2016年08月21日

『あの頃ペニー・レインと』の感想




この映画でいちばんださい奴は、ロックンロールバンドのボーカルが「I am a golden god!」と叫んでプールに飛び込んだあとからついついはしゃいじゃって追っかけてきた取り巻きだと思っている。


でも音楽やってる人の周りってそういう連中ばかりなんだろう。いろんなグラデーションのだささ=青さの人間を「それもアリ」と肯定してくれている。レッドツェッペリンの追っかけをやっている男子高校生は自分が弾くギターを聴いてくれるような友だちがいなさそうだし、顔がブスなんでバンドTシャツにピンボケでプリントされてしまったやつはボーカルに「てめぇは顔がいいじゃねえか」と解散宣言してて、ださい。そのボーカルだって、エッチな女の子とエッチがしてーという気持ちが半分、バンド売れてーがもう半分ぐらいでやっている。ちょっと心をひけらかせば、本音で語っている「ふう」をよそおえば、あと顔が良ければ、「私だけに心を開いてくれている!」とエッチな女の子はすぐに騙されてお薬をやってエッチをできてしまう。


主人公のウィリアム君は最初何も知らなかった。ださいお母さんに飛び級をさせられて、11才まで自分の年齢を知らされないほどに徹底的に母親の管理下で育てられた。姉ちゃんがズーイー・デシャネルでまじで可愛いんですが、その姉ちゃんが先に母親のもとから離れてスチュワーデスになった。こっそりベッドの下に隠していた姉ちゃんのレコードを聴いて、ウィリアム君は俺の生活、ださかったのかよ。と気づいた。


16歳で音楽誌の記者になる。これだって、ウィリアム君は気付いていないかもしれないけども、いやラストには気づいていたかもしれないが、母親に詰め込まれた教育のおかげで語彙や知識がついたから若い割にこなれた文章書けるようになった。大人も褒めそやす。母親の影響という網からは、どこまで行っても、ロックンロールのバンドに帯同してワゴンやバスに乗っけてもらってアメリカの反対側まで離れても逃げられない。


お母さんも良くて、旦那は事故で早くに亡くしているので女手ひとつで姉ちゃんと息子を育ててきたわけで、姉ちゃんに家出されたのも息子がロックにかぶれてバンドにくっついてるのも不安で寂しくてしょうがない。息子がお薬をやっていないかどうかモーテルに電話する。そういう行動を、「うるせえなババア」と敵意で描くのではなくて、このお母さんの行動も良い、あるいは善いだささとして扱っているんですね。家族3人仲直りして食卓を囲むシーンが好きです。


で、ケイト・ハドソン=ペニー・レインは、端的に言うとメチャクチャ可愛い。童顔の童貞と並べた時のバランスを取るために産まれてきたのかよ、というぐらいにみずみずしくて爆発的にえろくてゴイスーなんですね。
このウィリアム君はペニー・レインという本名も年齢もわからない女の子に当然の流れとして惚れます。でもペニー・レインはグルーピー、ロックンロールのバンドにくっついていってエッチな行為をしたり、お薬をしたり、次の日はエッチな行為をしてお薬をするような娘で、バンドのボーカルの彼女を気取っているのでウィリアム君をたぶらかすんですよ。
そのボーカルも、カードに負けたらあの女とビール交換な、と調子に乗ってやったら案の定負けて、ペニー・レインもそれを知ってしまって傷心する。しかもウィリアム君の口から。その気まずさ。泣きながら笑いながら「ビールの銘柄なんだった?」って聞くんですよ。ハイネケン、大衆ビールなんですけど。それはウィリアム君は言わない。心の推し量りが美しいし、午後三時くらい?の日差しの下で強がるペニー・レインがメチャクチャ可愛い。


この娘は拠り所を失った衝撃で自殺を図る。酒と睡眠薬のちゃんぽんで。ふらっふらになってるホテルの一室にウィリアム君が駆けつけて抱きしめて告白する。ほんとうに良い。ほんとうにマジで良いんですよ。
男は精神的にぐらついている女を目の当たりにしたら「守ってやらないと」が働くようにできているので、これは下心とかおちんちんとか、父性本能とかいろんな言葉で説明がつく。とはいえ映画の中だからこそ、そういう汚い打算を外せられるので、単純に美しいものとして捉えてもいい。俺はメンタルの健康が芳しくない女の人を好いたことがあって、いろいろ経てその人に命の脅迫をされるようになってしまった事件もあったんですが、そのうち時が来れば書きます。畜生が。


面倒くさい女の人には近寄ってはならないという標識が心に屹立してしまったのだけれども、そんな、まぬけで鼻水を垂らした自分の、「理想の着地」を決めてくれているこの映画は素晴らしくて、こうでなくては、ありがとう、という。悪いやつが出てこないのでいい。


ここからは少しばかし悪口になります。地下室 TIMESというホームページで、まあバンドに寄り添う女どもにケチをつけたり、提言めいたことを腕を振りながら述べている。これお金をもらっているのかな。この記事とか、この記事とか、下品を糾弾するつもりで書いているのだろうけども、俯瞰で物を見る目線がエラくて高尚だと決めつけないほうがよい。「飛び込める人」「ダイブをしている人」への尊敬の念、は何処かにあるべきなんじゃないか。どうも自分の「引け目」を見ないようにして人様をやっつけようとしている。どえらくひん曲がった志(こころざし)だ。だささを受け容れる土壌がない。それだけ真っ直ぐなんですか君たちは。嘘つくなよ。笑っちゃうぞ。エッチな女の子とエッチをしたいくせに。


いいだろうが。第三者目線って、実はださいよ。俺もださいんだよな。嫌だけど。どんくさい自分を受け入れる。必死。必至。ましてや邦楽のロックンロール・バンドが好もしいのだろうから。「自分だけは特別」じゃないよ。あなたはただのたまたまだから。お母さんの顔を思い出してください。お金ください。ジョーイ・ラモーンは「女の子にもてたいので、ラモーンズを作りました」と言った。その程度なんす。
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posted by しきぬ ふみょへ at 22:40| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

爆乳と私/爆乳と死について

■爆乳と私


おっぱい。乳。乳房(「にゅうぼう」とも「ちぶさ」とも読める)ボイン(R.I.P 巨泉)。しょう太くん。爆乳。アナグラムでパイオツ。松坂の嫁。ロケット。ロジャークレメンス。スイカップ。山形県。ビッグユニット。ランディジョンソン。
爆乳という言い回しが一番面白い。爆(は)ぜる乳。爆乳の前では常に少年でありたい。朴訥でありたい。丸刈りでありたい。
武天老師様のように、鼻血を吹きながらもんどりを打ちたい。ぱふぱふ、という表現は天才だと思う。
XVIDEOS(エックスビデオズ)でサーチをするときはboobs、あるいはtitsなど。頭に「Japanese」とつけないと大変なことになる。


生涯を振り返って爆乳にまつわる私の発露は『こちら葛飾区亀有公園前派出所(通称・こち亀)』113巻の表紙である。秋本・カトリーヌ・麗子さんと麻里 愛(あさと あい)さんが非常に下品で扇情的なたたずまいで写っている。前と後ろのビニル製三角形が金属の環で結びつけられている。素足に直(じか)でホルスター。肩には旭日章、および合衆国警察のシンボルと思わしき刺青。作者の秋本治先生は日本のギャグ漫画の一線を走り続けており、ここまで過剰にデフォルメされた暴力・性表現も、おそらくは彼ならではの「おゲレツ・ユーモア」であって、週刊少年ジャンプの購読者層の深層心理を巧みに捉えるその手腕・辣腕・敏腕には目を見張るものがあるといえよう。誰が公務員の二の腕にタトゥー彫りますか。


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秋本先生のこうしたおゲレツ・ユーモアに心を奪われてしまったのが小学生だった私で、バカで下品で特殊で、キッチュで俗悪で汗っかきの性表現に興奮を覚えるようになってしまった。いうなれば、から揚げにマヨネーズをかけて温泉卵を割った丼をとんこつしょうゆラーメンとセットで850円、くらいのカロリーおよびパフォーマンスがないと性に満足できなくなってしまったのである。加えて、松山せいじ先生の『エイケン』に深く下っ腹をえぐられた。10台前半でありながらバスト100オーバーの春町 小萌(はるまち こもえ)さんがうどんの生地を踏んで、万有引力を一切放棄した軌道で片乳ずつ交互に暴れていた。この乳が揺れる演出のためだけにうどんというギミックを用意する松山先生にもっと敬意を払うべきだし、生卵を投げつけるべきだ。すっかり私は心を奪われてしまった。ただ、ストーリーはこれっっっっっっぽっちも覚えていない。


物理法則を無視した揺れ、でいうと、ゲームメーカー、テクモの3D格闘『DEAD OR ALIVE』シリーズが出だしたころで、爆乳を3Dで揺らすためだけに開発された演算シミュレータが組み込まれているという名目のもとで鼻水の止まらない我々選手一同が続々とフィールドに集まった。PS2で発売された続編や、XBOXでのビーチバレーはつべこべ言わずに乳が弾んでいさえすれば向かうところ敵なしという旗印を掲げており、威勢がよかった。気っ風がよかった。てやんでえ、こちとら乳揺らしておまんま食ってるんでい!だった。他メーカーでいうと、『ソウルキャリバー2』のタキしかり、古くは『キング・オブ・ファイターズ』の不知火舞しかり、DOAで言えばかすみ、あかねなど、私の性欲のお仏壇は「オンナ忍者」という職業についていらっしゃる方々からのお供えに預かっていることが多いようだ。くノ一稼業も気苦労が耐えないとお察しします。エッチであり続けるのも大変かと存じますが無理をしない範囲で、細々とでも良いので、お体に気をつけてお過ごしください。


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私は過ごした2000年代初頭はイエローキャブ、サンズなどに所属している爆乳グラビアアイドル全盛で、佐藤江梨子さん、小池栄子さん、MEGUMIさんら通称さとこいめぐさんを筆頭に、酒井若菜さん、川村ひかるさん、川村亜紀さん、内田さやかさん、かでなれおんさん、和希沙也さん、夏目理緒さんら未だにその活躍は留まるところを知らない方々が目白押しの黄金世代と言える。爆乳が彩った、爆乳に彩られた時代だった。
今ではどうなのかわからないが、テレビ東京で平日のド深夜2:30くらいからお下劣番組枠があった。古くはギルガメッシュナイトから続いている伝統なのだと思う。『水着少女』で「CMのあと、"おパイン"登場?」という煽りの後、明けでパイナップルがプリントされた水着の女が出てきた時には悔しくてブラウン管を殴り割って感電して死んでしまった。ゲームに負けたら「苦い牛乳を舌の上に垂らす」という罰を考えたテレビの人は今頃シベリアに送られているだろう。ぷっすまで素人の美人奥さんに声をかけてアドリブで料理させるコーナーに、この『水着少女』でも出てきた女が登場した時に私ははじめてメディアは嘘をつくと知った。
タイトルは覚えていないが、ガダルカナルタカらオフィス北野所属のタレントがパチンコを打つ映像と、コスプレをしている爆乳グラビアアイドルが交互に映るだけという、悲しみの果てのような番組もあった。そんなものに関わっている人間たちが各々ギャランティを得ていた事実を我々は風化してはならない。『文化の頽廃』という番組タイトルだったかもしれない。



エッチビデオも、漕げば漕ぐほど女性が快感を覚える機構が組み込まれている自転車でサイクリングをしたりだとか、教室を模したセット のそこかしこの壁や机に空いている穴から出たり入ったりするだとか、エロからというよりギャグから入っている、クラフトマンシップが必要のないのに滲み出ている作品を好ましく選んでいる。たぶんこういう作品は中高とまっとうに異性との交際関係を経た人間はまず笑ってしまって手が伸びない、食指の動かない分野だし、まっとうに歩んできた自覚を抱えつつこちらの方面に反応する人はおそらくすこし気が触れている。


ずるずると大人になった。さすがに冷酒と野沢菜、香の物などで1時間半ぐらいは斬りあえる剣術を学びはじめた。難しい。骨が折れる。けれどもこれは多少お金に余裕ができて、食事への選択肢が広まったことが大きいっていうのもある。相変わらずそこに往けばどんな夢も叶うという、シンプルにピンク色のネオンがきらめく、ロマン輝くどスケベアイランドへ向かう船便が出ない。ガンダーラ。グアダラハラ。風も動かない。


初めて女性の爆乳を見て、触って、楽しんじゃった、爆乳レクリエーションをしたのは23歳の春ごろだった。高円寺に住んでいた。高円寺駅周辺には金銭と引き換えに女性の体をある程度自由に出来る性風俗店が林立していて、学生時代にまったくメスないしメスガキとの交流がなかった自分はこうなったら経済のパワーで、お金と血液の循環とともにおちんちんを触ってもらおうと近場だった今は亡き「ageha」というピンサロに目星をつけた。日中でメルマガ割りが効いて4000円ぐらいだったと思う。お金さえ支払えば女性の体を40分弱意のままに操れるマグニートーになれる。


勢いをつけようとして、決行の日の昼下がりに大好きな『グラン・トリノ』を観た。安酒を入れながら観た。わんわん泣いてしまった。トランクス一丁で、トランクス一筋であぐらをかきながら観た。イーストウッド、指でピストルを作って中華系のチンピラどもを黙らせる威風。そんな虎の威を背中にしょって、人畜無害の一童貞がピンクサロンのドアを蹴飛ばした。正確に言うと、しばらく店の前をうろうろしたのちに「ハッ!出来る!俺は出来る!ハッ!」と市原隼人さんのような檄を己に叩き込んでよわよわとノブを捻った。


初めて爆乳を触った時は「アラッ、意外とさらさらっとしているのね」と思った。もっとしっとりとした、吸い付くようなフィット感、グリップ感を想像していた。先から私は性風俗店の冷房は弱めに設定してくださいと歎願しています。
その相手は青山テルマさんのようないわゆるジャパニーズレゲエフェイスで実直に好みではなかった。しかしベンチシートの上から頭皮のにおいを嗅いだ。興奮した。
秋本先生からおゲレツの芽を植え付けられて以来花の咲かないままで随分と長い間思春期がストップしてしまっており、性的嗜好、性的味覚が育たなかった。ピーマンは苦いまま。塩辛は海臭いだけ、うなじなんかいつでも見られるじゃないか。汚いものや鼻をつんざくものに興奮する。ああ、嫌だ。おお、嫌だ。目頭を押さえながら私は頭皮を嗅ぐ。


自分に乳があったならどうだっただろうと考える。しかも爆乳だったなら。
あの娘僕が爆乳だったらどんな顔するだろう。爆乳かつ、ロングシュートを決めたらどんな顔するだろう。まず走り回る。自分の意志が介在しない物体Xを両肩からぶら下げて真夏の渚に突進する。爆乳丸進水式。帽振れ帽振れ。
爆乳には蓄光性がある。真っ暗闇の中でどうしたら良いのか判らない時だってとにかく爆乳の光が射す方向を目指していれば迷う心配はない。爆乳灯台。爆乳澪標。われても末にあわんとぞ。


■爆乳と死について


「海は死にますか、山は死にますか」、まさしは歌った。その詞の中には爆乳は登場しない。爆乳は海や山と比肩しうる尊いものであるのに、まさしは爆乳について歌わなかった。


最近親しくしている、爆乳のRさんという方がいる。元キャバ嬢で歌舞伎町でチャンピオンになったこともあるRさんは、爆乳であるのにもかかわらず、気さくで、人生経験豊富でとても魅力的なのでおそらく近々天下を獲るだろう。
私からすれば無敵、戦車、ドイツ、ブロッケンのように感ぜられるが、Rさんは死にかけたことがある。長年同棲していた彼氏に破局を申し渡され、マンションの窓からガンバ!Fly high(アニメ版タイトルはガンバリスト!駿)をしたらしい。
私が観ていたのはアニメ版のガンバリスト!駿のほうだったので原作に該当するエピソードが収録されているかは定かでないが、体操部に入ったばかりの駿が陰険な先輩に「体育館のギャラリー的な場所から跳びおりろ」と指示される場面があったように記憶している。頑健な駿でさえひるむ。だのにRさんはそれ以上の高さから飛翔した。

Rさんは背骨を折る重症だった。しかし命は無事だった。無論、爆乳のご加護があったとみて差し支えないだろう。神は日曜日に休息をせず、爆乳を創りたもうた。乳よあれ。するとエデンはたちまち栄えた。
爆乳に宿る神性は、1房に1つとして、計2回まで生命の危険から身を護る。だからRさんはもう1回ガンバ!Fly highをしてもセーフで、暴走トラックの前に立ちはだかっても船が沈んでも青酸カリを飲まされても生き延びる。

神のご加護のみならず、科学的観点でも爆乳は危機に強い。衝撃が迫ったその瞬間に、爆乳からうすい膜のようなものが張られてインパクトをやわらげる。おぼれてしまう心配もなく、仰向けになればその浮力でただようことができるので、海流に乗ってカタクチイワシとともにチリ沖あたりで水揚げされて助かる。青酸カリや毒物が体内に入っても、爆乳の中にあるふくろ(赤いドクロのマークが描いてある)に蓄積されるから、その許容量を超えない限り、体中に毒がまわってしまうことは無いのである。以上のように、宗教的にも科学的にも爆乳は死を遠ざけるのだ。

しかも爆乳はやさしいから、人を傷つけることもない。強いものは暴力を振るわない。心の余裕が爆乳を生む。

爆乳にも「死」や「老い」はやってくるのだろうか。わたしは爆乳が老いていくところを見たことがない。高橋留美子先生の感性は衰えることを知らないし、朝丘雪路さんも未だ「1000円札以下の貨幣にお金という認識がなかった」エピソードに代表されるチャーミングさを失っていない。
「爆乳、ここに眠る」という墓標も見たことがないし、「爆乳院大姉」のような戒名だってない。
爆乳の死ぬ時は私の死ぬ時なのだろう。私の生きている間、爆乳は決して死なないのだ。過去も現在もずっとあるじゃないか。爆乳は。だからずっとある。


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posted by しきぬ ふみょへ at 12:10| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

コミュニケーション・ジャンピングボレー

「ハンマー投げってどこで練習するんでしょうね?」
「どこでってお前、あるだろ。投擲競技用のブースみたいなやつがよ。フェンスで囲まれててサークルの中でやってるんだろうよ普段から」
「いや、そういう話じゃなくて普段ですよ。自主練ですよ自主練」
「なにが」
「迷惑じゃないですか。部屋でできますか?野球なら素振りぐらいできるしサッカーでも庭とか駐車場でリフティングならやれるじゃないですか。勉強部屋でハンマー振り回してたら壁とか家具とか危ないでしょう。僕なんかヨーヨー流行ってた時にふすまに穴空けて親に殴られたんですから。外でやるんだって回すところまでですよせいぜい。興が乗って放り投げたら無差別にどこかの誰かが死ぬかもしれないんですよ。どこで普段やればいいんですか?ハンマーって。」
「そらお前、室伏ってたしか外人とのハーフだろ。持ってるってきっと。日本じゃ到底個人じゃ持てないような広い広い土地を持ってんのよ。アルプスかどこかに。ハイジ見たことあるかハイジ?世代じゃないから伝わらんかもしれんけど、金持ってると思えないしょぼくれた爺さんだってあれだけ広い牧場を管理してるわけだから。ハンマーなんかブン投げ放題だろ」
「ハンマーやってるやつ全員外人前提で話を進めるのをやめてもらっていいですか。日本でだって大会開かれてるでしょうが」
「だから弱いんだよ日本人は。室伏は環境に恵まれただけなんじゃないか?どうだ、解決しただろ。外人は自主練やってるんだよ。野っぱらのど真ん中で」


すいません、生2つ…


「いや僕はまだ納得いってないですね」
「もういいだろ。普通に最近休みの日何してんのかとか近況報告でいいだろ、そろそろ」
「休みの日にこんなことばっか考えてるから今言うしかないんじゃないですか。あなた以外に聞いてくれそうな人間がいないんですよ。助けてください」
「そこまで見初められる筋合いないよお前から」
「百歩譲って外人は草原でハンマーを振り回してるとしますよね。どうやって持ち運ぶんですか?ハンマーを」
「ナップサックみたいなものに背負っていくんだろうよ」
「ハンマー回すまで背筋発達しきってる人間がナップサック背負ってるの、見たことあるんですか?あれは小学生かなで肩の大学生しか身につけちゃいけないアイテムなんですよ」
「確かにないよ。俺もなんでナップサックなんて提示したかわからないよ。それぐらい当の疑問に対して真剣に向き合えそうにないんだよ」
「おもむろに首にひっかけて行くんですかね?チェーンを。すいません銃刀法って鉄球もアウトなんですか?」
「刃渡り何センチうんぬん以上がアウトっていうからな。"銃"でもないし。ことによるとセーフかもしれない。セーフだセーフ。首に鉄球結んである鎖を巻き付けてる人間を電車で見てもお咎めないんだろうな。それだそれ、はい解決!料理頼もうぜ料理。まだ何も提供されてない状態でこれだけ何も生まない議論で消費してる卓なんかないだろ。見渡してくれよ周りを」


「あ、槍が解決してない」
「は?」


生2つお持ちしました…


「槍ですよ槍。投擲用の。スピアーですよ。ジャベリンですよ」
「どれ頼もうかある程度品定め終わってたんだよ俺は。おしながきの朱色の筆ペンで線引いてるハゼの天ぷらと大好きなチャンジャを、生が出てきたタイミングで注文しようとしている。何故わからないんだ」
「持ち運びの問題です。ポータビリティの面で解決していない。槍、そこそこ長いですよ。あれで電車乗れないでしょ。さっき出てた銃刀法にも引っかかりますよねたぶん。どうしますか?」
「シャコン、シャコン、シャコン、ってなるんだろきっと」
「どういうことですか?ちょっと意味が」
「だからシャコン、シャコン、シャコンだよ。高枝切りバサミあるだろ。テレビでしょっちゅう通販してる。あの要領で3段階ぐらいで長さを調節できるんだよきっと」
「日本製の槍は8回シャコン出来たりするんでしょうね。おのおのしっくりくる長さは違いますから」
「槍のメーカーが日本に居を構えている前提だね」
「砲丸投げの砲丸は日本の町工場製がいちばん遠くまで投げれるそうですよ」
「報ステか何かで見たことあるな」
「遠くまで鉄の球体を投げ飛ばして、それで競って世界一になりたいって思ったことありますか?僕はないです。もし自分にそのパワーがあればアマレス、柔道とか別の五輪種目でも上位を狙えるはずです。技術問題を加味しても、備わっている膂力をもってすれば本気で4年間メダルに向けた鍛錬を積んでそこで世界の頂点に立てますよきっと。あるいはプロレスだってマッスルミュージカルだって、ショービジネスとして確立されているジャンルに集中すればもっと金銭的には潤うチャンスは増える。それなのにただただ重たいだけの鉄球を遠くまで放り投げた距離で競う意味なんかありますか?だからどうしたと思いません?まあ、砲丸だけじゃなくてハンマーも槍も円盤も全般的に言えることなんですけどね。ちょっと理解しかねますね。僕には。練習場所、ポータビリティ、何もかも非効率的なんですよ。日本の技術がそんなくだらない分野に応用されていちいち浮かれてるからこの国はダメなんだ。そうは感じませんか?」
「唾を飛ばすな。頭に入ってこない」


料理のご注文良ければお伺いしますが…


「ポテトフライと鶏のから揚げ、出し巻き。とりあえず以上で」


かしこまりました…


「お前は死ね」
「えっ、何でですか?」
「俺が筆ペンで朱色の線を引いているおしながきにある程度目星をつけているくだりがあったよな?俺は楽しみたいんだよ。大衆居酒屋だろうがその時に応じて一番店側が自信をもって提供してくれている品もんを食べたい。お前の些細な疑問と妄想に付き合っているだけでも度量が有り余っているよ。なおかつその上に無礼を重ねるか。ハゼの天ぷらと大好きなチャンジャを食いたかったんだよ俺は」
「次追加すればいいじゃないですか」
「ポテトフライと鶏のから揚げ食っちゃったらある程度満足しちゃうだろうが。油に対しての許容量が体育会系のお前とはだいぶ差があるんだよ。年齢だって5つも離れてれば案外壁があるからな。ポテトフライとハゼの天ぷらは共存しないんだよ。揚げもん、一品もの、プラスアルファさっぱりした料理で完結したいんだよ。労わってくれよ。無理強いしているわけじゃないから」


えーポテトフライと鶏のから揚げ、お待たせ致しました…


「じゃあ俺が片付けますから。腹減ってるんでこのくらいは軽いです。先輩は先輩の食べたいものを食べてください」
「いや食うよ。腹減ってるから。同じタイミングで仕事上がってるんだから判れよそのくらいは」
「それは止めはしないですけど。案外ポリシーないんですね」
「寛容なんだよ俺は。本来は怒りたくない。余計なエネルギーを怒りに回したくないんだよな。……あー、美味い!から揚げ美味い!ポテトの安定感も落ち着く!ありがたい!」
「ほら、悪い脂って美味しいでしょ。どんなに強がっても。先輩は結局ケチつけたがりなだけなんじゃないですか?ハンマーだって槍だって、シンプルに力があった上で技術が備わっている人間が勝つんですよ。効率性とか将来性とか加味したがるところがいけすかないですね。だから理屈っぽくて女性に理解されないんですよ。もっとおおらかに生きたほうがいいんじゃないですか?独身でいるよりそっちのほうが楽しいですって人生」
「お前絶対殺すからな」


気持ちが悪い、居心地が悪いと感じるか、あるいはホールの店員の気まずい佇まいに肩を持つか。もしくはここまで不器用なやり取りはあり得ないと断定するコミュニケーション極右の皆様へ。相手は案外ふざけてます。思っているよりあなたのことを馬鹿にしています。お互い。ですので、もっと思いやりのない、適当なセンタリングを上げてください。無理やりな体制でボレーシュートを撃ちますので。信頼をしてください。案外際どいことを言ったとて、目上だろうが目下だろうが、受け止めようとするハッスルは見せてくれるはず。どうかよろしくお願いします。もっとキラーパスを放っていこう。周りを見くびるのをやめましょう。から揚げもお刺身も美味しい。公共広告機構です。



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posted by しきぬ ふみょへ at 23:36| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月08日

悪魔を払って

モンゴル出身、相撲の逸ノ城関の嫌いなものが「歌」らしい。勝てるわけない。ただでさえ身長193cm、体重211kgと体格だけでも十分なのに、心までモンスターなのか、と恐れおののきまくって自分が力士だったら立ち合いで迷わず拳銃を取り出す。もちろんちゃんと相撲協会と猟友会に許可は取りますよ。行司にも土俵入りの時にチェックしてもらいますし。「これから確実に殺される場合に限り銃可(じゅうか)」ってどこかに書いてるだろ。それでも負けると思う。手羽先をもがれて捻りつぶされてグチャグチャ。つくねにされる。ただいまの決まり手「つくね」。平成に入ってから未だに出てない大変珍しい決まり手です。俺の死がいに卵黄を塗る木村庄之助。


だからちょっとでも、ほんの少しでも歌が嫌いな逸ノ城関の気持ちがわかりたい。融和政策を取らないと末路はあら挽きからのハナマサコースだから。贅沢は申しませんが、せめて、せめて原型をとどめた状態で死なせて頂きたく存じますので、自分にも「歌、嫌いだな」と感じたかつての出来事を掘り出し、相手の感情を欠片でもいいのでわかろうと振り絞って思い出してみたら、けっこうあった。



■中学3年、秋の合唱コンクールで張り切ってしまった。ちょっと男子まじめにやってよ、みたいな伝統芸あるじゃないですか。ああいう行事って。運動が全然できない上に見た目および中身がきしょかったので無論バカほどモテなかった。でも歌ぐらいだったらちょっと本気だしたら何とかなるかもしれない、みんなが適当にやってる中であえてまじめに、バカまじめにやってみたら気を惹くんじゃないだろうか、と同じくクラスのヘドロ枠で友人のS君と組んだ。しかもS君は指揮者に立候補した。気概が違う。


中2から一緒だったわりに男子と女子が妙によそよそしいクラスで、担任も最後のいい機会と踏んだんでしょう、そんなことやってるとこなんかどこにもなかったのに、うちだけが自然の家を借りて1泊2日の合宿をくんで猛練習させられた。平生だったらこんなものだいぶだるいので1泊2日間白目を剥いてピースしながら時間が経つのを待つだけなんだけれども今回は事情が違う。ちゃんと黒目を保ったままでバカまじめに歌った。たしか「時の旅人」でした。


我々はいざ本番もとちらずやり遂げ、周りの出来栄えと比べても遜色なく「いったか?」というムードに包まれていた。しかし5クラスある中、上位3位にも入っていなかった。かすりもしなかった。結果発表の瞬間、俺とS君はあろうことかコサキンばりにメチャクチャ手を叩いてウケてしまった。こういう場面で裏切られると、絶対ウケてしまう。性分なのでどうしようもない。入りの下心のままで合宿から本番まで来てしまったので歌声に感情の移入もへったくれもない。指揮やってるやつといちばん声出してるやつがそうなんだから丸ごと腐る。クラスの皆さん、あのとき丸ごと壇上を臭〜くしてしまい、申し訳ありませんでした。とどこかのタイミングで是非、公に謝罪したいけれども同窓会に招待して頂けないのでインターネットですみません。


ひとしきりウケたあと、道端ででかめのカラスがゴミを漁っているのを横目で見るまなざしが俺とS君に降り注がれていた。中学校生活はそこで幕を下ろした。




■高校のころ、音楽の授業で「何でもいいので得意な演目を発表する」という課題があった。教師側からすれば「ピアノでもギターでも、フルートでも、生徒ひとりひとりの個性を発揮できる場所」を用意したつもりらしく、なんだったらちょっとサービスというか、お待たせ!ぐらいの、お楽しみ会でっせ!ぐらいのノリでその地獄フェスの開催を宣言した。音楽教師の笑い方って頬から下の表情筋しか使ってなくて不気味じゃないですか。ジムキャリーみたいな。


無え〜(ねえ〜)んですよ個性が。楽天でギターは買ったけど2週間で「あ、これ聴かせる人がどこにもいない」と気づいて放り投げるようなぼんくらに人様の前で披露できる個性なんか無え〜んですって先生。そういう何にもできない、垢をこねて出来上がった塊のような人間はこのレイヴをいかにやり過ごすか。校歌を歌うしかありません。朗々と。しかもアカペラで。


うちの高校はルーツが藩校でかなり古いので、校歌も相応に時代を感じる。イントロがティンパニの「…ドコドコドコドコ!」という壮大で大仰な盛り上がりから始まり、軍歌か川内康範先生原作の特撮か、非常にとっつきづらくて長いけどわりに好きだった。5番まである。しかも「まぼろしの6番、7番」がかつて存在し、内容がかなりナシオナルだったので戦後にカットされたらしい。


リリックも「万里の波濤」「仁義の兜」とかなりハーコーなバースが乱打される。俺が一番お気に入りなのが「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進みゆけ」です。歌詞に「悪魔」ってワードが出てくる校歌、ほかにあります?ホグワーツのにも出てこないんじゃないですか。ここまで威風堂々と、対外の運動部の試合とかで歌えたらけっこう誇らしい気分になるだろうけれども、俺が歌うのは不覚にもレイヴ。校内の。


軽音のO君はアコギを弾いた。彼はのちに京大に入る。A君は俺と同じような陰気なたちで、こんびからうまれたこんび太郎だと思っていたのに、「セプテンバー」を流しながらドラムを叩いた。裏切りやがった…と一方的に逆恨みしながら「心に群がる煩悩の 悪魔を払って進み行け」と全くの無音の中、しっとりと歌い上げた。自分の番がようやく終わっても、第2、第3の俺が次々壇上にあがって磔刑に処せられている。それを見ているのも辛かった。いくら煩悩と悪魔を振り払ったとて、この時の恥という焼印はまだお尻でプスプスと燻っている。




■同じく高校時代、俺は「地理部(ちりぶ)」に所属していて、金沢や富山あたりまで足を伸ばして古い町並みを回り所感をレポートにしたためるとか、「架空の新幹線」の路線を模造紙(関係ないですが、新潟だけの方言で模造紙のことを大洋紙-たいようしという。理由は知りません)に敷き、何人かで空想しながら楽しむとか、見るも無残な青春の逆をやっていた。今となってはもう人に説明するのもめんどうなので帰宅部だったと経歴を詐称している。


最後の文化祭の年、部活ごとに露店をやったり、文科系だったら作品を展示したりしなければならなかった。我々地理部(ちりぶ)はその「うその北陸新幹線」がどういうルートで走ったら「便利」かというのをまとめた模造紙をパーティションに貼り付けて、終わり。誰が来るんだ。ただただ時間だけがすぎる。時の最果て。庵。案の定誰も来ないが、一応学芸員として誰かが座っておかなければならないので、貴重な高校生活をただ「座る」に費やした。窓から中庭を覗けばダンス部が「座る」以外をやっている。バランス取れてますね。


我々の庵を出て左に曲がった突き当りの音楽室で軽音部がライブをやっていた。庵の番をしていたのは自分一人、電動の黒板消しクリーナーを小脇に抱えて音楽室のドアの前までふらふら向かい、コンセントに電源を差し込みスイッチを入れた。防音の扉の向こうから微かにリンダリンダが聴こえてくる。畜生、俺のほうが絶対ブルーハーツ詳しいからな。リンダリンダなんかやってんじゃねえよ生齧りが。俺なら「すてごま」やるね。と、クリーナーの爆音でただただザコすぎるだけの抵抗をした。そんなアルバム収録曲やっても盛り上がらないよ。そういうところが根本的にセンスが足りてないんだよお前は。はい。大変申し訳ありません。


クリーナーのスイッチをOFFにしてまた庵に戻りました。何がしたかったのだろう。尾崎豊は嫌いだった。盗んだバイクで走りだすのも夜の校舎の窓ガラスを壊すのも「人様の迷惑」だから。とかなんとか正論を吐きながら無性に気に食わない物の前で黒板消しクリーナーのスイッチを入れるささやかな反撃ぐらいをやりたがる。生粋の田舎根性。未だにそうだ。




■1年と少し前、カントリーガールズの島村嬉唄(しまむら うた)ちゃんというアイドルの女の子がきっかけでハロープロジェクトにのめりこむようになったのに、その2ヶ月後に事務所と島村家がコンプライアンスでいざこざを起こし、脱退、引退してしまった。まだ腑に落ちてない。




と、歌にまつわる、痰の絡まるような経験を羅列してみた。どこかで逸ノ城関の涙を呼び起こして敵意を鎮められるかもしれない。嬉唄ちゃんのところだったら一緒にライブ行けるな。終わった後、金の蔵で逸ノ城関と反省会するのメチャクチャ楽しいだろうな。「いや絶対目線、合いましたよ」みたいなこと言うのかな。そりゃ合うだろ。でかいので。

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2016年07月31日

石川啄木と、人を殺してはいけない話




さて、本日はウケてないかな?とインターネットをパトロールしていたら、2chのニュー速vip板に『twitter民、松尾芭蕉を完全論破www』というスレが建っていて、俺の6/23にしたつぶやきへのリンクが貼られていた。ウケマネー(ウケを対価に得た収入)を1円たりとも受け取ったことがないのに「ニュー速VIP板」で人のことを叩くんじゃないよ。せめて何ごとか為すまではほっといてくれよ。あと芭蕉は俳句だろうよ。初めて知ったけど俺、「twitter民(みん)」だったのかよ。ちょっと前に2ちゃんねるで叩かれたときに匿名で反論したら、どうやら「sage」に失敗してしまって本人特定されてすげー恥ずかしくて早めの22時くらいに寝てしまった。2016年に「sage」ミスりますかね。この世の底か?だから今回は「sage」に失敗したくなくて黙ってました。


「こいつ何言ってるかわからない」と書かれていた。確かに何言ってるかわからない。「顔射」って、この人は汚い言葉を使いたいだけだったんじゃないか?短歌に射精したら面白いですが。短冊に射精するってことですからね。わかりますか言ってること。


友人のツヴァイデビル氏が「チンポビンビンにしながら浴衣を着るのが短歌」という俺の言わんとするところをバッサリと端的に要約してくれた。だから、「ステキさ」「平凡な日常のちょっといい発見」で自分をカモフラージュして「セックス臭」にファブリーズを振りまいているような、ヤリ目("ヤリ目"て)でお洒落げに見せかけるアイテムとしてお手軽で簡単になりがちだから。NHK短歌に入選した経験のある知人も「短歌は楽」と言っていた(もちろんほぼ謙遜と思うけれど)。だけど実際のところ、「短歌でなければならない短歌」を仕上げるのはすごく難しいことだと思う。かみ砕き不足で申し訳ないけれども、ちゃんと書くと「斯様な調子で短歌やってる奴」が気に食わないんであって、「短歌」という形式や、しきたりが嫌いなわけではないんですよ。すみませんが。本来はすごく丁寧で根気が要って難しいはずだから。こんなメチャクチャなことを喚いてるんだから短歌をきちんと真面目にやってる人は怒ってよ。巨大掲示板・2ちゃんねるのニュー速vip板にスレッドを建ててないで。頼むよ。「自己表現をお手軽にすまそうとしている奴」って見られているんだから。そんなはず無いだろ。


短歌やってた奴といえばかろうじて寺山修司と石川啄木ぐらいしか読んでなくて、牧水は微妙で、ましてや現代の人がわからない、せめて与謝野晶子☆鉄幹夫妻ぐらいからちくちく勉強しないといけないしさらに突き詰めれば和歌・平安時代まで遡る必要がある。この辺りは嗜んでおかないといけない、というのはぜひ教えて下さい。で、石川啄木の記事はいつか書きたかったので、ニュー速vipにスレも建ったことなので一応のきっかけに石川啄木を考えると、短歌についに辿り着いた人、短歌にようやく馴染めた人のどうしようもない必然が伝わってくる。夏目漱石の虞美人草に「この程度、俺なら一ヶ月で書ける」と喧嘩を売っていざ発表した小説がボコボコに叩かれてくじけている。どういう方法であれ、才でなんとか世に出たかった。


はたらけどはたらけど
猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る


啄木は、「労働、ウケね〜〜〜」と嘆いた。それが未だに読まれている。労働はいかに自己を世に組み込むか、適応させるか、なおかつ不自然と感じないか、感じないようにするか、気づかないフリをするか、で成り立つ側面があり、人から借りた金で風俗嬢にフィストファックするような奴がおさまる台座なんかないです。"ついに 手は手くびまで入った。ウーウ、といって 女はそのとき目をさました。そして いきなり予に抱きついた。アーアーア、うれしい!もっと、もっと―もっと、アーアーア!18にして すでに普通のシゲキでは なんの面白みも感じなくなっている女! 予はその手を 女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足なりを入れてその陰部を 裂いてやりたく思った。裂いて、女の死がいの 血だらけになって やみの中に よこだわっているところを まぼろしになりと 見たいと思った!"

「いったい私は何処へ行くのだろう」が啄木の根底に流れている不安の源流になっていると思う。「何者」であるかと問われれば、石川啄木だ、ときっと答えている。自分が何者であるかどうか、なんてケリがとっくについている。そんな有り余っている私は一体何処に行くのか、もしかしたら何処にも行かれないパターンもあるのか?という空漠の中で蛇行して、うねうねと日々だけが過ぎる。自分だけが世の中と関係のない膜に包まれている気がしてならない。そんなはずはないけれども、気がしてならない。


人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横より見ている心。


何がなしに
さびしくなれば出てあるく男となりて
三月にもなれり


家を出て五町ばかりは
用のある人のごとくに
歩いてみたれど―


つい先般、相模原市で26歳の男が重度障害者の施設に闖入して次々と入居者を刃物で殺した。
啄木の歌にはこういうものがある。


どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな


一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと


「こんな奴殺してやりたい」の憤怒、あるいは「私にも、ひょっとしたら人を殺してしまう日が来るではないだろうか」という恐れがない人は平穏に生活を送っていて、それは素晴らしいことだ。けれども小心者にはそういう最悪の未来が頭をよぎることがあるんです。だから、その怒りや熱をなんとか冷ますか、あるいは少しベクトルを曲げてあげてどこかに逃がすか。手首の部分を軽くひねるだけでデカい男がひょいひょい投げ飛ばされている塩田剛三の動画を見た。あれは絶対本当です。

今回の件みたく、「人を殺す」エネルギーをそのままひねりもなく「人を殺す」に一直線に向けてしまう奴はクソでカスでゴミで救いようがない。くだらないしつまらない。見るべきところは何もない。本来は、ひょっとしたら俺も人を殺す日が来るかも?という標識が見えて来たらブレーキを踏むし、ハンドル切るんですよ。それが正しい人間のあり方だと思う。このような怒りを我々は「消火」、もしくは「昇華」するべき。今うまいこと言いましたよ。殺すなら今ですよ俺のことを。



むやむやと
口の中にてたふとげの事を呟く
乞食もありき


もし人を殺したい、という気持ちで短歌をやっている人がいたらぜひ友達になりたい。もしくは始めてみるのもありかもしれない。こんなにまとまらない文章を書いている人間がつとまる様式じゃないかもしれないですが。口の中で正論を吐くだけの乞食になりたくないので、いきなりマイク向けられたときにスッと綺麗なコメントの言える人間を目指します。声帯整えないとな、使ってないから…。
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posted by しきぬ ふみょへ at 19:09| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

萩本欽一『欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。』



5/27の記事で、「タレントの萩本欽一さんのことを、今後は"欽一"と呼んでいきませんか」と書いた。自分より目上の存在がこの世に残っていない、登り詰めてしまった、仕上がりきってしまった人間をあえて下の名前で呼び捨てにすることが面白いし本人のためにもなるだろう。なぜならば「老い」を食い止める手段は「刺激」しかないから。このまま欽ちゃんとして終わるのではなく、ここでぐるっと元に戻って「欽一」になればまたはじめからやり直せる。強くてニューゲーム、というシステムを現実生活に取り入れるようなものだ。大仁田厚も高校入り直したじゃないですか昔。あんなのも楽しくて仕方がないだろうな。だってまだまだバリバリ現役で体力有り余ってて経験積んでる状態で高校生活できるんだから。政治家になってからだってマンションにキャバ嬢とかAV女優呼んでガハハをしていたらしいから、この当時なんか絶対もっとヒドいことやってるって。絶対もっとヒドいことやってるって絶対。絶対もっとヒドいことやってますよ。


欽一は2015年春、73歳で駒沢大学仏教学部に合格した。事務所の後輩、お笑いコンビキャイ〜ンのひろゆきから筆箱を貰った。入学式の学長の話、ブラスバンドの演奏、校歌斉唱をじっと黙って聞く欽一。コメディアンとして舞台に立ち続けていた側だったのに客の立場で座っていることがどうも慣れず、小声でツッコミを入れたら周りがクスクス笑った。嬉しかった。いいぞ欽一。でもうるさいぞ欽一。


『女の子たちに誘われて、初めて学食に行ったよ』という章があった。誰にも会いたくなくて絶対に学食を利用せずにちょっと離れた流行ってなくてうまくないラーメン屋で学割ラーメン500円ばっかり食ってた俺とえらい違いだ。店長が携帯をかまっている中、手の甲に五芒星のタトゥーが入った中国人女性のバイトが湯切りしていた。大学時代なんか何も思い出すことなんかない。畜生、欽一がよ。


介護士になりたい、という女の子の話を聞いて"最高の仕事だね。センセーイって小さな子供たちが笑顔で寄ってくるような顔を君はしている。きっと誰かのお世話をする仕事はぴったりだよ"と返すと、介護士になりたいという夢を肯定してくれる大人は今まであったことがなかった、と女の子がポロポロ泣きはじめた。確かに今の御時世夢を語れば否定され是正され、もっとこうしろ、儲けろ、あるいは安定を、と捻じ曲げられてまっすぐ歩くのがやたらに難しくなっている。


いや、違う。そんないい話とか教訓を聞きたいんじゃないんだよ欽一。やっぱり"教え"とか"萩本欽一かく語りき"の方向に話が進んで、いちおじいちゃんが大学生活を送っているだけで面白いのに、やっぱり何かを伝えよう、世に残そうという姿勢でいるので、下積み時代やバラエティ黎明期のエピソードが「キャンパスライフをエンジョイする欽一の面白さ」を食ってしまっており、そこが残念だった。残念というか、欽一の哲学の中にはもちろん自分と結びつくものもあって、こうして刺激をあえて浴びに行って日常を飽きないようにするという姿勢は共感するし、逆に欽一よ、そこは違うんじゃないかというのもある。「負けると分かっている勝負はするな」と標榜しているけれど、そうは行っても凡人には負けに行かなきゃならない日だってある。どのように負けたか、というあたりなんとか落とし前をつけたい。勝ち続けることは不可能です。


「欽ちゃんファミリー」は、欽一視点で芸事への対応力が「0点」と評された人々を称する言葉らしい。勤は何やってるんだかお客さんに全然伝わってなかったし、一機は上がり症で震えていた。見栄張は(見栄張は見栄張としか呼べないのでつまらない)物事を知らなすぎた。だけれどもそれぞれに適切なアドバイスを与えて世にでるきっかけを作った。弱点を強みと思いなさい、目線をずらせと。言っていることは正しい。正しいけど、そんな話が聞きたいんじゃない。『帰りに転んで頭を打っちゃった』の章が一番笑った。あと、勝てる勝負しかしたくないので、自信のないドイツ語のテストは受けませんでした、っていうエピソードも、悠々自適に自分のペースで大学通える身分なんて、こちらからしたらうらやましいし本人もそれを自覚しているけれども、欽一言うところの目線をずらせば「ド老害」と称することも出来てしまう。


やっぱり「笑わせ」たい人で「笑われ」たくはないんだな、と思った。笑われるのを芸とはしていない。18歳からストリップ劇場の前座に上がり、根っからのショーマンシップがあって、自分の書いた節通りに運んでウケたいと。素人ならではのハプニングをテレビに取り入れたのは欽一とされているけれど、あくまで「ハプニングが起こること」も織り込み済みじゃないと気がすまない。だから自分が大学生である事実そのものをギャグと捉える俯瞰は難しい。そんなことまで裏切ってギャグとして駒大通ってたら超人も超人ですよ。超人であって欲しいけれども。金曜日にコマを入れているらしい。今年もそうなのかな?誰か玉川キャンパス行きません?マジで。
posted by しきぬ ふみょへ at 10:07| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月12日

メイド喫茶と蛾

昨日は会社をさぼった。何もやることがなかったのでメイド喫茶に行きました。結局何もやることがない人間が行くところだ。メイド喫茶なんて。平日というのもあり先客は1人しかいなかった。髪の毛を後ろで束ねているおじさんが頬杖をついて寝ていた。後ろで束ねるほどに毛量を持て余している人間がまっとうな職業についているとは思えないが、平日にメイド喫茶で堂々と眠れる神経は一体どこから来るんだろう。どこからも来ないのかもしれない。なんかもう嫌だったのと目の前の光景から距離を置きたくて瓶ビールを頼みました。すぐそこにいるんだから「すいませ〜ん」と声をかけるのが自然なのに手元のベルをわざわざチリンチリンしました。全然ウケないですね。手酌で瓶ビールを注ぐ。何がご主人様お帰りなさい!だよ。ご主人様に手酌でビールを注がすなよ。いや、こんなことで怒りたくないよ。メイド喫茶のメイドさんを本当に「メイドさん」と勘違いしだしたら人間として息の根が止まっている。


40後半ぐらいのタータンチェックのネルシャツを羽織ったおっさんが入店してきた。おみやげを持ってきていた。チーズケーキ的なお菓子らしい。「ゴルゴンゾーラがどうこう、チーズがきつめでどうこう」と講釈をたれ、チーズケーキ的なお菓子をメイドさんに渡しアイスティーを注文した後、ずっとソファを見ていた。話はずれますが虫の中で一番怖いと思っているのが蛾です。虫全般そうといえばそうなってしまうが、とりわけ蛾が一番「何考えてるか」分からなくて怖い。3歳の頃、朝玄関を出たところのアパートの壁にスズメガが止まっていた。夕方、幼稚園から帰ってくると、微動だにせずにまだじっとしていた。一体何が楽しくて生きてるんだ、と一生理解できない、分かり合えないんだろうなこいつらとは、と得体のしれない戦慄が未だに拭いきれずに蛾がどうしても怖い。


その「得体のしれなさ」が蘇った。なんでこのおっさんは「ソファ」を「見ている」んだろう。ずっとこうしているつもりなのか?このおっさん本当は移動するでかいサナギなんじゃないか?そのうち羽化するのか?なんばの空に無数の巨大な蛾が舞う日が来るのか?どうしても言葉を介してこの人とやり取りできる気がしない。オスの蛾はメスの尻から出るフェロモンに集まる習性がある(コナンで、窓に亡霊が映ったと思いきや実はフェロモンに反応したオスの蛾の群れだった、というくだりがあったので知った。そんなことありますか?)。だから、こうしてメイド喫茶に訪れる、辿りつけているのもフェロモンを触角で探り当ててるからなのかもわからない。


若干ホストの入った、このへんのそれこそメイド喫茶だのおそ松さんカフェだのたくさん並んでいるが、その裏方側、"絞りとる側"っぽい若干いかつい30前後のあんちゃんが入ってきて、自己啓発本『7つの習慣』を足を組み替えながら読んでいる。家に帰って仮眠をとったほうが夜からの仕事をがんばれるでしょうし、7つの習慣なんか読む必要がない。自己なんか啓発する意味なんかない。絞りとるだけのことに集中して欲しい。

しばらくするとイケダハヤトみたいなやつが来店し、「ミントジンジャーティー」を頼んだ。ミントジンジャーティ????なにそれ????ミントジンジャーティはホットしか無いらしい。「えっ、ホットしか無いんだ!ホットしかない、と言えばね」からの、大阪文化である「あめゆ」、「ひやしあめ」に話題をつなげ、北海道出身、というメイドさんの「そんなの初めて聞きました!」を引き出している。サンガリアの自動販売機に入っている「あめゆ」はショウガの入った水飴を希釈して温めた飲み物で、それを単純に冷やしたら「ひやしあめ」になる。といううんちくを垂れていた。いいね。ミントジンジャーティを選んでいる時点でトークを用意していたんでしょうね。と、悪態しか出てこなくなったところで瓶ビール980円を支払い店を出た。高け〜な。髪を束ねたおじさんはまだ寝ている。「髪を束ねる」ということは髪の毛が邪魔くさい、という感情は一応残っているのか。しかし、メイド喫茶の楽しみ方は今後ともわからないままでしょうか。蛾にならねばいけませんか。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:55| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月03日

坂口安吾『堕落論』




NHKの『100分de名著』で取り扱う7月度のテーマが坂口安吾の堕落論らしく観たいな、となったのに、独身寮のタコ部屋はなぜかNHK教育の電波が入らない。だから定時で終われてダッシュで家についても天才てれびくんが映らないから、最新のチャイドル情報を入手することが出来ない。チャイドルってとっくに言わなくなりましたね。誰が言ってたんでしょうか。吉野紗香さんのTwitterを見てみたら、ショートカットになっててうっかり出馬して落選してから姿一切見なくなったふうの外見になっておりショックでした。岡部まりさんは元気にしているでしょうか。岡部まりさん、探偵ナイトスクープの秘書やってた時の、けっこうな年を召されているのに若干下世話な依頼ハガキを少し照れながら読み上げるみたいなくだりが妙に嫌でした。しかもあれだけ芸人が揃った現場で誰も「いやまあまあのババアやないかい」と茶々入れてないのも不自然だった。ジャイアントスイングしろ石田靖。


お国のために死ぬのが美徳でブシドー、ヤマトダマシイだったはずなのに、いざ爆弾が落ちてきたら、いや生きたいわ!となり、結局残った人間も、帰ってきた兵隊も闇市で酒飲んでるし、夫が帰ってこなかった女ももう誰かとセックスをしている。六十、七十の将軍たちも責任とってハラキリなんかしていない。東条英機に至っては自決をミスっている。でも、「そういうもの」だから、お前らとっとと気づけ。という。武士道、マルクス主義、門閥、貞操、全部爆弾で焼き払われてしまう、あってないようなものにしがみつくな。自分の頭で考えて、自分の頭で武士道を思いつきなさい。しがみつくことを止める、崖から落ちろ、それが「堕落」だ。


だいたい坂口安吾はまず、キレる。ふすまをバーン!!と蹴って部屋にいきなり入ってきて包丁を畳に刺してから喋り始める。爆裂お父さんだ(もう2回ジャイアントスイングする人出てきた)。そして、俯いて真面目にギャグを言う。笑っていいのだか悪いのだかわからないすれすれの温度だから、今もう完全に死んでいて、残った文章を読んでいる立場だから安全なだけで、目の前で吹き出したらぶった斬られている。常時怒り状態、覇王丸、大斬り。ヨンチャンペ斬りです。


六十歳よりも二十歳の女がいい、と。なぜなら若くて可愛いから。だけれども、老いて死んでしまうから惹かれる。ハイロウズの『不死身の花』で、「愛されないのは枯れないから」とありましたが、絶対老けないババアは単なるホラーで、美しくもなんともないんです。堕落の例としてこういう下世話やあけっぴろげに女の話をするのも、笑かそうとしてるんじゃないか。


爆撃を食らったばかりの罹災者の行列の中で、十五、六、七、八の女だけが、ギャルだけが何が楽しいんだかゲラゲラ笑っていた。あの娘らは不安とか無いのか?"私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみだった"と。ここでまた、安吾の「女は意味がわからない」が出てくる。こういうところから『夜長姫と耳男』とか『桜の森の満開の下』に出てくる狂った血みどろの女に繋がってくると思う。そして、爆撃前に電灯が一切消えた街を歩いてる時、"私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。"非常事態にふらふらほっつき回っている最中は何も考えないでよかった。常に考え、うなされている状態からようやく開放された。その一瞬だけ。ギャルだった。


『続堕落論』に進むと、今度は農村社会と天皇に額づく連中をなで斬りに攻撃する。まずムラ社会は、せこい。なんやかんや上から制度を押し付けられても、どうせわかりゃしないだろう、って誤魔化すし、排他的だしそのくせ農民精神などというものを掲げ、田植機で往復すれば済むところを腰をひん曲げて一本一本稲を植えなきゃいけないと爺さんが言う。耐えてるばかり、ノスタルジーに縛られてるばかりでお前ら一歩も進んでないだろうがと。「しきぬ ふみょへさんは坂口安吾が好きなくせにムラ社会的な考え方にハマってますね」と批判された。もうずっとムカついてるのでまた言う。でも仰るとおりで、例えば労働中、全部とっととLEDに総取り換えしてしまえよ、とハシゴ担いで蛍光灯の交換してる度に心で毒づいているところもあるが、ちょっと頑張ってる姿見せれてお礼言われたりするから嬉しいしそれもそれという。せこいですね。つるセコです。


"たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!" 戦争辞めたくて仕方なかったくせに悔しそうにふるまいやがってふざけんなよと。それにしても「嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」はすごい。これは推測でしかないけれども、闇市のカストリ、三級酒、Z級の何かをかっくらった勢いで書いてるんじゃないか。いくら無頼と行ったって、時の日の本そのものに真っ向から正気でタックルできるか。アルコール無しで。


と、こう実理にかなっていないもの、ウソをついているもの、あるいはウソをついている己に気が付かないふりをしているせせこましい連中を片っ端から乱取りしていった。『堕落論』の4年前に書かれた『日本文化私観』という文章があります。ブルーノ・タウトというドイツの大学教授が日本文化、桂離宮、伊勢神宮について「外」から見た印象を眼識した『日本文化私観』という本にぶつけた、というか題目完コピでぶつけにいった文章です。冒頭で、"タウトによれば日本における最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生まれ"と安吾が書いている。4才まで新潟市内でそこから移って18まで新潟県上越市で過ごした自分としては、日本における最も俗悪な都市、と外国人に評され、思うところがある。時代は移ろったと言えど、反論は全く無い。あそこが最も俗悪であるならば日本中どこ行っても素敵で優雅だろ。ちょっと何か田んぼの間にでかい建物の工事が始まったら間違いなくパチンコ屋です。昔に日テレのスーパーテレビというドキュメント番組で、日本有数のパチンコ激戦区、と地元が特集されていた。悲しかった。ただマジで娯楽がないので、じいさんばあさんや地元に残った連中にとっては「必要」です。


タウトが日本を"発見"する前に俺は日本人なのだから、神社仏閣や枯山水が美しいかどうかはさておき今現状、不勉強ながら、日本の風景のどこにグッと来るかを考え始める。実理にかなっていないものは、安吾の基準から外されてしまう。着物だって日本人よりタッパのある外人が着たほうが似合うだろうがと。日本人はただ洋服に出会うのが遅かっただけ。京都に引っ越して、祇園の舞妓さんもうるせえばかりで何とも感じない、何とも感じなかったが、その格好の連中がダンスホールで踊っているのを見たら、洋服と比較されて場を圧倒していた。こっちのほうが良かった。


週末に通っていたなんば千日前のジュンク堂がこの3月につぶれた。その空きビルにドン・キホーテが入るらしい。店舗の周りがかなりめまいのする環境で、まずなんばグランド花月のど真ん前にある。茂造じいさん、すち子の着ぐるみと記念撮影をしている観光客、わなか、天竜ラーメン、似顔絵屋、ワッハ上方の若手ライブに出待ちしてる結構どころかメチャクチャ可愛い女の子たちの固まり、とか一切のうるさいガチャガチャしたところからシャットアウトされているので、なんでしょっちゅうあそこに通っていたかと言えば逃げ込まないと死んでしまうから。


よりによってドンキかい、ジュンク堂跡地にドンキかい。「ボリューム満点」で「激安」の「ジャングル」!?。もういいだろ。というか宗右衛門町にもあるだろうがよ。しかしながら必要性という面で言えば大陸からやってきた人らが電化製品だの薬だのガラガラ引きながら買っていくのだろうし、行ったら妙にハリボー買ってしまうので本読む代わりにハリボー食って帰りたくなるかもしれないが、一抹に寂しい。要るのはドン・キホーテで要らないのはジュンク堂ということになってしまった。ますます行くところがない。


小菅刑務所やドライアイス工場など、余計な飾りっけを一切省いた、「必要性」だけで構築されている建築物を安吾は美しいと言う。必要がなければ法隆寺も駐車場にしろと。ウソや瞞着を許せない、許せなさすぎた。小林秀雄にも「武器を取れ」と胸ぐらをつかみに行ったし、宮本武蔵にまで「死ぬまで戦場に立てよ」と噛み付いた。そして自身は酒とクスリのやり過ぎで死んでしまった。東京に降り注いだ爆弾はかいくぐったのに、よもや己が爆発して死んだ。


ごまかさないで生きろと。俺はこれを信じているので大丈夫だ、を見つけろ、それは「堕落」と言いながら厳しすぎる道だ。志村けんのだいじょうぶだぁ の志村けんは優香を失い、だいじょうぶでは無くなってしまった。100分de名著の堕落論の回、朗読は志村から優香を奪った青木崇高です。ひどい。今フジの深夜でやっているコント番組は「志村の時間」らしい。志村の時間。もうあまり長くない。そして我々の時間も。みんなでピンクフロイドのタイム聴きましょう。こんなことをしている場合じゃなくて生きねば……
posted by しきぬ ふみょへ at 09:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

父親の歌う浜田省吾の『J.BOY』

去年の冬、父親、母親、妹と、長男の俺でカラオケに行った。血が濃い部屋。かなり気持ちが悪い。持ち込みOKな地方特有の爆安カラオケチェーン『コート・ダジュール』だった。ちょっとでも削れるとこ削ろうと、カウンターで初めて会員登録勧められて素直に応じ、老眼でメガネのつるを持ち上げながら空メールを送っている父親をよそに長男は誰が金落とすんだよというUFOキャッチャーでジャッキーカルパスお徳用が、このタイミングでしか入手できない気がして妙に欲しくなったので遊んでいた。母親は家で揚げてきたコロッケを抱えていた。

一族を案内するにはおそらく不適切だろうというミラーボールの色味や回転が調節できるつまみの用意された部屋に連れてこられた。母親がコロッケの包みを開き、カバンから中濃ソースを取り出した。うちの家族は妹を除いて酒をかなり飲む。店員、のっけに生やらサワーやら運んできたテーブルにタッパーみちみちになっているコロッケを見てどう感じたんだ。たぶん俺だけがその辺をお察しし多少恥ずかしく肩身を狭めていたのですが気にせず連中はコロッケを食いながらデンモクをいじっていた。やおらなんか適当に歌おうっていうんで、妹のYELLOW YELLOW HAPPYを聴いた後、もしも私に生まれてもまた私に生まれたかったんかいお前は処女だろ、の次に父親が予約したのが浜田省吾、ハマショ〜の『J.BOY』だった。




上司に腹が立って仕方がなかったら机で歌うんだよこれ、と『時に理由もなく叫びたくなる 怒りに』といきなりAメロでかました。どこまで気持ちを移入してたのか、時に理由もなく叫びたくなるやつを圧し殺しながら、いや実際に歌ってしまっている以上圧し殺せてはいないんだけれどもこうして自分が養ってきた一家の前で酔いながらマイク握ってる父親がいた。働くようになってから、うるせえやつのうるせえ結婚観より、こういうことだろ、となんだかしみじみなりながらモニター見つつコロッケを食っていた。

ハマショ〜のすごさは、これは先にハマショ〜のすごさに気づいた友人の受け売りなんですが、一瞬たりとも正規雇用労働者としてお賃金を得る生活を送ったことがないにもかかわらず、創作力だけでその層の心情や愚痴や吐露をわしづかみにしているところで、ウチの父親もそこそこにお笑いも音楽も映画も好んでいるけれどもハナからサラリーマンで生きていこう、としていただろうにハマショ〜、俺のこと歌ってくれてるじゃん、という意識の移入をしている。『風を感じて』も『Money』も、バンダナとでかめのサングラスの奴が作れるはずが本来ない内容だ。ビジュアルからの印象が強すぎて、よけてしまっていたことに後悔している。でも、多少なり真面目に、正規雇用の身分になってようやっと理解できるようになれたという。

『午前4時 眠れずに
彼女をベッドに残し
バイクにkey差し込み
闇の中 滑り込む』

父親がある朝忽然と布団から消えていたら闇の中に滑り込んでいったんだろう、と納得する。母親の歌う菊池桃子や引き続き妹の歌うポケビを聴きつつ、なんだこれ、とまあまあ酒入ってるのに嫌でした。
posted by しきぬ ふみょへ at 22:31| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

もしピア

今日も前の彼女のアカウント名でTwitter検索をかけたら、「おめでとう!」「お幸せに!」「不倫じゃないよね?笑」というリプライが引っかかった。例によって鍵がかかっているその上からなおブロックと、こち亀で中川財閥の金で建てた葛飾署の女子寮ばりにガチガチにセキュリティでふさがれているのでいくらドアを殴った所で中の様子はまったくわからない。それにしたって「お幸せに!」「不倫じゃないよね?笑」って、彼氏出来たらしい。早え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜な。おい。お前に殺されてるんだよ。俺は。弔え弔え。もっと。7回忌までは年賀状をどこにも出すな。いや幸せを望んでいないわけではないが、こんな4ヶ月そこらで何ごともなかったかのようにレール戻れるんかい。トロッコ乗れるんかい。そんなもんですか?本件に関して詳細情報がどうしても欲しいのでさっきのリプライ送ってる人に目出し帽で近づいていって「もしもし、あの壁の向こうでは何が起こっているのでしょうか?」と尋ねたくてもどかしさに全歯が欠けそうだ。無論そんな振る舞いに出たところでヤベェ奴だ。このトロッコは人間の理性に反応して危険から遠ざかる仕組みになっているので一生懸命深呼吸をしているがどういうわけだか崖がどんどん目の前に迫ってくる。


だいたい女、女がこれを読んでいるんだとしたら男相手にそう思ってくれればいいのだけれども、付き合っていたらお気に入りの場所とかだいたいこの辺で遊んでるとか、そんなとこに2人で行くだろう。全部潰されてしまった。どこにも行かれない。まったく無駄に残像を覚えているから。引きこもりでは決してない。しかし外には飽きたから億劫だ。一応働いてますよちゃんと。


近所のマツキヨにしたって「マツキヨで買うやついるか??」とワゴンに1500円位で積まれている財布にいちいちウケていた時期の幸せで気持ちの悪いゴーストの俺が笑っているのでなるべく近寄りたくない。もはや住んでいる今この施設にしたって辛い。独身寮なんですが風呂やシャワーを利用する時には「使用中」にマグネットを動かす。彼女が泊まりにきた時に、写真の状態にして2人でシャワーを利用した。こんな原始的でいつレイプされるともわからん寮で嫌な顔ひとつせず過ごしてくれたことにいたく感銘を受けた俺はひどく身勝手に運命だと思い込んでいたものである。今、シャワーまで案内している2人が収まっている隠し撮りがあったらぜひ見たい。絶対に嫌な顔ひとつしていたに決まっている。

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「Aパターンがうまく運んでいた場合」よりもなおかつ総合的に上を行くBパターンを構築しなければならない。そうでなくては死んでしまった意味、成果がない。女は人を殺しても罪に問われないが、私どもは死んでもなお蘇られるのでよかった。ぐちゃぐちゃ考えてたら「お前は元カノとアイドルとネットの人間の悪口しかネタがない」と叩かれたのに再び腹が立ってきた。他のことが人生であったら書くよ。本当にこれしか起こらないんだからしょうがないだろうが。「もしもピアノが弾けたなら」を西田敏行の100倍望んでるからな。
posted by しきぬ ふみょへ at 21:28| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする