレポートにしたためるとか、「架空の新幹線」の路線を模造紙(関係ないですが、新潟だけの方言で模造紙のことを大洋紙-たいようしという。理由は知りません)に敷き、何人かで空想しながら楽しむとか、見るも無残な青春の逆をやっていた。今となってはもう人に説明するのもめんどうなので帰宅部だったと経歴を詐称している。


最後の文化祭の年、部活ごとに露店をやったり、文科系だったら作品を展示したりしなければならなかった。我々地理部(ちりぶ)はその「うその北陸新幹線」がどういうルートで走ったら「便利」かというのをまとめた模造紙をパーティションに貼り付けて、終わり。誰が来るんだ。ただただ時間だけがすぎる。時の最果て。庵。案の定誰も来ないが、一応学芸員として誰かが座っておかなければならないので、貴重な高校生活をただ「座る」に費やした。窓から中庭を覗けばダンス部が「座る」以外をやっている。バランス取れてますね。


我々の庵を出て左に曲がった突き当りの音楽室で軽音部がライブをやっていた。庵の番をしていたのは自分一人、電動の黒板消しクリーナーを小脇に抱えて音楽室のドアの前までふらふら向かい、コンセントに電源を差し込みスイッチを入れた。防音の扉の向こうから微かにリンダリンダが聴こえてくる。畜生、俺のほうが絶対ブルーハーツ詳しいからな。リンダリンダなんかやってんじゃねえよ生齧りが。俺なら「すてごま」やるね。と、クリーナーの爆音でただただザコすぎるだけの抵抗をした。そんなアルバム収録曲やっても盛り上がらないよ。そういうところが根本的にセンスが足りてないんだよお前は。はい。大変申し訳ありません。


クリーナーのスイッチをOFFにしてまた庵に戻りました。何がしたかったのだろう。尾崎豊は嫌いだった。盗んだバイクで走りだすのも夜の校舎の窓ガラスを壊すのも「人様の迷惑」だから。とかなんとか正論を吐きながら無性に気に食わない物の前で黒板消しクリーナーのスイッチを入れるささやかな反撃ぐらいをやりたがる。生粋の田舎根性。未だにそうだ。




■1年と少し前、カントリーガールズの島村嬉唄(しまむら うた)ちゃんというアイドルの女の子がきっかけでハロープロジェクトにのめりこむようになったのに、その2ヶ月後に事務所と島村家がコンプライアンスでいざこざを起こし、脱退、引退してしまった。まだ腑に落ちてない。




と、歌にまつわる、痰の絡まるような経験を羅列してみた。どこかで逸ノ城関の涙を呼び起こして敵意を鎮められるかもしれない。嬉唄ちゃんのところだったら一緒にライブ行けるな。終わった後、金の蔵で逸ノ城関と反省会するのメチャクチャ楽しいだろうな。「いや絶対目線、合いましたよ」みたいなこと言うのかな。そりゃ合うだろ。でかいので。

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2016年07月31日

石川啄木と、人を殺してはいけない話




さて、本日はウケてないかな?とインターネットをパトロールしていたら、2chのニュー速vip板に『twitter民、松尾芭蕉を完全論破www』というスレが建っていて、俺の6/23にしたつぶやきへのリンクが貼られていた。ウケマネー(ウケを対価に得た収入)を1円たりとも受け取ったことがないのに「ニュー速VIP板」で人のことを叩くんじゃないよ。せめて何ごとか為すまではほっといてくれよ。あと芭蕉は俳句だろうよ。初めて知ったけど俺、「twitter民(みん)」だったのかよ。ちょっと前に2ちゃんねるで叩かれたときに匿名で反論したら、どうやら「sage」に失敗してしまって本人特定されてすげー恥ずかしくて早めの22時くらいに寝てしまった。2016年に「sage」ミスりますかね。この世の底か?だから今回は「sage」に失敗したくなくて黙ってました。


「こいつ何言ってるかわからない」と書かれていた。確かに何言ってるかわからない。「顔射」って、この人は汚い言葉を使いたいだけだったんじゃないか?短歌に射精したら面白いですが。短冊に射精するってことですからね。わかりますか言ってること。


友人のツヴァイデビル氏が「チンポビンビンにしながら浴衣を着るのが短歌」という俺の言わんとするところをバッサリと端的に要約してくれた。だから、「ステキさ」「平凡な日常のちょっといい発見」で自分をカモフラージュして「セックス臭」にファブリーズを振りまいているような、ヤリ目("ヤリ目"て)でお洒落げに見せかけるアイテムとしてお手軽で簡単になりがちだから。NHK短歌に入選した経験のある知人も「短歌は楽」と言っていた(もちろんほぼ謙遜と思うけれど)。だけど実際のところ、「短歌でなければならない短歌」を仕上げるのはすごく難しいことだと思う。かみ砕き不足で申し訳ないけれども、ちゃんと書くと「斯様な調子で短歌やってる奴」が気に食わないんであって、「短歌」という形式や、しきたりが嫌いなわけではないんですよ。すみませんが。本来はすごく丁寧で根気が要って難しいはずだから。こんなメチャクチャなことを喚いてるんだから短歌をきちんと真面目にやってる人は怒ってよ。巨大掲示板・2ちゃんねるのニュー速vip板にスレッドを建ててないで。頼むよ。「自己表現をお手軽にすまそうとしている奴」って見られているんだから。そんなはず無いだろ。


