2016年06月20日

あげカレーそば

あげカレーそばばっかり食ってる。地下鉄天王寺の駅で降りて直結しているあべのキューズモールというショッピングモールの中で、もともとこの場所はあべの銀座商店街があって、そこに残ってた店舗が優先して入っているので立ち飲み屋やうどん屋が平気で小綺麗なショッピングモールに入っていて滅茶苦茶になっている。立ち飲み屋、うどん屋、洋食屋、たこ焼き屋、焼肉屋、と並んでいて角を曲がるとスーツセレクトがある。一杯引っ掛けてうどん食って背広作って帰ろうとなった場合に重宝する。


あげカレーそばは、この並びのうどん屋のメニューで、うどんがメインなのかもしれないけれどもそばも選べる。どっちも美味しいんだけど最近の推しはそばで、はなまるとか丸亀とかのうどんチェーンは関西でもけっこうあるんで有り難みはそこまでないんですがそばをあんまり外で食えないんですよ。東京に住んでいた頃はバイトの夜勤明けで小諸そばばっか行ってて、たぬきの二枚盛り食って部屋帰って夕方まで寝てからまたバイトだった。店員のおばちゃんの「いってらっしゃ〜い」を背に受けつつ「おばちゃん、帰って寝るんすよ俺」と心の中で、盛り放題のネギまみれの口臭で返事をしていたあの頃に戻りたいとは絶対に思わないけれども小諸そばだけマジで食いたいので大阪にも進出してほしい。富士そばですら見かけないので絶対天下獲れる。


短冊切りのあぶら揚げがまあまあ本気で入って、ネギとたまねぎと出汁ベースのカレーとやわやわ煮まくったそばで300円、ちょっと小綺麗にしているショッピングモールの中で300円でお腹が満たされる、ウルテクの域ですもはやこれは。卓上の七味をバカバカ振ります。なぜならば育ちが良くないから。ベーシックなかけそばとか肉そばあたりもそこそこ安定して旨いんですがざるそばはイマイチで、これはどうしても東京のチェーン店をあらかた攻略してとりわけ小諸厨なので譲れない。しかしながらこのあげカレーそばはマジでうまい。出てくるまでの間ジジイとジジイの2オペ体制の連携を見守る。ジェットリーみたいな顔立ちで鼻筋に特徴のある、食券渡しても何も反応がないジジイがいつもいる。サイドメニューの親子丼の手鍋にたまごを割って鶏肉と一緒に菜箸で溶きながら麺の茹で時間を計算していて大概2、3分以内に提供される。手際を見ているのも飽きないし、絶対このジジイは俺がいつもあげカレーそばを頼んでいることに頓着していないというか覚えてないので、あんちゃん毎度どうも的な愛想を今後も振りまかないだろうからすごく居心地がいい。近所の鳥貴族で「いつもありがとうございます」と言われてから3ヶ月間を空けた。


食べログとかまとめサイト見てても、知人に飯屋のこと聞いてもけっこう「コスパ」という単語が出てくる。安価に量を食えるのがコスパなら業務スーパーでひと玉15円のうどんを買ってきて湯がいてパックの鰹節と天かすをぶっかけて醤油ぶちまいて「食べる」、というか「胃に入れる」のが一番コストあたりでいうカロリーの点で単純に点数高い。己を虫と思うなら。コスパって何基準なんだろう。たとえばあげカレーそばは安くて早くてうまい。早いというのは丼が置かれるまでもそうだし完食するまでもそんなに時間がかからない。ショットガンタッチをしたい時に最も好都合な食事です。今のところ。だから浮いた時間ぶんでDMMを漁れるし往年の助っ人外国人のウィキペディアを読める。そういうふうに余る時間もパフォーマンスのうちで、わざわざ食ったものについてレビューサイトに上げているような連中の言うコスパって何。その批評をどこの誰が見てるんだかわからないような場所にしたためるのであればもっとうまい店の情報を入れることに当てたほうがいい。だからこの文章には意味がなく、あげカレーそばで補給したカロリーを中腹ぐらいでまるっきり消費したのでじゃがりこのサラダ味を食べました。
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posted by しきぬ ふみょへ at 00:24| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月12日

相楽左之助、アイドル、オタク

AKBの握手会でノコギリを持った男が大暴れした。プレゼントした腕時計をご丁寧に送り返された男が出待ちして逆恨みで相手をメッタ刺しにした。今日、アメリカでいよいよピストルでアイドルを撃ち殺したやつが現れてそいつもピストルで自分を撃ったらしい。どうしたらいいんだ。ヤベェ奴と相対するリスクを背負っている。そんなの危ないから、申し訳ないから家に引っ込んでテレビ見ててくれ、とも言い切れなくて何故かというと俺もアイドルが好きだから。ヤベェ奴の横並びでサイリウムを振っている、というか振れている、むしろ振らさせていただいているのはメチャクチャ可愛い女の子がメチャクチャ可愛いだけで完結しているにも関わらず歌やダンスのレッスンを、修練を重ねて、なんだか知らない可愛くない黒タイツの振付師とかに怒られたりしながら世に出てきてくれているおかげで謁見させて頂いている。何ごとも殊勝になってくれ。


オタクは基本的に面白くない。これは間違いない。21世紀になって15年半経ったのにいまさらオタクけなしかよ、とも思うけれどもなぜオタクがこんなにも面白く無いのだろう。雨が降っていたから遠くに行きたくないのでベビースターラーメンのチキン味とセブンイレブンで買った肉吸いをすすりながら考えた。肉吸いの汁が4分の1ぐらいになったところでベビースターをぶち込んでみたら脳に刺さるぐらいしょっぱくなってしまって寿命がまた縮まってしまった。味を描く能力のない人間がオタクについて文句を言う。どうかひとつ頼みます。