短歌やってた奴といえばかろうじて寺山修司と石川啄木ぐらいしか読んでなくて、牧水は微妙で、ましてや現代の人がわからない、せめて与謝野晶子☆鉄幹夫妻ぐらいからちくちく勉強しないといけないしさらに突き詰めれば和歌・平安時代まで遡る必要がある。この辺りは嗜んでおかないといけない、というのはぜひ教えて下さい。で、石川啄木の記事はいつか書きたかったので、ニュー速vipにスレも建ったことなので一応のきっかけに石川啄木を考えると、短歌についに辿り着いた人、短歌にようやく馴染めた人のどうしようもない必然が伝わってくる。夏目漱石の虞美人草に「この程度、俺なら一ヶ月で書ける」と喧嘩を売っていざ発表した小説がボコボコに叩かれてくじけている。どういう方法であれ、才でなんとか世に出たかった。


はたらけどはたらけど
猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る


啄木は、「労働、ウケね〜〜〜」と嘆いた。それが未だに読まれている。労働はいかに自己を世に組み込むか、適応させるか、なおかつ不自然と感じないか、感じないようにするか、気づかないフリをするか、で成り立つ側面があり、人から借りた金で風俗嬢にフィストファックするような奴がおさまる台座なんかないです。"ついに 手は手くびまで入った。ウーウ、といって 女はそのとき目をさました。そして いきなり予に抱きついた。アーアーア、うれしい!もっと、もっと―もっと、アーアーア!18にして すでに普通のシゲキでは なんの面白みも感じなくなっている女! 予はその手を 女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を 裂いてやりたく思った。裂いて、女の死がいの 血だらけになって やみの中に よこだわっているところを まぼろしになりと 見たいと思った!"

「いったい私は何処へ行くのだろう」が啄木の根底に流れている不安の源流になっていると思う。「何者」であるかと問われれば、石川啄木だ、ときっと答えている。自分が何者であるかどうか、なんてケリがとっくについている。そんな有り余っている私は一体何処に行くのか、もしかしたら何処にも行かれないパターンもあるのか?という空漠の中で蛇行して、うねうねと日々だけが過ぎる。自分だけが世の中と関係のない膜に包まれている気がしてならない。そんなはずはないけれども、気がしてならない。


人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横より見ている心。


何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり


家を出て五町ばかりは
用のある人のごとくに
歩いてみたれど―


つい先般、相模原市で26歳の男が重度障害者の施設に闖入して次々と入居者を刃物で殺した。
啄木の歌にはこういうものがある。


どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな


一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと


「こんな奴殺してやりたい」の憤怒、あるいは「私にも、ひょっとしたら人を殺してしまう日が来るではないだろうか」という恐れがない人は平穏に生活を送っていて、それは素晴らしいことだ。けれども小心者にはそういう最悪の未来が頭をよぎることがあるんです。だから、その怒りや熱をなんとか冷ますか、あるいは少しベクトルを曲げてあげてどこかに逃がすか。手首の部分を軽くひねるだけでデカい男がひょいひょい投げ飛ばされている塩田剛三の動画を見た。あれは絶対本当です。

今回の件みたく、「人を殺す」エネルギーをそのままひねりもなく「人を殺す」に一直線に向けてしまう奴はクソでカスでゴミで救いようがない。くだらないしつまらない。見るべきところは何もない。本来は、ひょっとしたら俺も人を殺す日が来るかも?という標識が見えて来たらブレーキを踏むし、ハンドル切るんですよ。それが正しい人間のあり方だと思う。このような怒りを我々は「消火」、もしくは「昇華」するべき。今うまいこと言いましたよ。殺すなら今ですよ俺のことを。



むやむやと
口の中にてたふとげの事を呟く
乞食もありき


もし人を殺したい、という気持ちで短歌をやっている人がいたらぜひ友達になりたい。もしくは始めてみるのもありかもしれない。こんなにまとまらない文章を書いている人間がつとまる様式じゃないかもしれないですが。口の中で正論を吐くだけの乞食になりたくないので、いきなりマイク向けられたときにスッと綺麗なコメントの言える人間を目指します。声帯整えないとな、使ってないから…。
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2016年07月23日

萩本欽一『欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。』



5/27の記事で、「タレントの萩本欽一さんのことを、今後は"欽一"と呼んでいきませんか」と書いた。自分より目上の存在がこの世に残っていない、登り詰めてしまった、仕上がりきってしまった人間をあえて下の名前で呼び捨てにすることが面白いし本人のためにもなるだろう。なぜならば「老い」を食い止める手段は「刺激」しかないから。このまま欽ちゃんとして終わるのではなく、ここでぐるっと元に戻って「欽一」になればまたはじめからやり直せる。強くてニューゲーム、というシステムを現実生活に取り入れるようなものだ。大仁田厚も高校入り直したじゃないですか昔。あんなのも楽しくて仕方がないだろうな。だってまだまだバリバリ現役で体力有り余ってて経験積んでる状態で高校生活できるんだから。政治家になってからだってマンションにキャバ嬢とかAV女優呼んでガハハをしていたらしいから、この当時なんか絶対もっとヒドいことやってるって。絶対もっとヒドいことやってるって絶対。絶対もっとヒドいことやってますよ。


欽一は2015年春、73歳で駒沢大学仏教学部に合格した。事務所の後輩、お笑いコンビキャイ〜ンのひろゆきから筆箱を貰った。入学式の学長の話、ブラスバンドの演奏、校歌斉唱をじっと黙って聞く欽一。コメディアンとして舞台に立ち続けていた側だったのに客の立場で座っていることがどうも慣れず、小声でツッコミを入れたら周りがクスクス笑った。嬉しかった。いいぞ欽一。でもうるさいぞ欽一。


『女の子たちに誘われて、初めて学食に行ったよ』という章があった。誰にも会いたくなくて絶対に学食を利用せずにちょっと離れた流行ってなくてうまくないラーメン屋で学割ラーメン500円ばっかり食ってた俺とえらい違いだ。店長が携帯をかまっている中、手の甲に五芒星のタトゥーが入った中国人女性のバイトが湯切りしていた。大学時代なんか何も思い出すことなんかない。畜生、欽一がよ。


介護士になりたい、という女の子の話を聞いて"最高の仕事だね。センセーイって小さな子供たちが笑顔で寄ってくるような顔を君はしている。きっと誰かのお世話をする仕事はぴったりだよ"と返すと、介護士になりたいという夢を肯定してくれる大人は今まであったことがなかった、と女の子がポロポロ泣きはじめた。確かに今の御時世夢を語れば否定され是正され、もっとこうしろ、儲けろ、あるいは安定を、と捻じ曲げられてまっすぐ歩くのがやたらに難しくなっている。


いや、違う。そんないい話とか教訓を聞きたいんじゃないんだよ欽一。やっぱり"教え"とか"萩本欽一かく語りき"の方向に話が進んで、いちおじいちゃんが大学生活を送っているだけで面白いのに、やっぱり何かを伝えよう、世に残そうという姿勢でいるので、下積み時代やバラエティ黎明期のエピソードが「キャンパスライフをエンジョイする欽一の面白さ」を食ってしまっており、そこが残念だった。残念というか、欽一の哲学の中にはもちろん自分と結びつくものもあって、こうして刺激をあえて浴びに行って日常を飽きないようにするという姿勢は共感するし、逆に欽一よ、そこは違うんじゃないかというのもある。「負けると分かっている勝負はするな」と標榜しているけれど、そうは行っても凡人には負けに行かなきゃならない日だってある。どのように負けたか、というあたりなんとか落とし前をつけたい。勝ち続けることは不可能です。


「欽ちゃんファミリー」は、欽一視点で芸事への対応力が「0点」と評された人々を称する言葉らしい。勤は何やってるんだかお客さんに全然伝わってなかったし、一機は上がり症で震えていた。見栄張は(見栄張は見栄張としか呼べないのでつまらない)物事を知らなすぎた。だけれどもそれぞれに適切なアドバイスを与えて世にでるきっかけを作った。弱点を強みと思いなさい、目線をずらせと。言っていることは正しい。正しいけど、そんな話が聞きたいんじゃない。『帰りに転んで頭を打っちゃった』の章が一番笑った。あと、勝てる勝負しかしたくないので、自信のないドイツ語のテストは受けませんでした、っていうエピソードも、悠々自適に自分のペースで大学通える身分なんて、こちらからしたらうらやましいし本人もそれを自覚しているけれども、欽一言うところの目線をずらせば「ド老害」と称することも出来てしまう。


やっぱり「笑わせ」たい人で「笑われ」たくはないんだな、と思った。笑われるのを芸とはしていない。18歳からストリップ劇場の前座に上がり、根っからのショーマンシップがあって、自分の書いた節通りに運んでウケたいと。素人ならではのハプニングをテレビに取り入れたのは欽一とされているけれど、あくまで「ハプニングが起こること」も織り込み済みじゃないと気がすまない。だから自分が大学生である事実そのものをギャグと捉える俯瞰は難しい。そんなことまで裏切ってギャグとして駒大通ってたら超人も超人ですよ。超人であって欲しいけれども。金曜日にコマを入れているらしい。今年もそうなのかな?誰か玉川キャンパス行きません?マジで。
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