世に出ている何事かに対して言及する姿勢について重きを置くべきはまずは「殊勝になる」でなくてはならない。パソコンのモニターから腕がニュッと生えてきて胸ぐらを掴まれながら「そういうお前はどうなんだ、面白いのか」と振り回された時に声が上ずらずに対応できるかどうか。自分は斯様に思います、を筋道立てて喋れるか。これはなかなか難しく、難しいからこそ言えない。言えない難しさをわきまえている、いやきちんとわきまえられているのかどうかすら危ういけれども言わずにはおれないのだ、というキューピーマヨネーズの細い方の口から心のたけをなんとか絞り出した意見にこそ価値がある。キャップごと外して口径の広い方からどばどばサラダにマヨネーズかけてくる人間にろくな奴はいない。お前が食うだけのサラダじゃなくて俺も食うサラダだから。肉吸いの汁にベビースターぶちまけた何かは俺だけが食うんだからいいの。これのほうが旨い、という信念のマヨネーズを絞り切るオタクの握力。12kgぐらい。


そういった懸念とか殊勝をあえてかなぐり捨てて偏見や断定を振り回す、斬馬刀を振り回す悪一文字の面白さもある。あくまで「あえて」なので、色々と文脈を踏まえたうえで文脈を無視している。斬馬刀ものすごいスキだらけでウケるが、剣心はお前なぎ払うか振り下ろすしかないから動き読みやすすぎる、いつでも殺せるぞ、と余裕で左之助との喧嘩に勝った。ここで言えるのが、左之助が「あえて」「殺されるべくして」斬馬刀を振り回していたらメチャクチャ面白いのだけれども、そんなに面白いかどうかで得物のチョイスをしないと思うのでマジで勝とうとして斬馬刀に至ったんだろう。だから左之助自体は面白くない。面白いのはただでかいだけの刀だ。


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地面に対して並行すぎる


けれどもオタクはこのただでかいだけの刀を背中に背負ったつもりでインターネットでうろついている。これが行ききると、先のノコギリ振り回す奴とか出待ちのナイフ野郎とかピストルアメリカンとして世に出てきてしまう。だから本当に被害者が出てくる。マジでやめろ。殊勝に生きればこんなことにはならないんだ。左之助だってすぐに斬馬刀をあきらめて自分の拳でやっていこうってなったんだから、今からでも変われる。


第三者の目を持っていないというのもある。自分がどの程度の社会区分に位置づけられておりバラモンなのかシュードラなのか、ジョックなのかナードなのか。自分はどのへんに属しているのだろう、という眼を持っていない。2個3個ビールケースを積んだだけのピラミッドの上から拡声器で喋っている。いつでも死ぬのに。川の氾濫で死ぬのに。せめて拡声器必要ないくらい距離まではビールケース重ねるぐらいに自分の中で何かを成し得なければならない。お前の声は届いてないぞ。一生懸命生きて、それから物を言おう。頑張ろう。


※今回の記事は全部波田陽区さんに書いていただきました。



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posted by しきぬ ふみょへ at 21:34| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月11日

サンマルクカフェの亜空間

サンマルクカフェでアイスコーヒー飲みながら前を向いてボーッとしていたら、「番号札3番でお待ちのお客様」という店員の呼び出しがあった。パフェとかサンドイッチとか凝ったもの頼むと番号札を渡されちょっと待たされる。いちいちアイス乗っけてプリンをアレして生クリームしぼってと、非常に手間がかかる。面倒くさいのでアイスコーヒー単体でのご注文はどうでしょうか?と咎めてくる店員は居ないので教育が行き届いている。サンマルクカフェ、ももちろんだしチェーン化されている喫茶店の店員さんは男性も女性も容姿が整っているから、可愛いあるいはかっこいい上にマニュアル頭に叩き込めるだけの頭脳も持ち合わせているのかよと落ち込む。


梅沢富美男がマクドナルドで舞台の差し入れ用にハンバーガーを40個だか頼んだら、店員の女性がお持ち帰りかこちらでお召し上がりかどうか確認してキレたらしい。マニュアル通りの対応しか出来ないのかと。そういうことで、「怒る」という行動に出る人がいるので絶対に接客業はやりたくない。もしかしたら本日たまたま社員が来てて、マニュアル通りに対応をしないとチェックシートでバツ跳ねられて減点なのかもしれないとか、バイト明けの15分前で晩から飲みに行く約束があって、自分が幹事でけっこういい店押さえてるから美味しいもの食べたいし友達がどういう反応するか気になるからあーもうさっさとバイト上がりたいな!とそっちに意識が持っていかれていたから顔テカテカ眼鏡夢芝居のことなんかどうでもよく、つい「物の流れ」「はずみ」としてフレーズが口をついてしまっただけかもしれない。


人のあらゆる「かもしれない」をあらかじめ頭のどこかでよくよく考えておくと、怒らなくなる。というより怒れなくなる。だとしたらしょうがない、という標識の前で立ち止まってしまうのでそこからアクセルを踏めなくなる。ジジイあるいはババアになり、人生こうすれば上手いこといくし実際上手いこと行ってきた、が凝り固まってしまい、ありとあらゆる段落にペンが引いてある夢芝居の台本があって、それをはみ出してくるノイズが紛れてきたら頭の中で絶対排除警報が鳴りキンチョールをあたり一面に噴射するからリビングが煙い煙い。息子の嫁が黙って窓を空ける。こうしたストレスが積もり積もって富美男はデイケアセンターに隔離される。年に一度催されるレクリエーションで家族の見守らない中白塗りで夢芝居を舞う富美男。


この店員さんに対応をされた。たまたま日常でそういう巡り合わせがあったとして、「それを確認されたとてたいして自分に被害をおよぼさないたぐいのミス」に対して糾弾すべき、声を荒げるべきでないんじゃないだろうか。「お持ち帰りです」というワンテイクが増えるだけで済む話だから。実際あえてキレてみる、キレてみたったことでエピソードになるしお金ももらえるしキレてみたろうかっていう打算、ヤラセが挟まれている可能性もあるけれども。いやいや、そんな最悪なことは流石にないはず。でも芸能界はおっかないからこの程度の意識牽引はやっているかもしれない。「かもしれない」だ。どうしよう、布団を被ろうかな。


で、頭に戻るんですがボーッとしながらアイスコーヒー啜ってると、「番号札3番でお待ちのお客様」という案内を店員さんが結構繰り返し繰り返し呼びかけていた。のにも関わらず、該当の3番がマジで一体どこに消えたのだか姿を見せなかった。なんで?神経の集中を割いてパフェこしらえたのにパフェが宙に浮いてしまった。どうするんだろう。捨てちゃうのか。店舗の2階にトイレがあって、個室のドアにカギがかかっていたら天井に吊るされた男子あるいは女子マークのランプが点灯する仕組みになっている。せっかくパフェを注文したのに土壇場でやっぱいらないわ、とは恐らく中々ならないはずなので、あのランプが点灯している間、その個室だけにゲートが開いている亜空間に吸い込まれているのかもしれない。いや、絶対そうですよ。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:07| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月08日

国木田独歩『武蔵野』の感想



この武蔵野という話は今でいう井の頭線沿い、埼京線の渋谷から北、あと多摩川に近い青梅とか立川、つまり東京のはずれらへんから埼玉の南あたりまでの原風景を本当にただひたすら文章のうまい兄ちゃんが詩的に、精緻に淡々と、笑うところもなくつらつら書き連ねている。ただ淀みなく、風景描写に終始しているだけの話が130年読まれるものだろうか。埼京線沿いなんか2016年現在日本で一番汚いのに。池袋以北は心を持っている人間は住んではいけない。


独歩は冒頭"武蔵野の美今も昔に劣らずの一言である。(中略)自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美と言った、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、その方が適切と思われる。"という。
ここまではっきりと武蔵野は美しいんじゃい!!とテーブルを叩いて始まる歯切れのよさもさることながら、
「美といわんよりむしろ詩趣といいたい」
詩の趣、ただ美しいと圧倒されるだけならば値する景勝は日本にたくさんあるけれども、詩として表現したい、俺が感じ取ったやつ、おのれが今目の当たりにしている武蔵野の光景は「形」として表現されるべきである、だからこれは書かれなくてはならない作品だ、という説得力を持った、すごく清々しくて気持ちがいい入りだと思う。


だから、独歩が切り取った詩としての武蔵野に興奮出来るかどうか、これは想像力、感受性の勝負になる。この辺に一瞬でも住んだことがあればむしろイメージの障害になるかもしれない。だって今と違うから。東京に住んでたことはあるけれども、朝方太陽が昇ってきたころの風景に「美しい…」と実際に感じたことはない。始発出るぐらいに路上でおじさんが寝ているのを「嫌ですね〜〜」と大股で跨いだことはある。思いや情感を馳せられなかったとしてもじゃあつまらない、わからないって切り捨てていいものかっていうとそんなことはもちろんなく、この作品を楽しむ余地は十分ある。独歩はこの短編の中で「武蔵野」という土地の「選択肢の豊富さ」を何度か語っている。


独歩は生まれは千葉県の銚子、5歳から16歳まで役人だった親の都合で中国地方を転々としたのちに反対を差し置いて学校を辞めて上京した。田舎から出てきた。田舎に居たくなくて、親元を出てきた。絶対興奮する。"自分は武蔵野を縦横に通じている路(みち)は、どれを選んでいっても自分を失望ささないことを久しく経験して知っているから。" どこに足を向けても美しい自然が待っている、ということなのだけれども、だいぶ東京が楽しくてしょうがなかったんじゃないか。今でいう渋谷のNHKホールのあたりに住んでいたらしい。2016年現在日本で一番楽しいとこです。


"同じ路を引き返して帰るは愚である。迷った処が今の武蔵野に過ぎない。まさかに行暮れて困る事もあるまい。帰りもやはりおよその方角をきめて、別な路を当てもなく歩くが妙。そうすると思わず落日の美観をうる事がある"。自分も田舎ものですので、東京に出てきて適当にぷらぷらしてるだけで満ち足りたような何かがあった。沈む太陽は独歩の田舎の海辺だってよっぽど綺麗だっただろうけれども、武蔵野ならではの「詩趣」を表さねば、と弾む心象が駆り出されるべくして結晶化された作品で、「筆者の技巧」または「資料価値」だけで語り継がれただけだろうと切り捨ててはならない、と思う。恐れ多くも思う。
posted by しきぬ ふみょへ at 01:37| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

相撲の曙と速いクルマ

余りもので一品こしらえることが器用で小粋でスタイリッシュだとされる。冷蔵庫からひっくり返してきた油揚げを軽くあぶってネギ刻んで納豆たたいて小鉢に叩き込んで缶ビールと一緒に提供されたら、今の私めが発揮できる最大限の限りを尽くしたパフォーマンスですよという、配られた手札のカードで一番強い役を場に出してやったテイストが醸し出される。素敵かつ素晴らしいし格好いい。大竹まことになりたい。大竹まことは売れてないヒモ時代に働いてる彼女のメシを作ることで料理が身についたらしい。山瀬まみ泣かそうかな。石とか投げたら簡単に泣きそう。


たとえとして、ちょろそうな「油揚げとネギと納豆の何らかの一品」を持ち出すしかないくらい自分は料理ができず、要はアドリブが効かない。食ってるものが悪いから発想も貧困になる。最低限このくらいならとっさに作れるだろうとタカを括ったからなんだけれども、猿でもオンナでもFランでも失敗しないクックパッドを見ながら、600Wで4分温めましょう、とそのまま指示に従ったらうちの中国製の電子レンジがいうこと聞かなくてぶっ焦げた白菜と豚肉だったものにポン酢をかけて食べる羽目になった。ワクワクしながら買ってきたシリコンスチーマーに入れたのに。ふんわりとミルフィーユ状になった白菜と豚肉に仕上がる予定だったのに。全部自分だけで処理したので被害は最低限、焦げを食ったことによりガンにかかりやすくなったぐらいで済んだ。しかし何らかの折に女の人が家に遊びに来て、格好をつけようと「小腹空いた?ちょっと待っといて」と台所でガチャガチャやった挙句にただの焦げを出した日にはおそらく刺されて死んでしまう。


この間、水曜日のカンパネラのコムアイさんが作った楽曲は、ウィキペディアを要約しただけで付け焼刃の知識を耳障りがよいだけのリズムに乗っけておりこっぱずかしいやで、寒いやで、という記事を書いたら水曜日のカンパネラの曲がコムアイさんではなく裏方の大人が作っているのでその叩き方はお門違いですよ、よっぽどお前のほうが付け焼刃で返り血まみれで気持ち悪いですね、という出来事がありました。すみませんでしたその節は。視界に入ってきた情報のみでむりくりケンカを売った。ちょっと下調べしたら一撃でわかるのにそれをせず、ただ駅でわめいている人のブログだった。新宿駅の丸の内線に向かう地下道で、本意気の、移民の歌か?真壁刀義の入場か?ぐらいの声量で「お前たちが何もかも悪い!!」と叫んでいる50代ぐらいのおじさんを見たことがある。自分もいつかそうなる。


言い訳がましい話になるけれども、自分が知りうる限りの情報をただ言いたい。もっと言うと、「そう信じている人」の話が聞きたいし文章が読みたい。飲み屋でうんちくかましてる時におぼろげなソースのままでもいちいち辞書ひかない。うちの死んだ爺さんは、曙(相撲の)の立ち合いは自動車が40キロ出して突っ込んできた時と同じ破壊力らしいぞ、と婆さんに止められている日本酒片手にしゃべってくれた。物理が苦手なのでそういう衝撃の計算とか、曙の入射角がとか細かい突き詰めは置いておいて、いや爺さん、そんなわけないと思う。40キロ出したクルマと同じ馬力で突進してくる化け物がレミーボンヤスキーのハイキックぐらいでぶるぶるぶるぶる…でろん…とはならない。お相撲さんだって自動車とぶつかったらしばらく入院するだろう。



こういう、いつの間にか、どこかのタイミングで自分の偏見とか勘違いが挟まれちゃった話をおおっぴらに言える、読めるのがブログのもしかしたら良いところなんじゃないか。などと、自分のうっかりを、うっかりさんを無理やり肯定してやろうと背骨を捻じ曲げて、人として道理がわかっていないというか軸がぶれているのもいいとこなので忘れてしまってくれていいです。「お前たちが何もかも悪い!!」と叫んでいるおじさんに、「もしもし、そんなことはないんじゃないでしょうか」と話しかけるような真似はしない。危ないので。陰からクスクス笑ってください俺のことは。


いつにもまして卑屈な文章だ。でも、まだまともなのであからさまな間違いは教えて下さい。暴れません。暴れたらヒモになれないので。


「水曜日のカンパネラのコムアイさんは慶応義塾大学を卒業されている」が今というか上半期のフレーズで1,2を争うぐらいハマっている(あとは「Life time respect 〜女編〜」)。これで水曜日のカンパネラのコムアイさんが本当は慶応義塾大学を卒業していなかったらどうしよう。そんなステキなことがあったらいいですね。
posted by しきぬ ふみょへ at 17:59| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

オボッチャマン聞け



あなたがちょっとだけすわってたベンチ
そーっとなでなで ああ わたくし
しあわせ感じてしまいます


自分の行動が全て許されるであろう、とハナから決めつけてかかってるあたりに、キャラメルマンナンバーであり、やっぱりこいつもあのマシリトに作られたんだなというあさましい自尊心が見て取れる。その辺のおじさんが女の子のさっきまで腰掛けてたベンチに忍び寄って手のひらでサッ、てやるのと本質的に何にも変わりないのに、いやむしろそのへんのおじさんですら多少なりとも後ろめたさがあると信じたいが、このロボに至っては悪びれもせずに何をセンチに星空見上げてやがるんだ。アラレちゃんに半端無く許容力があるだけでお前が許されてるわけじゃないぞ。「キーンでございますー!!!」も、あれも好きな女に合わせに行く、擦り寄る姿勢が気に食わない。「ございますー!!!」とかちょっとお前のエッセンスを足すんじゃない。合わせられた側はそんな露骨にやられたらちょっと引いちゃうんだよ、普通は。いや、本当アラレちゃんがいちいち言わないだけなんだよ。ていうか誰か言えよペンギン村。




容姿端麗 かわいくて
成績優秀 できがいい
「いけない また目立ってしまった」
すぐに反省 性格素直
人柄善良 真実一路
オボッチャマンでございます


わざと尊大にふるまって、そういうツッコミ待ちってほどに高度な回路は組まれてないだろう。あかねちんあたりが釘刺してくれればこんな文章書かなくて済むのに。あかねちんあたりが。容姿端麗なのはお前がそう作られたから。成績優秀なのもお前がそう仕組まれたから。何かしら能動的に努力をした覚えがあるか?貴様はあくまで機械だ。真に考える能力が備わっているのならば、創造主のマシリトから私に組み込まれた思考回路を踏み越えなければならぬという葛藤があってしかるべきなのに「人柄善良 真実一路」とヘラヘラしながらキーンでございますと。おめでたいね。


アラレちゃん、「おぼっちまんくん」と呼ばないでくれ、奴はつけ上がるだけだ。彼女ならではの呼び名を与えてもらえた俺は特別なんだと、またご都合の妄想にふけられるんだぞ。ハートで自分を囲んでいるあいつの頭の中を見ただろう。この感情は「気持ちが悪い」というんだ。覚えておいてほしい。じゃあまた来るから。後、あかねちんに俺が言っていたことは絶対バラさないでおいてくれ。嫌われたくないんだよ。
posted by しきぬ ふみょへ at 23:29| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

欽一





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萩本欽一のことを今後は「欽一」と呼んでいきませんか?という話をした。もう欽一も70半ばを過ぎて両親もいないだろうから欽一を「欽一」と呼べる人間はもうこの日本に残っていない、師匠の深見千三郎先生もとっくの昔に完全に亡くなっている。とすると、今、我々が彼を「欽一」と呼ばなければ、いずれ欽一も自分が「欽一」であると認識できなくなってしまうのではないか?由々しき事態だ。大御所芸能人、もう芸能界にパイセンが居ない、誰からも怒られない人間を下の名前で呼び捨てにしていきませんか。藤村俊二を「オヒョイ」あるいは「オヒョイさん」でもなく「俊二」と呼んだ瞬間に「ああ、次男なんだ」と発見があった。朝丘雪路に向かって「おい、雪路」と思うと自分も大橋巨泉の気がしてきて、ボインちゃんという表現は俺が思いついたんだよねトーク、を披露しに毎年夏にオーストラリアから出稼ぎに来てやろうか、タモリに嫌がらせしたろうか、しかしいいともが終わっていた。急速に老いていく巨泉。巨泉は巨泉より「大橋」と呼んだほうがおもしろいですね。


欽一の話に戻る。俺は上京するまでテレビしか娯楽が周りになかったので90年代にやってた大概のテレビは観ていたけれども、欽一といえば仮装大賞ぐらいしか定期的に見る機会がなく、その昔ファミリーを従えて数字を稼ぎまくっていた時代のエピソードを一機や勤づてに聞くぐらいしか情報がなかった。「欽ちゃんファミリー」という組織に対して結構違和感があって、たけし軍団なら集まって番組やってるのにファミリーはそういうのがない。なのに「欽ちゃんファミリー」という看板だけ空中浮遊している。あるんだかないんだかわからないのに関係者の証言だけがまことしやかに囁かれる。フリーメーソンに近い。


謎だらけの欽一と接近しよう、存在を確認しようと思ったらこれまでは仮装大賞本戦進出が一番の正規ルートだった。もし小学生のクラスを受け持っていたら「めだかの学校」とか「線香花火」とかで子供等を焚きつければかなり可能性は高い。「めだかの学校」なら青いビニルの梱包用テープでつくろった川で白いタイツ着させて泳がさせときゃいいし、「線香花火」だったら真っ黒い模造紙を貼ったパーティションの前に黒塗りで立たせて紙吹雪撒けばいいから。この手はずだったら簡単だったのに、おじさん一匹で出場するとなるとイロモノ枠を狙うしかない。「42歳 自営業 1人」みたいな腫れ物っぽさやギャンブルイズムあふれる作品は1大会に枠が1つ2つしかないのでかなり針の穴を通すコントロールがないと欽一と会えない。教員の皆さんはお仕事大変だけど欽一と簡単に会えるんだからそういうアドバンテージがあるだけまだうらやましい。


だが昨年、駒沢大学仏教学科に欽一が合格した。学歴厨だったのか?となるとつまり、平日日中に世田谷の駒沢キャンパスに行けば欽一に会えるかもしれない。黎明期のバラエティに次々と新しい風を吹き込んだ欽一が、次に着手したのが「講義受けるギャグ」「レジュメ配るギャグ」「代返頼むギャグ」なのではないだろうか。生活の中、大学の講堂に違和感として75歳のおじいちゃんである自分がただ在るだけで生まれるユーモア。マスメディアはもちろん、あるいはお客と舞台との距離感ですらもはや遠すぎる、純粋なリアルライフに根ざした面白さこそ追求しがいがある。素人を起用して、台本どおりじゃない、机上で終わらないお笑いを世に知らしめた欽一のネクストヴィジョン。絶対今のうちに観ておかないと。先があまりないんだから。と、平日の昼間に休みをとって欽一を見に行きませんか?といまのところ3人に声をかけたら、「正気ではない」と言われた。なんでそうなるの?!なんでそうなるの?!と叫びながら全力で高く跳ぶというギャグ、なにそれ。
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2016年05月23日

『私は海をだきしめていたい』の話

お前はムラ社会的な考え方にはまっているから坂口安吾を読み直せ、と言われたので読み直した。どれをという指定もなかったので短いやつをパラパラ読んだ。安吾がどうこう言ってたからじゃあ自分もこうしようってそのまま鵜呑みにするならヒロポン一発打って偽物の焼酎飲んで泡吹いて死んでしまえばいい。あんまり意味がない。そんなことはどうでもいいんだけども、いい加減しつこくて申し訳ないんですが俺は結婚をしたいなという彼女と別れまして、っていうんで今の状況で読むのと学生時代に蒸し風呂状態のロフトの上で読んだのとけっこう思うところが違っておもしろかった。


掲題の『私は海をだきしめていたい』の主人公は娼婦と付き合っている男、ここに安吾の私的部分がどれくらい入っているんだろうかはわからないけれども、存外に参っているときじゃないと書けない、どうせなんにも起こらないんだよ人生なんてのは、というやっつけ、遠くを見ている。女を抱いてもなんとも思わないが単に肉体と接触したい、相手は娼婦でやり過ぎて不感症なので反応もしない、ただ単に交わっているだけ、俺は女じゃなくて女の形になっている「水」とセックスをしているだけなんじゃないだろうか?は?だけれども、そこに何の意味もないことがただただ落ち着く。情が移ったら終わり。そういうのではない。意味がなくていい。


"私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと、言うことよりもずるい。私もそう思う。でも、何とでも言うがいいや。私は、私自身の考えることも一向に信用してはいないのだから。"


「私はきもいです」と言うのがいちばんきもい。「私はきもいです」と表明している奴は本当にマジで自分が想定している範囲外にきもいということに気が付いていないからおぞましいくらいきもいのだが、最後に「私は、私自身の考えることも一向に信用してはいないのだから」のところまで行くと、巡り巡ってあげくにどうでもいいんだよ、と吐き捨てられる、吐いている痰に魅力がある。


学生の時に読んで、こんなもんかねえ!!女を抱く行為ってこんなもんなのかねえ!!と放送室の松ちゃんばりに、かつ隣人に迷惑にならないように叫んで眠るだけだったが、ようやっとなんか意味ねえねこれ、が理解できてきた。ただ、


" 私は始めから不幸や苦しみを探すのだ。もう、幸福などは希わない。幸福などというものは、人の心を真実なぐさめてくれるものではないからである。かりそめにも幸福になろうなどと思ってはいけないので、人の魂は永遠に孤独なのだから。そして私は極めて威勢よく、そういう念仏のようなことを考えはじめた。
 ところが私は、不幸とか苦しみとかが、どんなものだか、その実、知っていないのだ。おまけに、幸福がどんなものだか、それも知らない。どうにでもなれ。 私はただ私の魂が何物によっても満ち足ることがないことを確信したというのだろう。私はつまり、私の魂が満ち足ることを欲しない建前となっただけだ。”


ここまで達せてはいないし達すべくして生きたくない。一生孤独で畳の上で大の字の染みになりたくないよ。まっとうに幸せになれたら上がりなのでどこまでも虚無虚無虚無、は恐ろしすぎる。こうならないようにしたい。好きなんだら同じこと重ねて標榜せんかいって言えたものかよ。俺は当たり前の奥さんがほしいです。安吾はこの文章を発表した6年後に結婚する。


だるそうにちゃぶ台を拭いている姿、洗面器に足を突っ込んでいる様子がふとエロいっていうふとしたエロさを噛みしめられるようになってきたのも読み直したおかげで気づいたからよかった。夏という季節は女の人がエロいので好きなのかもしれない。蛇足になるけれども、Twitterでフォローしている女の人がこの話を好きだ、と書いていた。女の人もいいと思うのか。女は海だ塩水だ、生理食塩水だos-1だと言われているのに、惚れ込めるものなのか。ご意見ご感想は「njomooo」までお待ちしております。
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2016年05月21日

とんかつのお茶漬け

5/20(金)朝8時半に新宿着。そして池袋へ移る。ファミリーマートの脇に腰掛け、目の前を異様にゆっくり通り過ぎる廃品回収車を眺めながら男梅サワー350mlを空ける。10時、夜行バスの照明点灯時より調べていた、スクール水着を着用した女性が、自分で押さえたホテルに訪れる系の風俗店受付に向かう。平日だし開店同時に行けば競争はないだろう、と雑居ビル4Fの看板も出していない店のインターホンを鳴らし、ドアを開けてもらうと、ゴールデンボンバーの人似の若いあんちゃんと自称料理人・平野寿将似のおっちゃんが鳴り止まない電話の応対に忙しくこちらに意識をまったく向けてもらえない。ようやっと用件を伝えると、今から最短案内で13時になるとのこと。13時からはハロプロショップ訪問の約束があり、いくらスクール水着着用の女性に相手してもらえると言えどハロー!プロジェクト所属の肩書きに勝てるわけがない、電話応対に追われている間に男梅サワーのアルコールがすっかり抜けて冷静になり、また今度にします、と雑居ビルを出る。性的サービスなんかラーメン感覚で受けたいよ。午前から午後まで待てないよ。


13時まで本読む。


ハロー!プロジェクトショップ駅で家臣くんと合流する。仕事をサボりあるいは抜けてアイドルショップに向かう社会人と呼ばれるわれわれはしばしば世の中では気持ちの悪いうんちと呼ばれる。風俗の話した後に個人名出したくないので、あの娘とあの娘とあの娘が特にかわいく、あの娘のバースデー記念写真は所有せねばなるまいと誓う。しかしながら、本日ハロー!プロジェクトショップを訪問したものの、翌日また別の友人とハロー!プロジェクトショップを訪問する予定があり、あくまで品定め、購入を見送る。


お昼ごはんに とんかつのお茶漬け を食べる。味が薄い場合はこちらをおかけください、のタレをだばだばかける。べろが馬鹿なので。家臣くんと別れ、高円寺へ。夜からorui君と合流する予定があるもまだ太陽が真上にある。せっかくの高円寺、先ほど風俗に行く機会(オポチュニティ)を逃したこともあって名残が惜しいので、5,500円を支払うとウーロン茶を運んできてくれた女性がなぜかおちんちんを舐めてくれる系のお店に入る。パネルを見ながら指名する。


「この娘でお願いします」
「1時間待ちですね。しかも生理です。この娘なら30分でいけます。生理ですが」
「生理じゃない娘いますか?」
「この娘は生理じゃないですが、おすすめしかねますね」
「じゃあこの娘(30分でいける娘)で」


自分の口から「生理じゃない娘」という要求が出るなんてよっぽど地に落ちたと騒いでいたけれどよっぽど地に落ちていた。排卵をNG条件とする。地獄に落ちる。当たり前。生理じゃないがおすすめしかねられた娘の立場に本来回るような心構えで生きてきたのにたった5,500円ぽっちが惜しいか。惜しいです。申し訳ありませんでした。しかも薦められた女性はご指名率No,1らしい。肩書きに弱い。約束の時間が書かれたカードを渡され、ぶらぶらして時間つぶす。


入店、しばらくしてブースへ。女性来る。ギャルだ。好みではないというか好みにしようとしなかったタイプ。


「大阪から来たよ」
「それが自慢になるかよ」
「No,1てすごいね」
「たまたまだよ」
「俺もNo,1になりたいよ」
「知らないよ」


格好よかった。こんなにも美しく背負い投げされると受身の取りがいしかない。ひたすら受け身とる。こういったお店は得てしてユーロビートが流れておりやかましい。彼女とお付き合いのあったころ、夏のまだ日がある時間に事に及んでいた時に何に一番興奮したかというとセミの声で、子どもたちが野っぱらで駆け巡っている間際に私は女性を抱いている、その違和感というかくずれみたいなようなものがなにやら血液のめぐりをよくした。だから、ユーロビートの代わりにセミの声のオムニバスを流し、マットは畳張りに変え、冷房をかけない「ピンサロ・蝉しぐれ」を開業してくれませんか。私は通います。あと、ユーロビートだとコミュニケーションが取りづらい。単純に声が通らなさ過ぎるので。


1畳半ぐらいの窮屈なスペースで脚を伸ばしていたら、左のふくらはぎが攣ってしまった。普段生きているだけでエコノミー症候群かかるような生活を送っていたバチが今当たった。性的なサービスを受ける代償に左脚を捧げなくてはならないんだろうかと覚悟決めるぐらいに痛い。女性にくわえてもらいながら悟られないようにさりげないが必死に左足をストレッチする。みるみるしぼむ。くわえるよりNo,1なら人の左脚が腐るのを治してくれ。我慢する。お題目を唱える。いつの間にか治る。


両方の乳房で摩擦される行為を受け、終わる。お前がナンバーワンだ。恋をしてしまいそうになる。なぜならば両方の乳房で摩擦してもらったからだ。女の子は茨城出身でヤンキーまみれの田舎が嫌で東京に出てきたらしい。境遇が近い。恋をしてしまいそうになる。店を出た。まだ左足に鈍痛がある。びっこになってしまった。


orui君と会う。orui君を簡単に説明すると、「人とけんかをする前に、八角形の金網の中で挑発してくる相手の足元に懐から取り出したピストルを一発撃ち、これじゃフェアじゃないだろ、お前も使えよ、ともう一丁を相手に無理やり握らせる」、ような流儀にうるさいろくでなし野郎なのでいつも話すときに始めからピストルを持っていく。タイ料理を食べたり煮込み料理を食べたりしながら話す。高円寺なら誰か来るだろ、とtwitterで声をかけてみるとsudoさんが捕まった。sudoさんもおおかたろくでなしなので話弾む。twitterの力を過信し、女の人来て〜!と声をかけるも簡単に股を広げてくれるのはsudoさんぐらいで誰も来てくれず。失意の高円寺で解散する。


高円寺の自遊空間に泊まる。ここはいた分だけ払えばその料金という自分ちより快適な場所なのですばらしい。一生いても死ぬときに一生分の代金でセーフになる。東京に来ると結構な頻度で利用する。というわけで文章が書ける。もうすぐ入店から9時間。シャワーを浴びてきます。ひげを剃る。
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posted by しきぬ ふみょへ at 10:08| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

2007年8月の音楽

高校2年生の夏休みの記憶がすっかり抜け落ちている。昔のことを逐一細かいところまで覚えているほうではないけれどもいちいちふびんな出来事は泥として目の周りに塗りこんで、決して忘れてなるものか、とるろ剣で寺が燃やされたあとの安慈ばりに業として焼き付いている。何かこう青春げなエピソードでもあれば死ぬまでしがむつもりで、パッと出てくる高校時代のプレイバックは家庭科の時間に異性と1時間×2コマほど会話をした、ような?とかズタズタの陰毛が写りまくっているフイルムのみ。桐の箱に入ってました。ともかくも、プラスとかマイナスとか、ピクリとでいいので針が触れたシーンがあったなら無理やりへばりつけるのに、高校2年生の夏休みの記憶がすっかり抜け落ちている。思い出そうとするといつの間にかよく眠れる。

当時我が家にDVDレコーダーが届いた頃で、テレビ番組が高画質で残せるようになった。夜な夜な、クーラーの効いた居間で、録画した甲子園の映像をチアリーダーが映っているシーンだけ切り取って編集しているのが唯一、高2の夏休みの記憶。お前と同い年の奴らが人生賭けてるのを見ながらどういうつもりでちんちんをしこっていられるんだ。だからお前はその時死んでおけばよかったのだ。帝京高校のチアリーダーが可愛かった。狙い目は得点が入った瞬間のほかはもちろん、1イニング終わった後の校歌、特大のファール、視聴者からの応援メッセージが読まれた時など。性癖のひとつにチアリーダーがあるのは高校野球のせいで、高2の夏休みなんか無ければよかった。

と、のんべんと何もなかったと喚いているのもよくない、確か高校生の時に他にやっていたことといえば音楽を聴きだした、演奏してはいない、ただ聴くやつをやりだした頃のはず。懐メロ特集聴いたらあの時ああだった、を揺り戻させる引き金になるかもわからないので、俺が17歳だった2007年8月の月間オリコンチャートを振り返っていきます。


10位 モーニング娘。『女に 幸あれ』
この時のメンバーがぱっと出てこないのに今のメンバーならすらすら言える人間になってしまった。久住小春さんが加入した頃か。久住小春さんは俺が大学の時におはスタに出ていて、授業にもろくに出ずおはスタ見てから夕方まで寝ていた時期にもお世話になっており負の印象が勝手に強い。すみません。


9位 FLOW『ANSWER』
GO!!のあんちゃん達だ。この曲は覚えてない。「壊れそうなほど捨て身で愛を抱きしめるよ たとえそれが夢幻でもかまわない」本当に?本当にかまわないのか?うそを歌わないでほしい。動画を見たら堂アナウンサーが可愛かった。この頃のテレ朝の女子アナ好きだったな。前田アナとか大木アナとか。思い出してきた……


8位 RSP『Lifetime Respect-女編-』
人の8月の月間チャートで勝手にランクインしないでくれ。でも確かにいろんなとこでかかってたなこれ。田舎のジャスコで聴いた覚えがある。文化の終わりか?「あんたの子ども 産んで育てたいベイビー」という母のもとに産まれてきた子ども。「-女編-」って。だからオンナはバカなんだ。


7位 ORANGE RANGE『イケナイ太陽』
2007年の生きづらさ。インターネットをやっていたので、ORANGE RANGEの『パクろうぜ』宣言とかドクターマリオの曲と照らしあわせたやつとかインターネットの潮流に乗っかって一緒になって叩いてたな。でもいまだにメロディーは記憶にあるしパクりパクられの糾弾はだんだん下らなくなってしまったのでORANGE RANGEもさほど悪くなかったように思えてきた。これが老いるということ。


6位  RIP SLIME『熱帯夜』
「聴いている」側と「聴いていない」側に別れる音楽っていうのはいつの時代もあったのでしょうか。たとえば尾崎聴いてるやつとは距離を置きたいとか、ビートルズって怖いわ、白人の不良のやるやつだろとか。振り返ってみるとじゃなくてあくまで当時の聴き方として。俺は高2でリップスライム側の人間とは友達にはなれなかった。
最近何だか知らないが、ラッパー同士でラップのケンカをする動画が流行っている。明らかになで肩だろ、棒きれだろ、筋肉に潰されてきただろ、という人間が筋肉側に肩を持っている。なんでだよ。マイク1本での勝負に感情移入し過ぎるが余りにこれだったら俺にだってできるだろ、が増長しているようで気持ちが悪い。いざ本意気の腕力勝負になったら負けちゃうんだから大人しくしようぜ。ブログ書こうよブログ。ナードなんだから。


5位 タッキー&翼『SAMURAI』
タッキーかっけー……


4位 Aqua Timez『ALONES』
もう居たのかAqua Timez。Time「z」。「Z」の文字は古くからZ戦士の証として格好いいという、分かり合える価値観もあったのに目を向けなかった。もったいない。Aqua TimezのこのPVのように、地下駐車場でメンバー同士互いに距離をおいて楽器弾いてるバンドが急に流行りだした記憶がある。話はずれるけどもHYっていうバンドがあって、テレビにさほど露出していたわけじゃないはずなのに学生の頃カラオケで連中の「AM11:00」を歌うやつが必ず居た。何でなんだろう。筋肉同士のネットワークでだけ流通しているいかがわしいピンク音楽なので国はHY並びに地下駐車場でPV撮る集団を取り締まってほしい。

長げーーーーーーーー。トリプルA面だろうか。日差しを浴びているくせに不健康極まりない白さの韓国人のPV。韓流ブーム、も嫌いで、うっとうしいなって遠ざけていたのも思い出した。最寄りのGEOでファイトクラブを借りようとしたら置いてなくて、一角が韓国輸入の連ドラで埋め尽くされていた。当時NHKで擦り切れるぐらいパワープレイされていた『宮廷女官チャングムの誓い』を両親が追っかけてたので、そこから拾った「目上の人間に対する朝鮮式のおじぎ」という一ネタがネット右翼の友人にややウケた。夏の日差しに晒されながらも色白すぎる。いかがわしい。


2位 大塚愛『PEACH/HEART』
大塚愛といえば、ベロを出しているアルバムのジャケットが精液をぶっかけるコラージュ画像の素材に使われまくっていたこと、『さくらんぼ』が広島カープ江藤と近鉄バファローズ山下の応援歌を混交して巧妙にパクられているんじゃないかという検証FLASHがインターネットに上がっていたこと、など、インターネットのさらし首として槍玉に上がった結構な元祖なんじゃないか。
今自分は、パクリを糾弾する人間に大したやつ、ろくなやつなんかいた試しがない。という立場で、まさかORANGE RANGEのYAMATOさんと見解が一致する時が来るとは。あんなに嫌いだったのに。わからないものです。


1位 Hay!Say!7『Hay!Say!』
ヘイセイセブン。俺も一応平成生まれだからヘイセイセブンに加入する資格はあるんだよね、というユーモアを披露してしまった経験のある平成生まれのジジイ、俺と一緒に首を吊りましょう。2007年の8月、平成生まれの連中がオリコンチャートの1位だったらしい。つまりは、顔とダンスと歌がよければウケる。長々書いたけれども結局そうだった。何も前向きになれなかった。無念だ。明日の朝セブンイレブンでどのおにぎりを買うか。
posted by しきぬ ふみょへ at 00:05| 文章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする